episode 05 思い出眠る場所で1
「気をつけろよ」
「ちょっと速いって」
「シッ! 誰かいるかもしれないから、静かに。そして速く」
「亮ちゃん、注文多い」
明かりの全くない階段はかなり危険だ。適当なスリッパを履いてきたものの、暖房のない室内は寒い。
そこを歩かせるなんて、ちょっとどうかしていると自分でも思っている。反省はしてないけど。
「階段ってこんなに狭かったかな」
静かにしろと言っているのに、喋ることをやめない。たまたま来賓出入口が開いていてラッキーだと思い込み、こっそり忍び込んだ。咲良の声でバレたらどうするんだ。
三階まで来ると窓からの明かりが廊下を照らしていた。
月明かりだ。残念ながら満月じゃないけど、綺麗なことに変わりはない。
「なんか、懐かしいな」
思い出すのは制服を着た咲良。よく一緒に怒られたな。バカみたいにはしゃいでいた気がする。
楽しい思い出の一方で、悲しいこともたくさんだ。いや、苦しいことばかりが俺の中でふくらみ続ける。
「若かったよね」
俺たちの母校は何一つ変わっていない。
暗くてよく見えないが廊下も階段も教室も懐かしい。教室の中の教壇や机、時計やロッカーもそのままだ。
「とりあえず、この中に入るか」
俺は咲良を引っ張って適当な教室に入る。スマホを取り出して時間を確認すると、午後七時前だ。
「なんかドキドキしちゃった」
窓際の椅子に座って、やっと俺たちは手を離した。
「まさか学校に忍び込むなんて」
「スリルあっただろ」
「誰かに見つかったらまずいんでしょ?」
「誰かさんが静かにしてたら、見つからないさ」
咲良は膨れっ面をしながら睨んでくる。だから変顔はやめて欲しい。
「亮ちゃんってたまに厳しいよね」
「だから――」
「自分には弱いくせに」
「は?」
「タバコ!」
忘れていたことを思い出して、俺は椅子を蹴り飛ばしてしまう。
「まままままさか、母さんに言って」
「言ってないよ」
「……そう」
驚かせないで欲しい。母さんはタバコをものすごく嫌うから、家を追放されるところだ。
「祐介くんには言ったけど」
「ぐ。弱味を握られた感じがする」
何か奢れと言われそうだ。タバコなんて吸うんじゃなかったと、今更後悔しても遅い。もう、やめたけど。
「それで? 高校に何の用があるの?」
咲良が話を振ってくる。
「ほら、あっちの方向見てろ」
「え?」
俺は椅子に座り直す。
俺たちの通っていた高校は、緩やかな坂道の上に建っている。丘のような場所にあるからか、街全体が見られそうなほど綺麗な夜景。
午後七時ちょうど。赤と緑の花が夜空に咲いた。
「花火?」
「母さんにきいたんだ。クリスマスのイベントでやってるって」
「あ。そういえば、そんな宣伝してた気がする」
「会場があの先の河川敷。だから、高校から見えるんじゃないかって思ってさ」
この花火のことを母さんにきいていたのもあるが、高校の教室に入りたかったという気持ちもあった。
祐介の方はどうか知らないが、俺としては運良く別行動出来た。二人きりになれたことはありがたい。
「すごく綺麗」
そう言った咲良の横顔は、花火の光で様々な色に変化する。
真っ直ぐに見つめる先にある夜空。それを突き破るような花火が、俺の心を動かす。きっかけがないと動けないなんて、情けないけれど。
「咲良」
「ん?」
「これ、覚えてるか?」
俺はコートの内ポケットにしまっておいたそれを机に置く。連続した花火のおかげで、それははっきりと見えた。
「それ、なんで?」
咲良は目を見開く。小さなピンク色の水が螺旋状の階段を下っていく。咲良が大切にしているオイル時計だ。
「ちょっと借りてきた」
「わたしの部屋から?」
「咲良のお母さんには許可もらったよ」
「わたしの知らないところで何やってるのよ?」
咲良はオイル時計を持って遊び始める。
咲良のお母さんから預かった時、埃さえかぶっていなかった。聞いてみると使わない時は箱に入れてあるのだとか。
「大事な話……」
「え?」
「大事な話があるって言ったよな?」
「うん。ききたい」
緊張する。何から言っていけばいいか迷う。
俺は一度立ち上がって、花火を見るふりをする。何度も深呼吸を繰り返し、胸に手をあてる。
心は決まった。
迷うな。恐れるな。自分で決めた道だ。文句は言わせない。
「咲良」
ゆっくりと振り返って咲良に向き直る。
「そのオイル時計の話、覚えてるか?」
「え? オイル時計の?」
俺は座って咲良の目の前に小指を立てる。それを見た咲良が一瞬ぽかんとした表情を浮かべる。
しかし、すぐに気づいたみたいだ。
――――約束。
あの日に交わした約束を咲良はしっかり覚えている。忘れてなんかいない。忘れようとしていただけ。




