第七話
第七話「フィーラー(後編)」
エーギル遺跡の最深部。
崩れ落ちた宝物庫の門の影に身を潜め、私は中の様子を窺っていた。
宝物庫は巨大。
天井は馬鹿みたいに高く、床には散らばった財宝と瓦礫の山。
壁の両端は見えない程で、明りと言えば柱に灯された松明の青い炎くらいだ。
普通、たかが数本の松明で此処までの明るさは確保出来ないだろうが、そこはやはりゲームの都合か。
石造りのその部屋は、サッカーの試合が出来てしまえるのでは、と思えるくらいには広い。
だというのに。
「いやはや、画面で見るよりデカイデカイ……」
そこに鎮座する巨大な影は、全高が10メートル近い化物だった。
金属か石かも解らない、奇妙な材質の装甲。
八本の足は蜘蛛のように関節部分で節くれ立って、胸部と腹部も蜘蛛のそれに良く似ている。
ただし、違うのはそこから上の部分だ。
上半身は全身鎧を着込んだ騎士のような井出達で、腕は計六本。
その手には剣や斧、槍を掴んでいて、頭はスズメバチかカマキリといった雰囲気。
「ふ〜ん……」
私は違和感を感じていた。
それは、相手がPCだというのに、どうしてあんなアバターを選んだのか、という点。
PYOのプレイヤーキャラ、即ちアバターは、現実の人体を動かすのと同様で脳とアバターが同調している。
右腕を動かそうとすれば、右腕が動き、左足を踏み出そうとすれば左足が踏み出される。そういう物だ。
だとすれば、あんな複雑な形状の身体をどのように扱っているのか。
通常通りの方法で動かす事は恐らく不可能。
腕一本と腕三本が連動などしていてはアバターが混乱した動きを起こしてしまう筈だ。
では、いったいどうやって?
―――が、想像した所で何か変わる訳でもない。
今重要なのは、アレが“どれくらい強いのか”という点だけだ。
ステータスの問題じゃない。
PYOの戦闘システムでは、ステータスよりもそのアバターを扱う側のプレイヤースキルが“強さ”を定義する。
(最悪の状況を想定するなら、あの手足を自在に扱える可能性を考慮すべき、よね)
腕が六本。足が八本。
奴がそれぞれを独立して完璧に制御できるとすると、それは対人戦と想定する場合、同時に4〜5人の敵を相手にするのとほぼ同義だろう。
反射速度や判断力。
機動性や敏捷性。
考え出せばキリが無いが……。
(様子見、ってワケには行かないか……)
あぁーくそ、面白い。
こうやって敵の強さを想像しながら、どんな戦術が有効かを考え、それが実戦で型に嵌った時なんかはもう最高だ。
私は、これこそがゲームって物の本質だと思ってる。
でも、私にとっては、もっと重要な事もある。
それは、やはり何といっても。
「面白くてナンボ!」
私は決断し、崩れた門を飛び越えた。
「―――あ、誰か来た」
私が部屋に踏み入った事を音で感じ取ったのか、ガーディアンもどきの足元で倒れたままだった誰かが声を上げた。
「まったまった! 今はヤバイッス!」
「コイツが例の“フィーラー”だから! 逃げてー!」
“フィーラー”。確か、ドイツ語で“エラー”って意味だった筈だ。
なるほど、運営はクエストとしてこの件を消化する為に、あのガーディアンもどきに名前を付けた訳だ。
あきPのメッセージを途中で放り出したから、そこまでの内容を私は確認していなかったのだけれど。
(ま、関係ねぇーってね)
室内へと更に歩みを進めると、戦闘不能で倒れた十数人のアバターが見えて来た。
そこへ近付く私の姿に、誰かが声を上げる。
「え……モンスター?!」
「つか、犬? ナンデ??」
一様に溢れ出す動揺。
けど、まぁ許容範囲内だ。
今、私は何時もの子犬の姿ではなく、全長2メートルを超える大きな“黒妖犬”の姿で此処に立っている。
「心配は無用。私は、運営が派遣したGMの一人、名を“バーゲスト”という」
GMだと名乗った途端、その場のプレイヤー達の態度が急変した。
「うお、GMかよ! 誰か呼んだん?」
「GMならコイツ早く何とかしてくれよ! マジ腹立つわ」
「ちょっと、落ち着きなって……」
まぁ、そうでなくても難関のボス戦だ。
邪魔をされて腹が立つのも頷ける。
ただ、そんなのは“ヤツ”にとっては思うツボって奴で。
「へぇ、意外に対応が早い。思ったより優秀じゃないですか」
その声は、件の巨影から放たれていた。
音声は加工済み、か。
男女の区別もつかないような中性的で機械的な声だった。
「随分と好き勝手にやってくれたようだが……、どうやら状況が呑み込めて居ないようだな」
私は平静を装いながら、その実内心で噴き出していた。
あのデカパイ、どうやらこのチーターには一切の情報を与える気がなかったらしい。
これは恐らくだが、チャット機能の一部がシステム的に制限されていて、奴からは周囲の人間の声や全体チャットが見えていないのだろう。
まぁ、そうでなければ、ヘタをすると逃げられ兼ねないようなイベントを開催している訳だし、当然と言えば当然か。
私は直ぐ様ヴォイドフリックで松岡さんを呼び出した。
「そろそろ始めるよ。準備はいい?」
『OK。―――秋山さん、どうぞ!』
どうやら、リングアナウンサーの真似事をさせるつもりらしい。
直ぐ様運営の専用チャンネルでアナウンスが始まった。
『―――えーどうやら準備が整ったようです! それでは、我らが運営陣が誇る最強のGM“バーゲスト”対、規約違反者の違法アバター“フィーラー”によるエキシビジョンマッチを開始致します! プレイヤーの皆さん、専用チャンネルの通信ディスプレイにご注目下さい!』
事前に説明はされているらしく。
予想通りの事ではあったが、デカパイはやはり、今回の件で私と同じ見解に至ったと見える。
違法アバターをただ排除するのではなく、それをエージェント兼GMである私に対処させ、その様子を試合形式でPYOプレイ中の全プレイヤーに向けて実況生中継するのだ。
これで、運営側の体裁を保ちつつ、プレイヤー達との共同企画としても成立させ、また同時にチーターにやられてしまったプレイヤー達の鬱憤も晴らさせる。
これ以上問題を大きくせずに鎮火が出来るって訳だ。
(それじゃ、お手並み拝見といきましょうか)
私は前足を一歩前へ踏み出し、砂利を踏み鳴らした。
「さて、今から私が貴様を粛清する訳だが、何か言い残す事はあるか? デカイの」
声のトーンを落とし、嘲笑を浮かべつつ、挑発するように尋ねる。
と、“奴”はさも楽し気にくつくつと喉を鳴らし、私と同様に一歩を踏み出した。
「アナタが? ワタクシを?」
言葉や態度の端から滲み出る自信。
が、それはほんの一瞬。次の瞬間には、態度がガラリと変化した。
「―――なに? ……は? どういう事?!」
その慌てっぷりで、私は悟る。
「どうした? 貴様の仲間たちの身に何かあったのかな……?」
「ッ! アナタ……いったい何をなさったのかしら?」
ズン! と蜘蛛の足が石畳を砕き、地面に深く突き立てられる。
さっきまでの余裕は何処へやら。
何かしらの方法で他の仲間たちと情報を交換し合っているのか。
きっと、私の行動を皮切りに、他のGM達が一斉に動き出し、反撃を開始したのだ。
「数値は全てカンスト。体力も無限とは……また節操の無い改竄をしたものだ」
「ええ、そうよ……。その……筈、なのよ。なのに―――どうしてッ」
ふむ。と私は唸る。
予期していなかった状況に、もうメッキが剥がれ始めていた。
これもロールプレイの一環なのだとしたら、なかなかの策士だと見直してやる所だけど……。
(“中身”は女、か)
声紋から個人を特定するのは難しそうだったが、これで性別は絞り込めた。
後は、裏方の連中が何とでもするだろう。
なら、私がすべきはただ一つ。
「“コレ”が何か、貴様に解るかな?」
私は私自身のステータス画面を相手にも見えるように表示し、180度反転させた。
その上で、説明を付け加える。
「コレはな、私が自ら製作した“対チートツール用アクセサリー”だ」
「な……っ!?」
「貴様の仲間の下に現れたGM達は、全員コレと同じ物を装備している。もうその数値はアテにならんぞ、どうする? 自称天才チーター殿」
意図的に全身に纏う黒炎を荒げさせ、私は口端に笑みを浮かべる。
途端、フィーラーの巨体が震えた。
「やってくれましたわね……。屈辱……屈辱ですわッ!!」
ズン、ズン、ズン! と立て続けに鋭利な足の先を地面に突き立て、六本の腕を振り回すフィーラー。
相当にお冠らしく、体裁を保つ余裕も失ったようだ。
「数値を上書きされた程度……。ナメるなよ……、“人間”風情がッ!!」
「―――ッ」
常識的に考えれば、十数トンはありそうな巨体。
それが重さなどまるで感じさせない勢いで跳躍し、六本の腕をそれぞれに振り上げていた。
が、既に私は奴の視界には居ない。
「チィッ! ちょこまかとッ!」
暴風を巻き上げて叩き付けられた剣や斧、槍が石畳を砕いて土埃や無数の金貨を巻き上げるが、回避していた私は無傷。
だが、そんな事よりも気になる事が幾つか増えた。
(ロールプレイ……? それにしては、真に迫り過ぎてる……。どういう事?)
私は獣の姿を最大限に利用し、人間では到底不可能な機動力で天地を自在に駆け回った。
そしてその最中、頭上からフィーラーの巨体を見下ろし、確認する。
人のそれを遥かに超える本数の手足の動きが余りに自然過ぎた。
その上、先ほどの言動。
加えて言えば、可能性を示唆する言い回しがそれ以前にも確かにあった事に気付いた。
「貴様……、まさか」
「ッ! そこかぁーッ!!」
声を聞いて反射的に突き出された槍の穂先が、私の頬を掠めた。
想像以上に速い。
想定していた最悪の状況を上回る最悪だった。
だが、しかし。
それで確信する。
「フ……ッ!」
鋭く呼気を吐き出すと同時、私は頬を掠めた槍の柄へと噛み付き、首の力で強引に態勢を入れ替える。
あの巨体だ、突き出す力も人間のそれとは比較にならない。
だからこそ、こんな無茶な芸当も出来る。
「―――な、んっ」
突き出す槍の力で身体を縦に回転させ、回転ノコギリの要領で牙、前足、後ろ足の爪を鋭く研ぎ澄ました。
「ぐぁああああッ!」
材質不明の胸部装甲を頭上から真一文字に削り落とす。
爪や牙からガリガリと硬質な物を砕く感触が響き、ダメージを与えた確かな出応えを感じた。
「ぐっ、こ―――んのぉッ!!」
が、人間では無茶な態勢だが、足が八本あるコイツは重心の安定性がハンパない。
その所為で、強引に腕の数本を振り回され、私の身体に僅かに接触。大きく弾き飛ばされてしまった。
「チッ―――ッ、厄介な身体だ」
石畳の床に爪を立て、滑る身体を無理矢理支える。
その上で見上げたフィーラーの顔は―――激昂。
昆虫のような甲殻にも、表情というのはあるらしい。
それが、一目で解る程だ。
「何故です……? 何故、痛みが……ッ!?」
「フッ、仕様だ。この方が……スリリング、だろう?」
「馬鹿な……っ、アナタ、本当に人間ですか?! 狂ってるとしか思えない……ッ」
奴の言い分は尤も。
確かに、私は“普通”じゃない。
なんせ、今コイツと私は、現実の世界同様に“痛み”を感じているのだから。
「しかし、新鮮な物だろう? “人間の痛み”というのは」
「ッ! その言い様……アナタ、まさか気付いてっ!?」
あぁ、気付いたのはついさっきの事だけれど。
コイツは、コイツ自身が言った通り、“人間じゃない”のだ。
人間を卑下するような発言に加え、人間の脳では難しい複数本の手足を同時に操る処理能力。
あれ程の巨体でありながら、早過ぎる反応速度やまるで頭の後ろに目でも付いているかのような的確で精密な攻撃。
全てが物語っている。
コイツを操作しているのは、人間ではない“知性”。
―――人工知能(AI)だ。
「そう……、そうですか」
その機械染みた音声が、徐々に雑音を失って女らしい声に変化していった。
さき程までの表面的な苛立ちが形を潜め、代わりに明確な敵意を私個人へと向けて来る。
「でしたら、もう体裁を取り繕う必要はありませんわね」
「―――ほぅ?」
そうだろうな、とは思ってた。
コイツは、どういうワケか“人間らしく”振る舞おうとしている節があった。
だが、AIであるのなら、それはただの“取り繕い”だ。
「アナタは少し、勘が良過ぎます。申し訳ありませんが、早々にご退場願いますわ」
途端、フィーラーの手足がブルリと震え、直後に関節の形状が変化する。
360度、自由に動かせる全方位へ屈伸可能な形状へ。
「ハッ、そうこなくてはな!」
これが、フィーラー本来の姿なのだろう。
此処からが本番という訳だ。
私は身を屈め、その戦闘能力がどれ程上がったかを確認する為に万全の態勢を整えた。
の、だが。
「自分で改竄したダメージフィードバックで廃人にでもお成りなさいなッ!」
それは、予想外の攻撃だった。
10メートル以上も距離を開けていた両者の間を、フィーラーは“伸ばした腕”で一瞬にして詰めて来たのである。
これには、流石に私も反応が遅れた。
「―――ッ」
音にすら鳴らなかった舌打ちの感触。
よりにもよって、剣や斧ではなく、槍で突いて来られたのもマズかった。
紙一重で直撃こそ避けた物の、槍の穂先は私の肩口をゴッソリと削り飛ばして地面に突き立てられ、そのおぞましい膂力で石畳を“爆破”したのだ。
質量が違い過ぎる。
私の身体も犬としては巨大な部類だが、奴の身体とでは比較にもなりはしない。
横っ飛びした私の身体に、爆風と散弾のような石礫が幾つも突き刺さった。
「ぐっ、やってくれる……ッ」
リアルで銃弾に撃たれた事など無いが、なるほどコレは痛い。
息が詰まる程の激痛で、思わず笑みが零れてしまった。
「……クッ、ハハ……ッ」
イイ。実に、イイ。
痛みを恐れて漫然と平和とかいう腐敗を受け入れている現実の世界では絶対に味わう事の出来ない“生”の実感。
そう、私は狂ってる。
コイツが言った通りなのだ。
私がPYOを気に入っているのには、こういう理由もあった。
ダメージアブソーバ。
このゲームの基本設定の一つだ。
VRゲームでは、五感でゲームを体感する為に“触感”を脳に知覚させる必要がある。
この触感こそ、“痛み”と同義の感覚だ。
身体に何かが触れた感触は、行き過ぎれば肉体を傷付ける事になる。
生き物の身体には、それを理解させる為に自己防衛本能の一部として痛みを感じさせる機能が備わっている訳だ。
だが、所詮はゲーム。
本当に痛みを感じていては、プレイヤーは現実で命懸けの戦いをしているのと変わらなくなる。
そんなもの、普通の人間は怖いに決まってる。
だから、この機能が必要になってくる。
強過ぎる痛みを感じないよう、調節している機能だ。
しかし、私はそれを全面的にカットしている。
理由は、さっき話した通り。
痛みを感じれば怖くなる。
死にたくない、と感じる。
それは、逆に言えば、生きたいと感じているという事。
攻撃されれば痛い。
だから、避けなければならない。
そう、必死になれるのだ。
これを現実で味わう事など、それこそ戦争でもしていなければ無理だろう。
だから、疑似的に感じる事ができるこのシステムを、私は有効的に活用している。
そして、これにはもう一つのメリットがある。
「―――フフッ、此処からが本番だ」