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九十九話 『今川義元ノ狙い』 一五六十年・吉乃


「あなたが、津島を陥れるために用いた『毒』でございます」



 強気に、東海一の男と向かい合う。



 ――負けて、たまるか。



 そんな気概の私に、今川義元はふっと鼻で笑う。



「『毒』などとは、不可解な話であるな。かような物言いをするのなら、何故その種子島をここへ持ってきた――織田信長に渡そうとは、考えなんだか」



「これは、今川さまが大金を用いてお買いにされたものでございます。如何様な理由があろうと、それを私たち商人が横流しをするのは『不義理』でございます。私の、商人の矜持に反する行いです」



 商いは、『誠実』。


 今川が買った鉄砲は、あくまで今川のものだ。

 商いである以上、お客の手元まで売り物を届けるのが商人の務め。

 宗及殿から買い受けたこの種子島には、そこまでの責任が含まれているのだと私は思う。



 それは、商人の誠意。


 そこだけは、死んでも曲げられない。曲げたくない。


 例え私が、織田信長さまの愛妾だったとしても。



「私は、『商人』ですから」



 「左様か」私の返答を、今川義元はつまらなさそうな表情で聞いていた。

 私の言葉を、この男がどのように受け取ったのかはわからない。


 ただただ、言葉を交わせば交わすほど、この男の本意がますます見えなくなっていく。

 今まで商人として数多くの者と接してきた私だけれども、こんな男は初めてだ。


 まるで、深淵のようで・・・



「その種子島をここに」



 今川義元は、そばに控える能面の女に目配せをする。


 能面の女は命じられるまま、私たちの運んできた荷車に近づくと、積まれた荷の中から鉄砲を一丁、無造作に取り出す。

 包みにくるまれたままの種子島を大事そうに抱えて、そっと今川義元に献上する。



「確かに、堺より取り寄せた種子島のようでございますよ太守様」



「疑ってなどおらぬ。かような偽りを、ここでつく理由がないであろう」



 ・・・それは、そうだ。


 もし私が今川義元を謀れば、私たちはみなここで今川の兵に斬られて死んでしまう。

 そんな危険を、冒す理由がない。



 今川義元は、手に取った種子島をまじまじと眺める。


 武士が、名刀を愛でるように。

 商人が、売り物の品を吟味するように。


 男が、まるで、女を撫でるような柔らかい手付きで。

 目の前の傑物は、私が献上した鉄砲に触れていく。



「良い出来だ」



 種子島を触りながら、今川義元は引き金を引いてみたり銃口を覗き込んでみたりと興味深そうにいじっている。


 その纏っている仏門の装束と種子島の取り合わせが、酷く歪つに見えて。



「知っているか、商人ノ姫よ」



 不意に、今川義元は私に尋ねる。



「いずれ、この種子島が戦の勝ち負けを決める時代が来ることを」



「――っ、はい」



 それは、宗及殿から聞かされた話と同じだった。


 近い将来、鉄砲が槍や弓矢に代わって、戦の主な武具となる。


 今までは、鉄砲を使って敵を殺すことが難しかった。

 けれど、この射程も殺生力も大幅に向上したこの種子島なら、きっとそれが可能になる。


 これほどの鉄砲が世に出回り、各国の武家に広まるようになれば、戦の形は変わっていく。



 世の流れの先端にある町――堺の大商人である宗及殿と同じ考えを、遠く駿河の今川義元が見通している・・・その事実に、私は恐ろしくなってしまう。


 私でも見通せなかった――今でもその実感がわかない先の時代の話を、今川義元から聞くことになるなんて。



「これまでのような泥臭い戦は、この尾張攻めを以て仕舞いとなる。これからの日ノ本は、種子島を多く持っている者が勝つ」



 投石も矢も届かないほど遠くから、種子島は敵を殺すことが出来る。

 歩卒も、騎馬武者も、槍の届かないままに撃ち殺される。


 それだけが、鉄砲の利点じゃない。


 一番の、利点は



「だから、今川さまは津島の町を狙うのですか」



 私の問いに、今川義元は一切の視線を反らさなかった。



「『銭の力』が、津島にあるから」



 種子島が、銭の力がそのまま戦の力に変わる武具だから。


 鉄砲の最も強い利点、それは、誰でも戦の兵にするということが出来るということなのかもしれない。


 槍を振るうにしても、弓で矢を放つとしても、厳しい鍛錬と修行が必要になる。

 だからお侍は、幼い頃から死に物ぐらいで戦の鍛錬を行うんだ。戦場で活躍をすることが出来る、『強い武士』になるために。


 そうして長い時と大きな労力を用いて屈強な『武士』に鍛え上げたとしても。


 一度、戦場に出ると、お侍はいとも容易く死んでしまう。



 ・・・弥平次さまの、ように。



 どれほど屈強な武士でも。例え圧倒的な勝ち戦でも。


 流れ弾が当たれば、人は死ぬ。


 それまでに鍛え上げた身体も、費やした鍛錬も、水の泡となる。



 ところが、鉄砲は――



「種子島は、誰でも人を殺すことが出来てしまうものです」



 火縄をかけ、引き金さえ引くことが出来れば。


 百姓も商人も、女も、幼子さえも。

 戦場で、敵を討ち取ることが出来てしまう。


 鍛錬する必要もない。兵卒は、お侍でなくていい。


 大量の鉄砲と、それを撃つ人手さえあれば戦に勝ってしまう。



 戦乱というものが、根本からひっくり返ってしまう。



「違いますか」



 私が問いただすと、今川義元は驚いた顔をしてじっとこちらを見つめていた。



「・・・思っていたより、利口な女なのだな」



 女で商人の私が、そこまで武家の世の情勢を掴んでいることに、感心しているようで。



 ・・・ふん、女商人だからって、侮らないでほしい。


 私は織田信長の愛妾で、その前は弥平次さまの妻として武家の嫁を務めていたんだ。


 それに、我が生駒屋は織田家の御用商人。

 武家の情勢は、他の商人よりも多くこの耳に入ってくるんだ。



「なら、これは存じておるか」



 今川義元は、楽しそうな笑みを浮かべて、変わらず手にした種子島をいじっている。



「・・・西国、堺の商人どもが東国で商いを行う際には、船で海を渡ることが大半らしい。まぁ、当然の話だな・・・陸路では、あまりに手間がかかりすぎる」



 急に、なんの話・・・っ。


 当然脈絡のない話を始めるこの男を、私は警戒して(いぶか)しむ。



「だが、東国へ船で下るにも時がかかる。どれほど優秀な船乗りでも、航路の途中でどこかに停泊し補給を行わねば東国には赴けぬ」



「何が、仰っしゃりたいのですか」



「わからぬか、商人ノ姫よ? これからは、種子島にて戦が決まる世になるのだ」



 ・・・っ、まさか?



 最悪の予想が、頭をよぎる。



「気づいたか・・・随分と、遅いがな」



 今川義元の真の狙いを察して狼狽(うろた)える私を見て、海道一の弓取りはくくっと可笑しそうに笑う。


 その嘲笑が、憎たらしくて。



「今に日ノ本中の大名が、一斉のこの種子島を買い求めに走るであろう。武田も、北条も、慌てて西国や堺の商人どもから種子島を求めるであろうなぁ」



 宗及殿が、言っていた。


 鉄砲に必要な『硝石』。

 それは、日ノ本で作ることのできないものだと。


 商人を通じて、異国から買い求めるしか術がないのだと。



「武田の甲斐には、海も港もない。北条の小田原や江戸までは、途中で補給を受けなければ堺の船は赴けぬ・・・我が駿府の港か、尾張の津島に立ち寄らぬ限りは」



 今川義元は手にした種子島を構え



「――邪魔なのだよ、津島の町が」



 私に、その銃口を向けた。



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