episode 03 今のままで
雨が好きだ。昔からなぜか、傘をささずに濡れるのが面白くて、よく母さんに怒られた。それは今でも変わらない。
夏の夕方。突然降ってくるあの激しい雨。周囲の音が聞こえなくなるくらいうるさくて、でも何か訴えているみたいで好きなんだ。
世界に一人しかいないような感覚に陥る。そんな孤独感に安心するなんて、俺は少し変なのかもしれない。
でも、今日だけは違う。その孤独感が、一つの代償と願いによってより強く俺を追い詰める。怖かった。
あの日は祐介と遊んで帰ったけど、俺は今それどころじゃなかった。咲良がいる。咲良が生きて、俺の家にいるはずなんだ。
走って自宅前まできた。息が上がっていたが、それを整えるより先にドアを開ける。
玄関には綺麗に並べられた咲良の靴。カバンも階段横にある。やっぱり咲良がいる。
「咲良……」
キッチンで物音がする。俺は一直線にキッチンに向かう。
「さく……っ」
「あら、亮。お帰り」
母さんだった。
「た、だいま」
噛み噛みだ。そして俺を見た母さんが勢い良く歩いてきて、思い切り頭を殴る。背伸びまでして殴るのはやめてくれ。
「亮! あんたまた傘ささなかったの!? 着替え! 早く!!」
「でも、さく……」
「でもじゃない! 着替え!! シャワー!!」
物凄い剣幕だ。逆らえない。
咲良はどこにいるなんて聞ける状況じゃない。多分俺の部屋なんだろうけど。
「早く!」
「……はい」
仁王立ちする母さんから離れ、俺はシャワーを浴びるために離れる。どちらにしても怒られる運命だったらしい。
バスルームにはしっかりと着替えが置いてあって、さすが母親だと感心してしまった。すまないとも思うけど。
俺は仕方なく制服を脱ぎ捨てた。
いつの間にか家の中は静かになっていた。午後七時を過ぎたというのに、母さんはどこへ行ったんだろう。
風呂あがりで身体が熱くなった俺は、キッチンでスポーツドリンクを一気飲み。
すぐに二階に向かう。まだ咲良は俺の部屋にいるみたいだ。
「咲良!」
「うわ、わ! 亮ちゃん!!」
咲良は座っていた椅子から転げ落ちる。何をしているのか。
「ちょっと! 頭打って死んじゃったらどーすんの!!」
「シャレにならんこと言うな」
「だって亮ちゃん、お化けみたいに出てくるから!」
言われて初めて、前髪から滴る雫に気づく。確かに、ちゃんと頭を拭いていなかった。お化けと言われても仕方ない。
肩に掛けていたタオルで頭を拭き直す。咲良はその間に椅子を戻していた。
「で? お前、なにやってたわけ?」
俺が聞くと、咲良は顔を真っ赤にして何かを隠す。
「なんでもない!」
隠したものに心当たりがある。あの日に俺を泣かせた手紙。ラブレターだ。
それを受け取るわけにはいかない。見るわけにはいかない。何が何でも、それだけは阻止しなければならない。
俺は無視を決め込んだ。
咲良は何気なくテレビをつける。バラエティ番組を観るフリをしているが、耳が赤くなっている。全く内容が頭に入っていないのがバレバレだ。
「おばさんから伝言。ちょっとコンビニ行くから、夕飯は適当に食べてねって」
「明日は確か会議とか言っていたかな」
「よく知ってるね。いきなり決まったとか言ってたよ?」
「あ……えっと。メールで……」
しまった。また失敗した。会議の話なんてしてなかったはずだ。
もう一度、同じ日を繰り返すのって結構難しい。言う前に、とにかく考えなきゃならないな。正直、面倒だ。
「ありがとな」
「え?」
「その、母さんの伝言。俺に言うためにずっといたんだろ?」
咲良の体ってこんなに小さかったんだな。
あの頃と同じだと思っていた。俺の頭はいつもお花畑すぎて気づきもしなかった。
同じ目線だと思っていたのに、いつの間にか俺は咲良の身長を抜いていた。
俺は男で、咲良は女で。変わっていっていたのに、気づかないなんて本当にどうかしている。
祐介が惚れるのも今ならわかる。咲良は誰が見ても女なんだ。
「亮ちゃん?」
「なんだよ」
気づけば咲良は顔をしかめ、唇を突き出している。変顔としか思えない。一定の距離を置いて、細めた目は俺を凝視したまま。
「キモイ」
「は?」
「亮ちゃんが感謝するとか、キモイ。やめて」
何か、俺は間違っていた気がする。
咲良はやっぱり咲良だ。しかし、酷い言われようだ。
「キモイとはなんだ」
「亮ちゃん、いつも不良みたいだもん」
「なんだよ、それ」
「亮ちゃんが素直な時って、だいたい何か隠して……ん? 亮ちゃん! なにしたの!!」
咲良は腰に手をあて、母さんのように睨んでくる。
「なにもしてないから」
「嘘!」
「本当だから」
「じゃあ証拠は?」
「なにもしてない証拠を提示しろとかおかしいだろ!」
「またスカートめくりした?」
「いつの話だよ」
「そうだ! 祐介くんの話のこと?」
「……弁護士を呼んでくれ」
頬をふくらませて、まだ睨んでくる咲良。それを笑って見る俺。
こんなやり取りでさえ楽しい。そばにいることが嬉しい。
まだ、大丈夫。願いを叶えて、代償に悩んで苦しむと思っていたけど、そんなことはなかった。
今のままでいい。このままでいられたら、それだけで俺は幸せだ。




