十三話 『弥平次ノ過去』 一五五三年・土田弥平次
「・・・本当、吉乃のする話は面白い話ばかりよな」
くすりと、帰蝶様がお笑いになられた。
帰蝶様の私室にて。半ば強引に姫様から部屋に招かれた吉乃殿は、姫様との他愛もない談議に花を咲かせていた。
意外と気が合う者同士だったのか二人の話は盛り上がり、くすくすと笑みを混ぜながら二人ともとても楽しそうに会話を弾ませ、その様子を私は穏やかな気持ちで見守っていた。
「美濃にも、お主ほど話上手な者はおらんかったな」
「美濃? 帰蝶さまは、美濃の出なのですか?」
「あぁ、織田への輿入れにて美濃から尾張に移ったのだ。殿と我が父、斎藤道三との同盟の証としてな」
「斎藤道三っ!? あの斎藤道三公が、帰蝶さまの父君なのですか!?」
姫様が挙げたその名に、吉乃殿が目を輝かせて食いつく。
「吉乃は、妾の父を知っておるのか?」
「勿論、商人で斎藤道三公を知らない者はいないほどございます!! 一介の油売りから一代で美濃の国主まで上り詰めた男・・・商人としては憧れの人です!!」
美濃の国主、斎藤山城入道道三。
確かに、美濃国の隣国でその名を知らない者はいないだろう。その名にある者は恐れある者は憧れ、良くも悪くも人の心を揺さぶる名。
尾張の北、美濃国は山国特有の天険な地形と広大で豊かな土地を持ち、圧倒的な国力と兵力の強国としてその名を轟かせている。
そしてその強国を一代で作り上げた傑物が、斎藤道三様だった。
元は武家の出ではなく、油売りの商人とも京で仏門に入った僧とも言われているが私も詳しいことは知らない。
とにかく私が生まれる遥か前に道三様は当時美濃を治めていた守護職、土岐頼芸公に仕えると、その才覚にて見る見るうちに出世を果たし、ついには頼芸公から美濃国を奪い美濃の国主にまで上り詰め、織田家とは比べ物にならないほどの強大な大名として今でも美濃を治めている。
隣国の大名からは『美濃の蝮』と呼ばれ忌み嫌われているが、その立志伝は民百姓の間で人気を集めていた。
しかし、吉乃殿が道三様に憧れているとは知らなかった。昔の主君を褒められて、不思議と悪い気はしない。
「おぉ、そうなのか。我が父ながら、そう言われると誇らしいのう」
「道三公は、どういった御仁なのです?」
「父上か? そうだな・・・とにかく、人としての器が大きい父じゃったな、弥平次?」
「そうでしたね・・・あまりにも大きすぎて、私には人ならざる者のように感じました。天狗か仙人か、道三様はきっとそのようなお人です」
苦笑いを浮かべながら、私は帰蝶さまにそう返した。
「えっ? 弥平次殿も、道三公にお会いしたことがあるのですか?」
「会うも何も、こやつ美濃では城勤めの近習をしておったからな。父から直々に、手ほどきも受けておったしな」
「本当ですか!?」
今度は私に、吉乃殿のその好奇心に満ち溢れた視線が向けられる。
女子にそのように顔を真っ直ぐと向けられるのは慣れていなくて、思わず恥ずかしくなり私は視線を反らしてしまう。
「あの斎藤道三から手ほどきを受けたお侍だったなんて、尊敬致します!! 弥平次殿はなかなか昔のことを話してくださらないから、私知りませんでした」
「いや、そんな大層なものでは・・・」
私は申し訳なく思いながら、首を横に振った。
本当に大したことではないのだ。決して謙遜という訳ではなく。そのように尊敬の眼差しを向けられると正直困惑してしまう。
語る価値もないほどの、半端な男の半端な過去なのだから。
私は、土田家の次男坊として生まれた。
初めから、私は半端者だったと思う。私には聡明で立派な兄がおり、土田家の家督は兄が継ぐと決まっていた。家を継ぐ心配もない気楽な身の上だった私は、若いときから斎藤家の居城であった稲葉山城へ城勤めの奉公に出された。
そこには私と同じぐらいの年の小姓や近習が何人もおり、日々互いに功名を巡り競い合う戦場だった。この城勤めで成果を出し道三様に気に入られれば、今後の出世の足がかりになる。それが自らの、そして遠くない将来に自らが継ぐ『家』のためになる・・・みなその心意気で日々の城勤めに精を出していた。家を継ぐことのない私を除いて。
道三様から教えをこうたとは言っても、決して出来が良かった訳ではない。明智家の十兵衛殿のように文武共に私より優れた者も多かった。十兵衛殿は城勤めの近習の中で最も才覚溢れたお方で、道三様が最も目をかけられた有望な武士だった。
武芸にも秀でて(特に弓鉄砲は美濃随一だった)思慮深く教養のある十兵衛殿は、近習でありながら斎藤家臣団の列席に名を連ね、若くして主家のためにその才覚を振るっていた。
それに比べ私はあの頃から半端者で、『根無し草』だったのだと思う。
そのようなとき、帰蝶様の輿入れが決まった。
美濃にて生まれ、これまで一度も美濃から出たことのない姫様が尾張に赴く。他家に嫁ぐことが武家に生まれた娘の宿命とはいえ、当然姫様お一人で尾張に赴くことなど出来るはずもなかった。従者として斎藤家に仕える女中や侍女も数名伴うこととなり、守役として一人、近習の者も姫様に付き従うこととなった。
そして、その姫様の従者に私は選ばれた。
まぁ、順当に考えれば当然の人選だとも思う。私が織田信長様の母君、土田御前様と遠戚であることも大きいが、私以外はみな、いずれ自家を継がなければいけない跡取りだったのだから。姫様に従い単身で尾張に渡ることの出来るほど身軽な者は、私だけだ。
・・・確かに、誇らしいことではあると思った。帰蝶様は、主・道三様の大切な御息女なのだから。その姫様を尾張の地でお守りする役目を仰せつかることは、大変に誇らしい。武士の誉れだ。
けれど、帰蝶様に付き従うということは・・・
帰蝶様は、尾張の織田に嫁ぐ。嫁いだ以上、二度と美濃に戻ることは叶わないだろう。
それに付き従う私も美濃に、そして斎藤家中に戻れないことを意味していた。
出世もくそもない。
尾張に渡った私は、美濃の侍ではないのだから。斎藤家の家来ではないのだから。
・・・あぁ、家督の継げぬ半端者には似合いな仕置きだな。
帰蝶様と共に木曽川を渡りながら、私はそう思ったことを覚えている。
これで本当に、私は『根無し草』になったのだと。
尾張に赴いたところで、美濃者である私が織田家中に入ることが出来る訳ではない。
このまま、私は帰蝶様の従者として終えていくのだろうと、思っていた。
思っていたはずなのに・・・
「弥平次は、妾の従者として共に織田に来たのよ。こやつは別段織田家中に入る気はなかったようじゃったが、織田に来てすぐに信長殿に目を付けられてな。あの頃のことは、今でも思い出すと可笑しくての」
帰蝶様はくすくすと可笑しそうに笑う。
私は恥ずかしくなり、「昔の話です」とそっぽを向いた。
けれど、そんな私を尻目に姫様は吉乃殿に昔話を続ける。
「毎日、信長殿は妾の部屋に赴いてのぅ、『弥平次を貰うぞ』とだけ言ってそのまま弥平次を引っ張って行ってしまってな。そのまま道楽であちこち連れ回されては『あれが織田の当主となるべきお方なのですかっ!!』といつも憤っておったわ」
けらけらと笑いながら懐かしい話を帰蝶様は上機嫌に語る。
姫様が織田に嫁いですぐのことだから、もう四年ほど前のことになる。その頃はまだ殿は『うつけ』と呼ばれていたときで、そのうつけの道楽に毎日毎日つき合わされるのだから姫様にも少しは苦労を察してほしい。
狩りに相撲、喧嘩に酒盛り。
若い頃から城勤めに行き、あまり嗜んでこなかったそれらの道楽に連れ回されるのだから億劫になってしまうのも当然だろう。
けれども、信長様は帰蝶様の主人であって。姫様の従者である私が信長様からの誘いを断っては夫婦の仲に角が立ってしまうのではないか・・・半ばそんな義務感を感じながら、私は殿と、そして五郎左や内蔵助、犬千代、勝三郎・・・後に母衣衆となる面々とつるんで当時は遊びふけっていた。
「それがいつの間にか、弥平次も信長殿の家来になってしもうてな・・・」
頬杖をつきながら、帰蝶様は懐かしそうにそう呟いた。
いつから、だっただろう・・・
帰蝶様の従者として尾張に来た私が殿の、織田信長様の家臣となったのは。
殿に、正式に臣下の礼をとったことはない。気づけば、私は殿を自らの主君として仰ぐようになっていた。
流されるまま殿の道楽につき合わされあちこち連れまわされていくうちに、私は殿と過ごす時間が心地よくなっていた。
「弥平次、ついて来い!!」と私を呼ぶ声に、私は少しずつ誇らしさを感じてしまっていたのかもしれない。
初めてだった。家督も継げない、才もない。そんな男を、こうやって名指しで呼んでくれるお方と出会うことは。私に「ついて来い」と言ってくれるお方に出会うことは。
そのような大将に巡り合うことは、武士としてとても幸運なことではないのか。
そう思ってしまったとき、私の忠義は殿に傾いてしまっていたのかもしれない。
殿や母衣衆の面々で戦の鍛錬をした際、戯れに私は道三様から教わった斎藤家の軍学を披露して見せた。
道三様から教わったことが自分のものになっているなど思ったことは一度もない。ただ、遊び半分の戯れで。
しかし母衣衆のみなにとっては美濃の軍学は初めて見るものだったらしく、私はみなから軍学の教えを乞われるようになっていた。
私は人に教えるなどと大層な者などではないとも思ったが、別段断る理由もない。道三様から教わったことをみなに教えていくうちに、私はみなから一目置かれるようになってしまっていた。年長ということもあって、母衣衆の中でもまとめ役のような立場になってしまっていた。
美濃ではあれほど『根無し草』であったのに。
尾張でも『根無し草』であり続けようとしていたのに。
私は尾張に自らの居場所を見出してしまっている。
そのことに気づいたとき、私は織田の家来になることを決めた。
殿に、求められているうちは。
母衣衆のみなに、望まれているうちは。
精一杯それにお返しをしよう。
それが私が織田に示す、『忠義』なのだと。
けれどもそのようなこっ恥ずかしいことを人前で、吉乃殿の前で言えるはずもなく。
「・・・初めて、お聞きしました。弥平次殿の昔のお話。私の想像以上に立派なお侍さまだったのですね弥平次殿は」
目を輝かせながらそんな言葉を私にかける吉乃殿に
「そんな大それた人間じゃありませんよ。私はただのにわか武士。殿の、小間使いです」
苦笑いを浮かべ、私はそう返した。




