第八十五話
第八十五話「助長抜苗」
―――それは、隠遁したシドウ・ヨイチ捜索の合間に偶然生まれた僅かな暇の話し。
水面下で蠢く物の存在に張り詰めた一部の緊張感を他所に、何も知らない一般ピーポー(死語)が行き交う倭国の市は今日も平和だ。
昔ほど活気は無いというけど、それでも大通りには大勢の人が溢れていて、食材や雑貨、小物や甘味などなど、露天や出店が軒を連ねるこの場所も真っ直ぐには歩けない程だった。
商品の安さを声高に謳う客引きと値下げを希望する消費者達の喧騒に紛れ、私は当て所も無くウロウロと屋台巡りをしていた。
右手にはみたらし団子。左手にはお肉の串焼き(ちなみに何の肉かは知らない)。
それぞれ一緒には食べられないけど、どっちも食べたかったのだから仕方がない。
あと、すごく安かったし。
しかし、“食”は良い。
イロイロと溜まった心の中の黒い澱を一時でも忘れさせてくれるから。
人間って生き物は不思議な物で、どんな欲求でもそれが満たされれば、部分的にではなく全面的な精神負荷を軽減してくれる。
所謂、“気晴らし”って奴だ。
昔はこういう賑やかな環境って心が休まる事がなくて、他人の視線が気になったり、相手にどんな風に思われたりしてるのかとか、とても穏やかじゃ居られなかったものだけど。
「人間、慣れって大事よねーとか。……モキュモキュ」
合間に一人呟きながら、甘辛い味付けのお肉を口いっぱいに頬張り、咀嚼する。
そういえば、最近はこういう串焼きの食品を、わざわざ箸で外して一口ずつ食べるなんて人が増えたらしいけど。
私に言わせればそんなのは邪道だし、外道だ。
そもそも、串に刺して食べ易いように調理してくれている物を、やれ品が無いだの作法だのと。
馬鹿馬鹿しいとは思わないだろうか?
串焼きって奴は、そんな事を考えて食べるような物ではないし、ツレが居てタレやら脂やらが口元を汚すのが気になるなら、最初からそんなのを気にするような相手と食べる物でもないだろう。
こういうのは、豪快にかぶり付くから美味いのだ。というのが、私の持論。
ま、そんなの誰が決めたって言われたらそれまでだし、ルールなんて物も無いワケだけれど。
「―――なんて、どーでも良い持論をツラツラと並べられるくらい、今の私は暇なのです。……っと」
食べ歩きで大分お腹も膨れ、タイミング良く現れたちょっとした空き地に、これまた都合良く積み上げられた太い角材の束を見付け、私はそこに腰を降ろし、蹴り出した足を地面に脱力させた。
両手を後ろに支えとして、見上げれば澄み渡る青い空という奴で。
「ぼへぇ〜……」
っと、雲の流れを静かに観察する。
このまま時間を潰すのも悪くはない。
そう思える程度には、私の心も疲弊しているようだった。
この国の現状は正直言って凄く面倒だ。
他人事で済ませられるなら、それに越したことはなかった。
嘗ての仲間達を切り捨てて、自分の目的の為にソロ活動。
勿論、寂しいと感じる事が無いワケでもないし、思う所があるのも事実。
でも、結果的に後悔はしていない。
これからする事になるかも知れなくても、それはまたその時って奴だ。
だから、今ある現状は私自身が選んだ結果。
それを嘆くのは、私の決断を過ちだったと認める事にもなり。
「でもやっぱ、マンドクセェ〜……」
結局の所、そういう事。
後悔はしてないけど、面倒な事は面倒なのである。
シドウ・ヨイチが何を思って将軍を暗殺し、この国をどうしたいのか。
それはもう私にとってはどうでも良い事以外の何物でもなく。
単純な話し、私が関わってしまった人達が苦しい思いをしているのが見過ごせなかったから、ちょっと手助けしてあげようと思っただけ。
気まぐれに近いのだ。
実際、情報収集がしたいのだから、それこそ中枢に近いキンさん辺りでも適当に脅して吐き出させれば済む話しなんだし。
考え方が悪人っぽいとは思うけど、別に私は善人でありたいとも思ってないから、それだってどうでも良い。
ただ、やっぱりある程度友好的な関係を築いてしまうと、そう踏み切れない位には相手の事も考えてしまうワケで。
「結局、中途半端なのよね、私って……」
悪人にもなり切れず、善人でありたいとも思えない。
良くも悪くも、私は“普通”なのだと、最近になって思い知った。
自分の為になる事だから、誰かを助けたりもするし、自分が気に入らないから、それを障害として排斥しようとする。
全ては、他の誰かの為ではない。
損得勘定で利益になる事しかしたくはないのだ。
だというのに……。
「ままならんわぁ〜、マジで……」
透き通るような空の青に、自分の汚れた部分がシミになって残りそうで、ちょっとイヤな気分になってきた。
結論、何が言いたいかって言うと、“ソレ”だ。
ままならないのである。
思った事。やりたい事。優先したい事があるっていうのに、しがらみがそれを邪魔してなかなか前に進めない。
それは多分、こんな世界になってしまう以前の社会でも、誰にでもあった筈の事。
自分だけが特別じゃない事なんてとっくに悟っているし、それを悲観する事ももう止めたけれど。
でも、だとしたら、私は今何を“一番にしたい”のだろう?
一番大事なのは、やっぱりママ。
涼子さんをもう二度と失いたくはないって事。
でも、それは停滞している物で、現状を安定した物に変えられるワケじゃない。
安定さえしていれば、ママと松岡さんと、研究員の人達と、静かに平和に暮らしたいって思う事も出来るんだけど。
じゃあ、安定させる為に必要な行動を取るべきで。
そうする為に、件の“欠片集め”だ。
切羽詰まった世界に安定もヘッタクレもない。
だから、先ずは“世界を救う”。
“世界を救う”なんていう大それた目標は、目的の為の手段でしかないのである。
そして、世界を救う為の欠片探しには情報収集が必須で、つまり←今ココ。
ただ、ちょっと考えてしまう事がある。
「ユグドラシルから引き出した座標関係の資料……。いい加減一年前の物だし、そろそろ状況が変わって来そうなのよねぇ……」
欠片を収集する為にユグドラシルから座標情報を引き出し、一人で黙々と各地を飛び回りながら回収に励んできたけれど。
合間合間で剣の修行をしてみたり、今後の為の準備にとアイテム合成に時間を費やしてみたりと平行作業で進めて来た。
その結果、集められた欠片の数は全体の僅か四分の一程度。
欠片だって各地に散逸してしまっていて、それが土地に固定されているワケじゃない。
誰かが存在や重要性に気付き、収集を始めているかも知れない。
そうなると、必ずしも一年前と同じ座標に欠片が残されているとは限らなくなってくるのだ。
誰かが私のように欠片を集めていた場合、その人物を特定する必要が出て来る。
それ自体も面倒だけど、問題なのはその“他に収集してる奴”が目的を違えていた場合だ。
恐らく、相手の特定自体は難しくない。
何故なら、私と同様にその相手も情報収集の為に動き回っているだろうから。
そういう相手の情報もまた、各地に残されている筈なのだ。
だから、それは容易。
もしもその相手が同じ目的で収集しているなら、最悪任せてしまったっていい。
でも、もしそうじゃなかったら……?
困り物なのは、この欠片集めが人類存亡の危機を救うに必須ではない点だ。
今の世界は、惑星単位で次元間に隣接した状態にあり、それぞれを繋ぎ止めて居るのがユグドラシル。
でも、それは不安定で、徐々に次元間の繋がりが断たれそうになってる。
原因は、ユグドラシルの大部分が欠損してしまっているから、本来の力を発揮できていない為。
その本来の力を取り戻させるには、欠片が必要であり、力を取り戻しさえすれば分断されかかっている各世界は均衡を取り戻して安定状態に引き戻す事ができる。
そうすれば、広大な宇宙でそれぞれの世界に生きる生き物たちは自由に交流する事が出来るようになるし、資源やエネルギーの枯渇に悩む心配もなくなるというワケだ。
だけど、もしも欠片の収拾が間に合わなかったらどうなるか。
分断されたそれぞれの世界が次元間で衝突し合い、その結果として相互が一切干渉不可になる。
その上、私達が本来住んでいた地球という惑星が存在した宇宙は、その規模が小さ過ぎる為に圧し潰されて圧縮崩壊してしまう事になる。
だから、私は欠片を集めている訳だけど、一つ視点を変えれば、この世界の均衡を保つ必要性自体が無くなり兼ねないのだ。
その視点とは、“人類が飽くまで人類の為に行動した場合”だ。
地球という生活環境が失われる。
それを阻止するのが困難な条件が揃い過ぎている。
では、人類の存続を優先的に考えた場合、どうなるか。
完全に世界同士が分断されてしまう前に、資源が豊富な別の世界に移住を済ませてしまえば良い。
そして、移住した先の世界で原住民を他所に圧し遣り、自分達に都合の良い世界へと変えて行けば良いのだ。
そうすると、じゃあ“欠片が有する価値”とは何か? って話しになる。
結論は、その物が持つ独自の“特性”に重きが置かれる事となるワケだ。
“欠片”とは、UEP(Unknown elementary particles)が結晶化した、云わば集積体。
欠損したユグドラシルの破片であると同時に、小さなユグドラシルであるとも言える。
それは既存のスーパーコンピューターとは比較にならない程の演算能力を有し、そのスペックは今現在人類が躍起になって研究中の量子コンピューターをも凌駕する。
しかも、それ自体がUEPの結晶体である為、ユグドラシルと無線接続して“情報という名のエネルギー”を常に膨大に産出する事が可能なのだ。
私達が言う“魔力”だとか“MP”だとか、また魔術自体を行使する為に用いる事も可能だから、発電や物質の創造さえ可能な万能エネルギー源にもなり得る。
嘗てのアバターラ……現在のリベレイターの中にそれを理解した者が現れた時、果たしてその人物は“人類の存亡にそれ程重要ではない”この“欠片の真価”をどう扱うだろうか?
考えるまでもなく、己の利益の為に利用する事を優先するだろう。
と、すると……。
「そんなのが出て来たら、確実に戦闘が避けられないわよねぇ……」
相手も、そして私も、決して譲るつもりがない。
互いに互いの思想に抗えるだけの“戦闘能力”を有している。
だったら、考えるまでもないだろう。
人間って生き物は、私も含め、そんな“思想”なんて下らない物の為に、有史以来同族同士で争い続けて来たのだから。
「―――つまり、この件はさっさと片付けるべき、って事……」
相手の気持ちが解れば、世界に争いなんて起こらない。……なんて、バカげた事を言った人が居たけど、相手の気持ちが理解出来たからといって、それで争いが無くなるなんて有り得ない。
むしろ、相手の考えを否定すら出来なくなり、鬱屈して人は苦しむばかりだろう。
そして、挙句の果てにはどちらかが折れるまで、引き下がるまで、殴り合いを続ける以外になくなるのだ。
だってそうでしょう? 相手の気持ちが解るなら、相手が引けない理由も理解しているという事になるんだから。
だから、私はどんな理由があろうと、立ちはだかる相手が私にとって必要な物を持っているのなら、どんな手段を使ってでもそれを手に入れようとするだろう。
相手の気持ちが解ろうと、そうでなかろうと、思いがぶつかるなら争う以外に道は無いのだ。
それはきっと、シドウ・ヨイチやキンさん、ダイキにとっても同じ。
「ぶつかるなら、退ける以外に解決の方法はない」
ウダウダと長く考えを巡らせて来たけど、結局はそこに行き着く。
曲げられない物があるなら、それを突き通す以外には無いのだ。
「っし、休憩終わり!」
と、私は椅子代わりにしていた角材の束から勢い良く飛び下り、ビシッと気合を入れて地に降り立つ。
―――が、その瞬間。
正面を向いた私と偶然目の前を通りがかった少女の目が合った。
「あれ、カスミちゃん? なにして……って! ちょっ、パンツパンツ!」
「へ……?」
突然目の前に現れたのは、偶然その場を通り過ぎようとしていたナエちゃん。
で、ワタワタと指摘されて見下ろした自分の服装を視認し、一気に頭の方へと血流が流れ込むのが判った。
「ノーっ!」
何がノーなのか良く解らないが、兎に角自分の恰好がノーだった。
暇持て余してたから何時もの戦闘用スキンじゃなく、今は最近流行りだっていうベリーショートな和風の着物。
その丈はミニスカートもかくやって長さで、下はハイソックス。
本来そこに広がっている筈の絶対領域は予想以上に肌色多めで……というか、完全に捲れ上がって帯に挟まってしまっていた。
有り体に言うと、パンツ丸出しである。
「お、ぉおおっ!」
「ありがたやぁ、ありがたやぁ!」
「長生きはするもんじゃ……。のう、マキさんや」
「そうじゃのぅ、タケさんや」
硬直している間に、気付いた男の人達が足を止めて私のパンツをガン見していた。
「そこ! 拝むのやめい!」
「わー! わー! ツッコミ入れてる場合じゃないよ! その恰好で動き回っちゃダメだよ! っていうか、見世物じゃありませんよ!? で、カスミちゃんは早くパンツ隠して!?」
「お、おぅ……」
一人テンパるナエちゃんが必死に私の恰好を隠そうとジタバタしている所為で、妙に冷静にツッコミ役に回ってしまった。
それから、ようやく正気に戻った所で顔が再び熱くなり、私はすごすごとスカート部分を帯から引き抜いて正す。
当然、その場に留まる事も出来ず、私はナエちゃんを伴って再び市の雑踏に紛れ。
「いやぁ、面目ない……」
「もー、運動神経良いのは解るけど、動く時はもうちょっと気を付けようよ、女の子なんだから……」
「はい。重ね重ね、面目ない……」
最近、どうも自分が女だっていう認識が甘くなりつつあって困る。
まぁ、元々スカートとか殆ど履いた事も無いような人間ですので、慣れてないとも言えるワケですが……。
それは、兎も角。
「そういや、ナエちゃんこの辺に用事?」
何時もの割烹着姿じゃない外行の、私と同じく、近代的マンガチックな和服(?)に身を包む彼女を見て、そんな事を尋ねると。
「ちょっとお買い物。ほら、この先の小物やさん」
ナエちゃんが言った通り、この道をもう少し真っ直ぐに行くと、左手に女の子が好きそうな可愛い小物類を扱ってる店がある。
ただ、結構値の張る商品が多いっていうんで知られてて。
ナエちゃんトコは確かお小遣い制だった筈だから、きっと甘い物とか我慢して一生懸命お小遣いを貯めて、ようやく念願かなってのお買い物って感じだろう。
その気合の入り具合が服装からも感じ取れる。
「実はずっと欲しかった物があってね、もう何ヵ月もお小遣い貯めてたんだー。えへへ」
「なーる。もう買う物も決まってるんだ」
「うん、お店の商品の中じゃ特別高いものって訳でもないんだけどね。でも、もーすっごく可愛くて、一目惚れって感じでね」
「ふふっ、そうなんだ」
はにかむ笑顔が可愛らしい。
思わず、アールヴヘイムに置いて来たミミの事を思い出してしまった。
私はこれで所持金も豊富だし、一瞬、何か別にプレゼントでもしてあげようかって思ったりもしたけど、そこは敢えて止めておく事にした。
以前、お金の使い方をミミとイライザの二人に注意された事を思い出したってのもあるんだけど、なんていうか……今のナエちゃんの気持ちを蔑ろにしてしまっているような、そんな気がしたから。
(プレゼントするにしても、もうちょっとタイミングとかあるよね、うん)
そんな風に思っている内、私達は件の小物屋に到着。
二人揃って入店し、内装を見渡した……の、だけど。
(オイオイ……。ここ日本……じゃ、確かにないけど、なにこの時代背景ガン無視したような内装はっ!?)
一言で言い表すなら、“Marchen”。
どっからどう見ても和風とは言い難い店内の様相は、欧風のメルヘンチックなデザインで、赤やピンク、白や淡い色を基調とした如何にも女の子が好みそうな色使いのお店だった。
調度品や飾り物もデフォルメされているというか、何だか馨香まで甘ったるく感じられて、どうも私のような人間には不釣り合いな気がしてくる。
加えて、商品棚に陳列された小物類だ。
「ナニユエこのご時世にアロマキャンドルがっ!?」
たまたま目の前に陳列されていた商品が目に入り、思わず全力で声を張り上げ、ツッコミを入れてしまった。
が、当然隣を歩くナエちゃんにとっては聞き覚えの無い単語で。
「あろ、ま……噛んどる?」
「……あ、あーいや、気にしないで……。ちょっと異国で見たのと同じような品があったから、それで……」
と、誤魔化そうとしたのだが。
「え! どれどれ!?」
「食い付いてきたーっ!?」
しまった……。
この子が異国大好きっ娘だって事をすっかり忘れてた。
コレはアレだ。
間違いなく質問攻めに合う。
たかがアロマキャンドルの説明なんぞで大袈裟な、と思うかも知れないが、甘い。
ペロッと舌出してウィンクしてる女の子のイラストが印象的なケーキ屋さんのケーキより甘い。
アロマキャンドルの説明をすれば、今度はそれがどんな風に作られるのかとか、どんな国で生まれたのかとか、何時頃開発されて、どんな店で取り扱っているのかとか。
挙句の果てにはどういう人に人気があって、どんな年齢層の人物が買い求めるのかとか、最終的には開発されたその国に関係する別の商品や発明品にまで話題が及び、疲れて眠ってしまうまで話しが終わらなくなる事さえあるのである。
「へぇ〜、この蝋燭部分に色んな香料を混ぜて固めてあるんだ〜。……くんくん。確かに、凄く良い香り……。コレって、香木とか匂い袋と同じような用途なのかなぁ?」
「ん〜、確かに香木とは似通った部分があるわね。ただ、アロマキャンドルに利用されるエッセンシャルオイルや天然香料で重要視されるのは、香りの良し悪しよりも、その香りが持つ人体への精神的作用なの。例えば……」
と、そうなる事が解っていながら、説明好きな私はついイロイロと話しを聞かせてしまい。
気付けば店内にある商品のアレコレを事細かく解説してしまう。
その結果、買う物が決まっていた買い物は何時しか随分と時間がかかってしまい……。
「―――ん、陽が傾いてきたわね」
店の出入り口から差し込む陽の光が茜色に変わり、足元の影を長く伸ばしていた。
少しばかり気を緩め過ぎていたらしい。
時間の感覚を忘れてしまうほどの歓談など、いったいどれほどぶりだっただろうか。
既に数時間店内に留まってしまっていた事を考えれば今更な話しだけど、これ以上長居しても店の人に迷惑だろう。
そう考え、私は適当なタイミングでナエちゃんに目的の買い物を促し、店を出る事にした。
「そういえば、結局なに買ったの?」
「えっとね、これ♪」
ナエちゃんの手の上で開かれた小さな木箱の中には、緩衝材の綿に包まれた白磁の『ネコの置物』が納められていた。
掌に乗る程の大きさだけど造りはとても丁寧で、白磁独特の清廉な美しさとデフォルメされたキャラクターの愛らしさが同居していて、素人目に見てもなかなかの逸品と思える物だった。
「ね、す〜っごく可愛いでしょ?」
「うん、可愛いと思う」
私が同意すると、ナエちゃんは「でしょー?」と嬉しそうに木箱の蓋を閉じ、大事そうに両腕でそれを抱え、屈託なく微笑んだ。
その無邪気な笑顔が本当に可愛らしく、思わず食べてしまいたくなる程で。
(……ハッ!? イカンイカン。危うく“そっちの道”に踏み外しかけたわ……)
ナエちゃんに心裏を読み取られないよう顔を背け、無意識に頬を掻いて苦笑しつつ、自身をも誤魔化し。
そうして店員に見送られながら店を出た所で、私ははたと気付いた。
久しぶりに有意義な時間の過ごし方をして、本当に気が緩んでしまっていたのだろう。
人通りの多い店の軒先で、ミニMAPを視界に入れる事さえ忘れていたのだ。
だから、気付けなかった。
こんな幸せな時間に、唐突な終わりが“形を成して”近付いていた事に。
「とわっ、ご、ごめんっ」
店先の人込みの中で、よそ見をしながらナエちゃんの前を歩いていた私は、目の前を交差しようとしていた誰かと肩をぶつけてしまったのだ。
「いや、気にするな。俺の方こそ、すまなかった。それより、怪我は―――っ!?」
接触してしまった相手の男は直ぐに腕を伸ばし、倒れかけた私の手を掴んで引き起こしてくれたのだけど。
お互いの顔がしっかりと確認出来る距離まで近付いた瞬間、その男の相貌が驚愕に見開かれた。
「……貴様、は……っ」
「……?」
まるで、そこに存在する筈のない、オバケか怪物でも目にしたような、そんな表情。
掴まれた手からもその動揺が感じられ、私自身はそうなる理由が思い当たらず。
しかし、首を傾げた私から手を放し、一歩後退った所で、その男は何度も自分の視覚情報を確かめるように私を見下ろしていた。
長身の、細身ながら使い込まれた筋肉質な身体。
真一文字に刻まれた、特徴的な額の刀傷。
困惑していながらもブレない体幹や隙の無さは、彼が相応の実力を持つ武人である事が容易に窺えて。
そこでようやく、私はミニMAP上のアイコンに気付かされた。
敵性反応を示していない、獣の顔を模したダークグレーのアイコンが、今正に私自身の立ち位置を意味する中心点と重なり合っている事に。
瞬間、私の脳は直ぐに状況を悟った。
咄嗟に“装備セット”を変更する間も惜しく、“非表示”で装備していた昏天黒地の柄に手を伸ばす。
―――が、直後。
「カスミちゃん、大丈夫!?」
「ダメッ、離れてナエちゃんッ!」
転びかけた私を心配して駆け寄ろうとしたんだろう。
でも、張り上げられた私の声にビクリと反応し、ナエちゃんはそこで足を止めた。
行き交う人達もその声に驚き、長身の男と私が立つその周囲を避けるように距離を取り、一帯に奇妙な真円の空間が出来上がる。
(ナエちゃんや他の人達を巻き込むワケにはいかない……。どうにかして、場所を移さないと……っ)
そう思い、目の前の男に提案を持ち掛けようとした。
けれど、長身の男の目は、既に私を捉えてはいなくて。
その代わりに。
「ナエ……? お前……ナエ、なのか……?」
「え……」
男がその目で凝視していたのは、他でもない。
そして、ナエちゃんもまた、その長身の男を驚いた表情で見返していて。
「……あに、さま……? ―――うっ」
「ナエちゃん!?」
途端、ナエちゃんは手にしていた木箱を取り落とし、白磁の猫が地面に落ちて砕けてしまう。
あれ程大事そうに抱き抱えていたのに、それが目に入らない程の動揺だった。
でも、何より、“兄様”というその一言で、私は全てを悟っていた。
目の前に立つこの男が何者で、ナエちゃんとどういう関係なのかという事を。
「……チッ!」
思わず舌打ちし、私はナエちゃんに駆け寄る。
抱き抱えた彼女の肩は酷く震えていて、額には大粒の汗が浮かんでいた。
膝に力が入らないのか、その場で崩れ落ちそうになるナエちゃんを支え、その顔を覗き込めば、見開かれた両目の瞳孔が開き、噛み合わされた歯がガチガチと音を発てている。
「ぁ……ぁあ……っ、い、やぁ……っ」
「ナエちゃんっ! 気をしっかり持って、ナエちゃん!」
「いや……っ、いやぁああああああっ!!」
「ナエちゃんっ!」
両手で頭を抱え込み、何かに怯えて悲鳴にも似た拒絶を叫ぶ彼女に、私自身まで動揺してしまう。
咄嗟に、私の冷静な部分が脳内で推測を組み立てる。
(PTSD……、心的外傷後ストレス障害……っ)
恐らく、“フラッシュバック”だ。
私はソウベイさんから聞かされた話しを思い出し、そう仮定した。
今、彼女は追体験しているのだ。
彼女が記憶を失う切っ掛けとなった、“その日”の出来事を。
そう判断した私は、ナエちゃんを抱き抱えたまま、キッと鋭く長身の男を睨み付けた。
「ナエ……っ、どうした!? いった、何が……っ」
しかし、男の方も困惑した様子で、最早“敵”である筈の私でさえ目に映っていないようだった。
慌ててナエちゃんに駆け寄ろうとし、一歩踏み出したのだけど。
「―――っ!」
その彼の喉元に、私は抜刀した昏天黒地の切っ先を向ける。
「止まりなさい」
「なっ、邪魔をするなっ! ナエが……っ」
私が制止するも、男は納得がいかないのか尚も踏み込もうとする。
だから、私はハッキリと言葉にする事を躊躇わなかった。
「止まれッ!!」
「う……っ」
「……コレは、一種の精神疾患よ。彼女、昔の記憶を失っているの」
「な……、記憶……喪失、だと」
PTSDだとか、心的外傷後ストレス障害だとか説明しても、多分この男には伝わらない。
事実、精神疾患という単語と記憶障害、加えてフラッシュバックによるショック状態のナエちゃんを見ても“記憶喪失”だなんて言葉が口をついて出て来るのだから。
彼が納得出来るかどうかなど、今は問題にしていられない。
このままでは、ナエちゃんの精神的負荷は増すばかりで、最悪の場合、過負荷に耐え切れなくなったナエちゃんの脳には後遺症が残ってしまう危険性さえあるのだから。
「今は退いて。説明が欲しいなら、後で幾らでも聞かせてあげる。だから、この子をこれ以上苦しませないで」
「……オレが、原因……なのか……?」
困惑した表情でそう尋ねる彼に、私は静かに頷いた。
「そう、か……」
返事はただ一言。
本人も何かしら感じ取った物があるのか、男は一歩後退り、後ろ髪引かれる表情をナエちゃんに向けながら身を翻した。
「―――明日の夜、“剱山神社”で待つ」
聞いた事のない名だ。
とはいえ、神社だというなら、この辺りの人にとってもそれなりに知名度のある場所だろう。
なら、迷う必要はない。
私はそう告げた男に、静かに頷き返した。
「……ナエを、頼む」
最後にそう言い、彼はもう振り返る事はなかった。
人の波を割り開き、去って行く悲し気な後姿に、私はソウベイさんから聞かされた話しを思い返していた。
(あの顔は……、嘘じゃなかった。ナエちゃんの記憶障害に関しても、本当に知らなかったと見るべきか……)
そうなると、“あの日”ソウベイさんにナエちゃんの事を託したという話しにも、信憑性は増してくる。
本当の所はまだ見えては来ないけど、それなりに気にかけて置いた方が良いのかも知れない。
ただ、彼は“武人”だ。
事実、ナエちゃんの目の前で主命に従い、両親を殺害している。
ナエちゃんの事を本当に大切に思って居たとはしても、私と彼の立場が今後変化する事は恐らく無いだろう。
「明日、剱山神社で。か……」
私は何時しか意識を失ってしまっていたナエちゃんを抱えながら、そう呟いたのだった……。




