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Master Code  作者: 覇牙 暁
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第五十八話

第五十八話「無敵の女王(後編)」




 香澄と槙島が上空で死闘を演ずる中、その直下では。



 「ロディア殿! コチラの準備は整ってござる!」


 「おう! こっちもあと一つだ、起動準備の方を頼む!」



 旧太陽光発電施設の管理室跡。


 一部屋を階段で三分割した特異な一室。


 中央に鎮座するのは、淡く緑の光を発する水晶のような結晶体。


 ―――UEP構造体。即ち、“枝”。


 その周囲で掌に収まる程の小さな機械を設置し、和幸とロディアの二人が忙しなく動き回っていた。



 「しっかし急に寒くなって来やがったな。外で姫さんがやりあってんだろうが……」


 「室内に居てこれ程の冷気でござるからな……。カスミ殿が心配でござる」



 同型の機械を床に等間隔で配置し、それぞれに電源を入れて起動させながら、ロディアは。



 「アホか。殺しても死なねぇようなタマしてんだ、心配なんざするだけ無駄ってもんだろうがよ」


 「ロディア殿は、信じているんでござるな……、カスミ殿の事を」


 「ったりめぇよ。これまであの姫さんがやってきた事を思えば、それくらいの信頼には余裕で足る。そもそも、このオレ様を顎でコキ使うような女が、こんな所で負けるワケがねぇ」


 「確かに、そうでござるな」



 後にも先にも、レイドボスクラスの亜人を使役するような人間を、和幸は他に知らない。


 しかし、相手はあのダイダラボッチを相手に一歩も遅れを取らなかった男。


 事実、嘗てはあのアドバンスドブレイン社が誇るエージェントのナンバー2と称された人物。


 それに、と和幸は此処で会った槙島の事を思い出す。



 (あの思い込みの強さは、異常性さえ感じる物でござった……。常軌を逸したそれが、どれ程アバターラにとって強い力になるか……。カスミ殿も、気付いている筈でござろうが)



 思い込みの強さこそ、アバターラの強さ。


 故に、槙島の強さや危険性は一度僅かな間目にしただけの和幸にも伝わる程だった。



 「急ぐ必要が……ありそうでござるな」



 香澄の切り札は、身内にとっても危険極まりない力だ。


 それを出さざるを得ない状況に陥った場合、自分達が此処に留まっている事で判断を鈍らせてしまう可能性がある。


 それを理解しているからこそ、和幸は作業の手を早めた。



 「―――シノ殿、そちらの状況はどうでござるか?」


 『もうすぐ……終わる。リヴァルトも、手伝ってくれてる、から』


 「了解でござる。民間人と自衛隊の退避が済み次第、連絡を頼むでござるよ。カスミ殿も、このチャットを見ている筈でござるから」


 『ん、了解……』



 そして、その予想は実に正確に的を得ていて。



 「戦闘中に考え事とは……、なかなか余裕じゃないか。なぁ、香澄?」


 「―――クッ! ッサイわね、コッチはアンタと違って忙しいの。少しは空気読めッ」



 地上1000メートルの戦場では、その槙島の手によって、今正に香澄が追い詰められつつあった。


 戦闘そのものを楽しむような素振りさえ見せる槙島に対し、防戦一方で余裕など微塵も感じられない香澄。


 槙島が振るう剣は一撃一撃が重く、辛うじて受け流している香澄だが、衝撃の強さでゴリゴリと体力を削り落とされていた。


 両者が選び、扱う武器の違いが、ここに来て顕著に戦況へ影響を及ぼし始めているのだ。



 (腕が……、痺れて……っ)



 香澄が扱う黒龍剣は、二本一対。

 その刃は鎧の腕甲に直結しており、間合いの広さと小回りの利きを両立させている。


 しかし、元は黒龍槍の穂先。

 突く事に特化した形状である為、その剣身は細く、兎角軽くて鋭い。


 故に、手数で圧倒するような戦いでは絶大な効力を発揮してくれるが、一撃の重い武器を持つ相手との戦いでは防戦に陥ると不利になる傾向が強いのだ。


 しかも、その相手が実力伯仲。更には両手剣のような武器の名手となれば、結果は言うまでもない。



 「ムカつくけど……、やっぱり上手い……っ」


 「お前の口から賛辞が聞けるとは思わなかった。素直に嬉しいよ」


 「……チッ」



 長大な剣身を持つ幅広の大剣。

 下手な者が扱えば、ただの鈍重な打撃武器になってしまう類の扱いが難しい武器だが、巧者が扱う大剣は脅威の一言に尽きる。


 一見重く、小回りが利き難いと思われ勝ちだが、実のところ大剣ほど小回りが利いて攻防一体化するような武器は世界的に見ても非常に珍しい。


 その本質は、西洋剣術の型にある。


 重さや長さを活かし、一つ一つの型が全て次の型へと流れるように繋がる剣技。


 脇を締めて肘の動きをコンパクトに纏め、リカッソと呼ばれる剣身の刃が付けられていない部分を掴んで間合いを調節したり、ガードやポメルといったグリップに近い刃以外のパーツを打撃武器として扱う事も出来る上、決して切れ味も悪くは無く、刃を滑らせるだけでも人の首を容易に刎ねる事が出来たと言われているのだ。


 それ故に、シンプルでありながら実に多機能で、鋭さと一撃の重さ、近接戦闘に於けるあらゆる間合いへの対応を可能とする。


 槙島程の手練れであれば、体格の良さも相まって、その威力は凄まじく。



 「っ!!」



 突きからの鋭い横蹴り、そして立て続けに叩き込まれたポメルによる至近での打撃。


 遂に受け流し切れなくなった香澄の腕甲に、振り払われた槙島の剣が打ち付けられ、防御姿勢が完全に崩されてしまった。



 (―――やばっ)



 と、そう思った次の瞬間。


 目の前数センチの位置でピタリと止まる槙島の顔に、香澄はビクリと肩を震わせた。



 「いい加減、諦めてオレの物になれ、香澄。これ以上は、オレも手加減が出来なくなる」


 「……っ、……っ」



 香澄に刃を突き立てるも容易だった筈の状況で、槙島が敢えて選択したのは抱擁。


 腰に手を回し、甘ったるく囁くような声で、尚強く抱き寄せ、幼い子供に言い聞かせるような優しい所作で更に顔を近付け。



 「―――ッ!!」



 唇に唇が触れようとした瞬間、香澄の脳裏に一瞬過った“笑顔”が、それを拒絶させた。



 「触る……なぁぁああああッ!!」


 「お、っと……」



 香澄の体表から噴き出した分厚い黒炎の壁に遮られ、槙島は距離を取る事を余儀なくされた。



 「まったく、強情な奴だ……」


 「ハァ……っ、ハァ……っ、アンタ……っ、今……っ、何しようと……しやが、った……っ」


 「キスだが。口づけと言い換えても良い」


 「……ッ」



 飄飄と、そう答える槙島に、遂に香澄の堪忍袋は緒が切れて。



 「私に直接触れていいのは……っ、和幸君だけだッ!!!」


 「…………」



 激昂する香澄。しかし、同時に槙島の顔にも、ピシリと亀裂が走った。



 「カズユキ……。あの、デブの事か……」


 「でっ!? ……。オマエ……っ!」



 和幸を貶めるような発言に、食ってかかろうとした香澄だったが、しかし。



 「―――したのか……?」


 「う……っ!?」



 静かな、しかし底冷えするような、冷たい声で尋ねる槙島に、香澄ともあろうものが思わず後退り。



 「“寝た”のかと、聞いたんだ。答えろ、香澄」


 「そんな、こと……っ、どうして、アンタに……っ」


 「―――答えろ」


 「っ!」



 まるで感情の見えない、仮面のような表情を浮かべ、槙島は剣を握る腕をダラリと下げた。


 その一見やる気を失うような行動に、しかし香澄は何か途轍もない恐怖を感じ。



 「し、してないわよ! キスしただけっ! それが何だってのっ!?」


 「……。……。そう、か……」



 香澄がそう答えた直後、槙島の様子が一変した。



 「―――思った以上に、ショックなものだな……。愛する女性が、別の男と口づけを交わしていたなどというのは……」


 「は……? アンタ、何を……」


 「フ、フフ……、オレに浮気をされた女共も……、こんな気持ちだった訳だ……」



 プルプルと肩と唇を震わせ、フラリ、と背を逸らせて天を仰ぎ見て。



 「お遊びは……、此処までだ」


 「っ!」



 再び顔を向けた槙島の表情は、今までに見た事もないほど余裕の欠片も感じられない憤怒に染まっていた。



 「お前が、いけないんだ……。お前が、他の男などに現を抜かしているから……。だから、こういう事になる」



 再び柄を握る手に力を込め、剣を振り上げた槙島は。



 「最大出力だ」


 「な……っ、アンタ正気!?」



 それに答える事も無く、槙島は天高く突き上げた氷獄剣コキュートスに意識を集約させ始める。



 「オレの香澄に手を出した事を、永久凍土の中で永遠に詫び続けるがいい……ッ!!」



 瞬間、氷獄剣から放たれた冷気が暴風となって吹き荒れ、その有効範囲は瞬く間に広がりを見せた。


 圧倒的な冷気の量だった。


 吹き曝しの植物は、その冷気に触れた瞬間に熱振動を停止。

 陸地に面した近海の海水までが一瞬にして凍り付き、辺りに生息していたあらゆる生物たちが氷の彫刻と化して行く。



 「止めろバカッ! そんな事したら、米軍やアンタの部下たちまでッ!」


 「……知ったことか。恨むなら、オレの香澄に手を出した、あのデブを恨むんだな」


 「…………っ」



 つまりは、和幸を殺す為だけの行為。


 それに、この場の何もかもを巻き込むと、槙島は言っているのだ。


 これには、香澄も愕然とした。

 妄想や思い込みこそ激しいナルシストだが、まだ人間としての良識は自分以上に弁えていると思っていたからだ。


 しかし、その行動は余りにも突拍子もなく、限度を遥かに超えていて。



 (不味い……、不味いマズイまずいッ!)



 自分自身の身を吹き荒ぶ冷気から守るだけで精一杯の香澄は、頭の中でテンパる。


 まだ自衛隊や仲間たち、一般市民の避難が完了していない。


 絶対零度の冷気に彼らが晒されれば、仲間たちは兎も角、普通の人間など数秒と持たないだろう。


 激しい戦闘の影響で、発電所跡までは少し距離が出来ているが、それでも、もう時間に余裕などまるで有りはしなかった。


 此処で一般市民の防衛に失敗し、自衛隊が壊滅してしまっては、この国をアールヴヘイムの傘下に下らせる計画が水泡に帰す。


 それどころか、アバターラへの不信感は更に増し、残された人間たちの意識改革さえ難しくなり兼ねない。


 これでは、“枝”を収集し、ユグドラシルを再生させる為の計画にさえ支障が出てしまう事になる。


 それだけは、何としてでも避けなければならなかった。



 (オーバードライブの出力を……限界まで引き出すしか、ない……ッ)



 対抗手段は、それ以外にはない。


 度重なる連戦での疲労で、脳はとっくに悲鳴を上げているが、そうでもしなければこの冷気の嵐を相殺する事などできない。


 そう考えた香澄は、両手の黒龍剣を鎖に戻し、そして。



 「……“アンタ”をこの名前で呼ぶのは、久しぶりね」



 香澄はその鎖を手に、苦笑を浮かべた。


 事実、彼女はその鎖を“黒鎖”と称し、アバターラとなって以降は実名で呼ぶ事はただの一度もなかった。


 しかし、それはこの鎖の“リミッターを解除する”という意味があった為。



 「―――目覚めよ。そして、己が真名に相応しく、万物を貪り喰らえッ!」



 香澄が黒鎖を握り込んだその瞬間、鎖は散り散りに砕け、そしてその断面から悉く黒炎を噴き出し。



 「禁忌武装・グレイプニールッ!!」



 生き物のようにのたうち、香澄の周囲を取り巻く黒炎の“縄”。


 その数や熱量は、これまでに香澄が使って来た“黒鎖”のどの形態とも異なる。


 地上のあらゆる物質は、触れる事さえ出来ない温度。


 そんな高熱を常に発しながら、蠢き、プロミネンス現象を起こす。


 纏まれば、それは“小さな黒い太陽”のようで。



 「禁忌武装……。お前のそれも、やはりそうだったか」



 コキュートスを掲げながら、槙島は香澄の持つグレイプニールを睨んだ。


 ―――“グレイプニール”。


 “貪り、喰らうもの”を意味するその名を持つのは、後にも先にもこれ一つ。


 北欧神話に於いて、ドヴェルク達がフェンリルを捕縛する為に作り上げたという、神の拘束具。


 「猫の足音」「女の顎髭」「山の根」「熊の神経」「魚の吐息」「鳥の唾液」は、このグレイプニールの素材として使われたが為に、この世界には存在しなくなったと伝えられている。


 決して切れず、緩まず、捉えた者の命を喰らい続ける“縄”。


 神々でさえ手を焼く程巨大な体躯を持つ狂暴なフェンリルを捕らえ、決して放さず。



 「その武器の力を抑え込むのに、これ以上適した道具はないわよ、槙島」



 ニヤリと笑って見せた香澄だったが、その額からは滝のように汗が吹き出し、頬を伝って滴り落ちていた。



 「貪り、喰らうもの……。そして、“呑み込むもの”」


 「なに……?」


 「北欧神話に関しては、そこまで深い知識がなかったかしら? “コイツ”は、そういう意味を持つ道具。そもそも、武器じゃないのよ」


 「何が、言いたい……?」



 苦し気に息を荒げ、香澄はその“縄”の一本を手に握り。



 「この黒炎の縄に捉えられた物は、例えそれが何であれ、全てのエネルギーを喰らい尽くされる」


 「―――なっ!?」



 瞬間、香澄はグレイプニールに最初で最後の命令を下した。



 「今更気付いても、もう遅い。……行け、グレイプニールッ!」



 直後、香澄の周囲で黒い太陽を形成していた無数の黒炎が蛇のように鎌首を擡げ、四散した。


 その姿や形状は、黒鎖であった頃の“黒蛇拘”に似ているが、違いは歴然。


 射程はほぼ無限であり、そも黒炎そのものである為に切る事も触れる事も出来ず。


 しかし、捉えられれば二度と離れる事はなく、対象のエネルギーが尽きるその瞬間まで決して消える事はない。


 一方的で強力無比。

 その事実に気付き、剣を振るう槙島だったが。



 「―――捉えた」


 「チィッ!」



 コキュートスの刃で切り落とそうとしたのが、間違いだった。


 その瞬間に、コキュートスへと巻き付いたグレイプニールは、一瞬で刃を絡め取り、雁字搦めにして拘束。


 発せられる冷気が急激に低下し、グレイプニールに吸い上げられて行く。


 だが、しかし。



 「やってくれたな、香澄……。だが、そんな状態で、禁忌武装が何時まで持つ?」


 「さて、ね……。アンタが倒れるまで、じゃないかしら?」


 「フン、我慢比べか……。面白い、付き合ってやる」



 が、口ではそう言った香澄に、笑っていられるような余裕はなかった。


 理由は、槙島が指摘した通り。


 “禁忌武装”故に、だ。


 なぜ、この手の武器には真名によるリミッターが設けられているのか。

 その理由は、武器として強力過ぎるが故、使用に際し、同時にリスクも発生しているからである。


 また、そのリスクも個々によって個体差があり、より強力な禁忌武装ほど使用の際に高いリスクを伴う。


 そういう意味では、コキュートスよりもグレイプニールの方が強力な力を持っているのだが、それはつまり。



 「ハァッ、ハァッ、クッ、ハッ……ッ」


 「辛そうじゃないか。その禁忌武装、確かに効果は絶大だが、どうやらお前自身の体力まで吸い上げているようだな」


 「だったら……っ、なに……っ」


 「お前は、圧倒的に不利って事だ」



 その直後、顔を上げた香澄は愕然とした。


 槙島が手にして見せた“モノ”に、見覚えがあったからだ。



 「―――“賢者の石”ッ!?」



 首飾りのように細い紐に括られたアクセサリ。


 そのヘッドには、金の装飾が施された深紅の宝石が収められていた。―――賢者の石だ。



 「オレのコキュートスが、なぜ常時解放状態に出来ていたか、考えなかったのか?」


 「……くっ、まさか、そんな物まで持ち出して……っ」



 賢者の石。

 PYOでも特に貴重な素材アイテムの一つ。


 それ単体でも特殊な効果を持つこの石は、加工してアクセサリを作る事で、アバターの精神エネルギーを回復し続ける事ができる。


 この世界に於いて、魔力は=脳疲労。

 賢者の石によって常時回復効果が得られているなら、脳疲労は極限まで抑え込めると言っていい。


 ―――つまり。



 「オレのコキュートスは、解放状態では常時脳に疲労を蓄積させてしまう。だからこその配慮さ」


 「最……悪、だわ……っ」



 一方的に体力を削られるだけの香澄に対し、回復効果を持つアイテムで常時回復し続けている槙島。


 この我慢比べという状況で、それは余りにも痛い誤算だった。



 「読みが甘かったな、此処までだ、香澄」


 「クッ、それでも……っ、まだ……ッ」



 苦し気な表情で奥歯を噛み締め、ダラダラと流れる汗を拭う余裕もない。


 しかも、オーバードライブ状態で脳疲労もマッハだ。

 このままでは、槙島を撃退する為の余力さえ残らない。


 だというのに、槙島は更に追い打ちをかける。



 「人間、限界と感じてから尚、先はあるものだな……。どうしてそこまで意地を張れるのか、オレには理解できないが」


 「アンタと違って……っ、私には、守らなきゃならない物が、あるから……ッ」


 「フム。……なら、オレも一つ。オレ自身の目標の為に、“頑張って”みようか」


 「―――は……?」



 余りにも場にそぐわない素っ頓狂な声を出す香澄に対し、槙島は真剣に、コキュートスの刃を拘束されたまま、剣の柄を更に強く、両手で握り締め。



 「オレは……、お前が欲しい。お前の肌に触れたい。その柔らかな太ももに、脇腹に、乳房に舌を這わせ、味わいたい! 唾液を、体液を、汗の味を確かめたいんだッ!!」


 「はぁーっ!? ってか、キッショッ! キモッ!? マジで言ってんのコイツ!?」


 「オレは男だ。ヘンタイで何が悪いッ!!」



 開き直りやがった。と、香澄は完全に頭が真っ白になるのを感じたが、しかし。



 「限界の先にこそ、その桃源郷が在るというのなら……オレはッ!!」



 グレイプニールで抑え込まれているにも関わらず、その瞬間にコキュートスから膨大な冷気の波動が溢れ出した。



 「ウソでしょ……。誰よ、ヘンタイに技術を与えたバカはッ!?」


 「コレが、オレの実力だッ! 受け取れ、香澄ッ!!」



 ゴウ! と激しく音を発て、瞬く間に冷気の波動は広がりを見せる。


 オーバードライブの出力が、香澄を遥かに上回っていたのだ。



 (マズイッ、幾らなんでも、これ以上は……っ)



 槙島のその顔には、もう完全に余裕などない。


 血管が額に隆起し、目は充血し、鼻や耳から血が溢れ出していて。



 「そんなんなるほど“ヤ”りたいのかよ!?」


 「男の性だっ! 女のお前に、否定などさせんッ!」



 バカだ。真正のバカだ。と香澄はその応答に一瞬で頭の芯が冷えて行くのを感じた。



 (―――けど、このままじゃ……っ)



 余りのバカさ加減に忘れかけていたが、この状況は兎角不味い。


 グレイプニールで抑え切れない程の冷気が地表や海上にまで浸食を再開し始めていた。


 このままでは、今度こそ避難中の仲間たちに被害が及ぶ。そうなったら……と、これ以上ない程の危機感に晒された、その時だった。


 チャットログに表示された、たった四文字の単語に、香澄は安堵し、ホッと小さく息を吐いた。



 『避難完了!―――カスミ殿、最早遠慮は無用にござるよッ!』


 『コッチは……、もう、大丈夫……。やっちゃえ、姫……っ』



 和幸とシノの任務完了報告だった。


 が、それだけではない。


 タブレットからの打ち込みで、ロディアやカガラ、イライザやリヴァルトからも次々とメッセージが送られて来る。


 そのどれもが、香澄を後押しする言葉ばかりで。



 「……ったく、遅いっつーの」



 不満が口を衝くが、その顔は心底浮かんでくる笑みで頬が緩んでいた。



 「この状況で……笑う、だと?」



 それに気付いた槙島が香澄を訝し気に睨んだが、香澄は。



 「フフッ、ゴメンゴメン。別に、アンタの事を笑ったワケじゃないのよ、ウチの連中はホントに優秀だなって、ちょっと嬉しくなっちゃってね」


 「なんの……話だ?」



 聞き返す彼に、香澄は一層笑みを深め―――否、それは嘲るような物に変化し。



 「私たちの勝ちってことよ。アンタはもう、私に勝てない」


 「……。大した自信だな。ついさっきまで、苦悶の表情を浮かべて滝のように汗を流していた人間とは思えないセリフだ」



 自分の勝利が微塵も揺らぐ事はないと、槙島は尚も信じて疑ってはいなかった。


 しかし、彼はまだ知らないのだ。


 香澄には有って、彼が持ち合わせていない物があるという事を。



 「槙島、一応忠告しといてあげる。尻尾巻いて逃げ出すなら、今の内よ」


 「まるで小悪党のようなセリフだな、そんな挑発に、このオレが乗るとでも?」


 「残念だけど、挑発でも何でもないのよね、コレが。―――ま、此処で実際逃げ出されても格好つかないし? 別にいいんだけどさ」



 ただ、と付け加え、香澄は口端を三日月に吊り上げた。



 「後悔する事になるわ、絶対に。ね」



 そして、自分の中にある“妄想”のリミッターを、完全に排除する。



 「―――今より、貴様は此処に、“神”を見る……」


 「……? 何を、言って―――」



 声色と表情、そして何より、その態度の変化に槙島は首を傾げるが。


 それは謂わば、予兆。


 槙島にとっては、最後の選択を赦された時間だった。


 そこで判断を誤った彼に、最早救いの手が差し伸べられる事はない。



 「……我は罪など数えぬ。あらゆる命に、等しく永劫の安寧を齎す者なり……」


 「か、すみ……? いったい、何を……」



 その瞬間、ようやく事態の重さを理解した槙島だったが、時既に遅し。


 全てのリミッターが外された香澄の暴走―――否、妄想は止まらない。



 「頭を垂れよ。然れば、解き放とう。―――さぁ、眠れ」



 途端、香澄の身体を覆っていたグレイプニールが、その残り火さえ掻き消して散り散りとなり、黒い鎧が内側から燃え落ちて、黒炎が姿を変えて行く。


 無防備とも思えるその状態を、しかし槙島は傍観する事しか出来なかった。



 「なんだ……、それは……? お前は……。いったい、何をして……?」



 唖然。と、言うよりも、見惚れていた。


 その姿は、この世のあらゆる芸術品とも比べようもない程美しく、ただ目にしただけで、戦意どころか生きる気力さえ削ぎ取られて行くようで。


 ―――悟る。


 これは、あらゆる命が“最後のその瞬間”に見る“終わり”の象徴である、と。



 「……“死”の、化身……」



 可視化された膨大な量のエネルギーに晒され、槙島は剣を下した。


 抗ってはならない。

 受け入れねばならない。


 ただ、その時が来てしまったのだと、何故か心と頭が納得してしまっていた。



 「―――控えよ。我は、“死”と“夜”を司る者なり」



 女神は、顕現する。


 それは、夜の闇を衣と纏い、命ある全ての者に等しく“死”の恩恵を齎す存在。


 曰く、“死の女神”。

 曰く、“魂を導く者”。


 人は、彼の女神を呼ぶ時、その名を―――。



 「―――無敵の女王、ヘカテー」



 と、そう呼ぶ。


 槙島が知る知識の中にも、その名は確かに存在した。

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