episode 02 月夜に願う3
普通だったら聞く耳を持たない。だけど、俺は気づいてしまったんだ。この小さな空間の異常に。
時の止まった公園で、動いているのは俺たち二人だけだ。風はやみ、木々はざわめくことをやめてしまった。おまけに落ちている途中の葉っぱが、姫巫女の後ろで浮いたまま。
異常な空間はきっと、姫巫女が作り上げたんだろう。公園だって実際にあるのかどうかわからない。
「なんでそこまでしてくれる?」
「ワラワは人間のことはよく知らぬ。特にお主のような恋をする人間のことはな」
「恋なんて!」
「よい。全てわかっておる。知りたいと思っただけのこと。せいぜい足掻いて、お主の辿り着く世界を見せておくれ」
姫巫女は微笑む。俺としてはかなり上から目線で馬鹿にされ、全く面白くない。
「さて、どうする? 願いを叶えるのか、叶えないのか」
姫巫女の冷たい目が俺を見下ろす。ブランコになんか座るんじゃなかった。気分が悪い。
月明かりに照らされた姫巫女の肌は真っ白で、本当に幽霊みたいだ。人間らしく動くのは瞳だけ。
「本当に咲良が?」
「ワラワは嘘をつかない」
もし、これが嘘だとしてもやっぱりそうなんだと、諦めるだけのことだ。だったら、やるしかないんじゃないのか?
「悪魔の誘いにのる。願いを叶えて欲しい」
夢でも現実でもどっちでもいい。姫巫女は願いを叶えると言っている。絶対に無理な願いを叶えると。
だけど、こんな夢みたいなものにすがるなんてどうかしている。俺はこんなにも弱い人間だったのか。自分にがっかりだ。
気持ちが二転三転して落ち着かない。でも結局、俺の気持ちは最初から決まっていた。
咲良を助けたい。また、会いたいんだ。
「心が決まったようだの。では、改めてお主の願いを言うがよい」
「咲良を死なせたくない。あの事故をなかったことにしたい」
はっきりと言葉にする。すると姫巫女は頷いた。
「では時間を戻し、事故がなかったことにしよう。それでよいか?」
「ああ」
姫巫女は冷たく笑う。
「ただし条件がある」
心の中で、やっぱりなと思う。
最初から彼女は、自分のために願いを叶えると言っていたのだ。それに、こんなにもあっさりと簡単に事が進むはずがない。
しかし、俺はどんな条件でも受け入れるつもりでいた。咲良が生きていてくれるなら。
「俺の命でも何でも持っていくといいさ。咲良が生きていられるなら」
俺は咲良のことが好きだから。
「ならば、お主の恋心を貰おう」
「心?」
「一ノ瀬咲良に想いを告げてはならない。これが条件だ」
時が止まったかと思った。
今、姫巫女は何を言った? 咲良に、想いを告げるな? 俺が咲良に好きだと言ったらアウトってことか。
「さすが悪魔だ」
俺は顔が引き攣るのが、自分でもわかった。この条件で普通でいられるなんておかしいだろう。
「もしも禁を破るようなことがあれば、一ノ瀬咲良は同じ運命を辿ることになるだろう。因みにワラワのことも話すでないぞ」
何かが崩れる音が聞こえる。
俺はこの期に及んでハッピーエンドを願っていたらしい。馬鹿みたいに、幸せになれるんだと勘違いしていた。
「運命というものには一定の流れがある。決して逆らえないものだ。願いを叶えるということは、それを逆らって生きるということになるでの」
俺の想いなどわかろうともせず、姫巫女は訳の分からないことを話し始める。
「螺旋、とワラワは表現しておる。運命に逆らっても、行き着く場所は同じ。運命という真っ直ぐな道をぐるぐると回りながら傷ついて悩んで苦しんで、それでも同じ方向に進む螺旋」
つまり咲良を甦らせるという願いを叶えたとしても、苦しむことになると言いたいらしい。
「運命という道から離れ、自分なりの真っ直ぐな道を作り出せればお主の勝ちだ。運命に逆らえず、それを受け入れたらお主の負け」
「それで?」
「覚悟はあるかの? 螺旋という茨の道を生身で行く覚悟だ。願いを叶えるという代償は、そのくらいのものがある」
異質な空気は背筋が凍るほどの重さがあった。
今、姫巫女は試している。俺の覚悟を。そこまでして叶えたい願いなのかという判断をしているんだ。
「……決まってる」
答えなんてすでに出てる。告白なんてしなくても幼なじみでいられる。近くにいることだって出来る。祐介っていう、任せられる友達がいる。
だから決まっているんだ。俺がやれることは咲良を見守ること。ただ、それだけだ。
「願いは咲良の命。生きていてほしい。変わらないさ」
「よいのだな?」
「……頼む」
「契約成立だ」
姫巫女が初めて心から笑う。微笑むその顔は可愛らしい。女の子らしいその優しい笑顔に、俺はまた魅了される。
姫巫女が滑らかに俺の回りを歩き、舞う。衣が何度も目の前を過ぎ、優しい香りがする。
どのくらいの時間舞っていたのか。長いのか、短いのか、まるでわからない。声をかけることも出来ないまま、俺はただそれを眺めていた。
やがて姫巫女は正面に立ち止まり、ゆっくりと手を合わせる。
次の瞬間、あまりの眩しさに驚いて目を腕で覆っていた。




