第1話 Part1 「おはよう異世界」
「おはよう芦田!今日はもう上がりか。」
無駄に威勢のいい声がかかる。夜なのにおはよう
という挨拶なのは、24時間営業の店にはよくあることだ。
この声のハリが朝には失われるのだから、夜勤というものは非人道的だとつくづく思う。
「はい、8時までしか働けませんから…。じゃ、お先に失礼します。なんか、やけに眠いんですよ…。」
そう、この眠さは尋常じゃない。脳が機能停止寸前だ。早急に寝たい。
「そいつはお疲れさん。グッスリ休んでこい。
まぁ、朝の清掃の時間には起こすがな(笑)」
「いや、先輩、別に俺の所はいいですよ?」
「だが断る」
「……。」
「この吉田裕二が最も好きな事の一つは、人が眠い時に寝ている後輩を叩き起こすことだ!」
「なんて迷惑な…もう、辞めればいいのに…」
俺の苦笑混じりの提案は…
「ここは時給がいいし、却下だ!」
2500円分の深夜手当てに釣られる、哀れな先輩に棄却される。
「…はぁ。もう、別に起こしていいですよ。おつかれさまです…。」
「おう、おやすみ!」
(…本気で起こすな、これは)
─駅前にあるネットカフェ【アクレシオ】
俺の職場(バイト先)であり
趣味の場であり、
住処だ。
スタッフルームがあるフロアの最奥には、もはや自分専用スペースと化した座敷タイプの個室がある。引き戸の仕切りを開けるや否や、俺は力尽きるように倒れ伏した。
うつ伏せのまま、慣れた手つきで外したメガネをマウスパッドに置く。あまり広くないスペースでも眠れる姿勢が整うと、すぐに睡魔はやってきた……。
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「…今日で震災から1年が経ちました。
死者6666人、行方不明者は今も1313人と、深く大きな爪痕を残しています。本日は特番で・・・」
何も無い荒地に背を向けたアナウンサーが、あぐらをかいた俺の目の前で喋っている。不自然な台詞や光景に対して、その空間にいる誰もが当然のことのように振る舞う。
─制御不能な想像だけの世界、すなわち夢だ。
あれから1年か…早いもんだな。
「…。当時17歳の芦田風雅君は家族、親戚だけでなく親しかった友人全員を亡くし、この若さで天涯孤独の身になるという厳しすぎる現実を突きつけられたのです。彼の・・・」
アナウンサーが聞き覚えのある台詞を読み上げる。それをかき消すように、喪失感や絶望感を象徴する大波が押し寄せる。
そして、荒地以外にもフラッシュバックの如く変化する風景ごと俺を飲み込んだ。
あたりは次第に、静寂の海と化してゆく。
そのまま海の底に沈んだ俺は…
「なんで俺だけ助かったんだ…」
答えのない問いをポツリと水面へと投げかけた…。
問いは小さな泡となり、暗い海中を浮かんでいく。
この問いに、初めての返答が来た。
『それは私達の世界を救う為よ。』
後ろの方から澄んだ女性の声で再生された。
凪いだ海面からは月明かりのような優しい光が射し込んでいる。
……その返答はよくある漫画やゲームのお約束。
現実を知らない夢物語だ…。
海の底に独り沈む俺には響かない。
「30点。100点満点な。」
と、わかりやすく感想を告げる。
吉田先輩の方がよっぽど、ユーモア溢れる返答で励ましてくれるだろう。
─なぜか大喜利みたいになったが、その不自然さが全く気にならない。
『え??いや、あの真面目な話なんだけど…。』
「20点。真面目でそれは色々とマズイでしょ…。」
そう言って俺は【もっとがんばりましょう】のスタンプを深淵から水面に押した。
押し印をよく見ると
【もっとげんじつをみましょう】になっていた。
『あーもう!違います!!あなたの使命… 』
「あああああ!!もうっ!!こんな夢を見るから顧問にナルシスト、なんて言われたんだ!!」
─俺には自意識過剰な面があるらしい。
家族や友人を全員失ったのは俺くらいだが、「運命に選ばれたのだ」と思い込むことでなんとか生き延びようとした……そんな痛ましい時期もあった。
だが、それよりも前。
高校の恩師からナルシストと言われたことがある。部活中に調子に乗ったのが原因だ。
ちなみに恩師ももう、この世を去っている。
ナルシストと言われたのはかなり衝撃的だったので今でもハッキリと心に刻み込まれている。
そのため、声を遮るように叫んでしまっていた。
『えぇ!??いや、知らないわよ!
…そもそも、ナルシストってイケメンしかならないんじゃないの!?』
振り向きざまに殴りたい衝動に駆られるが、今回は理性が勝った。
「じゃあ、俺はイケメンってことじゃないのか?貴女の見る目がないだけで!」
「んなわけ、あるかー!!」
驚いて振り向くと、女の子が叫ぶような体勢でツッコミを入れていた。
身体を縮こめ、両方の拳を胸の前に添えている。膝が内股気味に少し曲がっていて、可愛らしい印象を受ける。
水色のポニーテールが反動で浮き上がったため、それに釣られて顔に目が行った。
髪色に違和感を覚えないほどに可愛い系の美少女がそこにいた。
一つ下くらいの少女が、赤く大きな瞳で睨みつけてくる。もちろん焦る。
「うぇっ!?冗談ですスイマセン…。」
ハッキリ言って、悪質なクレーマーより美人の方が苦手だ。しかしそれは、耐性をつける環境になかったせいだろう。
廃棄目当てのコンビニじゃなくてお洒落なカフェでバイトすべきだったと意味の無い後悔をする。
「分かればよろしい!さて、準備はいいかしら?」
「え?あ、ああ!どこへでも連れていってくれ!」
とりあえず空気を読んでカッコつけてみようとするが、それらしい台詞は浮かばない。
やはり、俺はナルシストではないな!
そう確信した。
──夢とは厄介なもので、自分の思い通りになっていなくても疑問に思うことが出来ない─
「よーし、それじゃ行くよー…!?あ、チョッ待っあああああああああ!!は、離して!じゃないと…!!!」
「今すぐその人を解放しなさい!!でないと…!」
「あっ!ダメッ!!って、あの、そこ掴んでたら無理だから!!ガブちゃんが先に離しっ…!?いっ!やぁあああはははは!!」
蒼い少女が頬を染め、身悶えしながら、全く同じ声の誰かと言い争っている。
戸惑いつつ、立ち上がろうとしたその時
「と、とにかく行けば分かるから!!またねっ!」
と、半泣き半笑いの少女が突然別れを告げる。
次の瞬間。
俺は背中から落ちるような感覚に襲われた…。