十一話 『楽市ノ触れ』 一五五三年・吉乃
早速、殿様から尾張国内に向けたお触れが出された。
『尾張国にて商いを行う者、士分、百姓、商人に問わず自ら手がけた物を売る者は織田家によってその商いを認める』
『尾張国にて行う新たな商いを座、寺社、もしくは既存の商人が縛り付けることを禁じる。また、織田家以外の者が新興の商人から地場代を徴収することを禁ずる。武家、座、寺社、あらゆるものはこの法度に適され、それを破るものは織田家によって処罰する』
『以下の目録を、「楽市」と称し尾張の商いの在り方とする。織田弾正忠信長』
『楽市』、かぁ・・・殿様にしては洒落た名をつけたなぁ・・・
ほんの少し、見直してもいいかもしれない・・・
『楽市令』と名付けられたこの法度は、初めは驚きと不満を引き連れて尾張中に触れ回った。
百姓たちは「わしらが商いをするのか!?」と困惑気味に噂していたし、商人たちは「うちの客が減るではないか!!」と憤っていた。
特に座と寺社は楽市に真っ向から反発して
「織田さまは乱心なされたのかっ!!」
「やはり、信長は噂通りのうつけだっ!!」
と、手討ちにされてもおかしくないような物騒な言葉を、市中で堂々と吐いている奴もいた。
弥平次殿の話では、楽市令を取り下げさせようとお城まで押し掛けた商人もいたらしい。
そんな中、生駒屋は憤る商人たちを尻目に着々と新しい商いに手を付け始めていた。
私を要として、店の手代や小六ら川並衆、懇意にしてもらっている大店の主人や父にも尽力してもらって。
まずは道樹山の村々を尋ね、新たな儲け話を丁寧に説明した。
道樹山の栗林で取れる栗を、私たちに売ってもらえないかと。村の者は、栗を取って譲ってくれるだけでいい。運搬は全て生駒屋で行う。もし栗を売ってもらえるのなら、伊勢の海で捕れた魚をこの村まで運んで差し上げようと。
栗の代わりに銭を渡そうとも思ったけど、よくよく考えたら山奥の村に銭を渡したって使う場所がない。それだったら、食べることの出来るものの方が話に食いついてくれるだろうと思った。
次に知己の八百物屋に、取れた栗を買い取ってもらった。干し栗は日持ちがするし、菜食にも酒の肴にも人気だから喜んで引き取ってもらえて。
その銭を元手に今度は津島の魚河岸に行って、余剰に取れた魚を全て生駒屋で買い取るように話をつける。
津島の魚屋が日に売ることの出来る魚というのは大体量が決まっていて、魚河岸はいつも決まった量の魚しか漁師から買わないことを私は知っていた。だからどれほど漁の調子が良く大漁だったとしてもそれが漁師たちの儲けにならないことも、余剰分の魚は市に流れることもなくただ腐っていくだけだとも。
その余剰分を全て買い取ると生駒屋が名乗りをあげた。魚河岸も損はしないし、漁師たちも捕れた魚を全て引き取ってもらえるとあってありがたいとうちの話に乗ってくれて。
そして、その魚を道樹山の村々に生駒屋が運ぶ。
水運を使った迅速な生駒屋の馬借は、足の早い魚との相性がとても良い。なかなか新鮮な魚を食べることの出来ない山里の者たちは、両手を上げて喜んでくれて。
百姓は山で栗を取るだけで、それが魚に変わる。
漁師は取れた魚を全て買い取ってもらえる。
商人はその間に入いることによって新たな儲けを出すことが出来る。
座を介していないために横槍が入ってくることもない。栗が取れる限り永続的にこの儲けは続いていく。
誰もが儲かるような商いを、私は目の前で広げてみせる。
そしてその商いも、殿様の『楽市』のお触れがあってこそのものだと喧伝した。
楽市に否定的だった者たちも、実際に儲けを出している生駒屋を見てその文句も言えなくなっていた。
道樹山の村々が山里でありながら野良仕事だけで海の魚が食べられる村として噂になっていることも説得力として大きかった。なんでも、道樹山で畑仕事をしたいという百姓も出始めたとかで、「このようなこと六十年住んでいて初めてじゃ」と村の御老人が驚いていた。
利に聡い商人は、すぐ生駒屋の真似をし始めた。尾張中の村々を回っては商いの種を血眼になって探して、実際にそれによって儲けた商人や新たに店を大きくした商人だって増えてきて。
楽市が流れに乗ってきたところで、殿様はさらにもう一つお触れを出した。
『尾張国の全ての関所にて、関銭(通行税)を廃する。身が明らかになる者に限り、無銭での通行を許可する』
尾張には国境、また主要な通りの各箇所に関所が設置されている。関所は不審な者を検閲するとともに通る者には関税を取りたてていて、それによって物や人の往来を阻害していた。
百姓の逃散を防ぎ己の領地の富を守る役目を果たしているのだが、そのために商いの流れが鈍りものの売値が上がる要因にもなっている。
その関所の関税を殿様は廃止するとお触れを出したから、私も驚いた。
けれど、商人には良いこと尽くめだ。特に楽市で活気付き始めた尾張の商いの大きな追い風になってくれてるかもしれない。
私たちに対する殿様なりの手助けだと、私は思った。
商人も百姓も。市も農村も。みなが儲け、みなが潤っていく・・・
私が思っていたような尾張に、少しずつ変わっている気がした。
尾張中が、明るい雰囲気になっているようにも思う。
実際に成果が目に見えるようになるのはもう少し時がかかるかもしれないが、私はそれだけでとても嬉しかったんだ。




