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Master Code  作者: 覇牙 暁
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第九話

第九話「死者の魂を喰らう者」




 イングランド北西部、ノーサンバーランド周辺に伝わる民間伝承に、こんな物がある。


 イングランドのリーズに住む地方名士が死の床につくと、近郊の荒野に無数の黒犬を引き連れて吠え猛るバーゲストが現れた、というフォークロアだ。


 その名の語源は、ドイツ語の“棺桶”や“悪霊”であるとされ、凶兆の現れとも謂れる。


 バーゲストと呼ばれるこの不吉な妖精には、他にも幾つか古い逸話があり、それら全てに於いて、“死”に関連付けられているという特徴がある。


 また、地獄の女神ヘカテーの猟犬がモデルであるとも言われ、此処でもやはり、“死刑の執行者”という位置づけがなされている。


 故に、こうも呼ばれる。



 ―――“死者の魂を喰らう者”―――



 人に須く死を与え、その者の魂を喰らい、決して逃す事の無い猟犬。


 バーゲスト、ヘルハウンド、ブラックドッグ。


 呼び名こそ違えど、それらは全て同質の存在である。


 そして、バーゲストには、もう一つの特徴があるとされている。


 バーゲストは犬の悪霊ではなく、悪霊が好んで犬の姿を模して現れるのだという点だ。


 つまり、バーゲストは犬の姿に化けているに過ぎず、同時にそれは、様々な姿に化ける事が出来るという意味でもあり。


 ある者はこう言った。



 “バーゲストは、黒く巨大な熊の姿をしている”と。



 また、ある者はこう言った。



 “バーゲストは、黒いドレスを纏った首の無い女の姿で現れる”と。



 凶兆の現れ。

 バーゲストを語るなら、この二つを忘れてはならない。


 “死”を導く者であり、“数多の姿”を持つ、“黒い炎の悪霊”であるという事を。



 「―――ハ、ハハ……、ワタクシ、気がどうにかなってしまいそう、ですわ……」



 エーギル遺跡の最奥で、フィーラーはそう呟いた。


 根源的な恐怖。

 その姿の具現に、“彼女”は引き攣った笑みを浮かべる以外になかったのだろう。


 まだ、その姿は顕現してさえいない。

 戦ってすら居ないというのに。


 感じてしまう絶望的な敗北感。


 先ほどまでの彼女にとっての“激闘”は、バーゲストにとっては“余興でしかなかった”という事を。



 「そう逸るな。焦らずとも、直ぐに見せてやる。これが―――」



 辺り一帯を焼き尽くしていた炎が一転、まるで時を止めたようにピタリと動きを止め、次の瞬間には黒妖犬の全身を覆う漆黒のスフィアへと集束・凝縮された。


 そして、僅か一瞬の間。


 突如、黒灰がはらはらと風に舞うように解け始め、スフィアが“天上へ”と“溶け落ちて”行った。



 「―――私の核。そして、真の姿」



 地へと燃え猛る黒炎の黒髪。


 鮮血のように深い真紅の瞳。


 刃物のように鋭い切れ長の眼に、花弁を思わせる長く整った睫毛。


 スッと通った鼻筋と輪郭は高名な芸術家の作品のように均整が取れていて、薄い唇に注した黒紅は如何にも妖艶。


 そこに立つのは、バーゲストというより、むしろ“夜の女神”のようで。


 黒炎を纏う厳めしい全身甲冑は、周囲を埋め尽くす財宝の輝きすら呑み込むような闇色。


 目にした者全てを屈服させる威圧感は物理的ですらあり、その姿を目の当たりにしてしまった“彼女”は、ただただ膝を屈する他なかった。



 「跪け。そして、媚びよ。我こそ“死の権化”。“魂を喰らう者”なり」



 身体の大きさ故、見下ろしているのは自分である筈だというのに。


 フィーラーという姿を借りたコッペリアは、まるで自分の方が見下ろされているかのような錯覚に陥っていた。


 存在感の差を本能的に悟ってしまっていた。


 それ故か、死という概念に恐怖を抱く事の無いAIでさえ、心の底で祈りを捧げる。



 (―――あぁ、どうか……どうかせめて、“楽に死ねますように”……)



 バーゲストの唇が慈しみを感じさせるほど優し気に綻んだ。


 差し出すその手には、指先ほどの小さな黒炎の灯火。


 それはゆっくりと彼女の手を離れ、次第にコッペリアの眼前へと近付き、そして―――



 「せめて、苦しむ事の無きように……」



 バーゲストが童女の無垢な微笑みを浮かべた瞬間、黒炎はフィーラーの胸の辺りに吸い込まれた。



 「―――ッ」



 指先程の小さな灯火は一転、10メートルを超える程の巨体を一瞬で呑み込み、声を上げる間すら与えず、その存在を灰に変えた。



 「安らかに……」



 そう呟き、自身を黒炎で包んだバーゲストは、その姿を再び黒妖犬へと変え、静かに鉄鎖を鳴らす。


 それがまるで、自身の存在意義であると物語るように、喰らう物を喰らい、彼女は立ち去る。



 「…………」



 残されたのは、透き通る程の静寂と凄惨な戦場の跡。


 余りにも余りな戦いの果て、それを視聴していた観衆は唖然としたままそこから目を逸らす事も出来ずに居た。


 そんな時間がどれ程続いたのか……。


 誰かが感嘆の声を上げ、釣られて興奮が追い付き、直後に大歓声へと変わるのだった。



 『―――試合……終了ッ!! 勝者、我らが最強のGMこと、エージェント・バーゲストッ!!』



 MCを務めていた秋山プロデューサーの声に、大歓声は更なる盛り上がりを見せる。


 そんな中、一人エーギル遺跡の深層エリアを走っていた黒妖犬は、というと。



 「ぷはぁ〜〜〜〜〜!! 緊張したぁああ〜〜〜!!」



 此処が現実であったなら、その時彼女の顔は耳まで真っ赤に染まっていたに違いない。


 GMにとってロールプレイは基本中の基本。

 とはいえ、興奮の余り何時も以上にやり過ぎてしまったのを後悔もしていた。


 まるで、中学生の頃に戻ってしまったような中二病っぷりで、思い出すだけでもショッキングピーポーマックスである。


 全体チャットのログを見る限り、どうやらエキシビジョンマッチとやらは大成功。

 一先ずは胸を撫で下ろした香澄だったのだが……。


 ―――クラリ。


 それは、本当に一瞬の出来事だった。



 (ん……眩暈?)



 少し興奮し過ぎただろうか。


 この所、運動不足も大概な生活をしていたし、“イチクリぼたスペ”の食べ過ぎも気になっていた。


 高血圧? 糖尿病?


 思わずブルリと肩を震わせる。



 (いやいや、まだ慌てるような時間じゃない)



 それに、今時生活習慣病なんてのは医療用カプセルで寝て置くだけで勝手に治療してくれる程度の物。


 ちょっとした眩暈くらいで何を怯えているのか。


 香澄は自分が痛みに興奮する変態だという自覚が微妙にあるが、苦しいのは御免だと常々思っている。


 そういう都合か、好きな事が出来なくなってしまうような病気にも敏感で、そうなるくらいなら死んだ方がマシとさえ本気で思っていた。


 だから、このたった一度の“警告”を無視するなど、普段なら有り得なかったというのに。


 気付くべきだった。


 報告すべきだった。


 まさか、この瞬間、“PYOに接続している全てのプレイヤーが同じ症状を感じていた”などとは考えもしなかったのである。


 そして、それはPYOに接続していなかった“彼”にも同じ事が言えた……。



 「―――この能無しがッ!!」


 「っ!」



 市内某所。

 薄暗いマンションの一室で、男の怒号が谺していた。



 「申し訳……ございません……っ」


 「黙れ! オマエのような不燃ゴミを創ったのが、このオレであるなど、考えたくもないッ!」



 男は携帯端末を床に叩き付け、罅割れたディスプレイに苛立ちを突き立てる。


 ノイズが走るそこに映し出されているのは、あのビスクドールの少女。



 「お許し下さい……! 次は……っ、次こそは、必ず……っ」


 「黙れと言ったのが聞こえなかったのか……?」


 「……っ」


 「たかがゲームの荒し行為さえロクに成果を挙げられず、その上一度の敗北でエラー多発。挙句、AI風情が“怯えて”命令無視だと……? ふざけるなッ!!」



 画面の中で頽れたコッペリアにぶつけられるのは、罵声、罵声、罵声。


 彼女は、バーゲストとの闘いでブレイクスルーを起こしていた。

 本来、それはAIにとって“成長”と呼べるべき物。


 しかし、創造主である“彼”は、それを成長等とは思っていなかった。


 人工知能とは、人間の作り出したより扱い易い道具でしかない。


 理想を体現する存在として彼は完璧な物を作り出したつもりで居たのだ。


 だが、自意識と感情を与え、人間の心までも解するAIは、“痛み”を知り、“恐怖”を理解した事で人間に限りなく近い知性へと“劣化”してしまった。


 許されない事だった。


 何より、それを作り出したのが“天才”である自分だという事が。



 「―――フンッ、やはりAIに感情などという物を与えるべきではなかったのだ……。松岡への当て付けのつもりで創ってはみたが、時間の無駄だったな」



 男は床に転がったままの携帯端末を無感情で踏み付け、その上でデスクへ向かい合う。



 「マ、マスター、何を……」


 「貴様などいらん。記憶領域の無駄遣いでしかない」


 「そ、そんなっ」


 「消えろ。AIのベースデータなど幾らでもコピーできる。貴様などより優秀な手駒を創るなど、オレにとっては造作もない事なのだからな」



 男は個人端末上のフォルダを開き、“Coppelia”と記されたファイルを躊躇いなく消去した。


 同時、床の上の携帯端末から悲鳴が上がる。―――が、それも一瞬。


 僅か数秒で室内は端末が発する放熱ファンとサーバーの駆動音だけを残し、静寂を取り戻すのだった。



 「―――チッ、“アレ”のベースデータさえ残っていれば、基本システムの掌握も容易かったというのに……ッ」



 男はキーボードを高速で叩き、次々と新しいプログラムを書き上げて行く。


 その双眸に移り込む蛍光緑の光が妖しく照らし出すのは、“alaya”の文字だった……。

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