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Ice A GE(アイスエイジ)  作者: 重山ローマ
5章 嘘つきの火傷
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10

「最後の一枚――杯か」

「嵌めるよ」

「いや、待ってくれ」


 最後の一枚を嵌めてしまえば、おそらく床が落ちる。

 どれだけの高さかなのかわからないが、たとえ低くても打ち所が悪ければ良くない。

 足を怪我でもしてしまえば、この先不安である。


「あ、嵌めちゃった」

「おい……」


 床が揺れる。

 落ちるのは一瞬だった。

 その一瞬、部屋の壁が光っていることに気がつく。

 一箇所――その意味は僕にはわからないが、なぜか他人事のようには思えなかった。



 ――――――――――



 安全な場所を探して彷徨っていた。


「ママは悪くない」

「……」


 ママと呼ばれた女性は、ただ空を見つめている。

 降り続ける雪が肌に触れるたびに、わずかな痺れが彼女に生きている実感を与えていた。


「やめてよ。もう子供はいないんだから――」


 見捨ててしまったのは誰だったか。

 彼女だったのか、あるいは彼女の目の前に立っている男だったのか。


「まだ……」


 男はそこで言葉を止めた。

 それ以上言ってしまうことが躊躇われた。

 彼女のお腹には子供がいる。


『まだ子供がいるから大丈夫』


 そんなことを言うわけにはいかなかったのだ。

 彼女を慰めるために言っていい言葉ではない。


「仕方がなかったんだよ、琴子」

「子供を見捨てることが……仕方がないことなの?」


 なにを言っても、彼女を慰めることは不可能だと彼にはわかっていた。


「ああ、そうだよ。そうするしかなかった」

「じゃあ――」


 彼女は彼に視線を移すと、左腕を見せつけた。

 つい先ほどまで、息子を握っていた左手。

 甲に僅かな切り傷がある。


「頭が痛いの。きっと子供を失ったから、自分の中の何かが崩れたんだって……そう思ってた。でも何か違うわ。見て、この血。赤くないのよ」


 赤いはずの血が、何かが混じって濁っている。

 その異常性に、彼は目を背けた。


「あなたはいつだってそうよ。なにかがあればすぐ目を逸らす。あの子だって、きっとあなたが勇敢に立ち向かえば助かった。いまのわたしからも、逃げたいって思ってる」

「そ、そんなことは……」

「もし、見捨てるというのが勇敢な行動だったというなら――今、わたしを殺してみせてよ!」



 ――――――――



「琴子! おい、琴子! ……死んだか?」


 ぺちぺちと頰を叩いてみるが、反応はない。

 ずいぶんと長い間落ちたような感覚だったが、怪我はなかった。

 琴子にも外傷は見当たらないが、なぜか目が覚めない。


「……う」

「大丈夫か?」


 ゆっくりと体を起こす琴子は、どこか様子がおかしかった。


「ねえ、ちょっと泣いていい?」

「子供かよ」

「……今は子供よ。そう、子供だったのよ」


 声も出さずに琴子は泣いていた。

 目を瞑ってなにかを思い出しているのか――いまに消えてしまいそうなその姿を、僕はただじっと見つめていた。





次回投稿は7月14日21時予定です

諸事情により投稿が遅れます、申し訳ありません

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