第九十話
第九十話「仔鬼と剣師」
シゲナリとの会談があった、その翌日。
私は早朝から旅籠屋を出て、町の南西部に位置する背の低い山林を目指していた。
以前、私を襲撃……もとい、蹴撃した狙撃犯、例の“剣術少年”との約束を果たすのが目的だ。
特別急ぐ理由も無かったのだけど、今は何かとキナ臭い。
シゲナリの様子や、動きを見せようとしないヨイチ派の大人しさ。
あの優秀な隠密・密偵としての技能を持つシノが、未だ彼らの行方を掴み切れていないというのも納得がいかない。
何時、どんな行動に出てくるか、それが解らない以上は臨戦態勢を整えておくべきで。
だからこそ、雑事は先に済ませておきたい。というのが、今の私の心境だった。
「単純に、可愛いってのも……まぁ、あるんだけど」
街道へと続く門を抜けた辺りで、そんな思いを口にする。
何というか、あの子。
最近の擦れたクソナマイキなガキ共と違って、純朴で、子供らしいというか。
妙に放っておけない感があるのだ。
かといって……。
「べ、べつに、私がショタコンだとか、そういうんじゃないしっ」
誰に言い訳しているのか。
顔が火照って暑さを感じ、胸元を開いてパタパタと風を送り込む。
いや、本当に。
そういうんじゃないんで。はい。
(本音を言えば、気になっている事もあるんだけどね……)
まだ名前さえ聞いてはいないけど、その外見から察するに、年齢的には十歳前後。
そんな子供が、一人で親の言い付けを守り、山籠もりをして剣術の修行に明け暮れているというのだから、普通ではない。
それに、以前見た時、彼は泥だらけだったけど。
(所持していた稽古用の刀は、大分傷んでいたけど子供用に誂えたちゃんとした物だった……)
真剣ってのは、決して安い買い物じゃない。
成人用の物で、安物でも日本円にして一振り100万近くはする。
その製作過程を知れば、誰もが値段の幅に納得が出来ようというもの。
先ず、材料となる砂鉄を集める所から始まり、真金吹き、金作りという肯定を経て玉鋼を作る。
その際に“たたら製鉄”という手法を用いるのだが、これがまた手間の掛かる作業だ。
風呂桶よりも大きな炉を土で作り、そこに炭と砂鉄を交互に加え、三日三晩燃焼させ続けるのである。
こうして熔解した鉄は炭素を十分に含んで炉の底の方にたまり、これを“けら”と呼ぶ。
この中には、大きさや成分の違いから数種の和鉄が含まれていて、そこからより分けられた一部が玉鋼と呼ばれる物になる。
これだけでもとんでもない作業量なワケだけど、日本刀造りはここから更に多くの工程を経る必要がある。
熱した玉鋼を叩いて伸ばし、水で急冷して焼き入れを行う“水へし”。
次いで、これを割り砕いて選別し、鍛冶師の経験と勘で不純物の含有量や強度を判断しつつ、てこ棒の上へ積み重ね、藁灰と水に溶いた粘土に浸した和紙で包み込み、熱して鍛接する“積み沸かし”の工程を経る。
こうして、鍛接された鉄の塊を、今度は“折り返し鍛錬”という手法で畳んで伸ばし、畳んで伸ばしと何度も繰り返す。
用途に応じた鉄材毎にこの工程を行い、数種の性質が異なる鉄材を作り上げる。
そして、いよいよ“造込み”だ。
ここまでの段階で、ようやく刀造りの素材が揃ったに過ぎない。
硬さや粘り強さの異なるそれらの材料を組み合わせ、素延べ、火造りという工程へ移る。
こうして、ようやく見慣れた日本刀の形に成形されるワケだけど、その組み合わせだって一つや二つではない。
使い手の好みや希望に合わせて様々な重ね方や積み方があり、これによって刀そのものが持つ武器としての性能も大きく変化する。
その後、荒く形が整えられ、土置き、焼き入れという工程を経て、波紋や刀身の反りが生まれ、彫刻や中心仕立てを行われて、最終的な磨きの工程に入る。
無論、研ぎだって簡単じゃあない。
何十時間もの時間をかけて鏡面になるまで磨き上げられ、やっと日本刀の刀身として完成するのだ。
「実際には、ここから更に“柄巻き”や金具、鍔、ハバキ造りとあって、最後に鞘を作り上げ、最終調整が成されて完成するワケだけど……」
それぞれに専門の職人が必要になるほど、これらの作業も一筋縄ではいかない物だ。
これだけの作業工程がありながら、その詳細な内容は更に複雑で、とても口頭で簡単に全てを説明し切れる物じゃない。
これで理解して貰えたと思うけど、刀造りとは、そしてその値打ちとは、決して安売りできる代物ではないという事だ。
「それを、練習用とはいえ、子供にポンと与えてしまえる家柄の子。……って事になるのよね」
借り物かもしれないし、拾い物かもしれないし、そういった可能性は勿論捨て切れないけれど。
それでも、泥塗れになりながら、あの子の着衣は仕立ても良く、決して安物には見えなかった。
仮に、刀それ自体が、そうして手に入れた物であったとしても、着衣まで高級品であるなら見方は変えるべきだろう。
だから、少し探りを入れてみたい。
「知り合えたのも何かの縁。って奴かも知れないし」
また、彼自身が私の剣に興味を持ってくれている。
それは、単純に嬉しい事だし、懐かれて悪い気がしないのも事実だ。
「あわよくば、ちょっとくらいなら悪戯しちゃっても……」
ぐへへ、と零れ落ちそうになるヨダレを袖で拭き、ヒロインにあるまじき下種な笑みを浮かべながら、私は足取りも軽く山林を目指して歩き始めるのだった。
―――そして、かれこれ30分ほど。
山林の木々を割り開き、ようやく目的の場所が見え始めた頃。
まだ遠い林の更に向こうから、カーン! カーン! と小気味良く響き渡る音が聞こえ始めた。
どうやら、丁度鍛錬の時間に間に合えたらしい。
UI上に映る時計の時刻は、07:38。
規則正しい生活が出来ているようで、私は少し感心する。
「塾通いしながら平気で深夜までソシャゲやってるような、ガリ勉バカなガキ共に爪の垢の一つでも煎じて飲ませてやりたい気分だわね……」
などと年寄り臭い愚痴を零しつつ、私は更に林の奥へと分け入り。
ちょっとした小屋? 家? のそのまた向こうで大木に向かって体格相応の短い刀を振るう少年の姿を見付けたのだった。
「―――えい! えいっ!」
子供ながら、気合の乗った良い発声だ。
前回私が教えた通り、脇を絞めて無駄な力みも抜け、腰の位置は低めに重心も随分安定して見える。
見れば、大木に刻まれた傷跡も、以前の物に比べてかなり深くまで食い込んでいるようで、なかなかどうして、教え甲斐のある良い生徒だと感じた。
「良い気迫ね。太刀筋のブレも随分マシになったじゃない」
「え……うわっ、お姉ちゃん!?」
突然声をかけた私に驚き、刀を取り落としそうになる少年。
まぁ、わざとやったんだけど。
(だって、ほら可愛い!)
ワタワタと刀の重みに弄ばれ、慌てる様子が本当に可愛らしい。
良い子はマネしちゃダメだぞ?
お姉さんとの約束よ。
「よっ、少年。稽古つけに来てやったぞ」
「ほ、ホントに!? ホントに、来てくれた! やったー!」
私が仕掛けたドッキリの事さえもう忘れ、嬉しそうに飛び跳ねて喜んでる。
ひょっとしたら、こないだの「またね」って言葉も信じてはいなかったのかも知れない。
その喜び様は、私にとっても斜め上を行き過ぎているくらいに見えて。
(この子……、まさかずっと一人で……?)
流石に、食事や着替え、洗濯なんかは誰か家の人間が定期的にやってきて手伝っているものだと思っていたけれど……。
人と話す事自体を喜んでいるような、そんな素振りさえ見てとれる。
それに、彼の服装だ。
数日前に私が訪れた時と、全く同じ格好。
今し方鍛錬を始めたばかりの筈なのに、その泥汚れは以前と変わらぬままだ。
つまり、泥染みがついて、落ちなくなってしまっているという事で。
「ねぇ、少年。アンタ、ずっと一人で山に籠ってるの?」
「うん? そうだよ。一人で剣の修行に打ち込むのは、“心の鍛錬”だ、って父上が言ってた」
「…………。洗濯とか、ゴハンはどうしてるの?」
「自分でやってるよ? そういうの、一通りデンスケに教わったから」
デンスケ……さん、ね。
なるほど。
私はそれを聞き、UI上でMAP表示を拡大。次いで、インベントリから“ウジャトの眼”というアイテムをタップ。
使用しますか? という質問にYESをタップし、再び拡大MAPへと目を向けた。
―――と、予想通り。
恐らくは、巫術か魔術か、そういった類の技術で、巧妙に姿を隠しているのであろうNPCの存在を確認出来た。
(コイツが、“引率の先生”ってワケね)
納得し、しばし考える。
前回は気付かなかったけど、この“引率の先生”こと“デンスケさん”には、私の存在が知られているという事だろう。
だけど、今この接触は、果たして許容されていると見るべきなのだろうか?
少年曰く、「一人で修行する事が精神鍛錬になる」と父親が話していたというし、ならば私は“招かれざる客”なのではないか?
一度目は見逃して貰えた。
でも、二度目はそうもいかない。……かも知れない。
何れにしても、相手の出方次第で私も対処法を考える必要がある。
もし、この子の父親が、私が予想する通りの人物なら―――。
「お姉ちゃん……?」
「―――あぁ、ゴメンゴメン。お稽古の話しだったわよね」
うん、と答えた少年は、しかし不安そうに私の顔を覗き込んでいた。
質問の回答から沈黙が長くなり過ぎて、私が何を考えているのか、鍛錬を取り止めようとしているのか、と考えが読めずに不安を感じてしまったのだろう。
ならば、と私は極力柔和な笑顔を浮かべ、少年のボサボサ頭へ手を伸ばし、優しく撫でつけた。
「そう心配しなさんな。ちゃんと稽古はつけてあげる。あと、そうね……」
「……?」
「お洗濯の仕方。それと、狩りの仕方とか、剣の手入れの仕方とかも、教えてあげた方が良いかな」
「それ、デンスケに教わったよ?」
「ちゃんと出来てないって事」
「えぇー……」
残念そうに項垂れているけれど、デンスケさんって名前の感じからして、男の人よね。
その所為か、洗濯とか料理とか、そういうのも大雑把に教えてるのかも。
そう考え、私はすぐさま取り掛かる事にするのだった。
「よし! じゃーまずは、稽古から」
「はい!」
「ん、良い返事。さっきやってたみたいに、構えてみて。目標はそこの大木。こないだ教えた通りにね」
「はい!」
先ずは、構えの問題点から順に潰して行く必要があるだろう。
大分良くなったとはいえ、まだ少し刀の重さと腕力が釣り合っていないのも問題だ。
肩幅ほどに開いた両足で左足を半歩下げ、右足を前に構える少年の背後へと回り込む。
「まだちょっと肩に力が入り過ぎてるかな。もう少しリラックs……じゃなく、気持ちを落ち着かせて、呼吸するだけで切っ先が揺れるくらいが丁度良い感じよ」
「こ、こう……?」
「んー、もちょっと、肘と手首を柔らかくする感じ。……こう、力抜いてみて」
所謂、五行の構えの一つで、その中の中段の構えって奴だ。
少年の背中に抱き着くように胸を寄せ、その両手首を掴んでゆったりと上下に揺らす。
そうする事で、どの程度力を込めれば良いかが体感的に理解できるのだ。
「こう。このくらいね」
「う、うん……」
が、そう答える物の、今度はちょっと腰が引けてしまっている。
これでは肩の力が抜けても刀の重みで前屈みになってしまい、まともに剣が触れなくなってしまうだろう。
だから、今度は密着したままでお腹を少年の腰に押し当て、肩を引きながら少し前へ押し出すように仕向けてやる。
「わっ、わわ……っ」
「大丈夫、このくらいじゃ転ばないから。少し私に身体を預けるようにしてみて」
「え、えっと……」
困惑した様子で、しかし言う通りに出来ている辺り、なかなか呑み込みが早い。
私はそこで一先ず納得し、身体を離して少年の横側へ移動した。
それから、一通り観察し、問題が無い事を確かめ。
「よし、その状態をキーp……じゃなくて、維持!」
「こ、この状態で!?」
「そ。結構キツイっしょ? でも、維持!」
「は、はいっ」
剣術の構えって奴は、最適な状態を維持しようとするだけでも結構キツイ物だったりする。
というのも、慣れていないと普段使う事がないような筋肉を使う姿勢を余儀なくされるからだ。
でも、これがしっかりと身体に馴染むようになると、そのキツイ姿勢を維持する事の意味も理解できるようになる。
「その姿勢を維持出来るようになると、次にどうやって剣を振るえば良いのか、それがイメーj……想像できるようになるの。自分自身が剣を振るう際の最適な姿勢だって理解できるようになる筈よ」
「そ、そう……なん、だっ」
「最初は辛いかも知れないけど、慣れてくれば自然体でできるようになる。それが中段構えの基本姿勢よ。忘れないようにね」
「わ、わかった!」
まだ足がプルプル震えてたり、両腕が少しずつ下がって来て、慌てて戻したりしてる。
力んでしまったり、でも直ぐにまた力を抜いて、元の形を維持しようと必死な様子だ。
(―――クッ、可愛いっ!)
思わず、心の中で拳を握り締めて落涙した。
子供の必死な姿って、どうしてこんなに可愛いのだろうか?
いや、私だって見た目的にはそう歳は変わらない筈なんだけど、恐らく私がやってもこうはならないだろう。
まったく、子供はサイコーだぜ! と思わず叫びたくなる。
「こ、これ、何時まで続けるの……っ?」
「ずっと」
「え……?」
「ずっとよ。ずーっと」
「えぇぇ〜〜〜〜っ!?」
まぁ、そう思うよね。
これって、実は終わりの無い修練だったりする。
最悪、これを丸二日とか、飲まず食わずで行う場合もあって、一歩も動かずに、とにかくこの姿勢を身体に染み込ませるのが目的なのだ。
私も昔経験した事だ。
苦行である。
でも、私は優しいので、そこまで強要する事はしない。
ただ、早く切り上げすぎても意味がないから、同時進行で彼にとって暇潰しになりそうな何かはない物か、と考えてみた。
で、その結果。
(―――あ、閃いた)
少年が必死の様子で中段の構えを習得しようとしているその真横へ移動し。
「よし、少年。ちょっとコッチ向いてみな。あ、姿勢はそのまま、崩さないようにね」
「え? う、うん……?」
向きを変えて私と向かい合う少年。
その彼を前に、私も昏天黒地の柄に手を伸ばした。
「見取り稽古って、知ってるわよね?」
「うん、デンスケとやったことある」
「よろしい。んじゃ、その姿勢を維持したまま、私と想像だけで立ち会ってみましょ」
「そ、想像、だけ?」
「そ。頭の中で戦うの。私がどう攻撃を仕掛けてくるか、それを想像して、そうした時に自分がどう動くのか、またどう仕掛ければ相手の虚を突けるのか、戦いの流れそのものを頭の中だけで組み立ててみるのよ」
シャドーボクシングやイメージトレーニングの応用だ。
勿論、彼の脳内で私が私の動きを完璧に再現する事は出来ないだろうけど、それでも自分よりも強い相手と向き合い、その戦い方を想像してみるというのは意外に意味のある鍛錬になる筈だ。
それは、彼自身の手札を増やす結果に繋がるだろうし、何より構えの維持だけに集中し切れなくなるから余計に難易度が上がって鍛錬の効率が上がるかも知れない。
ただ、私の扱う剣の流派は抜刀居合を主軸に置く剣術だ。
彼のそれとは全く性質が異なるから、下手な癖を着けてしまわないよう、私も彼と同じく基本的な剣術の構えを取る事にする。
「さて、それじゃ〜勝負よ」
「うん、やってみる……!」
少年は私を仮想敵と見定め、その構えを注視し始めた。
恐らくは、自分との違いや、その構えからどういった技が繰り出されるのかを想像して形を整えているのだろう。
けど、集中し過ぎる余り、結果として腕が下がり、体幹がブレ始めてしまった。
「―――はいそこ、腕が下がってきてるわよ!」
「わわっ」
「切っ先は真っ直ぐ相手の喉元を狙うように。その中段構えは五行の中で最も汎用性が高く、様々な技への連携・派生が可能なの。だから、相手の動きに合わせて切っ先でいなし、鎬で受け流し、鍔に寄せて受け止める防御にも優れた構えよ」
「は、はいっ」
「相手の視線や切っ先の流れ、手足の動きにも注意して。自分の動きは最小限に、的確に、執拗に、相手の急所を繰り返し攻め続けて流れを淀ませず、時には自ら引いて敵を引き寄せ、大技を誘って隙を突く事も覚えなさい」
「はいっ」
―――と、まぁ、イロイロ教えはするけれど。
一度でその全てを覚えるのは流石に難しいだろう。
それに、こんなのはまだまだ基本中の基本で、イメージ通りに身体が動いてくれる事はない筈だ。
こうした“教え”が活きて来るのは、もっと、ずっと先。
身体が出来上がって、ある程度の実戦を経験して、そして、“人を斬って”ようやくって話しだ。
重ねた経験と、自らの命を賭けられて、初めて人は剣士としての一歩を踏み出せる物だと私は思ってる。
だから、例えば……。
「“活人剣”、って知ってる?」
「うん! 人を活かす為の剣、だよね!」
「そう、確かにその通り。でも、それが本当は何を意味するのか、少年はちゃんと理解出来てるかな?」
「え……?」
これは元々、実在した“柳生”の思想で、“本来、人を斬り殺す為の道具である刀剣だが、使い方次第でそれは人を活かす事もある”という意味の言葉だ。
ただ、その解釈は諸説あり、現代に於いては“不殺の精神”を説く言葉である、と言われる事が多い。
それは、何故か?
時代の流れと共に、受け取る側の心理が変化して来たから、というのも理由の一端だろう。
しかし、元来、柳生が提唱する活人剣とは、“殺人刀”という別の言葉とセットで使われる物だ。
その意味する所は、“不殺の精神”とは程遠い、“徹底的に戦いを制す為の技法”である。
活人剣とは、即ち、心理を利用し、虚実を駆使して相手を己の意のままに操り、勝利を得る柔の技法である。
対して、殺人刀とは、活人剣とは逆に、膂力や気迫、技術で以って相手に何もさせず、圧倒する剛の技法である。
つまりは、どちらも“勝利を得る為の思想”なのだ。
そして、刀剣とは本来、人を殺す為の道具である。
更に言えば、闘争に生き死には絶対不可避である。
故に。
「活人剣とは、剣術思想に於ける究極の理想であり、それを体現する事は、ほぼ不可能でもある」
「え……、そう、なの?」
「そうなの。けれど、同時にそれを目指す事こそ、剣士の理想的な姿でもあるのよ」
私は、敢えて詳細を語らない。
活人剣という言葉が持つ本当の意味を、彼自身が見極め、彼にとっての“活人剣”を見出して欲しいから。
「一人を斬る事で多くを救う。それも、活人剣。でも、自らが生きる為に他者を殺す事だって、ある意味では活人剣と言える。人を活かす剣とは即ち、人を殺す剣でもある。それを肝に銘じて剣を握りなさい」
「う、うん……」
そう答えはした物の、少年は難しい顔で必死に言葉の意味を理解しようとしているようだった。
まだ幼い彼には、きっと理解し切れないだろう。
けれど。
「今は、まだ解らなくてもいい。でも、考える事を放棄してしまうのだけは、絶対にダメ。解らなくても、常に考え続けるの。それがやがて、少年の剣を強くしてくれる筈だから」
「……うん、わかったよ、お姉ちゃん」
まぁ、偉そうに語ってみたけれど、実際私にだってまだ良く解っていない思想だ。
私は、戦う事が好き。
戦う人が好き。
生きる為に、活かす為に、清濁併せ呑み、苦悩し続ける人が好きだ。
必死な人ほど、私には輝いて見える。
けれど、同時に生き汚い人間は嫌いだ。
自分の為に誰かを陥れる人も、騙されて諦めてしまうような人も。
戦う事を止めてしまった人は、押し並べて酷く醜く見える。
だから、彼には……少年には、常に考えていて欲しいと思うのだ。
戦う事の意味。
生きる事の意味。
失う物の、得られた物の、本当の価値。
私に剣を教えてくれた人は、昔私にそう教えてくれた。
(私にとって、数少ない、本当の意味で人として尊敬できる人だった……)
なのに、私は……。
「……お姉、ちゃん?」
「っとと、またやっちゃった……。ごめんね、お稽古中なのに」
また、不安にさせてしまったらしい。
終わった事を悔いても、今更どうにもならないのは解っている事だというのに。
「さて、それじゃ〜大分馴染んで来たみたいだし、最後に一つ、お姉ちゃんがスゴイのを見せてあげる」
「スゴイの! 本当!?」
「うん、ビビッておしっこチビんなよぉ〜?」
と、頭を切り替える。
なんだかんだで陽も高くなり、何時の間にやら昼食時だ。
ここらで一旦区切りをつけて、そろそろ狩りのお勉強ってのも、悪くはないだろう。
まぁ、その前に、一つ“本物の剣気”という奴を見せてあげよう。
「はい、じゃあそこに立って、同じように剣を構えて」
「はーい」
私が指定した通り、大木を背にする位置取りで立った少年に、私は真っ直ぐに向かい合う。
そして、昏天黒地を鞘へと納め、前もって少年に一言告げた。
「今から、“剣気”って奴を見せてあげる。弱い相手なら、戦わずして勝てちゃうくらいの、すっごい奴」
「剣、気……!」
少年はゴクリと喉を鳴らし、期待に胸を膨らませているのだろうか。
目を輝かせ、今か今かと待ち侘びているようだった。
だから、更にもう一言付け足した。
「気をしっかり持って。気絶しちゃわないようにね」
「え……」
多少、加減はしよう。
じゃないと、本当に心臓麻痺を起こし兼ねないし。
そう思い、小さく一呼吸。
鞘に納めた昏天黒地の柄には、指先が触れるか否かという位置。
深く腰を落とし、瞠目し、集中力を高め、私の意識から雑音や草花の匂い、色彩やその他の生き物の気配、そういった不要な情報が削ぎ落されて行く。
内側からジワリと溢れ出す意思を一つ一つ形にし、練り上げて行く。
それは、殺意、害意、敵意。
圧倒し、殺し尽くし、討ち滅ぼして尚余りある程の“生を蹂躙する意思”の塊だ。
そして―――開眼した。
「―――ッッっ!!?」
剣を抜く事はしない。
が、限りなく剣を抜くつもりで昏天黒地へと練り上げた意思を乗せる。
その瞬間、私から生じた意思は波動となって大気を震わせ、物理的な圧力となって少年に襲い掛かった。
「ぁ……うぁ……っ」
少年は今、自分の“死”を直感した筈だ。
その証拠に、彼の顔には恐怖がベッタリと張り付き、刀を取り零して膝を震わせていた。
「……見えたみたいね。自分が“死ぬ瞬間”が」
その問いに答える事も出来ず、少年は膝からストンと脱力してしまう。
けど、これでもかなり抑えた方だ。
込めたのは、ただ“殺す”という強い意思だけ。
本当なら、そこに更には“生きる”という意思と、“勝利する”という意思を重ね、更に強く練り上げて剣に乗せるのだから。
でも、今の少年なら、これで十分。
戦えば、死ぬかも知れないという事実を、強烈に実感出来た筈だから。
「後、振り返ってみなさい」
私にそう言われ、少年はようやくといった感じでカクカクと首を縦に振り、それからゆっくりと背後を振り返った。
「こ、これ……っ、うそ、だ……」
信じられなかっただろう。
そこに広がる光景が。
「ちなみに、剣は抜いてないわよ? 攻撃をしたつもりもない」
「で、でも、これ……!」
少年の背後に立っていた大木。
その大木の樹皮が、まるで何度も鋸で切り付けられたかのようにボロボロに剥け落ちているのだ。
剣を抜いてもいないし、何かを投擲してもいない。
私はただ、“剣気”を放ったに過ぎない。
「どうやったら、こんな……」
「まぁ、科学的な理由とかは……イロイロあるんだけどさ。そこは、少年には難しいだろうし、説明を省くけど」
実際には、量子力学的な解釈で解決が可能な物理現象だ。
二重スリット実験で証明されると考えれば、理解も早いだろうか?
まぁ、兎も角。
「強い意思の力は、量子の世界では主観観測と外観観測という二つの観測により、存在強度を増すの。例え、私が剣を抜いていなくても、私は私を“剣は抜かれた”と騙し、少年も“剣を抜かれた”と騙される。すると、“剣を抜かれた”と観測された可能性が集束し、実際には剣は抜かれていないのに、剣を抜かれた可能性までもが現実に“現象”として影響を及ぼすワケ」
「え……、え??」
「あぁ〜……まぁ、つまりね? 人の意思も量子の波で、観測されるまで可能性が波となって広がっていて、その波が水面の波紋のように干渉し合ってて―――」
「お、お姉ちゃん、よくわかんない……、むずかしいよ……」
「ですよねぇ……」
どうしよう、説明が難しい。
詰まる所、UEPが存在する影響で、この世界は観測による存在強度の量子的影響力が嘗ての世界よりもかなり強いからなんだけど、そもそも彼はUEPがどんな物かも解っていない。
知識レベルが地球圏のそれとは比較にならないほど低い国の種族だから、基礎知識も勿論足りていない。
これじゃ、解説しようにも単語が虫食い状態で余計に意味不明になってしまうだろう。
あ〜……ならいっそ、もうこうしよう。
「OK、結局何が言いたいかっていうとね」
「うんうん?」
私は全力の笑顔を浮かべ、サムズアップする。
「強く念じれば、なんでもできちゃうのよ!」
「おおー……おおぉー……っ! すっげぇー!」
もう、これでいいや……。
実際、どういったメカニズムでそれが現象として発現しているかなんて、そんなの解らなくても出来ちゃうような世の中なのだから。
「じゃあじゃあ、ボクも頑張ったら、同じことができるようになるかな!?」
「ええ、できるわ! 少年ならきっとできる! お姉ちゃんを信じなさい!」
「よっしゃー! ボク、頑張るよ、お姉ちゃん!」
「おー、がんばれがんばれー!」
結局、私はその場をテンション一つで乗り切り……。
―――その後、午後からは。
「あっはは! 姉ちゃんずぶ濡れだぁー!」
「やりおったな……! パンイチ小僧が偉そうに!」
山奥の渓流で洗濯ついでにバシャバシャと水遊びをしたり。
「ほら、あそこ……! 今度は、良く狙って」
「えっと……、“もくひょうをせんたーにいれて……すいっち”?……だ!」
竹林でクロスボウ片手に野兎を射止めたり。
「姉ちゃん、なんでも出来るのに、お料理は苦手なんだね……」
「うっ、うっさいバカ! こんなの、バラした後は焼くか煮るかすれば、十分なの! 食えればみんな同じよ!」
「あはは……」
仕留めた野兎で料理を作ってみたり。
夕刻には鍛錬の続きも終えて、何時しか日も暮れて。
少年が生活しているという小さな山小屋へ案内された私は、その日一日の疲れを癒すべく、彼の家でお風呂を借りる事になった次第で。
「ね、姉ちゃん、恥ずかしいよぉ……」
「ませた事言ってんじゃないの。お湯も薪も貴重なんだから、恥ずかしがってないで、アンタも一緒に入るっ!」
「ひゃぁああ〜〜〜〜〜!」
着物も褌も全部剥ぎ取って、すっぽんぽんにした少年を小脇に抱え、鼻歌も軽やかに離れで一っ風呂浴びている真っ最中である。
「ほーら、ジタバタしないっ」
「だってっ、見えちゃうからっ」
「別にイイじゃん。減るもんじゃなし」
「姉ちゃんだって隠してるでしょ! ボクだって隠したいよ!」
「お姉ちゃんは女の子なので、仕方がないのです。そういうものなのです」
「そんなぁ〜! おうぼーだぁ〜!」
とはいえ、私だってバスタオル一枚である。
少年のティンティンを拝む権利くらいはあっても良い筈!
まぁ、さっきからチラチラ見え隠れしてるワケで、お姉ちゃんも興奮を隠し切れないワケですが。
「ぐふふ……、そぉ〜ら、お姉ちゃんによ〜く見せてごらん?」
「ひぃっ! 姉ちゃんがヘンタイになったぁ〜!」
狭い浴室の中、少年と二人でキャッキャウフフ。
そんな楽しい時間はあっという間に過ぎていって……。
白い湯気が立ち昇る浴槽で、少年を抱えるようにして湯に浸かり始めた頃には、彼も随分と大人しくなってしまっていた。
「ふぅ〜、生き返る〜……」
半身浴で浸る湯船は適温。
身体の芯から温まる事で、精神的な疲労までもが湯に溶け出して行くかのようだ。
まぁ、少年の方は、未だに顔が真っ赤でガチガチに緊張してしまっているようだけれど。
それにしても……。
「こんな山小屋みたいなトコでも、しっかりお風呂場まで用意してくれてる辺り、やっぱアンタって良いトコの坊ちゃんなのねぇ……」
「お風呂って、何処の家にもあるものじゃないの?」
「ん〜、そういう国もあるにはあるけど、この辺りじゃかなり珍しいわよ?」
「へぇ〜、そうなんだ……」
決して大きくはないけど、檜造りの立派なお風呂だ。
けど、それよりスゴイのは、風呂場の裏手を流れる小川から、水車で自動的にこの浴槽へ水を張る事が出来るって点。
薪は自分で作っているらしいけど、それを風呂釜にくべて火を着けるだけで、何時でもお風呂に入る事が出来てしまう。
この国の技術水準から考えるに、実はかなりハイテクだったりする。
私としても、まさかこんな山奥でお風呂に入れるなんて考えてもみなかったから、かなり得した気分だ。
……と、そんな風に有難みを感じていると。
「ねぇ、姉ちゃん」
不意に少年に尋ねられた。
「ん〜? なぁに〜?」
半分ボーっとしながら、それに答える。
が、なかなか次の句が聞こえて来ない。
いったいどうしたのか。
そう思い、天上から視線を落としてみる。
すると、少年はなぜかおずおずと、尋ね難い様子で両手の指を絡めていて。
「どうかした?」
「え、っと……」
私の胸が後頭部に当たっているのが恥ずかしくなったのか? と最初は思った。
それはそれで可愛らしいし、そうならからかってみるのもまた一興。……だったのだけれど、どうも違うらしく。
少年は振り返る事もせず、ボソボソッと小さな声で何かを呟いた。
「……ま、え」
「ん……?」
よく聞き取れなかった。
だから、反射的に聞き返してみたのだ。
そうしたら、まさかの質問が飛び出した。
「ね、姉ちゃんの……名前っ」
「え……、あ」
少年と絡むのが楽し過ぎて、完全に失念していた事に今更気付かされた。
そう、名前だ。
私は、少年の名前を知らない。
そして、少年にも、私は名乗っていなかったのである。
「ボクは……、ソウタノスケ。姓は……父上のお言い付けで、教えられないんだけど……」
「ソウタ、ノスケ……」
恐らくは、幼名だろう。
この子の外見からして、元服にはまだ遠い。
だから、諱を付けるまで仮の名を与えられているのだ。
この国……というか、日本の戦国時代にも、そういった風習があった。
(けど、名前を教えるだけで、こうも緊張するだなんて……)
自分から名乗る事が稀で、人に名を尋ねるにも、先ず自分から名乗らなければならない。
そういった風習もある所為だろう。
自身の姓名をきちんと名乗る事も出来ないのに、相手の名前を尋ねたい。
そして何より、同年代の友達なんかもいないから、名を名乗るだけでも緊張してしまう。
おそらく、そんな所か。
これは、私が気を利かせてあげるべきだった。
「ごめんごめん、そういえば、まだ名乗ってなかったね」
「う、うん」
「ソウタノスケ君……か。いいじゃん、男の子っぽくて、いい名前だと思うよ」
「そ、そうかな……?」
「うむす」
今の日本じゃ、こういう古風な名前はなかなかお目にかかる機会が無い。
けど、私は結構そういうのが好きで、ちょっと羨ましいとも思った。
まぁ、実際は子供が成長して大人になる事が稀な時代で、だから、大人になるまで諱という実名を持たず、大人になって初めて実名は与えられるワケで。
そう考えると、少し物悲しい実情が絡んでいる風習ではあるのだけれど。
兎も角、わざわざ名乗ってくれたのだ。
なら、私も礼に反するような事は、お姉ちゃんとして出来ない。
「私の名前は、谷那香澄。実名よ」
「え……それって、真名なの!?」
「あーうん、この国の常識に当て嵌めるなら、それが真名……諱って事になるんでしょうね」
「そ、そんな簡単に……! だって、諱だよ!?」
酷く驚いた様子で振り返り、慌てだす少年。
まぁ、確かに彼らの国の常識では、他人に諱を教えるというのは、かなり覚悟のいる事だったりする訳で。
諱は“忌み名”とも書き、呪術に於いても重要な意味を持っていて、濫りに人に教える物ではないと考えられていた。
だから、逆にそれを教えるという事は、信頼の証でもあり。
普通、ほぼ初対面の相手に、それを教えるなんて事は先ず有り得ないのである。
少年が何故焦ったのか。
これで、その理由は理解できた筈だ。
つまり、少年の立場からしてみれば、相手の事をまだロクに知らないというのに、突然命を預ける程の信用を向けられたという事になるのだから。
「だ、駄目だよ、そんな簡単に人に諱を教えるなんて!」
「別に気にしなくていいわよ? 私の名前なんて、特別価値のある物ってワケでも―――」
と、急に立ち上がって諱の重要性を解こうとする少年。
それを落ち着かせようと私は手を伸ばしたのだが……。
「―――あ?」
「―――っっっ!?!?」
その瞬間、湯船の水面にタオルがユラリと漂い。
私、呆然。
少年、赤面。
「あ、あはは……」
流石の私も、ちょっと恥ずかしくなり、直ぐにタオルを引き寄せて胸を隠したのだけど。
少年の方はそれどころではなくて。
「う、薄桃、色……、……ぁ、あぁ……」
「ちょっ、ばっ、わざわざ思い出さんでいいっ!」
「きれい、だった……」
「わあああー! わああああー! 感想とか聞いてない! 直ぐに忘れなさい!」
「ふわぁ〜…………」
フラフラと。
足ったままで目を回し、茹蛸みたいに真っ赤な顔で少年の身体がグラリと傾ぐ。
「あぶな―――っ」
後ろ向きに倒れ始めたその身体を支えようと手を伸ばした私は、手首を取って咄嗟に引き寄せ、抱き留めるような恰好になってしまった。
「はぷっ」
「っ!」
谷間と呼べる程の物を持ち合わせてはいないけど、丁度その辺りに倒れ込んだ少年の顔が直に肌に触れ。
(うぉおおお!? なんだこれ!? 落ち着けわたしぃぃ〜〜〜〜〜っ!!)
恥ずかしいやら、驚きやら、妙な興奮まで相俟って、私まで混乱してしまう。
どうしてこう、私はラッキースケベの犠牲になる事が多いのか。
ひょっとすると、そういう星の下に生まれてしまったのでは? と天運を疑いたくもなる。
(や、やばばば! なんだこれ! なんだこれっ!?)
頭の中がグルグルして、少年の体重に負けて浴槽へと倒れ込み。
(やっ、ちょっ、うそっ!? なんか太腿に当たってるぅっ!?)
小さな身体にそぐわない、逞しくいきり立った剛槍が!?
「―――ぶくぶくぶくぶく」
「え……?」
やばたん! やばたん! と混乱も極みに達しようかとしていたその時、胸元から聞こえて来た泡音に、私はハッと我に返った。
―――溺れてる。
引っ繰り返った際に、藁をも掴む思いで少年の頭を抱え込んでしまったらしく、そのまま湯船に沈めてしまっていたらしい。
ぶくぶく、ぶく、ぶく……。……チーン。
「うぉおおおおおおっ!? 死ぬな! 死ぬな、しょうねぇ――――――んっ!!」
立ち上がって抱き上げるも、少年の身体からは力が抜けてグッタリ。
しかも、幸せそうな顔で半開きの口から出ちゃいけない何かが食み出し、天へと昇り始めていて。
私は絶叫しながら服も着ず、慌てて少年を抱え、風呂場を飛び出すのだった……。




