episode 03 大切な思い出2
「思い出といえばさ、小さい頃のことを思い出すの」
パチパチと石を置く音が教室に響く。
俺が黒の石を置くと、すぐに咲良は盤面を白にする。さすが咲良だ。話しながらなのに隙がない。
「亮ちゃん。保育園にいた時のこと。覚えてない?」
「保育園? どれのことだ? 俺、そんなに記憶のストックないぞ」
「メモリーカード足しておきなよ」
「容量足りないパソコンみたいに言うなよ」
思えばこうやってバカみたいなやり取りするのも久しぶりだ。
実際、受験で忙しかったのもあるし、俺が避けていたのもあるし、本当に変な高校三年だった。
「わたし、はっきり覚えてるんだ。すごい雨の日。亮ちゃん、ずっと滑り台の上にいたの。びしょ濡れで」
咲良の記憶によれば、雨が好きなのは昔から変わらないらしい。
俺が黙っているのを忘れていると判断した咲良は、丁寧に説明してくれた。
「保育園はもう終わってたんだ。わたしが帰る時に亮ちゃんを見つけたの。そりゃあ、びっくりしたよ。ついに幽霊見たのかと思うくらいびしょ濡れで」
珍しく咲良の手が止まる。思い出しているのか、ニヤニヤと笑っていて気持ち悪い。
「亮ちゃんはお迎え待ってたんだよ。あの日、おばさんが仕事で迎えが遅くなるってきいて。亮ちゃんはショック受けてあんな所にいたんじゃないの?」
「覚えてないな」
そんなふうに反抗していたのだとしたら、母さんに相当な苦労をかけていたんだろうな。
何せ保育園の頃だ。三歳くらいか。通っていたのは覚えているけど、細かいことまではわからない。雨の日ってのは、何か引っかかるけど。
「わたしその頃さ、亮くんって呼んでたの。亮ちゃんって呼ぶのはおばさんだけ」
「そういえば、母さんにはそう呼ばれてたな」
「わたしさ。おばさんの真似したら、滑り台から降りてくれるかなって思って。亮ちゃんって呼んだんだ。そしたら、本当に降りてきてくれて。なんて言ったと思う?」
「さあ」
さすがにため息。仕方がないだろ、全く覚えていないんだ。
「咲良にそう呼ばれると安心するって言ってくれたの。嬉しかったなぁ」
まさかの、亮ちゃんという呼び方を受け入れたのは俺自身。記憶にないけど、雨の冷たさとかは覚えている。
「ちょっとだけ、思い出したかも」
「ほら。やっぱり忘れてただけなんだよ!」
そうだ。咲良に見られたくなかったんだ。泣いているところなんて。
だから、雨の中にいた。
咲良に呼ばれて、それが嬉しくて雨が好きになったのかもしれない。推測でしかないけど。
「わたしにとって、大切な思い出なんだ」
「じゃあ、その大切な思い出を覚えていない俺のことなんて嫌いだろ」
「そんなことないって」
昔のことを話し出すなんて、どうしたのかと顔を覗けば微笑み返すだけ。咲良には何か思うところがあるみたいだけど、それを追求も出来ない。
追求したら、変わってしまった俺のことにまで話が発展しそうな気がするんだ。だから、黙っていることにした。
リバーシは半分くらいが終わり、黒の優勢。このままいけば咲良に勝てそうだ。
「亮ちゃん、大学は地元じゃないんだよね」
徐ろに咲良が問いかけてくる。リバーシに夢中になっていた俺は驚いて手が止まる。
「ああ。一応、東京」
「都会か。ここから電車で約三時間! 遠いなぁ」
俺が地元に残る選択をしなかったのは、一緒だと辛かったから。
わざわざ離れるために勉強していたこと、咲良は気づいていると思う。だけど、咲良が理由を聞くことはなかった。
「塾に通っていただけのことはあるね。わたし、地元の大学で精一杯だったよ」
「見直したか!」
「うん。努力ってすごいね」
悲しそうに笑う姿が見ていられなくて、盤面に目を落とす。
「いつ、東京に行くの?」
「まだはっきりとは決めてない。三月後半かな」
「都会の女に騙されないようにね」
「騙されるか!」
「どう見ても亮ちゃん、カモだよ」
「俺は人間だ」
「そうかなぁ」
「悩むなよ」
バタバタと廊下を走る音が聞こえたのはその時だ。
「いた! オレのバッグ知らない?」
勢いよくドアを開けながら、祐介が駆け込んできた。
「咲良が確保してる」
「咲良ちゃん!」
「先に帰るなんてすれ違いが起きないような対策をしておいたの。頭いいでしょ、わたし」
「えー」
「ほら、祐介のやつ困ってる」
どうやら探しまくっていたらしく、安心と疲れが一気に押し寄せ複雑な顔になっている。
「祐介、お疲れ様」
「亮! 本当に咲良ちゃん、なんとかしてくれよ」
「知るか」
その時、咲良の手が黒の石を次々と返していることに気づいた。パチパチと教室に響く軽快な音が止まらない。
「は……」
「咲良ちゃんの逆転ですよ」
「待て、待て!」
「待ったなし!」
「あー!!」
ほとんど白に埋め尽くされてゲームオーバー。また負けた。
何度もこのボードゲームで咲良と戦ってきたが、一度も勝ったことないとか、シャレにならない。
「終わっちゃったな」
「帰るか」
「なあ、久しぶりに三人揃ったんだし、昼くらい食べに行こう!」
祐介の誘いに、咲良の顔がぱっと明るくなる。
「今日だけ、だからな」
さっき咲良に言ったことを祐介にも言う。すると今度は祐介の顔も満面の笑みに変わった。
「よし、行こう! 亮の気が変わらないうちに早く、早く!!」
祐介が荷物を持って廊下に出る。俺たちも片付けを済ませてから、祐介の後を追う。
教室から出ると、急に淋しさが込み上げてくる。
思い出すのは二年までの楽しい日々で、三年は記憶に残るほどのものはなかった。それだけに、なぜか無駄でもったいない一年だったように感じてしまう。
「亮ちゃん、どうかした?」
前を行く咲良が心配そうに覗き込んできた。
「なんでもないよ」
卒業。
ここから卒業して、俺は一体どこへ向かおうとしているんだろう。




