第一話
「お願い、シャルリーン。少しの間、じっとしていて」
暗闇の中、女王は王女シャルリーンを抱え上げた。
「母さま、どうしたの? どうして皆……」
シャルリーンは目覚めたばかりの眠い目を擦りながら、母親に掴まったまま辺りを窺った。
まだ夜明け前の明かりの灯されていない部屋は、薄雲に隠れた月明かりで辛うじて人の気配がするだけだ。
「母さま?」
「いい? シャルリーン。
この箱の扉が開くまで、声を出したり動いたりしては駄目よ?
静かにじっとしているの」
入れられた箱の中から女王を見上げたシャルリーンの頬に滴が落ちてきた。
「母さま? 泣いているの?」
女王は黙って首を横に振り静かに微笑んだが、月明かりを背にしていたため、シャルリーンはその表情を見ることが出来なかった。
「シャルリーン、愛しているわ。
だから、お願い。ここでじっとしていて……」
「母さ……」
「女王様! 奴らが……! 早く……!」
女王はシャルリーンの頬を撫でようとしたが、隣の部屋から聞こえる声の方に目を向け、思い切って箱の扉を閉じた。
「……! 母さま!」
『ガチャッ』
状況が把握出来ないまま暗闇に閉じ込められたシャルリーンは、泣き叫びながら箱の扉を叩いた。
女王はシャルリーンを閉じ込めた箱の鍵を小さなテーブルの引き出しの奥に仕舞い込み、一度だけ深呼吸をすると、箱の上に生地の厚い布を掛けて部屋から出て行った。
「母さま、どうして?
開けて! ここから出して!」
頑丈にできた箱の内側は、毛皮のような厚い布が貼られていて、シャルリーンがいくら叩いても外には響かなかった。
『私が悪い事をしたから? これはお仕置きなの?
これからは母さまの言いつけを守るから……。
だから、ここから出して』
シャルリーンは暫く箱を叩いていたが、近くに誰もいないことに気付き、箱を叩く手を止めて大人しくしている事にした。
膝を抱えてじっとしていると、箱の外の様子が微かに聞こえる。
部屋の外の廊下をバタバタと走る足音、何を言っているのかは分からないが、誰かの叫び声。そして悲鳴やうめき声……。
シャルリーンは暗闇の中で耳に入ってくる音全てが怖くなり、耳を塞いでぎゅっと目を瞑った。
『これは夢。きっと私は悪い夢を見ているんだわ。
朝、起きたら、私はベッドの中にいて、いつものように父さまや母さまが笑っていて……』
耳を塞いだまま体を丸めて泣いていたシャルリーンは、泣き疲れていつの間にか眠ってしまった。
それからどのくらい時間が経ったのだろう。
『ガチャッ……。ギ……、ギギギ……』
シャルリーンは箱が開く鈍い音と、箱の外から入ってくる光の眩しさで目を覚ました。
「……誰?」
眩しい光の中、シャルリーンの瞳にぼんやり男の姿が映った。
男は黙ったまま、箱の中にいるシャルリーンの胸元に手を伸ばした。
「やっ……!」
シャルリーンは恐怖で身を縮め、固く目を瞑ったが、男は気にする事もなくシャルリーンのドレスの中に手を入れ、胸に掛かったペンダントを取り出した。
「やっと見つけた」
男はペンダントに彫られた文字を見て小さく笑うと、シャルリーンを抱き上げた。
「……!」
「そのまま目を閉じていろ。
俺が良いと言うまで目を開けるな。いいな?」
シャルリーンの耳元で男が囁く。
男の声は穏やかだったが、シャルリーンは自分の身に何が起こっているのか分からない恐怖で、ぎゅっと目を瞑ったまま首を縦に振った。
「いい子だ」
男は再びシャルリーンの耳元で囁いた。
シャルリーンは男に身を預けたまま、辺りの様子を窺った。
目を閉じているため、頼りになるのは聴覚と嗅覚だ。
昨日までとは様子が全く違っていることは容易に分かった。
部屋全体が、今まで臭ったことのない、噎せるような嫌な臭いに覆われ、昨日まで騒がしかった物音や人の気配は全て消え、男の足音だけが響く。
『何処へ連れて行かれるの? 誰も助けに来てくれないの?
これも夢だったらいいのに……』
シャルリーンは、黙ったまま抱きかかえて歩く男に何も聞けず、不安を募らせていった。
『少しだけ……。
少しだけなら、目を開けても男に気付かれない』
シャルリーンは男の腕の中で、そっと目を開いた。
「……ッ! キャァァァ!」
目の前に血の海が広がる世界が飛び込んできて、シャルリーンは悲鳴を上げずにはいられなかった。
シャルリーンはすぐさま目を覆ったが、血塗れの塊の中に、女王が好んで着ていた青色のドレスが見えた。
「母さ……! 嫌ぁぁぁ!」
「ああ……。
だから目を閉じていろと言ったのに。
……仕方がない」
シャルリーンとは対照的に落ち着いた様子の男は、床にシャルリーンを降ろし、片手でシャルリーンの両手首を掴んで、もう片方の手でシャルリーンの鼻と口を塞いだ。
「うっ……、くっ……」
シャルリーンは息ができず、足をばたつかせてもがいたが、次第に真っ赤に染まった目の前の景色が白くぼやけていき、そのまま気を失った。