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Master Code  作者: 覇牙 暁
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第五十九話

第五十九話「死の抱擁」




 この世に数多記される、神の降臨。


 人が神に奇跡を祈り、それに応える神の姿。


 嘗て、それは希望であり、願望であり、羨望だった。


 しかし、今この瞬間、それは現実の世に描かれる。



 「…………」



 地を這い、空を泳ぎ、水に舞う全ての命を、彼女は等しく慈しみ、睥睨する。


 夜を纏い、命を灯し、従順な力の化身を従えて。


 愛しい生命の輝きに、安息と永遠の眠りを与えんが為。



 「こ、こんな……、馬鹿げてる……っ!」



 ただ一人、その美しき女神の前に立ち、己の目を疑う男。


 槙島は、香澄のその異常な変容を理解出来ずにいた。


 鎧が縫い付けられた、丈の長い黒いドレス。


 燃え盛る黒い髪はより猛々しく、胸元と太腿を大きく露出させるレースの意匠は見る者に女性を強く感じさせ、高貴な気品をこの上無く放っている。


 それが、今の香澄の姿。


 以前の厳めしい鎧姿とは、似ても似つかない完全な別物だ。


 だが、それ以上に槙島にとって信じられないのは、彼女が放つその波動。


 肌を焼く程の温度だというのに、それを熱いと感じられない。


 むしろ、焼かれる事に喜びすら感じてしまっている。


 暖かく、瞼を閉じて受け入れてしまいそうになる。


 まるで、母親の胸に抱かれているような心地の良さを感じてしまうのだ。



 「本当に……神にでもなったと言うのか、お前は……っ!?」



 香澄は答えない。


 ただ、柔和に微笑みを浮かべ、手を差し伸べただけだった。



 「―――う、ぐぁっ!?」



 ただ、それだけの事。


 だというのに、槙島の全身が突如として拉げた。


 左腕が、右足が、肋骨が折れ、無様に捩じれてギシギシと軋む。



 「ば、かな……っ、こん、な……ぁっ」



 アバターラ。その最上位。


 間違いなく、彼はそういった類の人間で、天才で、非の打ちどころなど探す方が難しく。


 だが、しかし。



 「さぁ、おいで……。お前があれ程に求めて已まなかった、その女の肌で愛してやろう……」


 「や、やめ……っ、なに、をっ」



 手も触れていないというのに、槙島の身体は香澄の元までゆっくりと運ばれて行く。


 抵抗しようともがくのに、折れた腕が、足が、肋骨が、微動だにせず引き付けられてしまう。



 「……何を恐れる? 死は万物に平等。命ある者に唯一与えられた絶対不変の安寧であるぞ……?」


 「お前、は……誰だ……っ、お前など……お前、など……ッ」



 槙島は認めない。


 目の前に在るそれが、『谷那香澄』であるとは、思えない。


 何か別の者が彼女の身を乗っ取り、動かしているのだと疑って信じない。


 それ程までに、今の香澄はまるで別人と成り果てていた。


 ―――ポゼッション、という言葉がある。


 それは、『占有』や『憑依』といった意味を持つ言葉だが、一般的な観念を持つ人間であれば、これはそう思えてしまう程の“思い込み”だった。


 槙島には出来ず、香澄には出来る事。


 これが、その違い。


 香澄は、漫画やゲームが大好きだった。


 アニメも、小説も、雑食性で何でも好んで消化するタイプの人間で、所謂“ヲタク”という奴だった。


 部屋にはフィギュアやアニメのDVDが所狭しと並べられていたし、PCの記憶領域にもその類のデータがギッシリと詰まっていて、本棚には漫画の設定資料や古い記憶媒体に収められたビンテージ物のアニメビデオなどまで収められていて、家のメイドにさえ掃除をさせなかった程大切に保管していた。


 そして、それ故か、そうした創作物の登場人物への憧れは強く、幼い頃から暇さえあれば自分を創作物の登場人物として妄想する事を一種の趣味にしていた。


 だから、彼女は小学の低学年頃から、既にその兆候を見せていた。


 ―――中二病だ。


 しかし、彼女の家柄や立場から、その特殊な言葉遣いや態度が中二病であるとは誰も思わなかった。


 その所為で、誰にも咎められる事なく成長し、堂々と恥ずかし気もなく着こなせるようになって。


 つまりは、こじらせてしまった結果がコレだ。


 対して、槙島はどうか?


 生まれついての容姿の良さに、家柄と経済力、才能という点では香澄に近い物を彼も持っていた。


 ただ、香澄との違いは、彼はアニメや漫画といった創作物に興味を一切示さなかったという事。


 ゲームに対してでさえ否定的で、PYOをプレイしたのは実の所香澄の為だった。


 彼は、偶然にも深夜にコンビニへ出向いていた香澄を目の当たりにし、一目惚れしてしまっていた。


 そこから香澄の情報を手あたり次第に収集する内、PYOに辿り着いたという訳だ。


 故に、それまでの彼はというと、上流階級の御曹司として当然の知識と経験を積み、その才能で欲しい物は全て手に入れてきた生粋のお坊ちゃんでしかなかった。


 当然、アニメや漫画なんて物に触れる機会は殆ど無く、そうした物に憧れを抱くといった経験も皆無であり……。


 つまりは、そこに想像の限界があるのである。


 だからこそ、思い込みは強くとも、香澄のように常識を外れた現象を具体的に想像する事が出来ない。


 その結果が、これだった。



 「オレの……っ、オレの、香澄を……返せぇえええッ!!」



 必死の抵抗。


 渾身の力でコキュートスを振り上げ、迫る香澄の皮を被った化け物に斬り掛かり、しかし。



 「―――な……っ」



 絶句した。


 振り下ろしたコキュートスの柄から、一切の抵抗を感じなかったのだ。


 無理も無い。

 その瞬間、コキュートスの剣身は、香澄に触れた端から蒸発し、焼き尽くされていたのだから。



 「哀れな子……。そして、愛しい子……。我は万象に死を齎す者。有機無機に関わらず、そこには一切の例外など無いというに……」


 「そん、な……」



 決して折れる事の無い禁忌武装。

 それが、いとも容易く破壊され、一切抵抗の手段を失ったという恐怖。


 徐々に迫る、両手を広げた香澄の笑顔に、槙島は終ぞ耐え切れなくなり。



 「もう……だめだ……」



 引き攣った笑みに涙を浮かべ、遂には自ら剣を捨てて腕を伸ばし。



 (―――せめて最後は……、お前の感触の中で……)



 痛みも、苦しみも無く、掌に触れた柔らかな感触だけを記憶に残し、槙島の身体は香澄の胸の中へと溶けて。



 「――――――」



 髪の一本に至るまで全てが消失した。―――そして。



 「って、あんの野郎! 今最後に私の胸揉んで逝きやがったぁーッ!!?」



 一瞬で素に返った香澄が、怒りを露わにした。



 「ふざけっ!? くっそ! まだカズにも触らせたことなかったのにっ!」



 今頃、リスポーン場所であるヴァルハラで掌握り締めてホクホク顔を浮かべてるだろうと想像し、居ても立っても居られず地団太を踏む。―――空中で。



 「だーもっ! 最後までムカつくヤツ! なんなんアイツ!?」



 触られた胸の辺りがなんだか穢れたような気がして、兎に角腹が立って、挙句に暴れ捲り。



 『あの……カ、カスミ殿?』


 「―――ッ!?」



 チャットの通信環境を開きっぱなしにしていた事を、香澄はすっかりと忘れていた。



 「ち、ちがっ、今のはっ、直接触らせてなんかないから! それはちゃんとカズにあげるって決めてるからっ!」


 『な、なんの話でござる!?』


 「……はっ!!」



 テンパり、和幸の反応に我を取り戻し。


 冷静になって、咳払いを一つ。



 「ん、んんっ、コホン。―――コッチは片付いたわ。そっちの状況はどうかしら? 和幸くん」


 『おもっくそ無理して取り繕ってるでござるな……。何があったか気になる所ではござるが、概ね問題は無いでござるよ』



 それより、と付け足しながら、和幸は何やら少し慌ただしく走っている様子で。



 『カスミ殿、落ちてるでござるよ!』


 「え、なにが?」



 首を傾げ、何のことだかサッパリといった様子の香澄だったのだが。



 『カスミ殿がでござるーっ!!』


 「……へ?」



 頬を撫でる風。

 髪を乱す爽やかな―――とはとても言えない強い圧力が徐々に身体全体にかかるようになり。


 で、ようやく。



 「私が落ちてるっ!!」


 『ござるーっ!!』



 地上1000メートルの高さ。


 内閣府庁舎での戦いから札幌でのダイダラボッチ戦に次ぎ、更には槙島との直接対決。


 オバードライブどころかオーバーリミットまで使い切り、アバターラとしての能力が既に殆ど残されていない香澄にとって、それは正に死活問題という奴だった。


 殆ど生身の人間と変わらないような状態で、このまま地上に叩き付けられれば、まず間違いなく死ぬ。


 しかも、今死に戻りなどしよう物なら、折角倒したばかりの槙島とヴァルハラでバッタリなんて事も予想され。



 「イヤ! それだけは絶対にイヤだから!!」



 散々カッコつけて圧倒したというのに、エネルギー切れで墜落死した等とどの口が言えるものか。


 残った僅かな力を振り絞り、「んん〜〜っ!><」なんて頑張ってみるが、もう何も出ない。


 諦め、そして最悪の未来を想像し、思わず涙が滲んで来て。



 「うぅ〜、こんな情けない死に方イヤぁ〜!」



 アレほど忌避して抵抗し続けて来た初めてのリスポーンがこんな形になるなど、露程も想像していなかった。


 最早、変な笑いまで出始め、キラキラと涙を夜空に煌めかせながら……落下して行く。


 そして、遂に地表が眼前まで迫り、思わずギュッと目を閉じて。



 「うおおおおおおおおっ!!」


 「―――っ!?」



 地表に激突する寸前、横っ飛びしてきた和幸が見事に香澄をキャッチし、華麗に着地を―――決められなかった。



 「んごっ!!」



 いったいどれ程のスピードで駆けて来たのか。


 香澄を抱えたまま道路を横滑りし、ブレーキが効かずににビルの壁を突き破った和幸は、最後にコンクリートの柱へ後頭部を強打し、思いっきり噴き出して静止した。



 「うっわ……、痛そ……」



 和幸の必死の行動により、香澄は一切怪我も無く無事。


 が、和幸は後頭部強打で完全に目を回してしまっていて。



 「ちょ、ちょっと、カズ大丈夫っ!?」


 「だ、だいじょうぶ……で、ござるぅ」



 とても大丈夫そうには見えないが、それでも抱えた香澄の身体だけは絶対に手放さず。


 尚も抱える腕にギュッと力を込め。



 「―――んっ、あ、の……和幸くん……」


 「なんで……ござる、か」



 ようやく脳震盪から回復し、クラクラした視界で抱き抱える香澄を見下ろす和幸は、しかし。



 「もうちょっと……、その、優しく……」


 「……! oh my God」



 殆ど全力で香澄の胸を鷲掴みにしていた。


 しかも、よりにもよって、オーバーリミットの際にアイテムが変質してしまい、リセット機能の都合で彼女の鎧はインベントリの中。


 今の香澄は、消え掛けた散り散りのドレス一枚を羽織っているだけの状態で、最善かはたまた最悪か、胸の布面積は殆ど無いに等しく。



 「ふ、ふぉおおおおおおおおっ!!」



 柔らかな乳房に沈み込んで行く太くて逞しい五指。


 何時もなら張り倒されても文句の一つも言えない所だ。


 だというのに、香澄は妙にしおらしく。



 「ど、どうせラッキースケベなんだから……、この際、ちゃんと、その……触っておけば、いいじゃん……?」



 と、頬を赤らめてプイッとそっぽを向くだけで。


 和幸の頭の中で、理性が崩壊して行く。



 「い、頂きます!!」


 「はい、どうぞ……」



 などとワケの判らない空気になってしまい。



 「はいスタァーップッ!!」


 「ぐべっ!!」



 横合いから飛び込んで来た何かに、和幸は漫画よろしく蹴り飛ばされ、綺麗に香澄だけを残して行った。


 で、代わりに香澄を支えたのは。



 「なにが、“はい、どうぞ”ですか。何やってるんですか、姫様」


 「イ、イライザ!?」



 和幸を蹴り飛ばし、香澄を抱えたのはイライザだった。



 「何ちょっとイイ雰囲気醸してやがるんですか。まったく、ちょっと目を離すと、すぐこれです……」


 「あ、あぁ……えっと……」



 言葉につまり、ハッとして蹴り飛ばされた和幸の方を向くと。



 「お前……、姫に、何……してた」


 「い、痛い! 痛いでござる! ホントに痛いでござる! シノ殿!?」


 「死ね……。姫のおっぱい触った、お前も、死ね……」


 「ちょっ、止めて! ホントに死ぬ! 死んじゃうでござる!」



 クナイでひっくり返った和幸のお腹をチクチクやっているシノが居た。



 「な、なにやってんの、アンタたち……」



 なんとも弛緩してしまった空気にゲンナリとして、突っ込むも。



 「それは、コチラのセリフです。わたくし共が必死に避難民の護衛に努めているというのに、その間に一国の王女ともあろうお方が、何をなさっておいでですか」


 「い、いやぁ〜イロイロございまして……」


 「言い訳であれば後でお伺い致します。今は兎に角、キチンとお召し物をお召しになって下さい」


 「あ、はい……」



 いつの間にか仁王立ちするイライザに正座をさせられ、インベントリから鎧を装備し直している自分に何だか悲しくなった。



 「はい、皆さん撤収しますよ!」


 「「「はーい」」」



 画して、リヴァルトが操縦する揚陸艇へと戻ってきた四人だったのだが……。


 精根尽き果てた香澄はロクに動く事も出来ず、艇内にある居住区画の自室でベッドに横になり。



 「悪いわね、こんな狭いトコに集めちゃって……」


 「仕方ないでござるよ。アレだけの激戦と連戦、並のアバターラなら、過労死していてもおかしくない程でござる」


 「だ、ね……。むしろ……」


 「ええ、出来る事なら、今すぐにでもしっかりと休息を摂って頂きたいくらいなのですが……」



 畳二畳分もないスペースに無理矢理押し込められたような形で、シノや和幸、イライザにカガラやロディア、リヴァルトまでが立っていて。



 「せやけど、流石にちぃと狭いな……。ロディア、お前さん、もうちぃっと痩せぇや」


 「んだとっ!? 手前ェこそちっとは遠慮しやがれ、筋肉ダルマがっ!」


 「あー、お二人とも、お気持ちはお察ししますが、少し控えて……。殿下のお体に障りますから」


 「「お、おぅ」」



 リヴァルトに咎められ、ハモって萎縮するカガラとロディアの二人。



 「氷嚢、変えなくて大丈夫でござるか? カスミ殿」


 「大丈夫よ、大分熱も引いてきたみたいだから。ありがとね、カズ」


 「で、ござるか」



 ベッドの上で上体だけを起こし、額に氷嚢を当てたまま、香澄は兎も角、と話題を変えた。



 「これで、槙島の奴も少しは大人しくなってくれると思うんだけど……。“枝”の回収って、結局どうなったの?」


 「問題ないでござるよ」


 「おう、今は“最小化”されて、ソイツのインベントリん中だぜ」



 ロディアが言う通り、太陽光発電所跡で発見された“枝”は、和幸が所有するインベントリの中に収められていた。


 本来、アイテムの入手はその所有権を得た者が手で触れる事で、インベントリからの出し入れが可能となる。


 だが、“枝”のような大きなオブジェクトは少し違い、普通は触れるだけではその所有権を取得する事が出来ない。


 それを強引に可能にするのが、先ほどの戦いの最中、和幸とロディアが使っていた複数の小さな装置だった。



 「接続先の特定とか、当然まだ……よね?」


 「申し訳ござらん、調べている時間もなかったでござるから……」


 「ううん、分かってる。カズは良くやってくれたわ。それに、ロディアも。ありがとね、二人とも」


 「お、おぅ、オレらぁ言われた事を言われたままやっただけだ。別に……なんだ、褒められるような、こっちゃねーよ。な、なぁ? カズ」


 「で、ござるな」



 照れ臭そうに頬を掻き、和幸に話を振って誤魔化すロディアに、香澄は少し微笑ましくなり。



 「ですが、問題はペンタ某が保有しているという、他の“枝”に関する情報ですね……」


 「槙島からもその辺りの情報は聞き出せなかったのよね……。他の連中については?」


 「コッチの……二人、は、下っ端……だった」


 「ええ、そういった情報は与えられていなかったようです」


 「自分と戦ったラクシュミ殿も、そういった話はしていなかったでござるな。コッペリア殿と戦っていたガネーシャ殿に関しては、まだそういった話を聞いていないでござるが」


 「え、“まだ”ってどういう事? っていうか、そういえばコッペリアは??」



 よくよく見渡せば、その場にコッペリアの姿は無く。



 「実は、そのコッペリアさんなのですが……」



 と、答えたリヴァルトによれば。



 「へっ!? 連れてきちゃったの? その、ガネーシャって奴」


 「はい……。なんでも、お嬢さんとその奥方をペンタゴンから救出すると約束までしてしまったようで……」


 「か〜……、あの子は……ったく。勝手なことしてくれちゃって……」



 ガネーシャとの一件について聞き、香澄は頭を抱え、溜め息を吐く。



 「じゃあ、あの子今、自分の部屋に?」


 「はい。コッペリアさんは信じておられるようですが、ガネーシャ殿はまだ素性もハッキリとしていませんから、一応監視の為に、と」


 「はぁ〜……、まぁ、連れてきちゃったモンはしゃーない、か……。悪いんだけど、ちょっと呼んで来て貰える? リヴァルト」


 「はっ、直ぐに」



 命じられるまま、リヴァルトは直ぐに立ち上がり、別の部屋で待機していたコッペリアとガネーシャを連れてくるのだった。


 そして、部屋が狭過ぎるという事で、一旦ロディアとカガラ、イライザとリヴァルトを解散させ、その場所に招き入れたのだが……。



 「―――は!? 医者からちゃんと聞いてないの!?」



 二人と対面し、事情を聞いた香澄が最初に発したのは、そんな言葉だった。



 「重い、心臓の病だとしか……聞かされていない。何か、おかしいのか?」



 象の仮面を外し、コッペリアと顔を見合わせ、首を傾げるガネーシャ。



 「そんなに驚くことでやがりますの? 医者は聞かれなければそういった説明は省くものだ、とネットにも書き込みがあったのでやがりますけど……」



 と、コッペリアも何も不自然に感じていないようだったが、これに香澄は大きな溜め息を吐いた。



 「そりゃ良いように利用もされるわ……。アンタ、かんっぜんに自業自得よ、それ」


 「うっ、す、すまない……」


 「私に謝ったってしゃーないでしょうが……。ったく」



 散々コッペリアからも説教を受けていたのか、自業自得という言葉に過剰反応し、萎縮してしまうガネーシャ。


 その隆々とした大きな身体が、今ではまるで木彫りの置物のように小さく纏まって見えてしまっていた。



 「貴女様の知識でどうにかできやがりませんの? 確かに、この人の自業自得ではありやがりますけど、娘さんや奥様に罪はありやがりませんわ!」


 「はぁ〜……、アンタも相当お人好しね……。私なら、“自分で考えろ”って一蹴してるトコよ、ったく……」



 懇願するコッペリアに、面倒臭そうな顔で香澄は頭を掻き毟り、そして。



 「とりあえず、どんな症状があったか、覚えてる限りでいいから話してみて」


 「あ、あぁ、確か……」



 自分の記憶を頼りに、香澄に娘が抱えているという心臓の病について話すガネーシャだったのだが。


 それを聞いた香澄は唖然とし、次いで苛立たし気に表情を歪め。



 「―――と、いう感じなんだが……」


 「…………」



 如何にも不機嫌な様子の香澄に、ガネーシャとコッペリアは少し不安になり、互いに救いを求めるように顔を見合わせていた。


 対して、香澄の頭の中には大凡の状況が描き出されてしまっていたらしく。



 「ホンット、この手の事やらかす人間は救いようもないクズばっかりだ……」


 「ど、どういう、事……で、やがりますの?」



 恐る恐る聞き返すコッペリアに、香澄はもう何度目かも忘れた溜め息を吐いて。



 「別に、ソイツの事言ってんじゃないわよ。私がクズって言ったのは、ソイツの雇い主だった奴」


 「オレの……雇い主?」



 肯定し、続けて香澄はガネーシャへと目を向け。



 「アンタの娘さん、ちゃんと診たワケじゃないから一概には言えないけど、症状を聞く限り、“心膜炎”なんじゃないかな。私も専門じゃないから正確には解んないけど、少なくともそれ、“先天性”じゃないわよ」


 「な……っ、だが、医者は先天性の心臓病だと……!」



 香澄の見立てに、ガネーシャは一歩踏み出し、声を荒げるが。



 「アンタを利用する為の都合の良いデマね。今のご時世、このくらいの病気なら手術にかかる費用だってたかが知れてる。奥さんが身売りまでしたって言ってたけど、それで捻出出来ないような額じゃないわよ」


 「そ、そん、な……バカ、な」



 事実を聞かされ、騙されていた事を知り、徐々にガネーシャの表情に怒りが現れ始め。


 しかし、香澄はそんな彼に辛辣な目を向けた。



 「アンタに怒る権利なんてあるのかしら……?」


 「―――っ」



 愛する妻が身売りし、自分自身も全ての財を投げ打ったというのに、それで怒る権利が無いとはどういう事か、とガネーシャは香澄に掴み掛りそうになる……が、出来なかった。



 「……確かに、そうかもしれん……。結局、騙され、疑いもせず、ボクサーとしての拳を血に染めてまで行き先を選び出したのは、オレ自身だ……」



 握り込んだ拳を悔し気に解き、ガネーシャは肩を落とした。


 それを哀れと思ったのか、今度はコッペリアが香澄に意見しようと立ち上がる、が。



 「いいんだ。彼女の言葉は、正しい。これは、オレの責任だ」


 「ガネーシャさん……」



 誰かの所為にして怒るのは容易い。


 だが、それでは結局何も変わらないし、変えられない。


 コッペリアとの戦いでそれを思い知らされたガネーシャは、自らを省みる事をしっかりと覚えていた。


 ―――故に。



 「……アールヴヘイム第一王女、谷那香澄殿。貴女を信じるに足る人物と見込み、頼みがある」


 「―――許す。申せ」


 「オレの“総て”を貴女に捧げ、生涯の忠誠を誓う。その代り、オレの娘を……家族を、救って欲しい」


 「ほう……?」



 威圧的に睨み付ける香澄。

 が、ガネーシャは一歩も怯む事なく、その彼女の目をしっかりと見据え。



 「死ねと、命じるやもしれぬぞ」


 「それが必要な事であり、貴女がオレの忠義に報いてくれるというのなら」



 一切の淀みなく答えたガネーシャに、香澄は。



 「―――ん、良い覚悟ね。アンタにはまだ、救われる価値がある」



 そう言い、笑みを浮かべた。



 「そ、それじゃあ!」


 「しゃーなしよ? 今回の件に関しては、そこのおバカが不用意に踏み込んで引っ掻き回したっていう責任もあるし」


 「わ、ワタクシの事でやがりますっ!?」


 「他に誰がいんの……。ったく、今後はもう少し慎重に行動してよね、これじゃ何時か私が過労死するわよ、マジで」


 「う……、肝に銘じておくでやがりますわ……」



 シュンと肩を落とすコッペリアを呆れながらも笑って許し、香澄はガネーシャへと再び視線を戻した。



 「ただ、これだけは覚えておきなさい。私はまだ、アンタの事を何も知らない。だから信じるなんて到底できっこない。例え、コッペリアが認めていたとしてもね」


 「ああ、それは理解している。疑わしいと感じたなら、その時はどう扱ってくれても構わない」


 「そ。だったら、精々しっかりと働いて、私の役に立ちなさい。―――アンタの家族の為に、ね」



 香澄が浮かべたその慈愛に満ちた笑顔に、ガネーシャは一瞬見惚れ、そして、改めてその場に片膝と拳を付き。



 「―――ハッ、必ずや! この身この拳は、何時如何なる時も、敬愛する殿下と愛する我が家族の為にッ!」



 一層の忠誠を約束するのだった。

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