episode 03 なくてはならない存在
「あら、亮ちゃん。ウチに来てくれるなんて何年ぶり?」
咲良のお袋さんが、玄関先で目を丸くする。
俺だって何だか気恥ずかしい。咲良のお袋さんには何度も会っているけど、自宅訪問は久しぶりすぎて緊張する。
「おはようございます」
とにかく挨拶をする。朝早くに来るなんて、迷惑と思ったが我慢出来なかった。
「いつも、迎えに来てくれるから。今日は俺が――」
「まあ、そうだったの!? 来るのがわかってたら、ごはん作ったのに」
まさかの咲良と同じ感覚だ。爆弾おにぎりじゃないだろうな。
「そうだ! お味噌汁のんでいきなさいよ。今日は具沢山よぉ」
何でこんなに嬉しそうなのかわからない。けど、お袋さんが言うならお邪魔するしかない。断るのも悪い。
「お邪魔、します」
「わお! 我が家に男の子がくるなんて、ママちゃん興奮しちゃう!」
ママちゃんって。なんて可愛らしいお袋さんだ。こんな人だったっけ。
母さんと親友って仲だし、普段はこのくらいハイテンションなのかもしれない。母さんに毒されている気がしないでもない。
「咲良呼んでくるから、キッチンに行って座ってて!」
「あ、はい」
そそくさと二階へ行ってしまったお袋さん。それを見送ってから、俺はキッチンに入る。
我が家と違って整理整頓が行き届いている。さすがだ。
「亮くん、か」
まさかの親父さんもいた!
「おは、よう……ございます」
いつも朝は早くて会えないと咲良は言っていたのに話が違う。
俺は父親という存在が苦手だ。そう、母子家庭であるせいか付き合い方がわからない。話し方がわからない。大人の男がわからない。とにかくピンチだ!
「相手方のトラブルで、今日の業務開始が遅くなったんでな」
のんびりとアイスコーヒーを飲みながら新聞を読み、聞いてもいない俺の疑問に答えてくれる。
めちゃくちゃ空気の読めるすごい人だ。
「好きに座るといい」
「はいっ」
緊張する。
咲良、早く来てくれ。予定にないことばかりで、そろそろ俺は倒れるかもしれない。とにかく落ち着くんだ。
俺は目に付いた椅子を引く。
「待て。そこは母さんの席だ」
「す、すみません」
俺は横にズレて違う椅子を引く。
「そこは咲良の席だ」
「すみません!」
「冗談だ。そこに座っていなさい」
冗談だったのか! 冗談がわからない。笑えばいいのか? 笑わない場面なのか? そもそも、どれが冗談だったんだ。
助けてくれ、通訳してくれ、どうやって会話のキャッチボールすればいいんだ。
そうだ。咲良の親父さん、無口だってずいぶん前に聞いた気がする。そんなこと、気にも止めてなかった。
その前に仏頂面で黙っていられると、怒られている気分になる。
とにかく俺は座る。まるで面接かのように、足を揃えて手は膝の上だ。
「亮くん、すまないな」
「え?」
俺が顔を上げると、真っ直ぐに見つめ返されて硬直してしまう。
「咲良がいつも、お宅でご迷惑をかけているみたいだ」
「いや、そんなこと!」
突然、謝られて慌てる。
多分、親父さんなりの穏やかな表情をしているらしい。よくわからないが。
「明るく元気なのはいいが、周りの迷惑を考えないところがあってな。少し困っている。亮くんも、遠慮なく言ってくれて構わない」
「いえ、いつも咲良には助けてもらって。頼りにしてますから。それに……」
無口だとは言うが不思議だ。思っていることをみんな喋りたくなる。さっきまでの緊張が嘘みたいだ。
「咲良はしっかりしてますよ。ちゃんと迷惑にならないように心がけてます。周りを見て、空気読んで、だからこそクラスのムードメーカーなんです。羨ましいくらいに、なくてはならない存在ですから」
俺は何を語っているんだ。咲良がしっかりした女であることは、誰よりもご両親が知っている。それをわざわざ他人の俺が言うなんて、気分を悪くされているに違いない。
「うは! 亮ちゃんがマジでいるよ! 朝なのに起きてるよ! 奇跡だよ!!」
気まずい空気を打ち破るようにキッチンに来た咲良。撤回したい。空気を読むと言ったことは、俺のミスだ。
「パパ?」
「……ん。そろそろ出る」
「あら、あなたもう出るの?」
咲良が騒がしく入ってきたと思ったら、親父さんが立ち上がる。やっぱり怒っていらっしゃる。
咲良の後ろからやってきたお袋さんは、親父さんについていく。キッチンには俺と咲良の二人だけになった。
「亮ちゃん」
「なんだよ」
俺は今、それどころじゃない。謝るべきか悩んでいるんだ。
「なんで起きてるの? なんでウチにいるの!」
「悪いか」
「なんで? なんで? あの寝起きが悪くて、どーしようもない亮ちゃんが起きてるなんて」
「酷いな」
咲良は本当に事故に遭わないのかと、不安で来てしまったんだ。
俺はまだ夢を見ているみたいで、咲良が突然いなくなってしまいそうで怖い。
「ところで、パパとなにを話してたの?」
「え。あー。世間話?」
「違う気がする」
「なんで?」
「あんなに嬉しそうなパパ、久しぶりに見たから」
あんなに嬉しそうな? 俺には無表情に見えたけど、嬉しそうな顔をしていたのか。ますます、わからない。
「ねえ、なんの話してたの?」
「秘密だよ」
急に恥ずかしくなった。むくれた咲良には悪いが、あんなこと二度と言えない。
ただ、この緊張感ある朝は俺の精神を削り取った。よって、咲良を迎えに来るのは今日が最後だと俺は勝手に決めた。




