十話 『栗ノ商い』 一五五三年・吉乃
あぁ、本当に。
殿様の頭の中を覗いてみたい・・・
一体この人は、何を考えているのだろう・・・?
どうして、私はお城に連れて来られているのだろう・・・?
全くわからないことばかりで、首を傾げずにはいられなくて。
織田のお城の応接間。上座から殿様が私に視線を向けたままずっと黙ったまま、ただ時だけが流れていく。その眼光は相変わらず鋭くて、見つめられているというよりは睨まれていると言った方がきっと正しい。
殿様の側には、弥平次殿と五郎左殿、それに与兵衛殿。
私の後ろには犬千代殿と内蔵助殿が太刀を差したまま座っていて。
母衣衆の方が、まるで私を囲むように勢ぞろいで。
・・・えっ?
・・・一体、何?
これから一体何が始まるのか私には何も知らされていないくて、ただこの重い空気によくわからない不安だけが膨らんでいくばかりだ。
別段今日はお城に登城するような用はないはずで。
店でいつものように商いに精を出していると、突然内蔵助殿が御家来を引き連れて店にいらっしゃって
「おいっ、生駒屋の女。殿がお呼びだ、今すぐ城に登れ」
「・・・え? お城に、ですか? 何ゆえに・・・?」
「俺が知るか!! 殿が『今すぐ連れて来い』と仰ったのだ!! とにかく来い!!」
「えっ、いや・・・ちょっと・・・せめて理由ぐらいは・・・!!」
まるで人攫いのごとく、私はそのまま内蔵助殿にお城に連れて来られた。あまりに突然で強引だったから、店の者もみな唖然と立ち尽くしてしまったまま、私は連れ去られて。せめてお付きの者くらい用意させてほしかった・・・
城までの道中ずっと内蔵助殿は「どうして俺がこんな女を・・・殿は何を考えてるのか・・・」と不満を言い続けていた。
・・・いや、そう言いたいのは私なんだけども・・・
お城に着くと応接間に通された。そこには今のように殿様と母衣衆の方々が既に待っていて、私は促されるまま殿様と向かい合う形で座った。
相変わらず殿様は無表情で、無愛想で、どうして私が呼ばれているのか、心の内は全く読めない。
・・・織田家との商いで、何かあったのかな?
そんな報告、受けていないはずだけども・・・
・・・もしかして私、気づかないうちに何かした!?
「女っ!!」
殿様が不意に私を大声で呼ぶ。
「はっ、はい!! 何でしょう!?」
私は驚いて、素っ頓狂な声色で返事を返してしまう。
あまりに可笑しな返事だったから母衣衆のみなにくすくす笑われて、恥ずかしい・・・
「この俺に啖呵を切っただろう。自分で吐いた言葉、今ここで片付けよ」
殿様は、にやりと口元を上げるとそんなことを言った。
殿様、珍しく楽しそうな顔をしているなぁ・・・と私は思った。けど、目つきが悪い殿様が笑っても悪巧みを考えているようにしか見えない・・・
・・・というか、はい?
自分で吐いた言葉を片付けよ・・・?
「どういう、ことでございましょう・・・?」
「お前は申したではないか。『尾張を儲けさせてみせよう』と」
あっ・・・
『生駒屋』の名をもって織田さまを、尾張を儲けさせてご覧に入れましょう
初めてお城に登ったとき、確かに私はそう言った。
「殿は、そのための献策を御所望です。尾張の国力を増やすことは、織田家の力を増やすこと。何か策があるから、あの時貴女はそう申したのでしょう?」
うっ、それは・・・
五郎左殿に丁寧に、それでいて鋭く問いただされてしまって私は思わず言葉を詰まらせてしまう。
本当は事を収めたいがための言葉のあやだったなんて言えない・・・
「まさか、何も考えていない訳ではあるまいな・・・女?」
うぅ・・・その通りです・・・
全て丸く収まったことに安心して、すっかり忘れていました・・・
でも、殿様が眼光鋭く私を睨むから、とてもそんなこと口に出来やしない。
考えなきゃ・・・
織田が、尾張が儲かる術を。
尾張が儲かるってことは、尾張が豊かになるってこと。
それは、領主としての殿様の務めだ。
噂では聞いている。
殿様は若くして織田家の家督を継いだ。だから家督を継ぐまでにこれといった武功や手柄がないまま当主になってしまったから、他国や敵から侮られてしまっているって。
もし尾張の国力を上げることが出来れば、それは殿様の功績になる。
みな、殿様のことを一目置くようになるかもしれない。
そのために、どうするか・・・
私だって、尾張がもっと豊かになってほしい。
商人として、そのお手伝いが出来たなら嬉しい。
でも、どうやって・・・?
たがが商人が、どうやってそんなことを・・・?
ん、『商人』・・・?
あぁ、そうかっ!!
「『栗』ですっ!!」
私は、とんでもないことを思いついて思わず声高らかに叫んだ。
「・・・栗、だと?」
「そうです、栗です!! 道樹山の奥に、大きな自然の栗林があるのです!! 前に一度商いでふもとの村に行ったときにその栗を頂いたのですけど、それは美味しくて!!」
「お前は何を申しているのだ・・・」
私が突然そんなことを言い出すから、殿様は顔を歪めて怪訝そうに私を睨みつけた。
少し待って・・・最後まで話を聞いてほしい・・・
「その道樹山の栗、秋になるとたくさん実をつけるらしくて。普段は村の百姓たちが野良仕事の片手間に栗を取りに行ってその日の菜食にしているらしいのですが、それでもほとんど余ってしまって、大量の栗はそのまま手付かずで捨てているらしいのです」
それはもったいないと、前からずっと思っていた。
道樹山の栗が津島の市に出回れば、きっとその美味しさに評判になるのに。
なにより、栗を売ることによって道樹山の村々が潤うのに・・・と。
「この栗を、百姓たちが売ることは出来ませんか? そうして、百姓たちを儲けさせることは出来ませんか?」
「百姓達を、儲けさせる・・・商いをさせるということですか?」
五郎左殿の問いかけに、私は自信を込めて「そうです!!」と答える。
確かに突拍子もないことを言っているのかもしれないが、案外的は外れていないと私は思う。
百姓たちが商いによって豊かになれば、田を広げるための鍬や鋤を買うことが出来る。米の出来を良くするための肥やしを買うことが出来る。
そうして今までよりもさらに多くの米を収穫出来れば、織田家が徴収する年貢だって増える。
尾張の民も織田も、みなが儲かる。
だから、私は胸を張ってこう言った。
「百姓も、お侍も、みなが『商人』になればきっと尾張は儲かります!!」
栗だけじゃない。山で取れる木の実に果実、茸、川魚・・・稲刈り後の藁で作った草鞋など、元手がなくたって売ることの出来るものはたくさんある。
そういったものをみなが自由に売り買いをすることが出来れば、きっと良い。
尾張国内の市はもっと活気付くだろうし、何よりみなが銭で潤うことが出来るから。
そのような趣旨のことを、私は一生懸命に説明した。
みな、興味深そうに私の話を聞いてくれた。普段無愛想な殿様でさえも、じっと考えながら私の話しに耳を傾けてくれている。
弥平次殿なんて「確かにそれなら尾張の国力を増やすことにも繋がる、良い策です」と賛同してくれた。
けれど、
「ですが・・・」
五郎左殿が、不意に口を開いた。
「百姓が商いをするなど、『座』の者たちが黙っていますか・・・?」
っ、そっか・・・『座』があるんだ・・・
自らの策の穴を五郎左殿に指摘されて、私ははっとする。
座のことまでは、正直気がついていなかった。
『座』というのは、商人同士の繋がりによる組合のことで、業種や売るもの、各々の町や里によって大小さまざまな座が尾張にもある。父が属している『会合衆』は、津島の町で最も大きな座だ。
通常、商人が尾張で商いを行うにはこの座に属していなければならない。例えば伊勢の海で採れた魚は津島の魚河岸に運ばれるのだけれど、座に属していない商人には魚を卸してもらえない。津島にて魚屋を営もうと思うのなら、魚河岸の座に属して地場代を納めなければならない。
そうやって同業種の店に制限をかけることによって、己の店の客と商いを守っているのが『座』だ。
だからきっと、私が献策した新しい商いは座によって否定されてしまうかもしれない。
でも、だったら・・・
「・・・ではいっそのこと、座を廃止してしまうのはどうでしょう?」
「商人である貴女が、座を廃するというのですか?」
私の言葉に五郎左殿は信じられないといった顔をしていた。
確かに『座』は私たち商人にとっては大きな後ろ盾で私たちを守ってくれるものではある。お武家さまや寺社仏閣の高僧、そういった大きな力を持ったものと渡り合うとき、どうしても商人一人では太刀打ち出来ずに足下を見られてしまうことだって多い。
だから商人同士で集まって対等に渡り合えるようにと作られたのが座なのだけれど・・・
大きくなりすぎた座は賄賂や売値の出鱈目な引き上げ、そういった不誠実な商いの温床になってしまっていることも、紛れもない事実だった。
「商人が座を組むのは、自らの儲けや商いを余所者に渡したくない・・・損をしたくないからです。なら、座がない方が儲かる、織田さまが示す新たな商いの方が儲かるとわからせることが出来れば、必ずや他の商人もこの話に乗って参ります!!」
「しかし、如何にしてわからせると?」
「我が生駒屋がその先駆けになってみせます!! 生駒屋が大儲けして、それを大々的に喧伝すればいいのです!!」
そこは、商人としての腕の見せ所だ。
私でも、殿様の力になることが出来る。
「銭は力です、殿様!!」
前に殿様に言った言葉を、私はこの場でもう一度繰り返す。
自分が前々からこうなればいいと思っていた『商い』が、殿様の力を借りて形にすることが出来る。
そのことに私は思わず熱くなってしまって、思わず前のめりになりながら夢中で殿様に商いの話を続けた。
「尾張でたくさんの銭が回れば、お武家さまも百姓もみなきっと豊かになります!! 織田家に入る実入りだって増える!! 織田家は、尾張は、今よりもっと強い国になります!!」
殿様は、黙ったまま私の言葉をずっと聞き続けていた。
私が話し続けている間、相槌も頷きもしない。ただじっと私の姿と言動を冷ややかな顔で見つめていた。
殿様はきっと、私と生駒屋を通してこの策を値踏みしているのだと思った。この女の献策は、果たして織田家に利があるのか・・・この女が語るように、物事が上手く進むのか・・・それを、殿様はじっと見定めようとしている。
その険しい顔は、尾張の国主の顔だなって思った・・・
あぁ・・・やっぱり殿様は、織田信長は・・・織田家の当主なのだと。
「・・・女、出来るか」
殿様は低く短い声で、それだけを私に問いかける。
この殿様は、あまり多くを話さない人だというのは近頃やっとわかってきた。
だからこそ、その短い一言にはたくさんの意味が込められているのだと。
その言葉の重さを、私はじっと噛み締める。
頑張らなくてはと、強く思う。
私と殿様で、織田と生駒屋で創りだす新たな商い。
もしこれが実現したならば、尾張にある市は今よりさらに楽しい市になる・・・!!
頑張らなくては・・・!!
高鳴る感情を抑え、一旦大きく息を吸い込んで
「・・・っ、はい!! お任せ下さい!!」
私は殿様の問いかけに意気揚々と返事をした。




