10
これまでしてきたことのすべてが間違っているとされたとき、人はどうなるのだろうか。
落としたナイフの音が、何重にも響いていた。
ナナカの手のひらには、これまで破壊してきた――いや、殺してきた感覚が蘇ってくる。
正しくなかったとは、彼女にはまだ思えない。
ただ、過去の自分を正当化させることに限界を感じている。
「君の誤解はこれで解けた。これまでしてしまったことは間違いだったのかもしれない。しかし、もう過ぎたことではないか。過ぎてしまったことは仕方のないことなのだから」
「そうよ。過ぎたこと」
「だから、忘れてしまっていいのだよ」
大門は手を伸ばし、ナナカの頰に触れる。彼の手は温かいものだった。人の血の通ったものだ。
「寒かっただろう。こんなにも冷えてしまっている」
彼の言葉は、ナナカを正気に戻させるには十分すぎるものだった。
「あなたの言っていることが本当なら、あたしがこれまでやってきたことは間違いだったのかもしれない。間違いだったとしても、だからといってあたしは、ここで悔いちゃいけないの。ここでやめちゃだめなんだよ」
「やめなさい」
「立ち向かった人ですって? 冗談はやめてよ! 立ち向かっていたのは、ガラス人間や、エッジとか――恐怖から必死で隠れて、逃げて生きていた人たちよ! みんなで協力して戦った人たちもいたでしょう。全員が無事だったわけじゃない。それでも生き残った人たちは、立ち向かっていたはずよ! この絶望的な時代に!」
ナナカはナイフを拾い上げていた。
「やめるんだ。そのナイフを離しなさい」
「あなただけは殺す。それで、あたしが死んだっていい」
「やめなさい。だめだ。それ以上はやっていけない。君は私と共に来るんだ」
「見当違いよ。だってあたしは――」
ナナカは結晶ナイフを振り上げた。
大門はすぐさま手を叩き、部屋の奥から何匹ものエッジが飛び出してくる。
ナナカのナイフは、大門に向かって振り下ろされなかった。
刺さっていたのは、床。
土を固めたこの巣では、ナイフを差し込むことは容易である。
「なにを……」
大門は手を上げて、襲いかかるエッジを止める。
「下の階にはエッジを作る工場のようなものがあったけれど、その隣にはガラス人間の成れの果て、球体状態のものが保管されているのをここに来る途中で確認したわ。ここの真下」
「や、やめなさい!」
何かに気がついたように、大門は声を荒げる。
「ナイフはこの巣に刺した。もちろん普通なら結晶を伝染させることなんてできないほどに大きなものよ。もちろんそれが可能なら、わざわざ何匹ものエッジに持ち上げて運ばせる必要はないものね。でも、可能なのよ。結晶があれば、足りれば――伝染しないものはなにもない。土だって、固めれば木片と同じように結晶が伝染する。わざわざ泥だんごを作るようなガラス人間はいないから、知らなかったんでしょうけど」
床が揺れ始める。
いや、揺れているのは巣全体だろうか。
「このナイフに足りない結晶は、下の階にあるガラス人間の結晶が補ってくれる。置いてある以上は、土に触れているのだから。感染させようとするスイッチはあたしが押した。あとはもう止められない」
「まだ間に合う。いますぐそのナイフを抜きなさい。そして私と共に来るんだ」
「だから、見当違いだって言ってるでしょ。あたし、生まれつき身体中が冷え性なんだから」
「くっ、やれ!」
襲いかかるエッジの針に、ナナカは避けなかった。
「命令は一つ。落ちなさい。それだけよ」
床に亀裂が走り、それは巣全体に広がっていく。
崩れていく巣の中で、エッジは的確にナナカの体を貫いていた。
巣は崩れ、待っていたのは浮遊感。
それは一瞬だっただろう。
何かに引き寄せられていくのを感じた。
空が遠くなっていく。
ナナカは自分の頰を撫でた。
「温かい、よ」
これまで彼女の頰を撫でたのはだれだっただろうか。
「温かいって、思ってたのに」
ナナカは目を瞑り、その時が来るのを待った。




