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Master Code  作者: 覇牙 暁
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第八十七話

第八十七話「其の山、鬼角が如く」




 ―――例の狙撃犯……もとい、“剣術少年”に少しばかりの手解きをした私は、またの約束をを取り交わし、なごみ屋へと戻っていた。


 時刻は既に日を跨ぎ、ナエちゃんが眠る居間には蝋燭の仄かな灯りだけが揺らめいている。


 数日程度なら一切睡眠をとらなくても活動可能な私だけど、流石に今日はイロイロとあり過ぎた。


 蝋燭の灯りに照らし出されたナエちゃんの横顔を眺めながら、私もついウトウトと船を漕ぎ始めてしまっていて。



 「……ん、むぅ……」



 その微かな声に意識を引き戻された。



 「ナエちゃん?」



 壁に背を持たれていた私は、上体を起こして彼女の顔を覗き込む。


 と、ナエちゃんはまだ眠そうに茫っとした目を擦り、ゆっくりとした動作で布団から起き上がりつつ私を見る。



 「あれ……カスミ、ちゃん……?」



 どうして此処に? といった表情のまま、首を傾げた彼女はしかし。


 自分がどうして眠っていたのか、それを自ら手繰り寄せた記憶から理解してしまったのだろう。

 僅かな思考の間を置き、表情が引き攣って行くのを見て、私は悟った。



 「……大丈夫、落ち着いて」


 「―――で、も……っ」


 「大丈夫。大丈夫だから」



 何の根拠もない“大丈夫”という言葉を繰り返し、彼女がそれを支えにして自立できるよう促す。


 その過程で肩を抱き、背中を摩り、時には頭を抱き抱えるようにして、ゆっくりと混乱と動転を宥めて行った。


 此処で再び意識を失ってしまうような事があれば、堂々巡りだ。


 今は少し酷だとは思うけれど、彼女には立ち直って貰わなければならない。


 なんせ、日付の変わった今日の夜には、彼女の実の兄であるマツナガ・シゲナリと対面しなければならないのだから。


 状況が最悪の展開を辿れば、その場で雌雄を決する可能性も多分にある。


 私は少しずつ呼吸を落ち着けて行くナエちゃんの様子を観察しつつ、タイミングを見計らって“ある物”を懐から取り出し、ナエちゃんの前に差し出した。



 「ぁ……、こ、れ……」


 「ナエちゃんが買った奴、落として割れちゃったからね……。代わりには、ならないかもだけど」



 私の手の上に乗せられているのは、あの時地面に落ちて割れてしまった物とは形状の異なる焼物。


 店内の商品を物色していた時、ナエちゃんが最後までどちらにするかを悩んでいた猫の置物だ。


 ついさっき、山から戻って来た際にあの小物屋へ寄って購入してきた物で、既に営業時間を過ぎていたけど、事情を知ったお店の人が快く対応してくれたのだ。


 これが気休めにでもなってくれれば、それでいい。

 そんな思いで、手渡すなら今だろうと考えた。



 「でも、これ……凄く、高かったんじゃ……」


 「そこは気にしないの。日頃のお礼とでも思ってくれればいいよ。結構無茶なお願いとかもしてるし、たまにお店のお菓子とか貰っちゃってるし。ね?」



 そう言い、私は笑みを浮かべてそれをナエちゃんに押し付けた。


 遠慮などされてはかなわないからだ。


 有無も言わせずそうすれば、大抵の人間は贈り物を受け取ってしまう。

 それが、断る理由も無いなら尚更というものだろう。



 「ありがと……。もう落として割っちゃったりしない……。大切に、するね……」


 「ん、それでいい」



 すこし影のある笑みを浮かべ、それでも大切そうに受け取った置物を胸に抱くナエちゃんを見て、私は満足げに支えていた手を放した。


 先ずは、第一段階をクリア。


 問題は、此処からだけれど……。


 私は意を決し、本題を切り出す。



 「ナエちゃん」


 「ん……?」


 「えっと……、まだその、気持ちの整理とか、イロイロ難しいとは思うんだけど……」



 が、いざ言葉にしてみると、これがまた思った以上に私向きじゃなかった。


 そもそもちょっと前までコミュ障入ってた私に、こういう繊細な問題が取り扱えるワケがないのだ。


 いや、理論的な部分だとか、知識的にどう対処すべきというのは知っているのだけど、それをどんな言葉にして相手に向ければ良いのかが解っていないのである。


 でも、そんな風に「あー」とか「うー」とか口籠る私を見て、ナエちゃんも察したのだろう。


 彼女は少し苦笑気味に笑い、そして。



 「やっぱり、気になる……よね。迷惑、かけちゃったし……」


 「別に、迷惑とは思ってない。でも、その……」



 正直に話すべきか。

 私は逡巡し、今はまだという結論に至る。


 その結果、意図せず少しの間が生まれ、若干空気が重くなり。


 結局、先に口を開いたのは、年下である筈の、何より被害者である筈の、ナエちゃんの方だった。



 「ワタシの記憶の事、話した事……あったよね」


 「……うん」


 「さっきの……あの人、ワタシの……お兄ちゃん、でね……」



 ゆっくりとした口調で、自分自身の記憶を遡り、確認し、編纂するように言葉を繋いで行くナエちゃん。


 そうして語られたのは、ソウベイさんからも聞いた通りの、酷く凄惨な過去の出来事だった。


 つまり、やはりというか、フラッシュバックによるショックが原因で、封じていた記憶が蘇ってしまったようだった。


 辛そうに両親の死を語るナエちゃんに、「もういい」と言い出したい気持ちが込み上げてくるけど、それを私は我慢する。


 これは、そうやって乗り越えなければならない問題だと感じたから。



 「おやっさんは……知ってた、んだね……。知ってて、知らないフリを……して“くれてた”んだ……」


 「ええ、そうね……。それに、ソウベイさんだけじゃなく、事情を知ってた他の町人の人達も」


 「みんな……、優しいなぁ……。なのに……アタ、シ…………っ」



 何故か悔しげな涙を浮かべ、布団を握り締めるナエちゃん。


 きっと、複雑な想いがあるのだろう。


 ナエちゃんは、自分自身の手で記憶を取り戻そうと、その手掛かりを探してソウベイさんや町の人達に聞き込みをした事もあったらしい。


 けれど、もし公になれば、ナエちゃん自身の身も危ない。


 そう判断した町人達は、ソウベイさんとも協力してナエちゃんの過去を全て抹消しようとした。


 一人の町娘として、生きて行けるように。


 でも、そういった理由があったにせよ、“嘘”があって、それを信じて、信頼して来たナエちゃん自身にとっては、“騙されていた”という思いや、やり切れない気持ちもあるのかも知れない。


 そういった感情の問題は、本人の感じ方一つで一概の結果という物を招く事は無いのだろう。


 特に、親のように思っていた相手からの“裏切り”という物は。



 (事情は分かっていても、納得出来ない物はある……。それが、例え“愛情”から生じた“嘘”であっても……)



 その気持ちが、私には少しだけ理解出来た。


 私の場合は、信じていた親が私を理解出来ていないといった“一方的に感じた裏切り”だったのだけれど。



 「折り合い……付けられるのは、自分だけだよ。そういうの」


 「そう、だね……。うん、解るよ。それに、みんながアタシの事を大切にしてくれてたっていうのは、事実だもんね……」



 しかし、そう簡単に折り合いなど付けられる筈もなく。


 翳りのある笑顔で涙を拭き、それから手元の焼物を見下ろして、ナエちゃんは呟いた。



 「どうして……“兄様”は、お母様と、お父様を……」



 解り切っていた。


 記憶を取り戻せば、確実に辿り着く疑問だという事は。


 そして、先ほど彼女がソウベイさん達に感じた“裏切り”という気持ち。


 私は、それを恐れたのかも知れない。


 だから、隠す事を嫌って、口は勝手に動いてしまった。



 「……たぶん、“勅命”だったのよ……」


 「え……?」



 その言葉に、当然ナエちゃんは引っ掛かりを感じただろう。


 何故なら、今事実を聞かされたばかりの私が、そこに関連したナエちゃんも知らない“兄による親殺しの動機”を明確に言葉にしたのだから。


 ナエちゃんとしては、“またなのか”という気持ちが生まれたかも知れない。


 でも、今のタイミングでなら、まだリカバリーが効く。



 「私も、少し前にソウベイさんから話しを聞かされたの。だから、大凡の事情は見えてる」


 「おやっさんから……?」


 「うん。まぁ、飽くまでも可能性の話しで、でも高確率で的を外してはいないと思う」



 そう続けた私の言葉に、ナエちゃんは不信感を抱いた様子はなく。


 私は少しだけホッとしながら、ナエちゃんが意識を失った直後のシゲナリとのやり取りを全て話す事にした。



 「明日……ううん、もう今日か。夜に、剱山神社で……」


 「多分、シゲナリ……アンタの兄さんは、アンタの事を本気で心配してたんだと思う。でも、気を失った理由だとか、記憶が無い事情だとか、その辺りの事が良く解ってないのよ。だから、その説明をして欲しいって事なんじゃないかな」


 「…………」


 「ただ、私とアイツとじゃ、お互いの立場って物もある。必ずしも安全な話し合いになると決まったワケじゃない。だから―――」



 私の言葉がそこからどう続くのか。

 それをナエちゃんも直ぐに理解したようだった。


 だからだろう。


 顔を上げたナエちゃんの表情は、今までに見た事がないほど真剣な物に変わっていて。



 「……カスミちゃん、お願いが―――」


 「解ってる」


 「えっ?」



 かなり食い気味でそう返した私に、ナエちゃんは酷く驚いた顔をしていた。


 両親を殺した実の兄。

 けれど、慕っていたであろう敵対関係にあるその兄との再会の機会だ。


 ナエちゃんが何と言い出すかなど、全て想定の範囲内だった。



 「連れて行くのは構わないし、話したい事があるなら話してみるのもいい。でも、二つだけ絶対に約束を破らないこと」


 「約束……?」


 「私の側から決して離れない事。そして、どんな事情があったにせよ、彼が敵対する意思を貫こうとするなら、私は手加減してあげられない。だから……」



 “覚悟はしておけ”と言外にそう告げる私に、ナエちゃんは一瞬驚きはした物の、しかし直ぐに静かに、しっかりと力強く頷いた。


 多分、結果は私が想像している通りになるだろう。


 必ずしもハッピーな最後が迎えられるとは、とてもじゃないけど言い切れない。


 でも、最低限の努力くらいはしてやりたい。

 これでも、ナエちゃんは私の数少ない“ともだち”なのだから。


 私は密かにそうと心に決め、ナエちゃんが望む結末とそこに向けた策を平行して試算しながら、その時が来るのを静かに待つ事にした。


 ―――そして。


 時刻は既に夕刻。


 ナエちゃんとの相談を終え、僅かに仮眠を取った私は、彼女を伴って大槻町まで徒歩で移動し、そこから南西の森林地帯へ繋がる関所をキンさんから預かった手形を使って抜け、街道を真っ直ぐに西へと向かっていた。



 「ココからだと少し距離があるらしいから、私の馬を出すわ。それに乗って森を抜けましょ」


 「え、馬持ってるの!?」


 「まぁ、ちょ〜っと特殊なヤツだけどね」



 道幅のそれ程広くない開けた街道。


 舗装なんて勿論されてなくて、馬車やら馬やら荷車やらが通って出来ただけの獣道に近い土と砂利の道だ。


 ただ、西に見える森までは周囲が平原になっていて、少し盛り上がった道の両脇には元気に草花が陽を浴びている。


 市街地では呼び出す事の出来なかったグラーネだけど、この辺りまで来れば人気を気にする必要も無いだろう。


 そう考えた私がインベントリの中身をヴォイドフリックで物色していると、ナエちゃんがそれを横目に呟いた。



 「カスミちゃんって、ホンットなんでも持ってるよねー。その……“いんべんとり”っていうの? 馬まで入っちゃうとか、ちょっとビックリ」


 「一種の魔道具みたいなモノだと思えばいいのよ。厳密にはちょっと違うけど」


 「ふぅ〜ん」



 なんてやり取りをしている内、私はインベントリの奥底から騎乗用アイテム“グラーネ”の項目をタッチ。


 そうするだけで、意識した任意の位置に青白い炎を揺らめかせて魔法陣が展開された。



 「って、うわっ」



 ナエちゃんの目の前の地面を指定したものだから、驚いてしまったらしい。


 後ろ向きに転がりそうなその背に腕を回し、支えて耳元で言う。



 「これも、召喚術……みたいなモン?」


 「はぇ〜〜〜……」



 ナエちゃんが目を見開いて見詰める先。


 地面に描かれた魔法陣から青白く渦巻く炎が立ち上り、その中心からズイと顔を出すのは懐かしささえ感じる程久々の召喚に応じた私の愛馬だった。



 「デカ! っていうか、これ馬!?」


 「ブルルヒヒヒンッ」



 現れたその巨躯に見下ろされ、ナエちゃんは鼻息一つにビビる。


 が、グラーネは戦闘用騎乗アイテムでもあり、私の命令無く誰かを攻撃するような事はない。


 どころか、性格は温厚で、実はかなりの“女好き”らしく。



 「ひぃぃ! ……って、あれ……?」



 ズズイと顔を近付けられ、怯えて目を閉じてしまうナエちゃんだったけど、グラーネの方はただ頬を撫でられたい一心でそうしただけ。


 実際、なかなか撫でてくれないものだから、自分からナエちゃんに頬を擦り付けてる始末だ。



 「大丈夫よ、確かにデカイし、ちょっと燃えたりしてるけど、ヒトを獲って食ったりはしないから。―――敵なら踏み潰すけど(ボソッ」


 「今踏み潰すって言った!? 小声で!」


 「だーいじょうぶだって。ホラ、乗るわよ」


 「ひぃ〜ん!」



 さっさとグラーネの背に跨り、ナエちゃんを強引に引き上げて鞍に座らせ、手綱を握る。



 「久しぶりの仕事だけど、大丈夫そうね」



 言いながら首をペチペチと軽く叩いてやれば、まるで言葉を理解しているかのように一つ嘶き、返事を返すグラーネ。


 私の股座に放り込まれたナエちゃんはというと、完全に怯えて硬直してしまっていた。



 「口開くと舌噛むから、そのまま大人しくしててね」


 「は、はひっ」


 「そんじゃ、一っ走り行きますか―――ハッ!」



 手綱でピシリと叩けばそれを合図とし、グラーネは勢いよく大地を蹴り出す。


 初めはゆっくりと。

 しかし、次第に鞭を入れる程速度は上がり始め、最終的には後ろに引っ張られる程の強いGを感じる速度に到達する。



 「んぼぁあああああぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」


 「口閉じなさいって。ホント舌噛むわやぃだっ!」



 むしろ私が舌を噛んだ。


 咄嗟に口を押さえ、なんだかイラッとしてナエちゃんの後頭部に頭突きをくれる。



 「ぎゃんっ」



 涙目で恨めしそうに振り返るけど、それは無視する事にした。



 (確か、聞いた話しだと3里くらいって事だったから……この速度なら、5分かからないわね)



 1里はメートルに換算すれば3927.27メートル。


 この距離を時速160キロ超で走れば、その程度の時間しかかからない。


 地面を叩く蹄の音が鈍く大地を響かせて、私達を乗せたグラーネは森林の中を颯爽と駆け抜けて行く。


 大気に混じる緑の香りがより濃くなり、足の速さから来る高揚感を僅かながら落ち着かせてくれるけど、その速度は下がるどころか更に加速していって……?



 「あれ、もう鞭入れてないんだけ……どっ!?」


 「ひぃぃ〜〜〜んっ」



 原因判明。


 ナエちゃんがグラーネの首にしがみ付いていた。


 その無駄に破壊力のある“巨乳”を押し付けるようにして。



 「ぶるひひひぃ〜〜〜〜んっ!」



 精悍さの欠片も感じられない顔付きでヨダレまき散らしながら頬染め疾走するグラーネ。


 もう軍馬とは思えないヒドイ顔付きである。



 「ナエちゃんっ、ちょっと離れ……ぃぎゃんっ」



 で、また舌を噛む。



 「しぬぅぅ〜〜〜〜! こ〜ろ〜さ〜れ〜る〜〜〜〜〜っ!」


 「そらコッチのセリフだっての!」



 痛む舌を気力で我慢し、片手で手綱を握りながら多少強引にナエちゃんを引き剥がす。


 すると、スピードは落ち始めた物の、グラーネからは恨めし気な顔を向けられてしまい……。


 何? コイツら私にどうしろと?



 「もう知らん! 勝手にしろ!」



 イロイロとやり切れない気持ちになり、吐き捨てるようにそう叫んで手綱を強く打った。


 再び加速を始めるグラーネ。


 絶叫するナエちゃん。


 深い森林の中を曲がりくねって通る一本の細い道。


 馬に揺られているのに微塵も揺れない自分の胸に若干の憤りを感じながら、程無く森を抜けた先。


 そこには、薄闇の夜空に浮かぶ金色の月を背にした峻険な山がそそり立っていた。



 「此処が……“剱山”」



 グラーネの足を止め、私が見上げたそれは、まるで天を衝く鬼の角のような鋭く切り立った山だった。


 こういった形状の山は“氷食尖峰”と呼ばれ、有名どころだとヨーロッパにあるアルプス山脈のマッターホルンが良く似た形状をしている。


 日本でもこういった山は多く見られ、槍ヶ岳や剱岳なんてのが同じ原理で形作られたと考えられている。


 だけど、これは人々の記憶と意思から“創造られた”地形だ。


 その為か、不合理な点が幾つか見受けられた。



 「これ、地質学的には有り得ない形状よね……」



 専門家ではないからそこまで詳しい事は私にも判らなかったが、先ず“氷食尖峰”という山の形状は氷河の浸食によって多方向から岩肌が削り取られる事で形成される。


 その為、一帯は気温が低く、標高が高くなるのが常なのだけど、この辺りの気候は穏やかで山頂部分にも積雪が見られない。


 また、氷河に削られて山が形成される以上、その削り取られた岩石や砂利は全て押し流されて麓にカールを形成して山積する物だけど、此処にはそれも無い。


 まるで、平野に突如として沸いて出たような、取って付けたような違和感さえ感じる、そんな山だった。



 「地質学者や研究者が見たら卒倒しそうだわ、まったく……」



 富士の樹海を想像してみて欲しい。


 そのど真ん中に忽然とマッターホルンが姿を現した、と……そういった景色だ。



 「うぇぇ〜……付いたのぉ〜? カスミちゃ〜ん……」



 そんな風に思考を巡らせていると、私の股座でグッタリとしていたナエちゃんがグラーネの首に凭れたまま顔を上げた。



 「うん、着いたんだけど……」



 どうしたものか、と私は頭を抱えていた。


 何せ、岩石が剥き出しになった勾配の厳しい山だというのに、進むべき道が見当たらないからだ。


 それらしい山道があるにはある。

 が、それはもう道と呼ぶのも烏滸がましいような、崩れた岩肌が剥き出しの悪路で。



 「ココを上るしか、無さそうね……」



 他に道が無い以上、それしか選択肢は無い。


 私一人なら、勿論大した問題にはならないのだけど、今日はナエちゃんも同行する。


 そうなると、彼女が此処を上って行けるのかどうか……。



 「このタイミングでアレを出すワケにもいかない。かといって、徒歩で登らせるには、余りにも酷ってもんよねぇ……」



 ナエちゃんも鬼人の端くれ。


 身体能力はノーマルとは比べ物にならないだろう。


 そう考えれば、こんな険しい山道でも踏破そのものは難しくはない筈だ。


 しかし、それは飽くまでも“普通の登山なら”という話し。


 シゲナリとの約束は“夜”だ。


 既に日も落ちて辺りは暗くなり始めている。


 そう何時間もかけて登山を楽しんではいられないのである。



 「このままグラーネに登らせるって手も有るには有るけど……」



 目の前には、グラーネの背でグッタリと疲労し切った顔のナエちゃん。


 ただ背の上で揺られただけでコレだ。


 凹凸の激しい斜面を飛んだり跳ねたりなんてした日にゃ、ナエちゃんが無事に社まで辿り着けるとも思えない。


 と、なると……?



 「―――ふむ、良い手を思い付いた」



 思わずニヤリと笑みを浮かべた私に、ナエちゃんは。



 「……あ、えーっと……、なんかね、ナエ……イヤな予感が……」


 「だぁいじょ〜ぶ。恐くない恐くな〜い。ちょ〜っと目を瞑ってる間に、ぜ〜んぶ終わってるハ・ズ・だ・か・らっ♪」



 笑顔でこれ以上ない程優しい声を意識し、そう告げた私に、しかしナエちゃんは汗をダラダラと滝のように滴らせ、同じく笑顔で片手をシュビッ!と上げ。



 「じゃ!」


 「逃げんな☆」



 背を向けてグラーネから飛び降りようとする彼女の襟首を私は引っ掴んだ。



 「いやああああ〜〜〜〜〜! は〜〜〜な〜〜〜し〜〜〜てぇ〜〜〜〜〜っ!」


 「まだ何も言ってないじゃん! 大人しく汁!」


 「いや! ぜぇ〜ったいヒドイ事考えてる顔だったもん!」


 「大丈夫だ〜って。それともなに? 私の事が信用出来ないとでも?」


 「出来ない顔だった!」



 言い切ったわね、この子……。


 まぁ、彼女の予想は大凡間違ってもいないけれど。



 「逃げても無駄よ。私の“黒鎖”は狙った獲物を逃さない」


 「格好つけられてもイヤなものはイヤぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜!」



 まだ足掻こうとするナエちゃんを強引に左腕の“黒鎖”で拘束し、同時にグラーネもインベントリへ送還。


 そこまで来てようやく何かを諦めたナエちゃんは地面に座り込み、青い顔で私を見上げて。



 「ちょっとそこで待ってなさいな。直ぐに引き上げてあげるから」


 「あ〜……。やっぱりそういう……」



 どうやら察しも付いていたらしい。


 だったら、話しは早い。



 「そんじゃ、ちょっと行ってくる!」



 そう言い残し、ナエちゃんの身体に黒鎖を巻き付けたまま、私は一気に岩壁に向かって駆け出した。



 「―――よっ、ほっ、とっ」



 私一人なら山道すら不要だ。


 なんせ、岩肌に凹凸が無くたって“蹴り砕いて”登れば良いのだから。


 勿論、左腕のガントレットからは黒鎖が伸ばされたまま。


 鎖の長さには限りがあるけど、山一つ登り切る程度の距離なら余裕で足りる。


 後は、私が目的地付近から黒鎖を引っ張り、ナエちゃんを一気に引き上げればそれで終いだ。



 「へぇ〜……、不自然とはいえ、景色は大したもんね」



 あっという間に6合目辺りまで登った私は、そこで一度岩壁にガントレットの鋭い爪を突き立て、足を止めた。


 高さにして2000メートルを超えた辺りだろうか。


 頂上までは凡そ4000メートル程度の山だから、半分くらいは登った事になる。


 まだ社までは距離があるけど、それでもそこから眺める景色はなかなかのもの。


 この山を取り囲むように広がる深い緑も薄く煙る霧のような雲に薄っすらと覆われて見えて、それはつまり、それなりの標高に達している証拠でもある。


 普通はこんな距離を一気に駆け上がれば、高山病や低気圧による頭痛・吐き気といった体調不良を起こしてしまうものなのだけれど、リベレイターの身体能力ならこの程度の事で肉体に深刻なダメージを受ける事はまず有り得ない。


 それは多分、鬼人でも同様だと思うけれど……。



 「ナエちゃん……大丈夫、よね?」



 試した事がないから若干不安だ。


 まぁ、最悪の場合には彼女だけ先に低地へ戻せば良いだろう。


 急激な気圧変化などで受けるダメージは、それで回復させられる筈だから。



 「脳浮腫とか肺水腫の心配はないだろうし……ま、大丈夫でしょ!」



 普通の人間なら死に至る可能性もあるけど、そこは彼女も鬼人族。


 クリア出来ない事はない……と、思いたい。



 「一応、ブル〇ェンかダイア〇ックス辺り、飲ませといた方が良かったかなぁ……」



 とか、今更な事を考えたりもしたけど。


 兎も角、と私は眼下の雄大な景色に背を向けて、登山を再開するのだった。

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