第十二話
第十二話「アバター能力」
―――地上175メートル。
高層建築物が多いこの札幌市でも、最高の高さを誇るアドバンスドブレイン社の屋上部。
緊急用のヘリポートが設置されているその場所は、兎にも角にもだだっ広く、遮蔽物が一切存在しない。
直通エレベータが無事である事を確認し、それを使って最上階まで辿り着いた私達は、強風に煽られながら屋上脇の非常階段を通って、そこに立っていた。―――の、だけど。
「ねぇ、社長さん。私さ、さっき“比較的安全な場所を”ってお願いしたわよね?」
「そうね〜、確かにそう記憶しているわぁ〜ん」
私と社長の表情は、全く同じ物。
表現し難いんだけど、何かをイロイロと諦めて、笑う力さえ失った笑顔とでも言えば適切だろうか?
「じゃあさ、“アレ”はなぁに?」
「何かしら? おっきなトカゲさんねぇ〜♪」
「いや、トカゲに羽根はないわ」
「じゃあ、鳥さんかしら?」
「アレが? 鳥に見えるん?」
「……。……。……おっきなトカゲさんねぇ〜♪」
「現実逃避すんなやっ!」
思わずガチでツッコミを入れた私が指を差しているのは、夜空を駆ける巨大な爬虫類。
全長は……考えたくもない。
恐らく、頭から尾の先までだと、あの“フィーラー”でさえ小柄に見える大きさだとは思うけど。
「というか、コッチ見てません? アレ……」
「ってか、コッチ来てますよ、社長!」
「ドラゴンだ……っ、ドラゴンですよ、アレ!」
背後でやかましく騒ぎ立てる研究員たちに。
「「わぁーっとるわ、じゃかぁしい!」」
私と社長は同時に吠えた。
「どうすんのよ。どうすんのよこの状況!」
「何とか出来そうなんじゃないの? カスミちゃ〜ん」
「それを試そうと思って来たワケですけど!?」
「じゃ、一発勝負ね♪」
「他人事かっ!」
この状況で、この女はどうしてこうもあっけらかんとして居られるのか。
心臓に剛毛でも生えてるんじゃないの?
それとも、鋼の鋳造品?
何れにしても、その根拠が行方不明な自信が今は羨ましい。
「―――じゃ!」
「ちょっ、逃げんなっ!」
カッカッカッ、と軽快にヒールを鳴らし、私から距離を取るデカパイ。
どうする? どうする? どうする?
一発勝負とか言っていたが、本当にその通りだ。
確かに、私には相応の根拠があった。
けど、立証なんて出来る物じゃない。
明らかに情報が不足しているから、それが出来るかを試しに来たっていうのに。
「あぁ〜あ、コッチ来てるわぁ……」
その巨大な空飛ぶ爬虫類―――いや、もう現実逃避や止めだ。見た目はどう考えても“ドラゴン”そのものである。
それの意識は完全にコチラに向けられていて、私をターゲットしてる。
逃げ場? あるけど、地上175メートルの高層建築ね。
飛び降りるのと、食われるのとの二択だ。
―――相対距離は、もうとっくに100メートルを切ってる。
想像通りなら、私には戦える力が備わっている筈だ。
ただし、使い方なんて全く知らないし、勝手も解らない。
(それでも、やるしかない……)
それはもう、覚悟とかそういった類の物じゃなくて、諦めに近い感情。
適当でもなんでも、出来なければ死ぬだけだ。
―――相対距離、30メートル。
ドラゴンの顔は、もう目の前まで迫ってる。
このまま、受け止められるのか?
PYOの中の私なら、そのくらいの事は“Take it easy(朝飯前)”ってヤツなんだけど……。
(あー、もう考えてる時間も悩んでる時間も無いわー)
噛み付いて来る。そう思っていたのに、目の前のソイツは、思ったよりも合理主義者だったらしい。
(あー、やっぱ鼻から吸い込んで口から出すんやねー)
たっぷりと鼻から吸い込まれた空気が肺に溜め込まれ、胸部甲殻の隙間が真っ赤に発光している。
アレ、火吹く気満々ですわ。
しかも、より安全に、コッチの射程外から。
―――なんて、考えてる暇ももう残ってなくて。
開かれた大顎。
並んだ無数の鋭い牙。
口の端からは既に高温の真っ赤な炎が漏れ出していて、喉の奥には火の渦。
一秒も経たない内、それは確実に放たれる。
それ、受け止めるのか? どうやって?
―――が、考えるよりも早く、私の身体は視界の端で“視認した物”を指先でタップ、スライドさせていた。
「……ヴァリアブルデコード!」
瞬間、燃え盛る火球が私を頭から呑み込んだ。
熱い。そう、冷静に判断できる程度の温度。
私の身体は、その炎に焼かれる処か、むしろ逆に吸い込んで。
ゴウッ! と激しい爆縮音を発てた炎は、その色調を一瞬で“赤”から“黒”に創り替えた。
「―――ッ!?」
おーおー、驚いてる驚いてる。
ドラゴンは高い知性を持ってる、なんて設定があったけど、そこまでしっかりと再現されてるらしい。
自分が吐き出した炎は、直前まで地上でイロイロな物を焼き払っていて、地面も、建物も、それこそ人も。
そこにはきっと、絶対の自信があったに違いない。
けど、残念ながら、“私は別物”だった。
「お、おお……!」
「やった! やりましたよ、社長!」
「さすが、カスミちゃんだ!」
後ろで何か騒いでるが、今は良い。
なんせ、気分が良いのだ。
もう、この世界が“現実”だなんて思えない。
此処に立っているのは、『谷那 香澄』ではなく、“エージェント・バーゲスト”なのだから。
「フン……、温いな」
私は傲慢な笑みを浮かべ、既に空高く舞い上がって距離を取っていたドラゴンを見上げた。
「私を見下ろすとは、良い度胸だ……。だが、それは蛮勇という物だぞ? ドラゴン」
ドラゴンの目は、明らかに私を警戒していた。
まぁ、無理も無い。
つい先ほどまで、容易く焼き払っていた人間共と同じ姿の小さな生き物が、いとも容易く自慢の火球を掻き消し、その姿を異様に変化させたのだから。
黒い炎を纏う、全身甲冑の人に似て否なる異形。
燃え立つような黒い髪がまるで黒羽のように翻り、チリチリと大気を焼き焦がしている。
その瞳は、最早人の物に非ず。
紅玉の煌きを湛え、万物を威圧する狩猟者の目だ。
(正直、モード選択までしてる時間が無かったからだけど……)
本当は、黒妖犬モードでも問題なかったのだろうが、如何せん時間が無さ過ぎた。
今から戻すのも面倒だし、とりあえず出来る事を試そう。と、そう思ったのだが。
「カスミちゃ〜ん……、さっさと殺っちゃってくれるかなぁ〜……?」
それはまるで、地の底から響いて来た悪魔のような声。
反射的に振り返って、私はギョッとした。
「ご、ごめん、社長さん……」
「いいのよ〜、カスミちゃんの所為じゃないもの〜。……ねぇ?」
スッゴイ笑顔だった。
恐い! めっちゃ怖い!
デカパイ社長の髪の毛が、まるでショートコントの爆破オチみたいになってる!
多分、さっき私が吸い込み切れなかった炎というか熱風で煽られ、チリチリに焦げてしまったのだろう。
普通なら噴き出して腹抱えてたトコだけど、―――アレはアカン。
女が絶対にしちゃいけない顔だ。
「八つ裂きにしてあげなさい」
「イエス・マムッ!」
有無を言わせない迫力に、ロールプレイも忘れて私は敬礼した。
余裕なんてありゃしない。
下手すりゃ私にまで飛び火し兼ねないんだから。
さて、こっからはお遊びは無し。
なんせ、下手すりゃガチで“命懸け”なんだし。
振り返り、夜空を旋回する巨体を見上げる。
距離は、1キロメートルも離れていないか、ってくらい。
でも多分、コイツの性格からして。
(また、射程外から火球を吐いて来る筈……)
それも、今度は私だけを狙って、だ。
さっきは私の背後に居た社長や松岡さん達も標的にしていたから、射軸を取る為に水平飛行をして至近から撃って来た。
けど、標的が私だけなら、その必要がなくなる。
広い範囲を狙う場合は“面”。
一列に並んだ標的を狙うなら、“線”。
そして、単体を的確に狙うなら、攻撃範囲を“点”に絞り込める。
慎重な性格なのは、一撃目の攻撃とその後の迅速な後退で良く判った。
だから、次は―――。
(―――高高度から角度を付け、最大火力で撃ってくる)
直後、その推察は的中した。
翼を羽ばたかせたドラゴンが急速に高度を上げ始めたのだ。
しかし、問題は。
(そんな距離から撃たれたんじゃ、私の攻撃が届かない……っ)
迎撃する手段を、私は持ち合わせていなかった。
いや、正確に言えば、あるにはある。
しかし、それは“魔術系”の攻撃だから、コッチの世界で使えるのかどうかもまだ判らない。
その上、私は“戦士系”の職業。
魔術系の攻撃はそれ程得意ではないし、そもそも相手はドラゴン。魔術に対して高い耐性を持ち、物理攻撃に対しても頑強な甲殻と鱗で対応し切る。
昔から“地上最強の生物”なんて呼ばれるだけはあるのだ。
では、どうすべきか。
やはり、確実なのは至近からの直接的な物理攻撃が望ましい。
だが、それでは射程が短過ぎて攻撃を届かせる事が出来ない。
ならば、物理攻撃を当てられる距離に私自身が近付く必要が有り、その為には一体何が必要で、どんな手段が理想的か。
(―――“コレ”、使えるのかな……?)
私が視線を移したのは、私の身体に巻き付いている黒鉄の鎖。
私の全身を這う黒炎の正体であり、同時にPYOで私が愛用していた“武器”だった。
しかし、此処でもやはり、問題が生じる。
情報不足で、この“武器”が何処まで使えるのかが不明なままなのだ。
(……チッ、もうコッチに向かって降下を始めたか)
ドラゴンは相対距離500メートル程の場所で遥か高みから私を見下ろし、既に翼を畳んで滑空状態に入っていた。
試している時間は極僅か。
瞬間的に意識を集中し、腕の黒鎖が“伸びるイメージ”を作り上げる。
(―――いける)
想像した通りに伸び縮みした鎖がまるで蛇のように蠢いたのを確認した。
問題は、射程の方だが……もう時間はない。
「やるしか、あるまいなッ」
ドラゴンの口内に再び赤い炎が浮かんだ。
距離は200メートル程。
見上げる私に狙いを定めているのか、はたまた避けられないようギリギリの射程を狙っているのか。
何れにせよ、奴のタイミングをズラすなら、今しかない。
「……フッ」
鋭く呼気を吐き出すと同時、私は地面を強く蹴り出した。
その初速は、既に人間のソレを遥かに超えていて、私自身の認識も微妙に追い付いていない程。
しかし、それだけにドラゴンにとっては意表を突かれたのだろう。
慌てて滑空を止め、翼を広げた事で照準が私から逸れる。
―――此処だ。
意を決した私は、ビルの端まで駆け抜けた所で思い切り膝を折り。
「いぃっくぞぉーッ!!」
コンクリートの床を蹴り砕いて全力跳躍した。
(ちょおおおおおおおおっ!! こわいこわいこわいこわいいいいいいいっ!!)
地上200メートル。
ヒモ無しバンジーとか、最早ただの手も込んでいない自殺でしかない。
私は痛みに興奮するようなドMだけれど、飛び降り自殺の趣味なんて論外である。
それでも、思い切りだけは良かったのか、私の身体はロケットのようなスピードで空を駆け上がり。
「と、どぉお……っけぇええええええええええッ!!」
「―――ッ!」
ドラゴンが私の奇行に気付き、驚いて後退しようとするが、既に遅し。
私の右腕に巻き付いた鎖が黒炎を噴き上げ、一瞬でその姿を変化させた。
イメージしたのは、槍の穂先が繋がれた無限に伸縮する鎖。
ガントレットが適した形状に変容し、射出口から“黒龍”を思わせる槍の穂先がマズルフラッシュと共に飛び出した。
「■■■■ーッ!!?」
安全圏から攻撃出来ている。とでも錯覚していたのだろう。
予想外の攻撃に、ドラゴンは目を見開いていた。
伸びる。伸びる。伸びる!
避けようが、逃げようが、どらだけ離れていようが関係ない。
翼を広げた黒龍の如く、槍の穂先は黒炎を纏う鎖と共に闇夜の空を疾駆する。
その操作は自由自在。
私が思う通りに黒龍は飛び回り、背を向けようとしたドラゴンの首へと尾を巻き付けた。
「逃げられると……思うなよッ!」
化物染みた咆哮を轟かせ、逃げ去ろうとするが許さない。
鎖はドラゴンの首へガッチリと食い込み、私はその鎖を全力で引き戻す。
すると、だ。
私より質量の大きなドラゴンは殆ど私に引っ張られる事無く、逆に質量の小さい私がドラゴンに引っ張られる事になる。
単純な物理法則の成立。
そうして私は―――。
「そぉら、私の方から来てやったぞ。覚悟は……出来ているな?」
「■■■■ッ」
鎖を引き、その首に足を掛け、耳元で静かに囁く。
それだけでドラゴンは恐怖し、全身を大きく揺さぶって暴れ回った。
が、無駄だ。
この鎖を引き千切る術を、コイツは持たない。
そして、その鎖はガントレットと直結され、私自身の一部と化している。
振り払える筈がないのだ。
故に、こうなればもう私の物だ。
「コイツは―――」
私は鎖を放ったのとは逆の腕。左拳をギュッと握り締め、全身全霊の力を込めて。
「デカパイ社長の、チリチリ髪の分だああああああぁーッ!!」
―――ドラゴンの後頭部へと叩き下ろした。
「―――■■ッ!!?」
ゴッ! と岩石でコンクリートの床を殴り付けたような鈍い音が響き、甲殻に走る蜘蛛の巣状の亀裂。
滲んで噴き出した鮮血が大気中に激しく舞い散り、私の漆黒の鎧を赤く染め上げるのだった。