episode 01 朝飯はどこだ
ここは俺の家。それは間違いない。今は朝で、出勤前の母さんの姿もキッチンにある。確かなことだ。
「おばさん、この卵焼きおいしい! もしかしてだし巻き卵?」
「そうよ。咲良ちゃん今度作ってみる?」
「教えてくれるの?」
「いいわよ」
「やったー!」
俺の大好物のだし巻き卵にかぶりついてるのは咲良。左手には俺のお茶碗。味噌汁まですすっている。
待てよ。使ってるのは俺の箸じゃないか。お前は雨宮亮ではないだろう。一ノ瀬咲良だ。
「俺の飯は?」
極力、穏やかに聞いてみたものの無視された。女子トークの真っ最中に話しかけた俺が悪いのか。
いや、勝手に人の飯を食う咲良はなんだよ。お前、すでに食ってきたんだろ。
「ごちそう様でした」
あっという間に食べ終わった咲良は立ち上がってカバンを持つ。何食わぬ顔で俺の横に立った。
「亮ちゃん、学校行くよ」
「いや、俺の朝飯は?」
「わたしが代わりに食べました。ごちそうさまー!」
「待て、待て」
代わりに食べたからって腹がふくれるわけじゃない。この空腹感はどうしてくれる。高校に行くどころじゃない。
「腹減ったんだけど」
「食べてる時間はないの。もっと早く起きなさい! 仕方ないから、わたしお手製おにぎりあげる」
「今日はなにが入ってるわけ?」
「ハンバーグ!」
咲良から野球のボールみたいなまるいおにぎりを受け取る。どっしりしている。力強く握りすぎて固いのが「咲良特製おにぎり」の特徴。通称、爆弾。
「いいわね、亮。いつも咲良ちゃんのおにぎり食べられて。いいお嫁さんになるわよー。逃さないようにしなさいね」
母さんがニヤニヤしながら俺を見る。すでにバッチリ化粧をした姿は、普段の干物状態からは想像出来ないほどの変貌。
母さんが結婚とか言うとしっくりこない。物心ついた頃には離婚して父親はいなかったし、会うこともない。
というか、朝からなんでそういう話になってるんだ。
「なんだよ、それ」
「だから、いずれ結婚するんでしょ?」
「ばばばばばかなこと言ってないで、さっさと会社行けよ!」
「おおう、思春期。あんた達も急ぎなさいよ」
咲良がそれを聞いて、なぜか恥ずかしそうに俺の背中を押す。お前が恥ずかしくなってどうするんだ。
「行くよ」
「押すなよ」
「押さなきゃ動かないでしょ」
「お前さ、毎朝ウチで飯食うなよ」
「いいじゃん! 減るもんじゃないし」
「いや、減ってるから!」
漫才をやらされている気分。疲れる。
「ほら、もう行かないと遅刻だよ」
母さんが時計を指さす。もう十五分もない。
「やっばーい! 亮ちゃん、行くよ!」
「引っ張るな!」
腕を引っ張られ、靴も適当に履いて走る。学校が近いからと言って、ゆっくりしすぎたな。
「行ってきます」
「おばさん、ごちそうさま。行ってきます!」
「気をつけてね!」
すでに遠くに聞こえる母さんの声。俺は咲良を追いかけるように走る。
夏の暑さの中をひたすら走り、汗で制服が張り付くのも気にしていられない。止まったら確実に遅刻だ。
教室に入ったら、まず水を飲もう。
しばらくすると校舎が遠くに見え始め、このぶんだと間に合うと思った矢先だった。
「もうダメ」
咲良が急にしゃがみ込んだ。俺は心配になって顔を覗き込む。
「どした?」
「お腹痛い」
「は?」
「ついでに気持ち悪い」
「お前、食べ過ぎだろ」
「だって、おばさんのご飯。美味しいんだもん」
動けない咲良を放置するわけにはいかない。俺がため息をつくと、
「ごめん」
悲しそうに言うから余計に怒れない。
「いいよ。歩けばいいんだから」
「怒ってる?」
「怒ってねえよ」
「……ありがとう」
結局、2人揃って遅刻だった。