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十二話 『蝶ノ邂逅』 一五五三年・吉乃

濃姫こと帰蝶の登場です!!

吉乃と帰蝶との出会い・・・さて、どうなる!?



「・・・以上で全てです。お疲れ様でした吉乃殿」



 広げた書き物をまとめながら、弥平次殿は優しい声で私にそう言った。



「そう、みたいですね・・・お疲れさまです」



 ようやく、終わった・・・


 私は安堵の笑みを浮かべながら、ぐぅっと背筋を伸ばした。ずっと背を丸めて帳面に記された数を睨みつけていたから、すっかり肩もこってしまっていて。


 織田のお城の執務部屋。殿様が弥平次殿に与えたこの部屋に入って、きっともう二刻程度は経っていると思う。


 本日は、織田の商いについて弥平次殿と打ち合わせを行う日だった。織田との商いに問題が起こらないよう度々このように弥平次殿と打ち合わせは行っていたのだけれど、楽市のこともあってその量は普段の数倍に膨れ上がっていた。


 私は店先に立つことが好きな商人だから、店の勘定を数える仕事は手代や父に任せてしまいがちで・・・けれども織田は大口の大事なお客だから、そんな我が儘が言えるはずもなく・・・


 途方に暮れながらも、全て帳面の数に間違いがないか弥平次殿と二人部屋に篭もってずっと調べていた。


 私が勘定の多さに目を回している間も、弥平次殿は黙々と仕事を進めていて。その姿を、私は隣で見ていて思わず感心してしまう。


 私と違って、弥平次殿は勘定仕事が得意なんだ・・・


 豪腕で己の武を誇るお侍は多いけれど、こうやって勘定仕事をこなすお侍はあまりいないと思う。やっぱり、弥平次殿は私の知っている武士とは違う変わったお人だと改めて思った。


 「どうしました?」横目でちらちらと顔を伺う私に気づいて、弥平次殿は首を傾げる。


 私がそのことを言うと、苦笑いを浮かべて



「常から殿にこういった務めを命じられるものですから、慣れてしまいまして。ですが、私など全然。五郎左の方がより正確で速いですよ」



 謙遜気味に少し照れたような表情で、弥平次殿はそんな言葉を私に返した。



 もしかして、私の言葉をその場限りの世辞だと思っていらっしゃるのだろうか・・・



 そう思うと、私は少し不満に感じた。


 私は商人だ。誠実と損得が大事の商人だから、世辞でも偽りは口にしない。口にしたくない。良いものは良いと、悪いに悪いと、常に正直にいたいと思っている。


 だから、弥平次殿への言葉も嘘はない。本当に弥平次殿に感心したから、そう言っただけなのに・・・


 自尊心があまりないお方なのだと、弥平次殿と接していて思うことが度々あった。


 お侍はもっと我が強くなくてはいけないのにと、私は思う。誰よりも一歩前に出て、強欲に力と功名を求める・・・それが、武士の心得なのだと思う。


 殿様だって自分勝手な人で、犬千代殿や内蔵助殿、殿様に仕える母衣衆の方も出世と手柄を日々競い合っていて・・・小六たち川並衆の野武士でさえも、普段の横柄な態度に私が手を焼くことがあるくらいなのに。



 弥平次殿と接して、そういった面を感じたことが一度もない。


 もっと、お侍として偉ぶってもいいのに。


 尾張の国主である殿様が一番頼りにされている、立派なお侍のはずなのに。



 弥平次殿は腰が低すぎる。


 それは弥平次殿の美点ではあるけれども、同時に短所にもなりはしないか。



 お節介ながら、私はふとそんなことを心配してしまう。



「・・・あの、弥平次殿?」



「はい、なんでしょうか?」



「・・・私がこのようなことを言うのはおかしいかもしれませんが、もっと自らのことを・・・っ」



「弥平次っ!! いるかっ!?」



 突然、私の言葉をって障子の裏から大きな声が響く。


 弥平次殿を呼ぶ声は野太い男の声じゃない。織田のお城ではあまり聴かない、凛と澄んだ女子の高い声だった。



 誰だろう・・・城勤めの侍女の方・・・?


 いや、それならあまりにも弥平次殿に無礼な物言いじゃないか・・・?



 そんなことを思いながらふと弥平次殿の顔を見ると、私が見たこともないほど愕然とした表情で弥平次殿は顔を青ざめていて。



 えっ・・・弥平次殿・・・!?



「えっ、いや・・・そのお声は・・・!?」



「いるな? 開けよ弥平次」



「はい、ただいまっ!!」



 まるで殿様に呼ばれたような焦りようで、弥平次殿は慌てて障子を開けるとその相手に平伏する。


 その人は、とても美しいな人だった。


 艶やかで長い黒髪と、端整な顔立ち。唇に塗った紅が目を張るほど妖艶で、高そうな緋色の打ち掛けと相まってとても素敵に私の目に映っていて。


 まるで天女みたいな人だと思った。


 顔は私よりも幼く年下に見えるのに、とても品のいい佇まいでその人は立っていて。


 さぞ高貴な人なんだろう・・・織田に連なる姫さまなのかな・・・?



「御無沙汰しております、帰蝶様!! このような場所に、何用で?」



 『帰蝶』さまと仰るんだ・・・綺麗な名・・・



「御無沙汰ではないであろう弥平次!! お主、近頃全く(わらわ)に顔を見せぬではないか・・・何をしておる!?」



「申し訳ありません!! 殿の命によりお役目を授かり、なかなか姫様にお伺いを立てる機会を得られずに・・・」



「言い訳をするなっ!!」



 凛と澄んだ声で帰蝶さまは弥平次殿を一喝する。その声があまりに凄まじくて、弥平次殿はただただ恐縮しながら「申し訳ありません!!」とまた平伏して。


 そのやり取りを、状況を飲み込めない私はただ呆然と見ていた。



 ・・・どういう、こと?


 帰蝶さまは一体、どういうお方?


 この二人の御関係は・・・?



 弥平次殿がお役目に忙しくて帰蝶さまのところへ伺うことが出来なかった。それに痺れを切らした帰蝶さまが弥平次殿の下まで乗り込んできた・・・ってこと?


 つまり、帰蝶さまは弥平次殿の愛妾・・・っ!?



 私は思わず、気まずさと恥ずかしさを感じて顔が熱くなる。



 ・・・私、とんだ修羅場の中にいるじゃないっ!!



「お主に命じられた役目については、妾も信長殿より伺っておる。しかし、お主を信長殿の目付けに命じたのは妾であろう? 妾への報告は怠っていいはずがないではないか・・・ん?」



 帰蝶さまはふと部屋にいる私に気づいて、視線をこちらに向ける。


 私は気まずさにどきりと胸が鳴って、慌てて帰蝶さまに平伏した。



「・・・そこの女子、初めて見る顔であるな? お主は誰じゃ?」



 帰蝶さまは不思議そうに首を傾げて私に名を尋ねる。



「津島にて馬借を営んでおります、生駒屋の娘、吉乃と申します」



「津島の馬借の娘とな・・・? そのような者が、何故このような場所に?」



「恐れながら我が生駒屋は織田さまと商いをさせていただいており、そのお話を弥平次殿と・・・」



 私そう申し上げると、帰蝶さまはにやりと不敵な笑みを浮かべて「ほうぅ」と呟いて、弥平次殿に視線を変えて



「弥平次・・・妾の下には来ずにこのような場所で女子(おなご)と二人で艶話(つやばなし)か・・・?」



 ・・・えっ?



 ・・・ええっ!!



 艶話って・・・卑猥なことも色恋のことも一言たりとも話していないのに!!



 帰蝶さまに、大変な誤解をされている!?



 帰蝶さまが唐突にそんなことを言い捨てるから私も弥平次殿も驚いて。恥ずかしさで顔が火照ってしまって、弥平次殿の顔も真っ赤で、二人して慌てて帰蝶さまの言葉に首を横に振る。



「なっ、何を仰いますか!? 私も吉乃殿もそのような間柄では・・・っ!!」



「そうです!! 全くの誤解です!! 弥平次殿はうちの店との織田方の取り次ぎ役で、商いの話しかしておりませんし、私はただの商人で弥平次殿と帰蝶さまの仲を阻むような真似は一切致しません!!」



「妾と弥平次の仲を阻む・・・? それは如何なる意味か・・・?」



「ですから私と弥平次殿は決して恋仲などではありませんし、愛妾たる帰蝶さまのお邪魔は・・・」



 私がそう言った刹那、弥平次殿がこれまで見たことがないくらい口を大きく開けて動揺して



「なっ、なっ、何を無礼なことを仰っているのですか吉乃殿!! 帰蝶様が私の愛妾だなんて!! 帰蝶様は殿の御内室、織田家における北の方様でございます!!」



 ・・・・・・えっ?



 殿様の、御内室・・・?



 弥平次殿の愛妾ではなくて?



 殿様の、織田信長の・・・奥方さま!?



「えっ・・・えっ・・・!? まことでございますかっ!?」



 弥平次殿の言葉を聞いても、全く信じられなかった。


 こんな綺麗な人があの殿様の奥方だなんて。


 でもその品の良い佇まいは、言われてみれば尾張国主の御内室らしい風格で。


 尾張で最も格式高い姫として、帰蝶さまはとてもお似合いに見えた。



「そういえば名乗りがまだであったな。織田弾正忠信長が室、帰蝶と申す。ここでは、『濃姫』と呼ばれることも多いがな」


 

 熱くなった顔が、見る見るうちに青ざめていく。



 あぁ、どうしよう・・・


 私とても無礼なことを言ってしまった・・・



 まさか、殿様の奥方だなんて思わなかった・・・


 これはもう、殿様のせいにしよう。


 尾張国主なのにその風格が全くない殿様が悪い・・・


 

「それにしても、妾が弥平次の愛妾とはなぁ。なかなか面白いことを申すではないか、吉乃とやら」



 そう言いながら帰蝶さまは腹を抱えてけらけら笑う。


 私はその笑みにすら身をすくむ思いで、恐縮しながら「申し訳ありません」と深々と頭を下げた。



「早とちりで、大変無礼なことを申し上げてしまいました・・・」



「私からもお詫び致します、帰蝶様。吉乃殿にきちんと姫様のことをお伝えできずに、あのような恐れ多い誤解をさせてしまいました」



「妾がお主の愛妾だという、『あれ』のことか弥平次?」



「うっ・・・」



 私と共に頭を下げてくれる弥平次殿に、帰蝶さまは意地悪く棘のある言葉を返す。弥平次殿は言葉を返せないまま、唸りながら俯いてしまう。



 弥平次殿、ごめんなさい・・・



「まぁ良い、妾は気にしておらぬ。随分と笑わせてもらったしな。それよりも吉乃とやら。信長殿から聞いていた通り、面白い女子よな」



 いや、待ってください。


 何を殿様から聞いたのですか・・・?


 何を帰蝶さまに言ったのですか殿様・・・?



「今から妾の部屋に来なさい、吉乃。色々と楽しい話を聞かせておくれ」



「えっ、帰蝶さま・・・っ!?」



「ついでに、弥平次も同行せよ」



「承知」



 帰蝶さまはその整った顔で可愛く笑うと、私の腕を強引に引っ張っていく。


 突然のことに慌てる私と、楽しそうに私を自らの部屋に連れて行こうとする帰蝶さま。



 その後ろで、弥平次殿が苦笑いを浮かべながら私たちの後について来るのが見えたんだ。



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