第五話
男は、洗面器と一緒に持ってきた木箱から包帯を取り出し、包帯の端を口で咥えて傷を負った手に器用に巻きつけていった。
「シャルリーン。腹は減っていないか?」
男の様子を見ていたシャルリーンは、黙って頷いた。
「食欲が失せるのは仕方のない事だな。
まあ、そのうち腹も減るだろう。
夕飯まで時間があるから、シャワーでも浴びて着替えるといい」
この男は何者だろう。
男の腕に刻まれた無数の傷は、いつ付けられたのだろう。
ここは何処だろう。
自分はこの先、どうなるのだろう……。
シャルリーンは目の前の男に聞きたいことが沢山あった。
「あの……」
「どうした?」
「あなたの名前は?」
「俺に興味を持ってくれたのか?」
男が笑いながら言った。
「違っ……!
……。
あなたが私の国を狙った理由を探りたいから……」
「ハハハ!
探ろうとしている相手に『探りたい』なんて言っていいのか?
そんなやり方では、なかなか真実に辿り着けないかもしれないな。
まあ、いい。俺の名前はセス」
「……」
「質問はもう終わりか?」
「……」
「なら、着替えとタオルを用意するから、シャワーを浴びると良い」
そう言ってセスはシャルリーンを浴室に案内した。
「お前は風呂に入る時、誰かに手伝ってもらっていたのか?」
「着替えは手伝ってもらっていたけれど……。
この服なら、一人で着替えられそう」
セスの質問に、シャルリーンは首を横に振りながら答えた。
「そうか。なら、良かった。
生憎この屋敷には、風呂に入るのを手伝う侍女はいないからな。
俺が手伝ってやっても良いが」
「……!」
「冗談だ」
シャルリーンがセスの言葉に後ずさると、セスがニッと笑い、シャルリーンにタオルを渡した。
セスが浴室から出ていくのを確認して、シャルリーンは洗面台の前の大きな鏡に自分の姿を写した。
腕に付いたセスの血は拭き取られているが、真っ白いワンピースがセスの血で所々褐色に染まっていて、血の付いた髪の毛はシャルリーンの頬にべったりと貼り付いている。
シャルリーンは服を脱ぎ、シャワーを浴びて血を洗い流した。
人はどれくらい血を流したら、死に至るのだろう。
血の海の中に女王のドレスが一瞬見えたが、女王はもしかしたら生きているかもしれない。
あの男は『質問は終わりか』と、言っていた。
質問をすれば、正直に答えてくれるだろうか。
『なかなか真実に辿り着けない』とも言っていた。
方法を変えれば、自分の国が狙われた理由や、自分がこの屋敷に連れて来られた理由が分かるかもしれない。
やはり、城へ戻ろう。
その為には、しばらくこの屋敷で大人しくしておいて、なるべく沢山の情報を集めなければ……。
シャルリーンが用意されていた新しいワンピースに着替え、部屋に戻ると、セスの姿は無かった。
『何処へ行ったの……?』
シャルリーンはセスを待っていたが、なかなか戻って来ないので、部屋の中に何か手がかりになりそうな物がないか、探し始めた。
小さな机の引き出しをそっと開けると、手紙らしき物が紐で纏めらていた。
『……読めない』
シャルリーンは文字が読めない訳ではなかった。
手紙は何処か別の国の言葉で書かれているようだ。
「人の手紙を勝手に読むのは、あまり感心しないな」
「……!」
背後から声がしたのでシャルリーンが驚きながら振り返ると、いつの間にかセスが後ろに立っていた。
「ご……、ごめんなさい」
シャルリーンは慌てて手紙の束を元の場所に戻し、引き出しを閉じてセスを見た。
「あー。驚かせるつもりは無かった」
セスが手を伸ばすと、シャルリーンはセスの手から逃れるように身をよじり、目をぎゅっと瞑った。
セスはシャルリーンを見て小さく笑い、引き出しから手紙の束を取り出して紐を解いた。
「これは別に読んで構わない手紙だ。
この屋敷にあるもの全て、お前の好きにすればいい。
面白い物など何も無いから時間の無駄にしかならないが、暇潰しぐらいになるかもしれないしな」
そう言ってセスは手紙の束を机の上に置いた。
「……ごめんなさい。
人の手紙を読むのが、いけない事ぐらい知っている」
シャルリーンが俯くと、セスはシャルリーンの頭を撫でた。
「気にするな。
その程度の事で落ち込んでいたら、お前から全てを奪った俺は、一生顔を上げて生きていけなくなる」
「……」
セスの言葉に、シャルリーンの目から涙がこぼれ落ちた。
「シャルリーン?」
「ごめんなさい。
しばらく一人になりたい」
「シャルリーン」
「私……。昨日の事とか、あなたの事とか……、頭の中で整理がつかなくて……。
だから、お願い。少し一人にして欲しいの……」
「……。
ああ、分かった。
夕食の用意が出来たら迎えに来る」
セスがシャルリーンの涙を手で拭って部屋から出ていくと、シャルリーンはその場に座り込んだ。