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しばらくして落ち着いたのか、琴子はため息をついた。
「ほら、立てるか」
座り込んでいた彼女に手を伸ばす。
軽く頷いて、琴子は手を握った。
「ありがと。さあ、先にいきましょう」
通路はただ真っ直ぐと続いているようだった。
先が見えない。
どれだけ歩けばいいのか見当がつかなかった。
振り返ってみるとすぐに壁があり、行く先はただ一つのみ。
「悩む必要もないから、それはそれでありか」
手を握ったまま歩いていく。
「ねえ、ノゾム。あなたは何もなかった?」
「何も?」
「ええ、その……わたしは夢を見たんだけど」
「ああ――」
確かに、僕も同じように夢を見た。
夢と言っていいのかわからないが、僕が見たのは親の笑顔だった。
僕は小さな手を伸ばして、その顔に触れようとしていた。
親二人は揃って頰を緩ませて、僕を抱き上げてくれたのだ。
きっとあの光景は――
「生まれたときだったんだろうか。いや、違うな。でも僕は、幸せな夢を見た気がする」
「そう」
琴子の手に力が入ったのが分かった。
彼女はそんな夢ではなかったということだろうか。
『たった一人だ』
通路に声が響く。
どこから聞こえたのかがわからない。
『どうして僕だったんだ。どうして僕だけが戦わなくちゃいけないんだ』
「な、なに?」
地面が揺れている。
僕は琴子を引き寄せて、様子を伺う。
建物が崩れ始めているわけではない。
もっと違うなにかが起きようとしている。
そんな予感がした。
「きゃっ」
「こ、琴子!」
急に現れた穴は、琴子を飲み込もうとしていた。
落ちていく彼女を掴み、必死に持ち上げる。
「くっ……重い」
「はははっ」
どうなってしまうかもわからないのに、琴子は笑っていた。
「琴子! 手を離すなよ! ほら、もう片方の手を伸ばせ!」
彼女は頑なに、左手を伸ばそうとはしなかった。
口も開かずに、ただ首を振っている。
「なにしてるんだよ! はやく!」
『名前もない――記憶もない――僕は、なにも持っていない――』
「琴子!」
落とすまいと握る手のひらには、汗が滲み、少しずつ彼女が離れていくのが分かった。
このままではだめだ。
このままでは、彼女は落ちてしまう。
「――――」
一瞬、なにかが視界を横切る。
黒い――小さな獣。
猫だ。
なぜこんなところに。
「じゃあね」
彼女の重みは、もう感じることができなかった。




