第八十八話
第八十八話「宣誓」
一歩、また一歩と踏み出し、岩肌を蹴る。
あたかも、平地を駆けるように、だ。
今、私が駆け上がっているのは、切り立った崖のような山―――“剱山”。
普通の人間では、とてもじゃないけどこうはいかない。
なんせ、この山の岩肌にはロクに凹凸も無く、足や手を掛ける場所すら無いのだから。
じゃあ、いったいどうやって登っているのか? っていうと。
「―――フッ!」
思い切り岩盤に爪先を突き立て、蹴り砕いて足場にし、常人には有り得ない脚力で飛び跳ねるようにして登っているのだ。
見上げる先には、山頂付近をグルリと一周するように岩壁へと張り付けて建てられた古い建築物。
天蓋と瓔珞に彩られ、薄く煙る雲の彼方に浮かんで見えるその様は、神殿と呼ぶに相応しい荘厳さを醸している。
「アレが、“剱山神社”の社殿ね」
この神社は剱山の山頂を囲んで四方に別々の守護神を奉る拝殿があり、それらを回廊で繋いで形になっている。
そして、その各拝殿から更に奥へ進むと、本来は一般人が立ち入る事の出来ない剱山内部を掘って作られた本殿へと辿り着けるらしい。
恐らく、シゲナリが待っているとすれば、その本殿。
険しい山道故、管理人こそ存在するようだけど、普段は殆ど人の出入りが無く、詰めているのも僅か数名の僧侶のみという話しだ。
「なるほど。確かに、密会には打って付けの場所だわ」
如何に鬼人族や他の亜人族が肉体的にノーマルの人間より秀でた物を有していると言っても、わざわざこの険しい山を踏破しての監視などそう出来る物じゃない。
この神社に詰めている僧侶達も、数日という時間をかけて山頂まで登り、数ヵ月単位で交代して職務をこなしているらしいし。
少なくとも、鬼人ですら私のように僅か数分で山頂までの道程を踏破出来る者はそうはいないのだから。
「―――っと、到着!」
最後に社殿の舞台にある木製の縁を掴み、腕力で一気に身体を引き上げる。
軽い跳躍から空中で身を翻して着地すれば、そこに広がる景色は壮観の一言に尽きる物だった。
「ほぁ〜……、結構凝ってるわねぇ〜……」
そこは、四つある拝殿の内の一つ。
恐らくは“舞”を奉納する為の舞台と思われる場所で、赤と金の色どりが鮮やかな場所だ。
柱や梁の装飾も然る事乍ら、朱雀にも似た鳥類の透かし彫りが特に目を引いた。
「これは……違う。そうか、“四霊”ね」
古代中国の“礼記”という書物に記された霊妙な四種の瑞獣だ。
四神と混同されがちだけど、この舞台の透かし彫りに描かれた獣は二体一対。
専門家ならその姿で違いも判るらしいけど、私はそこまで詳しくはない。
だから、二体一対であるその描き方で気付いただけだ。
二体が互いに見つめ合うように翼を広げているそれは、鳳と凰。
即ち“鳳凰”であろうと推測する。
どうして亜人族の建てた神社に四霊が? という疑問もあるが、まぁそこは和風というか、中華風というか、そういうイメージの問題なんだろう。
また、その証拠というか、やはり四霊と四神が混同されてしまっているのか、鳳凰が描かれたこの舞台は南に位置している。
恐らく、東の拝殿には応龍、西の拝殿には麒麟、北の拝殿には霊亀が祭られているのではないだろうか。
「けど……ふぅ〜ん、これはこれで、なかなか興味深いわね……」
人々のイメージから多数決で選び出された結果だと思うと、何故“四神”ではないのか、その辺りも気になる。
飽くまでも私の私見だけど、四霊より四神の方が知名度が高いと感じる。
それ故、多数決で選ばれたなら、四神が選抜されて然るべきとも思えるのだけど。
「どういう基準でこうなったのか、謎が尽きんわ」
と、舞台の上をウロウロとしながら色々と観察していた所。
不意に左腕が何かに引っ張られ、私はその存在を思い出した。
「―――あ、ナエちゃんの事忘れてた」
そういえば、左手のガントレットから伸びた黒鎖は下界へと伸びたままになっていて、その先にはナエちゃんが結び付けられていたのだった。
山登りに時間をかける事が出来なかったが故の苦肉の策だったワケだけど……。
「通信端末の一つでも預けてくるべきだったかしらね」
ここから一気に彼女の引き上げをする訳だけど、突然引っ張り上げられちゃナエちゃんも驚くに違いない。
せめて合図の手段くらいは講じておくべきだったか、と苦笑が漏れた。
が、今更もう遅い。
ナエちゃんには悪いけど、少しばかり絶叫して貰うしかなさそうだ。
私は左腕を軽く掲げ、そのガントレットに巻き付いた鎖を掴んで一気に引っ張った。
「戻れ、黒鎖ッ」
途端、ギャリリッと激しい金属音を発し、黒鎖が宙で波打った。
黒蛇拘と同じ要領だ。
黒鎖は水中を泳ぐ海蛇のように重力に逆らい、自由に空中で弧を描いて下界から高速で“荷物”を引き上げ、ガントレットの射出口へと吸い込まれて行く。
すると、間もなく。
「―――ぃぃいいいいいやああああああああああああっ!!」
遥か彼方から近付いてくる悲鳴が響き渡った。
「おー、見事な虹が……」
鎖に巻き付かれたナエちゃんが拝殿の欄干を飛び越え、釣り上げられた魚の如く宙を舞う。
彼女の顔に浮かんだ笑みは、まるで全てを諦めて死地へと赴く兵士達の敬礼にも似て、溢れ出した滝のような涙が美しい七色の虹を描いて見えた……が、それは気のせいだ。
「もう陽も落ちて真っ暗なんだから、流石に虹はないわね」
「冷静に分析しないでっ!?」
まぁ、厳密に言うと、拝殿には何等かの仕掛けで灯りが溢れていて、それなりに明るいから虹が発生しないとも言い切れないんだけど。
そんな細かい事は彼女が言う通り、今はどうでも良い事か。
「や、さっきぶり!」
「高いトコから落っこちるのは怖いって言うまでもない事だけど、高いトコまで急に引っ張り上げられるのも怖いんだって、あたし今初めて知ったよ……」
「一つ利口になったわね」
「一生体験したくない経験だったけどね!」
しゅるしゅると緩やかに黒鎖で釣られたナエちゃんが涙ながらにそう語る。
「まぁでも、頭痛とか吐き気も無さそうで良かったわ」
「ヘンな耳鳴りはしてるけど……」
耳鳴りと聞き、少し考えた。
とはいえ、これといって耳を気にするような仕草も見られないし、彼女も鬼人だ。
仮に何かあったとしても、“万能薬程度”で回復が可能だろうと判断した。
「圧迫感や閉塞感が出て来るようなら言って。薬あげるから」
「んー、大丈夫じゃないかなぁ。もう落ち着いてきたみたいだし」
「OK、それじゃ本題に移りましょうか」
ナエちゃんから視線を逸らし、再び拝殿の内装へと目を向けながら話しを続ける。
「ココは四つある拝殿の内の一つみたい。鳳凰が祀られた舞台もあるし、町の人に聞いた通りなら、この奥に本殿が控えてる筈よ」
「お兄ちゃんが待ってるとすれば……そこ、だね」
振り返る事もせず、私は静かに頷き返した。
「とりあえず、手分けして本殿への入り口を探すとしましょ」
「うん、わかった」
目配せで左右どちらを探索するか決め、互いの意図を読み取ってそれぞれに動き出す。
板張りの床が一歩踏み出す毎にギシリと軋み、音を発てた。
手入れも行き届いているし、老朽化している様子も見られないから、これはきっとそういう仕組みなのだろう。
見上げれば再び別の透かし彫り。
柱や壁にも彫刻や金箔の装飾が見受けられ、かなりお金の掛かっている建物なのだと判断できた。
「滅多に人が来る場所でもないってのに、どうしてこう寺院や社殿ってのはお金を掛けたがるのかしらね……」
まぁ、立派に見せる事に意味があるというのは頷けるし、惜し気もなくお金をかけるからこそ奉られるモノにも有難みが増すのだろうけど。
実際、古びた廃墟と見紛うような建物で、そこに宿る神様とやらに祈りを捧げようとはちょっと思えないし。
「そういう物なんでしょうね。……っと、コッチかしら」
舞台脇に回廊へと続く道があり、そこから分岐するように拝殿の裏側へ向かう廊下を見付けた。
「ナエちゃーん、コッチっぽーい」
「はーい、今行くねー」
扉の無い入り口を抜けると、その向こうには欄干と天蓋の付いた回廊が曲線を描いて隣の拝殿へと繋がっている。
が、あえてそちらには進まず、拝殿の裏側へと向かう廊下へ。
更に進むと、今度はそこに岩壁を切り抜いて作られた洞穴が一つ。
分岐した回廊はその中へと真っ直ぐに伸びていて、内側は松明とも篝火とも違う独特の青白い光で満たされていた。
「これ、綺麗……」
洞穴内の壁面に埋め込まれた青白く発光する結晶体をしげしげと見詰め、ナエちゃんが言う。
連られて私もそれをジックリと観察してみた。
「多分、天然の魔晶石を魔術的に加工した物ね。魔術の触媒として広く使われてる鉱物だけど……コレは光源として用いる為に、特殊な術式が刻印されているみたい」
「一般的な物なの?」
「うん、まぁね。ただ、こういう使い方は初めて見た。なかなか興味深いわ」
歩調を緩めながら視線を前方へ戻すと、予想通り回廊その物は短い物だった。
途中に横穴も広がっていたけど、恐らくそっちは居住区に繋がっているんだろう。
後は、保管庫や食糧庫といった所か。
この神社へ入ってから高山特有の寒さなどはまるで感じなくなったけど、どうやら本殿内部は気温が管理されているらしい。
私達がそこへ足を踏み入れた頃には、もう気温を意識しなくなる程度に温暖な環境が整えられていた。
「―――壮観、だわ」
一瞬、言葉を忘れてしまう程、その景色は日常から懸け離れた物だった。
彫刻も、装飾も、何もかもが拝殿のそれよりワンランク上を行く。
神社の内部というよりは、むしろ寺院のそれに近いだろうか。
日本や中国、インドやチベットの古代の神殿。
そうした物を一緒くたに纏めたようなデザイン性で、環境的に最も近いと思えるのはインドのバーダーミ石窟寺院だろうか。
ただ、その派手さは段違いだ。
岩盤に彫刻された様々な神獣の像は、全て金色に輝き、天井から吊り下げられた菱灯籠や天蓋の装飾も金を主体に無数の宝石が鏤められている。
これら全てが青白い燐光を煌びやかに反射し、キラキラと輝いて見えるのだ。
「まるで宝物殿ね……。金貨や財宝が床一面にばら撒かれてても違和感ないわ」
「へ、ヘタに触れて壊しちゃったりなんてしたら、あたし一生かかっても弁償出来る気がしないよぉ〜……」
恐々と身を縮ませながら、私の身体にピッタリと寄り添ってキョロキョロしているナエちゃん。
しかし、確かにこの中のどれか一つでも壊してしまったら、人一人の一生分を費やしても弁償は困難かも知れない。
財宝としての価値も然ることながら、美術的な価値や歴史的価値も含まれるだろうし。
オオツキ邸の調度品もヤバそうな値段を想像したけど、コチラはそれ以上だった。
「―――どうやら、アッチみたいね」
そんな金銀財宝の中を真っ直ぐ進んだ先。
黄金の装飾が施された、高さ4〜5メートルは有りそうな巨大な金属扉が私達を威圧するように見下ろしていた。
「此処に、お兄ちゃんが……」
「ええ、既に気配がある。心の準備をしておきなさい」
そう告げると、ナエちゃんは静かに頷き返し、その目に不安と気合とを混在させて見せた。
感覚的にも読み取れる。
かなり強い気配だ。
ただ、それは敵対する者を拒むような物ではなく、存在感その物の大きさを感じさせるような物。
此処から先は、私自身も気が抜けない。
私の隣には、守らなければならない者が在る。
僅かな緊張感を胸に宿し、目の前の重い鉄扉へと両手で触れ、私はその腕にグッと力を込めた。
「…………」
ギギギと軋む扉の金具。
体感だけど、10トン近くはありそうなその扉を押し開ける。
僅かに開いた扉の隙間から一瞬の眩しさを感じるが、決して目を閉じたりはしない。
仮にその細い隙間から刀や槍の切っ先が飛び出して来たとしても、即座に切り払えるようにだ。
―――が、そんな警戒は杞憂に終わった。
「随分と悠長なご到着だな。……と、嫌味の一つでも言わせて貰おうと思っていたが、なるほど。そういう事だったか」
「気の短い男は嫌われるわよ〜? ま、アンタなら引く手数多でしょうけど」
此処までの道程に比べれば、随分と質素な佇まいを見せる本殿。
金箔こそ貼られて豪奢には見えるが、それは本尊である“アレ”を奉る神具周りだけ。
ほぼ全てが木造で形作られたそこは、まさしく祭壇だった。
その祭壇に正面から向かい合うように正座し、刀を床に置いたまま声を発した背中に、ナエちゃんは息を呑んだ。
「お兄……兄、様……」
ナエちゃんはそれだけで顔を顰め、辛そうに頭を抱え込んだ。
恐らく、また一瞬フラッシュバックが起こり、記憶の一部が想起されてしまったんだろう。
が、そこで踏み止まった。
まだ身体の震えは収まってはなく、私の服の袖にもそれが伝わってくるけど、それだけだ。
「まさか、ナエまで連れて来てくれるとは思わなかった……。感謝する、ヤナ殿」
「アンタに感謝される謂れはないわ。ナエちゃんに頼まれたの。だから、連れてきた。それだけよ」
ゆったりとした所作で立ち上がり、刀を手にして立ち上がったシゲナリは、振り向き様に苦笑を浮かべる。
やはり、此処まで見ても“悪い気配”を感じない。
ナエちゃんの件に関してだけは、どうやら本音で話しをしているようだった。
「そうか……。いや、そうであるべきなのだろうな、本来ならば……」
一つ深い呼吸をし、瞠目したシゲナリの気配がガラリと変わるのを感じた。
それは、友好的な気配からは程遠い、鋼を思わせるような冷たい気配だった。
「何故、付いて来た? ナエ」
「それ、は……っ」
温度をまるで感じさせない硬質な声。
先ほどの優し気な物とは似ても似つかないその声質に、ナエちゃんがビクリと肩を震わせる。
「私は今や、お前達の敵だ。この場では、斬って捨てられても誰も文句は言えぬ。それは、他ならぬお前自身が一番良く解っている物と思っていたがな……」
「それ、でも……それでもっ、聞きたい事が……あったからっ」
怯えを隠し切れず、腰が引けてしまっているが、それでもナエちゃんはシゲナリと正面から向き合おうとしていた。
(敢えて殺気を向けてるわね……。本気なら、殺気すら感じさせずにナエちゃんを一撃で斬り殺す事も容易な筈だもの)
故に、私は少し緊張を解いていた。
恐らく、コイツはナエちゃんを殺す事が出来ない。
どういう理由かは定かではないけど。
今、こうしてナエちゃんに強い圧力をかけているのも、きっと自分との距離感を測らせる為。
突き放す目的があるのだ。
「……私に答えられる事なら答えよう。だが、それが済んだなら、直ぐに山を下りろ」
「…………」
ナエちゃんもそれを察したのか、シゲナリの言葉に酷く落ち込んだ、寂し気な表情を浮かべていた。
しかし、それもほんの少しの間だけ。
覚悟を決めたらしいナエちゃんは、ようやく自分から一歩を踏み出し、私の前に出てシゲナリと向かい合った。
「兄様……、どうして、母様と父様を……殺したの? どうして、あたし一人を、生かしたの……? どうして……シドウ・ヨイチに手を貸すの!? あたし達と敵対してまでっ」
その問いに、シゲナリは瞠目し、そして微かに深呼吸したように見えた。
「お前には、済まない事をしたと思っている。だが……いや、言い訳はすまい。全ては仕えるべき主君の、延いてはこの国の未来の為だ。お前も武家の娘なら、それを弁えよ、ナエ」
「この……国の?」
シゲナリはそう言い、ナエちゃんに背を向けるとそこにある“本尊”を見上げ、更に続けた。
「ヤナ殿、貴殿はこの国の興りについて、聞いた事があるか?」
「いいえ、初耳ね」
「ならば、ナエと共に聞くと良い」
この国の歴史。それを語り始めたシゲナリの表情は、影に隠れて確認する事は出来なかった。
ただ、私にはそれが、ロマンを語る男のエゴにも見えて、どうしようもなく溜め息を吐きたくなるのだった。
「今から数千年の昔。我等鬼人族は魔獣の狩りを生業として各地を転々とするサンカ民族の一派だった……」
“サンカ”という単語は普段耳にする物じゃないけど、それは恐らく日本の古い言葉でいう所の“山窩”や“燦下”を意味する物と同義だろう。
特定の土地に定住する事無く、目的を以って各地を転々とする種族だったという事だ。
「鬼人族は武に於いて最強。そう他の亜人族に言わしめるだけの実力と実績を備えた誇り高き戦闘民族だったのだ」
曰く、他の亜人族の集落を襲う魔物達を依頼を受けて征伐し、その報酬として日々の糧を得ていたのだと言う。
そうして大陸各地を渡り歩き、何時しか“最強”の名を不動の物とした頃、彼らの運命を左右する大きな依頼が舞い込んだ。
それが、“六つ首の大蛇”討伐依頼だったという。
この話に関しては、私も聞き覚えがある。
確か、私がこの国へ来たばかりの頃、情報収集の一環として町人の誰かから聞かされた話しだ。
アレはつまり、ただの伝承や伝説といった物ではなく、この国の史実に基いた言い伝えであったのだろう。
が、当然それだけで話しが終わる筈もない。
ここまでは、まだほんの触りの部分でしかないのだ。
「“六つ首”はこの地近辺の集落や山々を散々に荒らし回り、滅ぼされた村や国は数知れず……。ついに被害を重く見た各亜人族の指導者達は、万にも及ぶ亜人族の討伐連合軍を結成し差し向けたのたが、それさえ一晩で壊滅させたと伝えられている」
「万の軍勢を……一晩で?」
些か誇張が過ぎるのでは? と聞き返す私に、シゲナリは重々しく頷き、「事実だ」と答えた上、更に続けた。
「その巨体は山をも覆い隠す程で、尾の一振りでも城塞を瓦礫に変えたという。また、一度吼えれば大地が震え、吐き出される毒の炎は如何な生物も例外なく骸に変えたそうだ」
「…………」
俄かには信じ難い話しだけど、この世界には実際に超が付く大型のレイドクラスボスモンスターが存在する。
実際、私が以前戦ったドラゴンや巨人スルトの影、ダイダラボッチなどもその類であり、必ずしもただの与太話と切り捨てる事は出来なかった。
「それ程の怪物。それ程の化物だったのだ、“六つ首”は」
ナエちゃんは、その話を固唾を呑んで聞いていた。
幼い頃から聞かされ続けている一種の御伽噺。
それが歴史的事実であり、またそれ程の恐ろしい生物が存在するという事実を身近な物として初めて知ったからかも知れない。
「けど、そんなレイド……化物を、昔の鬼人族は撃退したのよね。いったい、どうやって……?」
尋ねると、シゲナリは私の方へと向き直り、その背後にある鬼人の石像を指差して見せた。
「―――“これ”だ」
シゲナリの背後に静かに佇む石像。
それはこの神社が祀る本尊であり、つまり……。
「っ、まさか……っ!?」
私はその事実に気付き、慌ててシゲナリの向こうにある石像を注視した。
より正確には、その石像が天に向かって掲げた両手の中に納まっている“刀剣”を。
華美な装飾など何一つ施されていない、シンプルで機能性のみを突き詰めたような一振り。
ヴォイドフリックでタッチし、詳細を閲覧した事で判明したその名に、私は愕然とする。
「……“霊刀・蛇之麁正”……っ」
UI上に浮かび上がるその名には、縁を象る“金色の装飾”が施されていた。
それは即ち、その刀のレア度を表す物で。
一般的に普及している最下級武具の縁取りは“銅”。
次いで、中級者が愛用する事になる市販の高級武具で“鉄”。
高価なドロップ品の上級加工物になると、それが“銀”となり、希少な素材を用いて特殊な加工と専門の技術士による鑑定を必要とするアイテムには“金”の縁取りが施される。
……が、その段階でも縁取りに装飾は施されてはいない。
“金装飾”が施されるアイテムは、更にその上位に位置する物。
「こんな辺境の山奥で、お目に掛かれるとはね……」
―――“レジェンドアイテム”。
伝説級武具。
私が持つ“グレイプニール”や、槙島が愛用している“氷獄剣コキュートス”も、このクラスに位置する武器だけど、それは生半な苦労で製作できるような代物ではない。
それが、こんな踏破も容易いような、ダンジョンとも呼べない程のお手軽な場所に存在するなど、誰が思うだろうか。
しかも、この刀の名前だ。
“蛇之麁正”と言えば、日本人なら誰もが知る“あの”有名な伝説に登場する刀剣の別称なのだ。
別名、“天羽々斬”。
日本の神代三剣にも数えられる神剣であり、彼のスサノヲが八岐大蛇の首を斬り落とした際に用いたのが、この“蛇之麁正”と言われている。
六つ首と八つ首、鬼人族とスサノヲ。
多少の違いはあるようだけど、これはひょっとすると……。
私は状況も考えず、思わず思索に耽ってしまいそうになった。
「貴殿も、その名に覚えはあるようだな」
「……え? あ、あぁ……、まぁ……」
そこに来て、初めて失言だったと気付かされる始末だ。
私がこの国の人間では無い事を、恐らくシゲナリは知っている。
その私が、本来知り得ない筈の情報を何故知っているのか。
それを突っ込まれたら、今の立場ではイロイロとマズイ事になり兼ねないというのに。
しかし、そんな私の焦りを知ってか知らずか、シゲナリは尚も語り続ける。
「この蛇之麁正の用い、初代将軍ヨシノブは六つ首の首を次々と斬り落とし、最後に暴れる尾を斬り付けてトドメを刺したと伝えられている」
「尾を……斬り付けて、トドメ?」
そう聞き返した私に、シゲナリは頷いて答えた。
(妙ね……)
確か、古事記や日本書紀によれば、八岐大蛇を斬り殺した際、最後に尾を斬り落とそうとした所で蛇之麁正……十掌剣の刃が欠け、不信に思ったスサノヲが切り口を裂いた所から別の刀剣が発見されている。
それが、“天叢雲剣”であり、別名を“草薙剣”といった筈。
でも、シゲナリは「尾を斬り付けてトドメを刺した」と言った。
しかも、そこで六つ首は絶命し、話しは一区切りついてしまっているようだ。
もし、仮に“天叢雲剣”が未発見のまま取り残されていたとしたら……?
(……探してみる価値はあるかも知れない)
この蛇之麁正もレジェンドアイテムとしては高位に位置する武具の一つ。
だけど、もしも“天叢雲剣”が六つ首の体内に残されたままだとするなら、それは間違いなく蛇之麁正を超えるレアアイテムである筈だ。
なんせ、蛇之麁正の刃を欠けさせた程の名剣なのだから。
……と、私の意識がそちらに興味を移してしまっている間にも、シゲナリの話しは続いていたらしく。
「―――だが、最強と謳われた嘗ての鬼人族の実力を以てしても、六つ首との戦いは容易な物ではなかった……」
なんでも、その戦いに於ける戦死者の数は公式にも正確に記録されていないらしく、少なくともこの“蛇之麁正”を打ち上げる為に高位の巫術師らが108名、加えてヨシノブの側近とされる49名の武将らが命を落としたのだという。
各将官がどの程度の兵力を有していたかは定かではないけど、恐らくは数千人にも及ぶ死者が出たのはほぼ間違いない。
その結果、甚大な被害を被った鬼人族は、それまでのサンカ一族としての生き方を変え、この地に定住する事を余儀なくされたのだという。
「斯くして、倭の国は生まれ、初代様の代を終えると共に、衰退の道を歩み始める事となるのだ……」
「それが、400年前の話しって事ね」
が、そこで一つ引っ掛かりを覚えた。
シゲナリは、その400年前の出来事を皮切りに、鬼人族が衰退を始めると言った。
でも、今の倭国を見て、私には衰退が進んだ国の様子とは思えなかったのだ。
恐らく、この食い違いこそが、シゲナリを含むヨイチ派と私達レジスタンス派との一番の問題点ではないか、とそう感じざるを得ない。
その証拠に、シゲナリは憤りを隠せない様子で尚も続ける。
「六つ首との戦いで主だった勇将知将を失い、初代様も病に倒れ、力を失った当時の鬼人族らは魔物狩りだけで生計を立てる事が難しくなり、商業や産業で日々の糧を得るようになる。だが、そうして戦う事を徐々に忘れていった彼らは、やがて代を重ねて鬼人族としての力さえ失い始める事となったのだ」
「で、今代将軍イエノブの代になって、遂にその“衰退”が極まった、と」
「左様。先代カツイエ様が嘗ての勇名を取り戻そうと軍備増強に力を入れていたのに対し、今代イエノブはそれを良しとはせず、産業と交易に力を注ぎだし、剰え他国からの侵攻が懸念される今、あろう事かエルフ共と同盟関係を結び、助力を要請しようと画策していたのだ……!」
つまり、要約するならば、だ。
オレTUEEEE!! って出来た時代に戻りたい富国強兵派が、過去の栄光とかどーでもイイんで平和に豊かな生活がしたい殖産興業派が許せないんで叩きのめします、とそう言いたいんだろう。
私個人としては理解出来なくもない。……けど、それは決して万人に求めて良いものではないし、求められた所で万人がそうした考え方に頷けるものではないだろう。
まぁ、要は嘗ての日本でも起こった思想的な争いなワケで。
「……はぁ〜……」
私は思わず深い溜め息を吐き出し、頭を抱えた。
そんな様子が気に入らなかったのか、シゲナリの表情に剣が増す。
「貴殿には、理解できぬか」
「いや、理解も何もさ……」
私は半ば呆れながらシゲナリを見返し、私の考えを告げる事にした。
「そういうのってね、自分の中だけで完結させときゃ良い話しなのよ。人それぞれ思想ってのは異なって、それは口から出せば相違を許容出来なくなるもんなの。アンタにゃ理解出来ないかも知れないけどさ、ラーメン好きのオッサンにラーメン嫌いのオッサンが蕎麦のが美味いって言やぁそりゃ喧嘩にでもなるってもんよ」
「な、なに??」
「これが個人間での話しだったなら、そこまで大きな問題とはなり得ないわ。けど、もしそのオッサンがどこぞの大企業の社長さんで、相手のオッサンもどこぞの大企業の社長さんだったならどうよ? 会社同士で互いに悪印象を持つ事に繋がるし、その会社に勤めてる社員同士の間にもいらない軋轢を生む結果に繋がるかも知れない」
「……お、ぅ」
「たかがラーメンの好き嫌い一つでもそういうデカイ問題に繋がり兼ねないって話し。けど、これが大企業の社長でなく、国家主席同士のいざこざならどうなる? ラーメンの好き嫌いでなく、政策方針の食い違いだったなら? ラーメン一つで言い争いまでする人間が、より重大な国家間の思想的相違に直面した時どうなるか、アンタはキチンと考えたの?」
「わ、わからん……、が……」
「戦争よ。何の関係も無い無力な一般市民を巻き込んで、ただ同じ国に住んでいるというだけで憎しみ合って殺し合うようになる」
「戦う事でしか切り拓けない未来があるというのなら、それは戦うべきd―――」
「その結果、ナエちゃんが戦火に巻き込まれ、敵兵に犯された挙句に惨たらしい死に様を迎える事になったとしても?」
「な……っ」
食い気味に突き付けた可能性に、シゲナリは絶句する。
「個人的にはさ、アンタらのやりたい事ってのも理解は示せるのよ。けど、それに他人を巻き込むつもりなら、相応の覚悟をしておきなさいな。それはアンタやアタシの考え方であって、他人のそれとは違う。殺すなら、奪うなら、殺される覚悟も、奪われる覚悟もしなさい。でなければ、アンタにそれを語る資格は無い」
「…………」
「兄様……」
ナエちゃんの無残な最期を想像してしまったのだろう。
シゲナリは言葉を失い、拳を硬く握り締めて床を見詰めるだけだった。
「まぁ、何れにせよ今の状況なら戦争は免れないんでしょうね。他の亜人族には他の亜人族の思惑があるんだし。だったら国を強くするというのも一つの手段なんでしょ。けど、それじゃ国民も、ナエちゃんも、何一つ守れやしないわ」
「なぜ……、そう思う?」
「何か一つを求めれば、何か一つ大事な物を失う事になる。私は、それを身を以って経験してきた」
それが、この数年の間に私が得た教訓だった。
だからきっと、何かを捨てる覚悟のある人間にしか、何かを得る事は出来ないように出来ているんだと、私はそう思う。
何も失わない、そういう上手いやり様って物もあるのかも知れない。
でも、実際はどうあれ、その可能性は絶対に否めないのだ。
「今直ぐに答えを出せとは言わないわ。けど、先に伝えておく事はある」
「……?」
私は顔を上げたシゲナリの目をしっかりと見据え、その上で宣誓した。
「私は、ナエちゃんの為にアンタを殺さない。例えアンタが戦う覚悟を決めたとしても、私はそれを力で捻じ伏せてナエちゃんの為に生かすと誓うわ。その結果、アンタの手で私の大切な物が奪われる事になるかも知れないけど、私はそれを全力で阻止して見せる。私は……絶対に足掻くのを止めるつもりはない」
「…………」
唖然とした表情で私を見るシゲナリに、私は静かに背を向けた。
「ナエちゃんの病気に関してちゃんと説明してあげる予定だったけど、まぁ見ての通り、もう心配はないから安心しなさい。勿論、ナエちゃんを人質に取ったり、それを盾にアンタを釣るような真似も絶対にしない。だから、アンタはアンタが思うままにやってみれば良い。仮に、アンタが戦う事を選んだとしても、私はそれを、私の力で乗り越えて服従させて見せるわ」
そう言い残し、私はまだシゲナリを気にする様子のナエちゃんの手を取った。
「行こ、ナエちゃん。此処から先は、アイツ次第よ」
「……うん」
が、歩き出そうとした時、不意にナエちゃんが足を止め、シゲナリへと振り返った。
一つの深呼吸。そして―――。
「兄様」
「……?」
「私は……ううん、あたし、戦うよ。どんな手を使ってでも、お兄ちゃん達のやろうとしてる事、止めてみせる」
ハッキリと宣言し、今度こそナエちゃんはシゲナリへと背を向けた。
それが吉と出るか、凶と出るか。
今はまだ判らないけど、それでも彼女の力強い言葉と覚悟の表れは好感を持つに十分足る物で。
私は密かに笑みを堪え切れず。
立ち尽くすままのシゲナリに片手を振ってその場を後にする。
「―――覚悟……か」
徐に宙を仰ぎ、呟いたシゲナリの声は、もう私の耳には届いていなかった……。




