第四十四話
第四十四話「内閣官房長官」
「―――はぁ……」
深い、深い、溜め息を吐いた。
金髪のツインテールを揺らし、肩を落とす白い肌の少女。
凡そ日本人とは思えない容姿で、瞳は煌くようなエメラルドグリーン。
コッペリア。
嘗て、人工知能でありながら、“alaya”の差配により人間と同質の肉体と、アバターラと同等の機能を与えられた少女。
彼女は今、内閣府庁舎地下にある“ゲストルーム”で事実上の監禁状態にあった。
何故、こんな事になってしまったのか。
理由は、彼女の配慮に欠けた行動故。
「やってしまいやがりましたわ……」
部屋は豪奢。
冷暖房管理は行き届き、ソファーもテーブルも超が付く高級品。
カーペットはフカフカで、隣の部屋には簡易的ながら冷蔵庫やキッチンまでも設置され、食べ物や飲み物にも困らない。
更に奥には寝室までが用意されており、まるで高級ホテルのスイートルームにでも宿泊しているような心地だった。
が、しかし。
不満は幾つでもあって。
「コレで出入り自由なら、言う事無しでやがりますのに……」
部屋の扉の外には、二人の黒スーツ。
上着の下には防弾スーツと拳銃を装備。
サングラスで人相も判らない上、必要最低限の声しか発せず、耳には常に無線のイヤホン。
名目は、護衛。しかし、実際には彼女の監視役。
―――アバターラ以上の戦闘能力を有する“特殊能力者”。
そんな風に呼ばれるようになったのは、何時頃からだったか……。
怪物の異常発生から札幌の街を守って戦った頃?
それとも、札幌に現れた巨大なドラゴンを撃退した頃?
ひょっとすると、街の復興に協力していた時かも知れないし、電力供給を復活させる為の自立発電所を作った時かも知れない。
救国の英雄として人々から崇められ、気分が良かったのもまた事実だったが。
その結果、日本政府にまで目を付けられてしまった彼女は、遂にこんな場所にまで連れて来られるハメになってしまったという訳だ。
「逃げ出す事は簡単でやがりますけど……」
そんな事をすれば、あの街に住む人達がどんな扱いを受けるか解らない。
彼女を此処に呼び付けた相手には、それだけの権力があった。
内閣官房長官。
防衛省の更に上に立ち、総理大臣の補佐役として最も重要な立ち位置にある人間だ。
“君の力を一都市の維持に使うのは惜しい。この国の為に協力してくれないかね?”と、持ち掛けられたのが初日の事。
それ自体には協力的な態度を示した彼女だったが、問題は官房長官の表情だった。
まるで、人を見ている目ではなかった。
仮面のような作り笑顔で心が読めない。
札幌で人々が見せてくれた純粋な笑顔とは違う。
腹の中で何を考えて居るのか、コッペリアには判断が出来なかった。
だから、条件付きでその提案を受けると答えたのだが。
手渡されたのは意味の有って無いような無駄に長い文章の契約書。
そこには、中程の辺りで内閣の決定に従って行動するという約定が書き込まれていて。
つまり、この国の為に命令があれば何でもする。と、約束させる為の契約書だった訳だ。
普通の人間なら、読み飛ばしてしまったり、見落としてしまったりするような意図的な書き方。
コッペリアの脳が持つ処理能力なら、物の一秒と理解にはかからない為、直ぐにそれを見付ける事が出来たが。
その契約を呑む事は出来ない、と書類を突っ返した所、気が変わるかも知れないから、しばらく此処に泊ってジックリ考えると良い、と言われ、この様だ。
「皆さんに、ご心配をお掛けしていやがるでしょうね……」
ふと天井を見上げ、思い浮かべたのは札幌で出会った自衛隊の仲間達の顔。
世界の異変以降ずっと行動を共にし、市民の平穏を守る為に戦ってきた戦友達だ。
脅威に対して決して怯まず、他人の為に命を賭けて武器を手に戦う姿。
それは、“あの女”が魅せた物とは異なる“気高さ”を感じる物だった。
だから、彼等に協力したいと思うようになったコッペリアだったのだが。
「上手く行かない物でやがりますわ……」
また、溜め息を吐く。
ソファーの上で膝を抱えて座る内、いったいどれ程時間が経っていたのか。
コッペリアが感じている時間の感覚という物は、人間のそれとは随分違う。
彼女は睡眠を殆ど必要としないし、食事も同様。
脳内での情報処理は人がイメージしている物と大きくかけ離れて具体的な物で。
その所為か、作業に没頭していると何時の間にか数日が経過していたなんて事もあるくらいだ。
勿論、日付や曜日感覚は正確極まりない物だから、意識的に集中して作業が行えているのだが。
「もう四日……。いったい、どうすれば良いのでやがりましょう……」
この一年の間に、彼女は多くを学んだ。
それこそ、この国の成り立ちや政治体制、歴史、果ては人種としての精神的特徴や時代毎の変化についてまでも。
お陰で、『谷那香澄』という人物について知る事も出来たし、今何処に居るのかも判った所だったというのに。
「身動きが……取れやがりませんわ……」
下手に動けば、札幌の人々がどうなるか解らない。
それこそ、官房長官がその気になれば、今の時世、自衛隊を自由に動かす口実など幾らでも作れてしまう。
自衛隊に、札幌を放棄させる選択も可能なのだ。
脅されている訳ではない。
だが、実態は何も変わらない。
このまま黙って此処に居ても、何れは直接的な脅しをかけられて強制的に例の契約を結ばされるだけだろう。
それが解っているからこそ、やはり動けない。
きっと、“あの女”なら、こんな状況を当たり前のように蹴とばして、やりたいように振る舞うのだろうけど、とコッペリアは自嘲した。
「ん〜……、どうすべきでやがりましょう……」
難題だった。
いっそ、『谷那香澄』のように、自分が最前線に立って人々を導くべきだろうか、とも考えたが。
「あんな風には、出来やがりませんわねぇ……」
決断力。行動力。判断力。洞察力。
何を取っても、彼女に自分は叶わない。
それが自覚出来る程度には、彼女も成長していた。
―――そんな時、不意に部屋のドアがノックされ。
「―――はい?」
部屋の外から聞こえて来たのは、女性の声。
「長官がお呼びです。執務室までご同行願えますか?」
思わず、コッペリアは再三の溜め息を吐いた。
どうやら、来るべき時が来てしまったらしい、と。
―――丁度その頃。
札幌駐屯地の香澄達は。
「背に腹は変えられん、とは言った物の……」
自衛官達の前にあったのは、“色とりどりの”食材の山、山、山。
敷地内にある大きな仮設テント内に用意された調理場。
そこに集まる沢山の人々。
その中心に居るのは、香澄でもシノでもイライザでもなく、ロディアだった。
「食わず嫌いってのは良くねぇ。アールヴヘイムじゃ、コイツらは列記とした食材だ。なぁ? お姫さん」
「まぁね。最初は、私も抵抗あったけど」
「食べてみると、意外に……美味しい」
イライザやリヴァルト、カガラは現在、負傷者の怪我の治療に当たって居て、この場には居なかった。
が、自衛官のみならず、空腹な筈の人々は、それでもロディアや香澄達に懐疑的な目を向けていた。
「ま、いんじゃない? 食べたくないってヤツにまで食べさせてやる義理はないわよ」
「あぁいや、君の好意には素直に感謝しているんだ、だからその……あまり、な」
「―――はぁ〜、判ってるわよ……」
人間達の反応に苛立たし気な顔を浮かべる香澄だったが、その自衛官『藤木 大輔』に遠慮気味に諫められ、渋々頷いた。
この自衛官、駐屯地に来て最初に会ったあの男で、香澄もそこそこ気に入った様子だったのだが。
(あぁ〜も、やっぱ人間メドクセェー……)
流石にフラストレーションが募り始めていた。
そこへ来て、食糧難だという話しを聞き、急遽ロディアが中心となって、この辺りに生息する現史外生物から食材を集めて来た所。
「こんな何の肉かも判らないようなもんを……なぁ?」
「これ、ホントに食べられる物なの? ひょっとして、毒とか入ってるんじゃ……」
「色が食欲を減退させてるんだよ。食い物の色じゃない」
などと、民間人達の口から愚痴が零れた訳だ。
コレに香澄が腹を立てるというのも当たり前の話し。
この食材、食糧難だという事情からロディアが率先して彼等の為に骨を折って集めてきてくれた物なのだ。
それを端から疑って文句ばかり言うのだから、香澄でなくとも気分は宜しくないだろう。
「毒って……、アンタらなぁ。こう言っちゃ何だが、アンタらを毒殺する理由がねぇだろうよ?」
「殺した所で何の益も無い。それに、わざわざ毒なんて使う必要もないのよ? アンタら皆殺しにするくらい」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべる香澄に、民間人達はどよめき、後退り。
「ま、まぁまぁ、先ずは試してみましょう。自分が初めに食べますので、それで何とか……」
大輔がそう言うと、民間人達は不満そうに彼を見る。
「アンタも大概、苦労してるわね」
「君がそれを言うか……」
ニコニコと言う香澄に、大輔は肩を落とした。
「じゃあまぁ、とりあえず調理するぜ? このままじゃ折角の食材が悪くなっちまう」
「ん、お願い。私もシノもロクに料理なんて出来ないしね」
「ロディー、ぐっじょぶ」
「お、おぅ、任せときな」
実はこのロディアなるオーク(今は人の姿をしているが)、この形で実は昔コックをやっていた事があるらしく。
狩猟で得た獲物を解体する所から高級料亭に出せそうな料理にまで一貫した調理技術を持ち合わせて居るのだとか。
実際、此処数日、アールヴヘイムからコチラへ来て以降の食事は全て彼が調理しており、その見た目や香り、味は全てが絶品であった。
「……コイツは、ギガントワームの肉だな。色は悪ぃが、そりゃアントシアニンっつぅ色素の所為だ。眼精疲労の回復に効果抜群だぜ。それに、食ってるモンの都合で鉄分やビタミン、葉酸も多分に含んでやがるから、造血効果が高い。貧血気味のご婦人方にゃお勧めの食材なんだぜ」
「そ、そうなの?」
「プルーンとかと同じね……」
ロディアの話しに興味を惹かれ始める民間人達。
が、彼は話しながらも手は一切止めていなかった。
良く切れる自前の包丁で肉質を読んで筋を取り、一口大に切り揃えて岩塩や香辛料で下味を付けて行く。
「この状態で少し寝かせて置くのが旨くするコツだ。で、その間にコッチでフルーツソースを作る。ギガントワームの肉にゃ柑橘系フルーツが良く馴染むんでな、酸味が食欲を増進するし、脂のしつこさが消えるんだ。あと、コイツはオレ様特製で、動物性たんぱく質や油脂の消化を助け、胃腸機能の低下や便秘の改善にも効果があるぜ」
フンフンと鼻歌交じりに鍋へと向かうその姿に、今や懐疑的だった彼等の視線は釘付けとなり。
「毎度思うんだけどさ……、なんか妙にエプロンと包丁が似合うわよね、コイツ」
「オレサマ、オマエ、マルカジリ」
「それそれ」
などと、食べ専の香澄とシノもその料理風景に勝手な感想を付け加えつつ……、何時しか鍋からは良い香りが立ち上り始め。
「―――っしゃ、一品目完成!」
何時の間にか頭に巻き付けていた手拭いを棚引かせ、ロディーが卓上に出した大皿には。
「ワーム肉の香草焼きフルーツソース仕立て、完成だ。おあがりよ!」
「なるほど、それがやりたかったワケね……」
「おう、昨日漫画読んだ」
溜め息を吐く香澄と、ニッコリ笑顔のミマ〇カ・ス〇ルっぽいオッサン。
が、料理その物の完成度は驚く程の高さで。
「ち、ちょっと……美味そうだな」
「凄く良い香り……」
「南国料理とかだと、こういう色も珍しくはない、よな……」
何時しか大勢集まり始めていた民間人達や自衛官達も交え、その豪勢な姿の肉料理に感嘆の声をあげる。
そして、先ずは自分が、と言い出した大輔がその手にフォークを持ち、ワームの肉に触れた瞬間。
「なっ、柔らかい……ッ!」
フォークにまるで抵抗を感じない程の柔らかさ。
加えて、突き刺さった部分から溢れ出す肉汁はジワリと煌いていて。
「そ、それじゃ……頂きますっ」
口へと運び、同時にに目を見開く。
彼の舌ではそれが何の香草かまでは判別出来なかったが、そのソースの仄かな苦みと酸味に加え、芳醇で奥深い香りだけで口内に旨味が溢れ返るのを感じていた。
が、本当に驚くべきは肉を噛み締めた瞬間に訪れた。
「肉が……蕩けるッ!?」
噛んだ触感は、まるでゼリーのような柔らかさ。だというのに、肉汁の旨味は動物性の肉その物で、コク深く、力強い。
そこに加えて、ソースの甘味と酸味が爽やかで、肉を食べているというのに脂のしつこさをまるで感じないのだ。
「美味い……、旨過ぎる……ッ!」
味見役だった事も忘れ、ついつい二切目に手を伸ばそうとする大輔に、他の自衛官や民間人達は。
「オ、オレにも一つくれ!」
「気になるっ」
「おい! オレの分も残してくれよ!」
最初はアレ程紫色の肉に難色を示していた彼等は、まるで魔法にでもかけられたようにワーム料理に吸い寄せられて行った。
「―――お粗末!」
「うん、言うと思ってた」
「期待は裏切らねぇよ?」
何時しか仮設調理場は現史外生物の食材を使った美食の祭典と化し、次々と増えて行く人々はそのロディアの作る料理に魅了されて行くのだった。
(これ、使えるかも……?)
と、感じたのは香澄。
食は偉大だ。特に、飢えた人々の関心を集めるには、恰好のエサになる。
何処の国も、何処の街でも、コッチの世界は今食糧難に陥り、穀物も水すらも足りて居ない状態。
国民の認識を改めさせる武器に成り得ると、香澄は考え始めていた。―――の、だが。
「―――香澄」
「……え」
聞き慣れた筈の、懐かしい声が彼女の鼓膜に響いた。
しかし、香澄が浮かべた表情は、何とも微妙な物。
振り返るのを思わず躊躇ってしまうくらいに……。
「あぁ……、やっぱり……」
駐屯地に来て四日。
ずっと会うのを避けていた相手に、遂に出くわしてしまった。
「久しぶり、だな……香澄」
「パパ……」
一度は捨てた筈の父親の顔は、記憶にある物よりずっと年老いて見えて。
「ちょっと、やつれたんじゃない?」
「色々、あったんだ……。色々な……」
香澄の父もまた、娘に会う事を躊躇っていたらしい。
お互いに、どんな顔をして会えば良いのか、判らなかったのだろう。
出来る事なら、このまま会わずに済ませたかった、とも思っていたのだが。
「―――先日、母さんが亡くなった。酷い怪我を負って……その後の、感染症でな……」
「そう……。あの人、死んじゃったんだ……」
思い出される母親の笑顔に、しかし香澄は。
(やっぱり、何も感じない……)
エルフ達が目の前で殺された時のような強い悲しみを、彼女は母の死に感じる事が出来なかった。
恐らくそれは、この父に対しても同じなのだろうと、予測が出来る。
愛されていた。娘として。
愛情を尽くしてくれたし、大切にもしてくれた。
だが、“何か”が違っていたのだ。幼い頃から感じていた、微妙なその違いに。
「今更なんだけどさ、聞いてもいい?」
「……あぁ」
それは、父にとっても予想出来ていた事だったらしく。
僅かな間の後、答えた父に、香澄は顔色一つ変えずに言う。
「私さ、パパとママの子供じゃないよね?」
「―――っ」
判っていた事だった。
予測していた事だった、その筈なのに。
それでもやはり、香澄の父は動揺し。
「何時から……気付いていたんだ?」
「判んない。でもずっと前からかな……。アレでしょ? ママって子供が産めない身体で、けどほら、パパの仕事の都合って奴でさ」
つまりは、そういう事だった。
香澄の母は、先天的な病で子供を産めない身体だった。
が、父は政治家という立場で大事な時だった事もあり、世間的な体裁を取り繕う為に、孤児院から赤ん坊だった香澄を引き取り、育てた。
最初は、香澄に対して愛情なんて物を持ち合わせては居なかった父だが、実の娘のように香澄を可愛がる母親に感化され始め、やがては彼も、香澄を実の娘のように可愛がるようになった。
香澄は、幼いながらもその微妙な違和感に気付いていたのだろう。
だから、この答えに行き着くのは、それ程難しい事でもなかった。
「済まなかった……。何時か、話そうとは思っていたんだが……」
「別にいいって。私もそこんトコ、これと言って特に重要だと思ってなかったし」
平然と真顔で答える香澄に、父は複雑な顔を浮かべる。
「恨んでも、くれんのだな……」
「ヤだなぁ。そんなの、私に求めるだけ無駄だって、解ってるクセに〜」
カラカラと、香澄は笑う。
香澄自身、特にこの父を嫌っては居なかった。
若い頃はストイックで、有能で、経済力のある男としては相当な値打ち物だという事も認めていた。
ただ、彼は少し、香澄が求めていた有能さとは違う物を持っていて、それは、人の心を理解しようとする姿勢で、それを政治的な取り組みとして戦おうとした姿で。
合理性に欠けた判断や、強引な手管も香澄の求める物とは違っていて。
だから、だろうか。
彼の行動や発言には、何かしら裏に別の意図が見え隠れしていたように思えて仕方がなかった。
「けど、パパは寂しいのかな、やっぱり」
「そう、だな……。こんな事にでもならなければ、こんな話をするつもりもなかったんだが……」
そう、重々しく開こうとした口を、香澄の指先がピタリと止めた。
「残念だけど、それは出来ない相談よ、パパ」
「香澄……」
「私が帰るべきは、あの家じゃない。今の私は、アールヴヘイムの第一王女カスミ・バーゲストだから」
「まだ、続けるつもりなのか……? あれだけの人間を……犠牲にして、まだ……っ」
食い下がろうとする父に、香澄は背を向けた。
「言ったでしょ。―――私はエルフの王女。エルフの為に、生きてるの。私はもう、人間じゃない」
「…………」
手を伸ばそうとして、しかし、父はそれを諦めた。
愛していたからこそ、彼女の性格という物を理解していたから。
「……すまない。詮無い事、だったな……」
そこで、彼は空気を改めた。
「香澄、話しがある。父としてではなく、一政治家として、だ」
「……なに?」
立ち去ろうとした足を止め、振り返った香澄に、父は。
「お前が探している、コッペリアという少女。あの子は今、“内閣府庁舎”で拘束されている」




