6
その扉は、山の奥――隠れるようにひっそりと。
蒼色の扉には、二つの柄杓の模様が掘られている。
身長を優に超える扉は、どうやら鉄のようなものでできているが、吹き付けた雪が固まりしばらくは開いていないことが見て取れる。
中に入っていいものか。
「なんというか、変ね。まるでこの世のものじゃないみたい」
琴子ちゃんはそう言って扉に触れる。
「ここに来たかったの?」
「まあ、そうですけど。ちょっと想像と違ったというか……」
こんなものを見つけたのなら、冒険好きの親父の性格を思うと覗き込むはずだ。
しかし親父はそうしなかった。
いや、できなかったというところか。
「なにか分かったの? 黙り込んじゃって。これ、開くようには見えないけど」
普通に引いて押してで開くのなら、親父は簡単に中に入れたはずだ。
扉にはノブもツマミもないことを思えば、単純なものではないだろう。
「うーん。何か書いてあるけど読めないわ」
琴子ちゃんは扉の上に文字のようなものが刻んである。
「アルファベットですね。琴子ちゃん意味分かります?」
「文字は分からないのよ。音ならわかるんだけど」
「エス、エー、ブイ、イー……おそらく読み方はセイブでしょうか。いや、セーブかな。こんなことなら勉強すればよかった」
「まあ、アルファベットなんていまは見ないもの。わたしだって昔の音楽を聴いて、なんとなく意味がわかるだけよ。ちょっと待ってて、思い出すから」
琴子ちゃんは考え込むように腕を組む。
「救う、ね。うん、おそらくそうだわ」
「救う? 救う……すくう……」
ふと、二つの柄杓に目が止まる。
親父は英語を読むことができた。
僕がアルファベットをなんとか読むことができるのはその影響である。
「いやいや、そんな簡単なはずが」
「分かったの?」
「う、うん。わかったけど、単純すぎる――」
二つの柄杓。
大人でも両方に手は届きそうにない。
例え意味が分かったとしても、親父にはやはり不可能だったということだ。
『大口の蛇だぜ。ノゾム』
ある日、親父の言っていた話を思い出していた。
『口を開いたまま蛇は待っている。いたずら好きの鼠は、その口にどこまで入れるか度胸試しを始めた。さあ、お前には結末がわかるな? これが冒険家の心得だよ』
冒険家を苦しめるものは、入り口だ。
入りやすい入り口ほど、それは危険なものなのだ。
「琴子ちゃん。この中はきっと危険だ。中に入ったってなにもないかもしれない。ただ、怪我をするだけかもしれない。あるいは死んでしまうこともあるかもしれない。ここに入るためには、二人の手が必要だ。柄杓を握る二つの手がね」
「付いていくわよ。まだ夢は覚めそうにないし」
これは夢じゃない。
僕が柄杓の柄の部分に手を合わせると、もう一つの柄杓に彼女は手を合わせた。
ゴトリと何かが落ちる音がする。
「行くよ、琴子ちゃん」
蒼色の扉は重い音を立てて開かれる。
扉が開いたことを始まりに、明かりが点いた。
岩肌や土も見えず、扉の中は建物のようにしっかりとした作りになっている。
二人で中に入ると、扉は閉まり始める。
もう引き返すことはできない。
出口が先にあることを願うしかないだろう。




