第七十九話
第七十九話「オオツキ邸、侵入」
―――翌日、夕闇の刻。
倭国西区、大槻町。
灯りを火に頼るこの国の夜は早く、薄暗くなり始める夕暮れ時には市周辺でさえ人通りも極端に少なくなる。
故、今頃は平時から人の気配が希薄になり、殆どの商店や飲食店は店を閉めているのだが……。
「…………」
この日、大槻町の静けさは余りにも異常で、妙にピリピリとする張り詰めた空気に満ちていた。
家々から零れ出す僅かな橙色の灯り。
蝋燭の火が生み出す暖かな筈のその光は、しかし。
「―――オオツキが、屋敷に戻りました」
「ん、ありがと」
長屋町の空き部屋。
その一つで橙に照らし出されるのは、町人風の男から報告を受けた香澄とキンシロウ。そして、数人の武士達。
立ち上がり、神妙な様子で木窓から僅かに顔を出し、外の様子へと目を向け、香澄が振り返る。
「今の所、気付かれた様子はないみたい」
「じゃあ、予定通り」
キンシロウの問いに頷き返す。
それが、オオツキ邸襲撃。その準備が整った事への合図だった。
香澄を先頭に空き家を出るキンシロウとその配下5人。
何れも剣の腕が確かな者達で構成された襲撃部隊だ。
キンシロウこと、モリ・カネツグもまた多分に漏れず。
剣士としての腕はこの国の中でも一流と言って差し支えない。
とはいえ、オオツキ邸には常時100を超える彼の手勢が詰めている。
大部分は下女や下男であるが、内30名はオオツキ家に仕える上級・及び下級武士。
それがただの人間であるというのなら、話しはそう難しくはない。
が、相手は人とは異なる膂力強い鬼人である。
僅か5名で襲撃するなど、常識的に考えれば危険極まりない物だと言えるだろう。
キンシロウ自身も危惧していた事だが、しかし、それでも香澄はこの人数に拘った。
(不意打ちが成功すれば、数なんて関係ないし)
香澄が立てた作戦は、以下の通り。
先ず、オオツキ邸周辺の全ての街路に兵を伏せ、逃げ道を塞ぐ。
次いで、屋敷の裏手から潜入し、同時に別行動中の小隊に退路を確保させる。
トキザネの行動パターンは事前に調べが付いている為、その後は単純だ。
食事を終えて浴場に向かったトキザネが一人になる瞬間を狙う。
が、目的は殺害ではなく、捕縛。
身柄を押さえて罪を認めさせ、キンシロウが南町奉行モリ・カネツグとしてトキザネを裁く。
これで、一件落着。
ヨイチ派筆頭である彼が失脚すれば、家老シドウ・ヨイチは大きな戦力低下に見舞われる事になる。
無論、オオツキ家家臣は組織ごと解体。
シドウ家が彼らを吸収する前に、ヨイチとの決着を付ける。……と、いうのが概要だ。
ただ、それは飽くまでも表向きの―――キンシロウ達を納得させる為の方便でしかないのだが。
(この襲撃で、連中に目にもの見せてやる……)
オオツキ邸裏手に続く街路をキンシロウ達と共に悠然と歩きながら、香澄は町を焼いた火災の一件を思い起こしていた。
あの事件がヨイチ派による放火であった事は既に調べがついている。
死者こそ出なかったものの、あれで住む家を失い、大怪我をした者達も大勢いた。
中には、香澄が恩を感じている町人達も多く含まれている。
(ナメた真似してくれた礼は、キッチリ返させて貰う)
険しい香澄の横顔に、明らかな憎悪が滲んでいた。
恩のある知人を傷付けられた事もそうだが、何より香澄が怒りを感じているのは為政者側の人間として無辜の民を巻き添えにするような策を弄した事。
それ故に、香澄は予測する事が出来なかったのだ。
“まさか、そんな愚かな真似をする馬鹿は居ないだろう”と。
故に、その“馬鹿”の存在を予測する事が出来ず、裏を掛かれた自分自身もまた憎く。
(主犯と実行犯は決して逃がさない。全員、纏めて殺し尽くしてやる)
そんな嚇怒の炎を胸中に押し留め、気配を殺し。
彼女が足を止め、見上げたのはオオツキ邸の裏手にある小さな門の前だった。
「……ん? 何用か」
門の両脇に立つ二人の衛視が香澄に灯りを向ける。
が、問いには答えず。
衛視の二人が顔を見合わせ、不信そうに眼を細めた、その瞬間だった。
「―――ぁっ」
一瞬の出来事だった。
衛視が視線を逸らしたと同時、香澄は瞬時に一人の衛視の背後へと回り込み、死角から首筋への当て身で昏倒させた。
そして、その衛視が突然倒れた事に驚き、意識が逸れた瞬間を見計らい、もう一人のその衛視へ再び当て身。
二秒と掛からぬ神業に、後ろでその様子を見ていたキンシロウ達ですら声を発する事さえ忘れていた。
「ほい、此処の処理は任せるわよ」
「……あ、はいっ」
丁度到着した別動隊にその場を任せ、香澄は振り返る事もせず。
「もう一度言っておくけど、中に入ったら何があっても私の指示に従って頂戴。絶対に自分の考えで軽率な行動は取らないように。いいわね」
「あ、あぁ、分かった」
「心得ております」
その返事に「よろしい」と一言返し、香澄は極自然に3メートル近い門の屋根へと跳躍、着地した。
「ついて来て」
常人ならば脅威の跳躍力と言えるが、香澄は能力者であるし、その後に続く六人も鬼人。
ならば、たかが3メートル程度の壁を飛び越えられない道理など何処にも無く。
屋根の上から見下ろせば、裏側にも更に二人の衛視。
此処でも外の様子に気を取られていた彼らを、香澄は一瞬で昏倒させ、門を閉じていた閂を抜く。
順調な滑り出しながら、香澄の心境としては感慨など一切無い。
これは、“当然の事”だからだ。
(―――何れにしても、中の連中はある程度掃除しとく必要がある、か)
邸宅裏にある庭園は広く、侵入者を警戒するように敷かれた細かな砂利が綺麗に整えられていた。
日本庭園にはよく見られる“砂庭式枯山水”と呼ばれる物だ。
古くは宗教的な意味合いを持つ庭園構築技法であるが、現在ではその砂利が足を踏み入れた際に音を発する事から、防犯機能を意識して設置する場合も多い。
このオオツキ邸にある物もそうした意味合いが強く、不法に侵入しようとする香澄らを明らかに拒絶していた。
(鬼人は耳も良い……。足を踏み入れれば最悪気付かれ兼ねないわね……)
この裏門から勝手口までは飛び石が続いていて、それを進めば音は鳴らないだろう。
しかし、それでは当然のように待ち構えている衛視に視認されてしまう事になる。
と、なれば、考え得る方法は一つ。
邸宅外周の塀から屋敷の屋根まで飛び、そこから侵入して衛視を沈黙させる。
ただ、如何に鬼人といえど、塀から屋根までの20メートル以上もある距離を跳躍する事は難しいだろう。
結論、香澄は彼らをその場に一端残し、単身で侵入経路を確保する事に決めた。
「アンタらは此処で待機。合図があるまで動かないように」
小さくそう言い含め、声を殺して頷くキンシロウら六人に背を向ける。
見据えたのは20メートル先で月光を反射する金色の瓦屋根。
膝を曲げ、撓めた全身の筋肉に力を込め―――跳躍。
しかし、それは勢いこそそれなりにある物の、とても20メートルを飛び越えられるような跳躍ではなかった。
理由は、やはり“音”だ。
20メートルもの距離を一足で飛び越えるには、相応の力で地面を蹴り出さなければならない。
如何に小さな身体とはいえ、そんな真似をすれば地面を蹴り砕き、大きな音を発ててしまう事になるだろう。
故に、香澄はこの方法を選んだ。
極力音を発てず、且つ確実に屋根まで飛び移る方法を。
(―――喰らい付け、黒蛇拘ッ)
突如、香澄の左腕で黒炎が燃え上がり、その内から黒鎖が姿を現した。
手首から肘の辺りにかけて巻き付いたそれが射出され、先端部を蛇頭に変形させる。
そして、一直線。
以前、飛翔能力を持っていなかった頃に高空を飛翔するモンスターと戦う為に編み出した技術、その応用だ。
射出された黒蛇拘は蛇頭の大口を開き、狙いを寸分違えず真っ直ぐに伸びて行き。
その牙で噛み付いたのは、屋根の下に突き出した四角く太い垂木。
ピンと張り詰めた鎖は、そのまま強引に力で引き寄せるだけで、音も無く跳躍距離を大きく稼ぐ事に成功する。
トッと僅かに瓦が音を発するが、見事に着地。
鼠が走るくらいの小さな物音だ。
それが一度なら、環境音と交じり合って不信に思われる事などまず無いだろう。
が、香澄は直ぐに身を屈め、周囲の気配に意識を飛ばす。
そうして、探り終えた所で静かに口端を吊り上げた。
(重畳重畳、気配に一切動きなし、っと)
顔を上げ、キンシロウ達に目を向ければ、彼らが惚けて口を半開きにしている姿が見て取れた。
が、そこで気を抜く事はしない。
次は彼らの侵入経路を確保する。
黒蛇拘を伸ばして無理矢理引っ張る手もあるにはあったが、着地を失敗されても困るのだ。
故に、香澄は直ぐ様その場を移動。
脳内情報に従い、勝手口の真上まで低い姿勢のまま一気に駆け抜け、その場で何度か瓦屋根を軽くノックした。
何度かそうしている内、気配が動くのを感じた香澄は動きを止め、軒下へと顔を出し。
勝手口の引き戸が開け放たれた瞬間。
「―――ったく、煩ぇな……。猫か? 鼠か?」
「ニャンニャン♪」
「……え」
屋根上から招き猫よろしくあざとい仕草で笑顔を振り撒く香澄。
見上げた衛視はその場で硬直し。
「はい、失格」
舞い降りた香澄に背後を取られ、衛視はその手で口を塞がれて一瞬暴れようとするが、しかし。
「悪いけど、アンタは殺す」
微かに囁くような声に、衛視は思わずゾクリとしたが、次の瞬間には突如口内へと注ぎ込まれた激しい熱で一瞬にして意識を刈り取られ、目、鼻、耳から蒸気を噴き出した。
黒炎を流し込まれたのだ。
その熱量は僅か一秒と掛からず岩石さえ融解させる。
衛視の脳などコンマ数秒と掛からず沸騰していた事だろう。
脱力したその衛視を抱え、軒下へと放り込んだ香澄は、次いで勝手口の中にも顔を出し。
「チューチュー♪」
「え……」
はい、失格。と再び同様の方法で番をしていたもう一人の衛視を殺害。
外まで引き摺り出し、先ほどの衛視の隣に適当な感じでブチ込んだ。
その様子を見ていたキンシロウは、余りの手際に舌を巻き。
「し、信じられん……。こうも、アッサリと……」
「あの方は、いったい……」
キンシロウの配下5名も全く同じ感想を抱いていた。
「今の内、早く」
香澄の唇がそう動くのを見定めた彼らは、頷き返して彼女に続く。
斯くして。飛び石を渡って合流し、7人はオオツキ邸への侵入を果たしたのだった。
建物内の雰囲気は、豪奢である事以外特に言及すべき事の無い大名屋敷といった風だった。
母屋以外にも幾つか離れがあるようだが、その位置関係は見取り図で頭に入っている。
香澄は一切迷う事も無く粛々と廊下を歩き、目的の場所まで一直線に足を進める。
これにまた驚かされたのが、キンシロウ達だ。
こういった屋敷に秘密裏に潜入するのなら、屋根裏や縁の下を通って移動するイメージがあったからだろう。
しかし、事情を理解してみれば、香澄の行動は決して無謀とか無計画という風には映らない。
何故なら、香澄にはミニMAPを通して敵の存在が常に目に見えているからだ。
MMORPGをプレイした事のある人間なら幾らか覚えがあると思うが、大部分のプレイヤーはUI上に表示されるミニMAPを常に意識し、そこに表示されているマーカーを頼りに動くものだ。
でなければ、アクティブ系のモンスターに瞬く間に察知され、絡まれる事になるからである。
そんな状況から無理に逃げ出そうとすれば、今度は別のモンスターに絡まれて。
更に逃げ出そうとしよう物なら、また別の。……と、無限連鎖の如く負のスパイラルに陥り、大量のモンスターに袋叩きにされるか、そのモンスター達に背後から追い立てられ、周囲の他人に迷惑をかける事になるかのどちらかだろう。
言うなれば、香澄にとってそれは常識的な行動でしかなく。
旧来のMMORPGなら尚更、わざわざ屋根裏や縁の下にMAPが用意されている事の方が稀なのである。
よって、敵との接触は最小限。
それも、一瞬で香澄が片付けてしまうのだから、キンシロウ達にとっては暖簾に腕押しといった感がどうしても拭えなかったに違いない。
が、しかし。
邸内の大浴場へと今正にといった時、想定外の事態が起こった。
「―――妙ね、気配が無い」
「なんだって?」
香澄がUI上から詳細な三次元MAP情報を確認し、そう呟いた。
浴場の中には、トキザネが入浴する際に付き添う下女達数人のマーカーが表示されているだけ。
トキザネ自身は未だ浴場に移動した形跡すらなかった。
平時であれば、この時間には既に浴場へと移動し、入浴中の筈だというのに。
(単純に、夕食が長引いている……? それとも……)
香澄は浴場近くの物陰に身を隠しつつ、そうしてしばし考え込む。
僅か7人とは言え、隠れるには些か人数が多い。
キンシロウ達にとっては気が気ではなかったのだが。
(何れにしても、予定を一つ繰り上げるか)
決断は一瞬。
キンシロウと顔を合わせ、香澄は冷静に口を開いた。
「オオツキが現れるのを何時までも待っているのは、コッチとしてもリスクが高い。仕方ないから、中庭の離れを先に襲撃して、捕らえられてる女の子達の安全から確保しておきましょうか」
が、急遽変更になった作戦に、場の空気もあってかキンシロウ達の顔には不安の色が浮かんでいた。
「大丈夫なのか……? もし、オオツキに侵入がバレでもすれば……」
「失礼を承知で進言させて頂きますれば、此処は離れを一度諦め、不意打ちの成功率を上げる方が良策かと愚考致しまする」
彼らの危惧は尤もと言える。
もしトキザネに侵入が露見してしまえば、逃げられる可能性も無いとは言い切れない。
加えて、屋敷中から家臣が集まり、袋の鼠という危険性さえあるのだから。
しかし、それは飽くまでもキンシロウ達の常識による判断でしかない。
香澄としては、追い詰められたトキザネに、捉えられた鬼人女性達が人質として引き摺り出されるような状況こそ御免被りたかった。
(何とか納得して貰わないと、こりゃ平行線になるわね……)
口で事実を語った所で、キンシロウ達が香澄の実力を完全に把握する事など出来ないだろう。
結局、体の良い理由を用意しなければ、命懸けの彼らは首を縦には振れないのだ。
だから、考える。
離れの襲撃を優先するに値する、メリットの強い理由を。
「みんなが危惧している事は確かに尤もよ。けど、それだとどうしても避けられない問題が生じてしまうの」
「と、言うと?」
聞き返し、首を傾げるキンシロウ達に、香澄は今考えた適当な理由をでっち上げる。
ただ、それは本当の意味での“適当”であり、決して“いい加減な”という意味での適当ではなかった。
「浴場を襲撃するなら、トキザネは無防備になる。だから、少人数で襲撃する事も可能だったけれど、広間で食事中のトキザネを襲撃するなら、そうも行かない」
「何故……いや、そうか。“武者溜り”!」
キンシロウの発した単語に、家臣達はハッとした。
そう、キンシロウにとっては常識的な話しだった。
“武者溜り”とは、大名や将軍といった高い身分の者を守る為に用意された、一種のセキュリティーシステムの事だ。
良く似た物に、“武者返し”や“武者控え”といった物があるが、これは大きな屋敷や城の中に作られた仕掛けで、一見して部屋があるとは思えないようば場所に小さな部屋を作り、そこに護衛の為の戦力を隠しておく事が出来る。
この狭い部屋の事を“武者溜り”と言い、現代風に言い換えるなら、“SP”や“ボディーガード”といった概念が近い。
そして、そうした部屋は大抵の場合、評定の間や大広間といった大きな座敷に設けられている。
つまり、現在トキザネが食事の為に居座っている広間にも、この“武者溜り”は存在する筈なのである。
キンシロウのその気付きに、香澄は小さく頷き返し。
「武者溜りの護衛に介入されたら、トキザネに思考させるだけの余裕を与えてしまう。そうなった場合、屋敷中の戦力が広間に集まる時間を稼がれてしまうし、捕らえられている女の子達が人質に取られてしまう危険性も高いのよ」
「むぅ……確かに、その通りだ」
「ご慧眼、感服致しました……」
そうなった時のリスクを秤ににかければ、答えは自ずと導き出される。
キンシロウを初め、もう香澄の意見に異を唱える者は居なかった。
(上手く納得してくれたみたいね……)
ホッと胸を撫で下ろし、香澄は立ち上がる。
「それじゃ、行動再開。全員、今まで通り慎重にね」
大浴場から外へ出た香澄たち7人は黒鎖を使って屋根へと上り、そこから気配を探りつつ南西方向にある敷地中央付近の離れへと移動を開始した。
屋根の上は視界が開けており、周囲からも目立ってしまうが、夜も更けて来たこの時間帯であれば多少の誤魔化しが効く。
比較的安全に素早く行動出来た為、時間はそう掛からず目標の建物近くまで移動する事は出来た。
「音、発てないようにね」
屋根から地上まで降り立った彼らの前にあるのは、池泉回遊式の庭園。
先ほどの砂庭式枯山水とは違い、音や足跡に注意する必要性は薄く、遮蔽物もそれなりにある。
名称からも察せられる通り、池泉回遊式の庭園は池や小川を中心に作られるタイプの庭園で、橋や植え込みを上手く利用した芸術的な景観が魅力の技法だ。
水のせせらぎや時折水面に跳ねる鯉に似た魚の水音があり、香澄達にとっては安全性も高い。
が、その分、警備は厳重なようで。
植え込みの陰に潜み、周囲を窺うと。
「巡回してる衛視の数が多いわね……」
庭園の中央にある離れが、目的の建物。
そこに、トキザネが攫って来た鬼人族の娘達が囚われている。
実際、香澄もMAPで確認したが、それは間違いなく。
しかし、問題はどうやって警備の目を盗み、侵入を果たすか。
離れの周辺には庭園内を巡回している衛視が4人。
流石の香澄でも、離れた場所で互いを視認可能なギリギリの距離を保ちつつ巡回している四人の衛視を誰一人気付かれる事なく始末するというのは難しかった。
どうすべきか、と頭を悩ませていると。
「―――ヤナ様、アレを」
キンシロウの家臣の一人が香澄を呼び、庭園内の一点を指差して見せた。
「あの植え込み辺りから縁の下を通り、ぐるりと回り込む事は出来ませぬか?」
その指の先が示す場所には、確かに大きな植え込みがある。
直ぐ傍には隣の建物の縁側があり、下には人が通るに容易な高さの縁の下が口を開けていた。
建物自体はそのままグルリと中庭を囲むように配置されている為、縁の下を抜けて移動すれば、確かに衛視に気付かれる事は無さそうだ。
だが、それだけでは衛視の目を盗んで移動出来るというだけ。
侵入を成功させる為には、やはり衛視4人を同時に始末する必要性があった。
「戦力を分ける以外に無い、か……」
香澄としては、出来る事なら戦力を割いて行動する事はしたくなかったのだが、止むを得ないと判断する。
「OK、それで行きましょう」
編成は、個々の戦力を考慮して行われた。
第一に、西側の衛視を香澄が単身で。
第二に、南側の衛視をキンシロウと家臣1名。
そして、第三・第四に東と北の衛視2人をそれぞれ家臣2人ずつで相手取る。
作業は同時に、迅速に、的確に行われなければならない。
誰か一人にでも声を上げられてしまえばお終いだからだ。
故、香澄が飛び出すその瞬間を合図に、全員が行動を起こすという事で作戦は決定した。
全員で大きな植え込みのある場所まで移動し、そこから縁の下を通って各々の配置に着く。
(お願いだから、ミスんないでよ……)
彼らの実力を疑うワケではなかったが、それでも信じ切れる程の信頼を寄せられる時間を彼らとの間に重ねてはいない。
香澄にとってはかなり緊張感のある作戦になってしまった。
とはいえ、既に四の五のと言っていられる時ではなく。
脱出経路を確保する為にも、これは通らなければならない道だった。
(やるしか、ないか)
衛視達がなまじ真面目で良かったと、香澄は思えた。
何故なら、衛視としての務めに従順であるが故、彼等の意識は周囲への警戒に集中していたからだ。
衛視同士の動きを確認できる距離という配置の意味を考えていないのである。
よって、互いが互いの意識から同時に弾き出される瞬間が必ず生じる。
その瞬間を香澄が見逃す筈もなく。
(―――今ッ)
香澄が身を潜める植え込みの直ぐ傍を衛視が巡回の為に通り過ぎた。
その一瞬こそが、狙ったタイミング。
音も無く植え込みの陰から飛び出した香澄は、衛視の背後から左手を回し、口と鼻を塞いで右手に持つ短刀を逆手に先ずは腎臓へと一突き。
次いで、その首元へと一気に鋭い刃を走らせた。
「ッ!!?」
左耳から喉、そして右耳へ。
所謂スロートスラッシュと呼ばれる技術だ。
軍人が音を発てず、至近距離で暗殺などを行う際に用いられる方法で、例え特殊技能を持たない一般人であってもこの技術の習得と平常心を保つ訓練さえしていれば誰にでも出来る確実な殺害方法である。
最初に腎臓を狙うのは、その部分に神経が集中している為で、この部分に攻撃を受ければどんな人間であっても苦痛に呻き、身をくの字に折り曲げてしまうからだ。
その結果、喉への攻撃が容易となり、容易く対象を沈黙させる事が出来るようになる。
香澄であれば黒炎で焼き殺してしまう事も可能だったが、後々の事を考え、此処では脳疲労をセーブして置きたかったのだろう。
建物の中では血痕が発見された際に大騒ぎとなってしまう為、その技法を取らざるを得なかったという所だ。
「お勤めご苦労さん」
音を発てないようその衛視をゆっくりと引き倒し、返り血を一滴も浴びる事無く一瞬で黙殺。
周囲から叫び声や呼び子の音が聞こえてこない辺り、どうやら他の三か所でも暗殺は成功したらしく。
まだ痙攣している死体を植え込みの陰に隠し、香澄が顔を上げる。
(―――よし、上手くやったみたいね)
距離は離れているが、各々視線を交わし、頷き合う。
巡回の衛視さえ沈黙させれば、離れへの侵入はもう容易い。
7人は互いに警戒心を解く事なく、冷静且つ迅速に合流を果たし、離れの建物内へと侵入を図るのだった。




