episode 05 姫巫女との契約3
「一つ言っていなかったことがある」
「なんだよ」
もう姫巫女との契約は関係ない。
全て失敗に終わった俺には、姫巫女の言葉など世間話程度にしか思えなかった。
「ワラワはお主の願いを叶えた。だが、その前に一ノ瀬咲良とも契約した」
「……え。え?」
突然入ってきた情報。胸を鷲掴みされたかのような苦しさに返す言葉が見つからない。
「本人は覚えておらぬ。何せ、死んだ時のことだからの」
姫巫女が咲良の顔を見る。なぜか嬉しそうに眺めていた。
「咲良が俺と同じように、願いを叶えたのか?」
「そうだ」
「説明しろ」
願いを叶えることの苦しさを知っている。叶えた先にある螺旋にただ流されて、自分自身だけでなく周りを不幸にしてきたんだ。
悪魔だ。一番守りたいと思っていた咲良と契約していたなんて最悪。姫巫女の奴、本当にどうかしている。
「あの公園に霊体となって一ノ瀬咲良は現れた。未練があったとみえて、願いを叶える契約の話をしたのだ」
幽霊までもが姫巫女の契約対象であることに驚いた。本当に人間じゃないな。
「しかし、自分の命はどうでも良いと答えたのだ。もちろん未練あるまま死んでしまったのは悔しいが、それが運命だったのだから仕方がないとな。強い女だ」
そうだ。咲良は強い。
誰よりも強くて、自分のために何かをしようとする女じゃない。いつも誰かのために動いていた。
「ただ、願いは叶えたいと申し出た。叶えたいものは雨宮亮。お主の幸せだ」
「俺? なんで、俺が……」
「苦しむお主の姿を見たのだと言ってな。悲しませたことを悔やんでおったぞ」
そうか。おにぎりラブレター。あれを残したまま死んで、咲良自身ひどいことをしたと悩んだに違いない。
俺は自分のことしか考えてなかったな。
「もちろん願いは叶えられる。しかし彼女は霊体。代償として払えるものが少なくてな。だから条件を付けた。その条件も、一ノ瀬咲良が考えたもの」
俺は想いを告げないという代償。咲良は幽霊だ。何を代償にしたんだろう。
「条件は、雨宮亮が一ノ瀬咲良の死を受け入れ、自分の道を歩き始めた時に幸せが訪れる、というものだ」
「俺が? 俺の行動が条件?」
「こうして一ノ瀬咲良との契約は成されたが、今度は雨宮亮が公園に現れて契約することになった。少しややこしいことになったのは事実」
姫巫女のため息がそれを物語る。俺でも頭が混乱する。何がどうなっているのか。
「でも咲良は俺の願いで死ぬことはなくなったし、咲良の願いは……」
「例え時間が戻ったとしても、願いと代償は残る。まあ、詳しく説明してもわからぬだろう」
さらっと馬鹿にされた。理解は出来ないけれど、咲良が生きていても願いが無効になることはないのか。
「なぜ困った顔をしておるのだ?」
「いや、だって……」
姫巫女が可笑しいと言い、クスクス笑い出す。
「一ノ瀬咲良に感謝することだ。お主が死を覚悟したことにより、これからの幸せが約束されるのだ。その効力はお主の契約にも反映されるであろう」
「どういうことだ?」
「つまり、一ノ瀬咲良を死なせないための代償。それが無効となる。お主にとって、足枷である代償は幸せとは言えぬのだ」
「…………よく、わからない」
待て。待てよ。俺は今、何を聞いたんだ。
代償が無効になる? まさか、何年も苦しめ続けてきた代償がなくなる?
姫巫女のジョークなのか? この後、急に笑い出して嘘だとか言わないか?
そんなキャラじゃないのはわかっているけれど。簡単には信じられない。
「螺旋の終着点だ」
姫巫女は咲良の大事にしているオイル時計を動かす。
コロコロと螺旋の坂道をおりて、下に溜まっていくピンク色の液体。最後のそれが落ち切るまで、姫巫女は何も喋らなかった。
やがて、座った俺を真っ直ぐに見下ろしてくる。機嫌が悪く、怒りを隠すことなく俺を睨みつけている。
「ワラワがお主らに負けたということ。螺旋は終わるのだ。雨宮亮の願いで一ノ瀬咲良は死を免れた。一ノ瀬咲良の願いで雨宮亮の代償は無効になった」
信じられないと、姫巫女がぼやくように言う。
「互いを想う気持ちがすれ違いの螺旋を終わらせた。こんなこと、初めてだ」
「……俺は咲良に助けられたのか?」
「そういうことになるな。嬉しいであろう?」
相変わらず上から目線。可愛らしい顔立ちなのに、何だかもったいない。
「一ノ瀬咲良に想いを伝えるが良い。螺旋は終わった。彼女が死ぬことはない。思う存分、二人で生きるがいい」
どこか投げやりだ。今回の結果、本当に不服らしい。俺だって信じられない。
「わかったな。もう行くぞ。別れだ、雨宮亮」
「別れ?」
突然、切り出される別れ。
まだ姫巫女については謎だらけ。でも青い瞳を覗き込めば、これ以上の問いには答えてくれなさそうだ。
「そうだ。一ノ瀬咲良の願いは今まさに叶えられた」
彼女の身体が青白く発光し始める。本当に別れがやってくる。
「おい、いきなりかよ」
別れ。ふいにやってきた、その時。俺はどんな顔をしていたのか。寂しいわけでも、嬉しいわけでもない。
「彼女の代償は今、貰い受けた」
「代償? おい! 待てよ! 咲良の代償ってなんだよ!?」
「悪いな。本人以外の人間に説明は出来ぬ。それに時間がないのでな」
「この、悪魔!」
思わず立って叫んでいた。我ながら子供っぽい。
「ふっ。すぐに天使と言いたくなるであろうよ。さらばだ、雨宮亮」
「二度と出てくるな!」
あっさりと姫巫女は消えてしまう。俺は静かな空間に取り残されて、立ち尽くしていた。




