九話 『裏方ノ従者』 一五五三年・土田弥平次
評定後の城内にて。
私が執務部屋で殿が残していった庶務を一人片付けていると、不意に部屋の障子が開く。手を止めて顔を上げると、五郎左が筆と硯を持って立っていた。
「弥平次様、お手伝いに参りました」
「あぁ、悪い。助かる。あまりに多すぎてどうしようかと正直途方に暮れていたところだ」
部屋のいたるところに散らばった書き物の束を眺めながら、私は苦笑いを浮かべて言う。
尾張国内の田畑の検分記録に、各支城に割り当てられた兵糧の目録、織田家家臣に下知された禄の整理など、こなさなければいけない政務が山積みになっていた。
「また、随分とありますね」
「殿が手付かずのまま津島に向かわれてしまったからな・・・主君の後始末は臣下の仕事だと言われてしまえばその通りなのだが・・・」
「ですがまぁ、これぐらいなら何とか終わるでしょう。悲観しても詮無いことですし、早く片付けてしまいましょうか弥平次様」
この多さに臆することなく笑ってそう言ってのけた五郎左に、俺は『さすがは五郎左』と感心した。
政務処理の腕は織田家中を見渡しても五郎左が随一だ。十九という若さながら殿の参謀を務めているとあって、思慮も深く頭も切れる。現に今も、散らばった書き物を集めながら優先順位の高いものに分けられて整理されている。
母衣衆の者は槍働きが得意な者は多くてもこうした庶務が出来る者は存外少ない。しかし殿直属の臣下である母衣衆はこういった細々とした政務もこなさなければならず・・・普段は私や与兵衛殿、勝三郎などでなんとか騙し騙しやってきていたがはやり五郎左のような者は私にとっても殿にとっても頼りになっていた。
「・・・しかし五郎左、私に『様』付けはやめてくれぬか。同じ母衣衆、そこに差はなかろう」
「何を仰いますか。弥平次様は母衣衆の中でも年長、我らの頭のような方ではありませんか」
まぁ、年だけでいえばそうなのだが・・・
五郎左と勝三郎が十九、犬千代と内蔵助は十五。母衣衆は殿がうつけと呼ばれていた頃から殿に付き従っていた者で成り立っているため全体としても年がとても若い。二十六、七の私や与兵衛殿は、確かに年長として母衣衆を仕切ることも多いのだが・・・
私は年が上というだけで、他の者より秀でているところがない。
母衣衆の頭目面をするつもりなど毛頭ないし、それに・・・
「私は美濃の出、余所者だ」
私は織田臣下の生まれでもなければ、尾張の出身でもない。
生まれは尾張の北に位置する山国、美濃。土田家は東美濃に根を張る土豪で、私は元々美濃の国主、斎藤道三様に仕えていた。
それが何の因果か尾張の織田信長様に仕えることになり、殿直参の母衣衆に抜擢されてしまい。
美濃者の私が何故か尾張の大名の評定に参加してしまっているという、信じられない事態になってしまい。
佐渡守様や古参のお歴々が私に対して当たりが強いのも理解できる。
美濃者が尾張の評定に我が物顔で連なっていたら、不快にも思うだろう。
五郎左のように、母衣衆の面々はみな私を慕ってくれている。それは嬉しいとも思う。
だが自らが美濃者であることが、尾張の者でないことが、私にとって大きな劣等感になっていることも事実だった。
「そうですが、弥平次様は殿のいとこにあたる方でもありましょう。堂々としていればよろしいではありませんか」
「だからこそ、美濃者が血筋だけで殿に取り入ったと思われているのではないか・・・」
殿と勘十郎様の母君、御前様は土田家から織田に嫁いでいらした方で家中では『土田御前』様と呼ばれている。
先代信秀公と道三様が手を結んだ際、その証として御前様は政略結婚として尾張に渡った。
御前様は私の叔母にあたる方で、確かに私と殿は血筋の上では言えばいとこ同士の間柄だ。けれども御前様が嫁がれたのは私がまだ幼い頃のことで、話には聞いていたものの御前様とも殿とも尾張に来るまでは面識もなかった。
私自身、殿といとこだという実感はあまり湧いていないというのが内心だった。
私と殿は、臣と君。
美濃の生まれの余所者で、縁あって織田信長様に仕える侍の一人でしかない。
五郎左達に慕われることは嬉しく思うが、きっと私はそんな器の武者ではない。
私は出世にも功名にも興味はない。末席の、殿の小間使いで構わない。
ただ、私を取り立てていただいた殿のため、お役に立てることが一つでもあれば。
だから私ごときにわか武士に、佐渡守様もいちいち腹を立てても詮無いことだと思うのだが・・・
「佐渡守様の御叱責、ですか・・・?」
「お気持ちはわかるがな。評定の日に当主が不在など、不満も募るだろう」
「殿は本日もまた生駒屋で?」
「あぁ、近頃ずっと通い詰めだ」
つい先日、鳴海への兵糧の横流しを巡る騒動で関わることになった津島の馬借屋。
事が済んでも殿はあの店にご執心のようで、ここ連日生駒屋に赴いている。まさか、評定の日にすら出かけてしまうとは思わなかったが・・・
「厩舎に篭もって馬を眺めていらっしゃる・・・全く、殿の馬好きにも困ったものだ」
「・・・馬だけなのでしょうか? 生駒屋に赴かれる理由は」
私が呆れたように言うと、五郎左は含み笑いを浮かべて首を傾げた。
・・・馬の他に、生駒屋に赴く理由?
「まぁ、殿も男ですし。あの女子・・・『吉乃』と申しましたか?」
・・・吉乃殿?
五郎左は唐突にその名を挙げた。
生駒屋を仕切る女主人。
横流しの件で私たちは吉乃殿と知り合い、縁あって生駒屋は織田家の御用商人になり。私は殿から生駒屋との取次ぎを命じられた。吉乃殿と商いのやり取りをするようになり、まだ時は短いがどのような女子か多少は存じ上げているが・・・
でも、まさか・・・?
「・・・まさか、殿が興味を持っているのは馬ではなくて吉乃殿と申すのか?」
あの殿が、女子に興味を・・・!?
口数も少なくあまり人にお心を開かれない、無愛想ともとられかねないあの殿が!?
とても信じられなかった。殿と色恋があまりに繋がらなくて、全く飲み込めなかった。
「殿は風変わりなものを好まれますし、あり得ない話ではないかと。あのような風変わりな女子、なかなかいないでしょう?」
それは、確かに・・・
五郎左に笑いながらそんな風に言われ、私もつい納得してしまう。
確かに、吉乃殿は変わった女子だ。
女だてらに商人の主人をしていること。殿に喰いかかったこと。殿に刀を突きつけられながら、それでも怯えず立ち向かったこと。そうやって殿に啖呵を切りながら、口八丁に殿や私たちを丸め込み自らの店を織田家の御用達にしてしまったこと。
ものの見方も、考えも、本当に変わっている。それはきっと『商人』の考え方なのだろうが、武家の女子しか知らない私では初めて接するような類いの女子で。
・・・悪く言うと、変者であることは間違いない。
殿は昔から、そういった『傾いた』人やものを好むところがある。そんなところが『うつけ』と呼ばれる要因になっているとも思うのだが、それが殿らしさでもあり。
殿は決して従来の考えやしきたりに囚われるような方ではないと私は思っている。
母衣衆に家を継ぐことの出来ない次男や三男が多いことも、母衣衆が若輩者が多いながら家中で古参のお歴々と肩を並べて評定に連なっていることも、殿のそういった傾いた部分のお陰だ。
私も五郎左も、きっと『変わり者』だから殿に取り立ててもらっているのだろうと思う。
そんな殿だ。
確かに、吉乃殿に興味を持たれてもおかしくはない。
だが・・・
「・・・本当に、そうなのだろうか?」
私は疑問を持たずにはいられなかった。
あの殿が、女子にうつつを抜かして生駒屋に通うようなことをするのだろうか・・・?
評定を蹴ってまで、政務を放ってまで、そのように色恋に溺れる方なのだろうか・・・?
初めは、馬好きがたたって道楽で生駒屋に通っていると思っていた。
けれど、道楽ではないのだとすれば・・・?
本当は別の狙いがあるのだとすれば・・・?
「・・・何か、深いお考えがあるのではないのか?」
私は無い知恵を振り絞って、そんなことを口にした。
「深い、お考え・・・? 生駒屋に通うことにですか・・・?」
「確かなものは何もないのだが、ただの色恋や道楽で行っていることではないように私は思う。きっと、殿には何か考えがあるのではないか」
「うつけ」とも呼ばれているが、殿はとても頭の切れるお方だ。うつけの皮を被りながら、内心では私などでは考えも及ばないことを常に思慮していらっしゃる。
側で仕えて、そう思うことが時折ある。どうしてこの方はうつけの振りをしていらっしゃるのだろうと。
きっと、五郎左も母衣衆の者も思う節があるのだと思う。
そのような殿が、意味も無く生駒屋に通うだろうか・・・?
「・・・確かに、そうかもしれません。殿ならば、何かお考えを抱いていても不思議ではありませんね」
殿は無愛想で口数も少ない、自らの内を言葉にするようなことはほとんどしないお方だ。
その真意を知る者は、家臣団でもほどんどいない。
・・・一体、殿は何をお考えであられるのだろう。
・・・殿は、何を見ていなさるのだろう。
政務を一つずつ片付けながら、殿の内心を覗いてみたいとそんなことを思っていた。




