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Ice A GE(アイスエイジ)  作者: 重山ローマ
4章 終わりを求めて
72/147

2

 彼のそばを離れたのは一瞬のことだった。

 目を離した一瞬――うずくまっていた彼の姿は、そこにはなかったのだ。


「え?」


 影だけが、残されていた。

 ただその影は、人のものだというには複雑すぎる形状である。

 影の元を追いかけて空を見上げる。

 自分の目を疑った。

 結晶に身を包んだ彼女とは違う。

 その姿はもう、エッジのようなものとなんら変わりがない。


「エイジ!」


 ナナカはわけも分からないままに名前を呼んでいた。

 答えもしないまま、彼は行ってしまう。

 向かっている場所は、まだ空に浮かんだままの巣。

 近づいて行っては、落ちてきてしまった彼女のように、落とされてしまうかもしれない。

 必死で名前を呼ぶ。

 彼は答えない。

 こちらを見ることも、一度もなかった。


 巣の周りに散らばっていたエッジは、彼を見て恐ろしい勢いで近づいていく。

 落とされてしまう――ナナカは目を逸らした。

 恐る恐る彼が飛んでいたあたりを見上げる。


「そんな……」


 彼が飛んでいく道を護衛するように、いや、その光景は主人を待っていた付き人たちが、頭を下げて出迎えているような。


「だめ――戻ってきて! エイジ!」


 それより先に行ってしまえば、彼はもう帰ってこられない気がした。

 彼は振り返らない。

 もう、ナナカのことも、落とされてしまった彼女のことも全て、都合よく忘れてしまったようだった。


「ナナ……カ……」


 ふらつく足取りで、まだかろうじて人間の肌が露出している彼女がやってきた。

 羽根は片方折られてしまったようで、もう飛び上がることはできない様子である。

 血は流れないが、パキパキと嫌な音を立てて体を侵食していく結晶は、彼女の精神を少しずつ蝕んでいく。


「もう、私には戦えない。あと一度だけは飛べるだろう」 

「……」

「普通の姉妹として、今度は会いたいわね」

「やめてよ……」


 彼女は、ナナカを抱え上げて、巣を睨みつける。

 一直線に巣に突っ込む。

 ナナカを巣に届ける頃には、彼女の体は人間から完全に進化する。

 そうなれば、もう人間ではない。

 おそらく記憶も、意思も、自分ではコントロールできないだろう。


「いくよ、ナナカ」

「うん。美海姉ちゃん」


 彼女はナナカの言葉に顔をそらした。

 流れていく涙は頬を伝う頃には固まり始め、結晶の侵食をはやめるだけだ。


「あぁ――死にたくないよ、私」


 最後に彼女はそう呟いて、涙をぬぐった。

 体中の結晶が背中に集まっていく。


「カ――――――」


 一度羽ばたくたびに、彼女の中にあったものが振り落とされていく。


「美海姉ちゃん!」


 彼女は大丈夫だと、腕に抱えるナナカの顔を見つめた。


「――姉ちゃん!」


 ナナカの叫ぶ名前は、彼女のものだ。

 まだ、微かに、彼女は把握できる。


「――――!」


 巣を目の前にして、彼女は自分のことを失っていた。

 それでも彼女を動かし続けていたのは、ナナカを巣まで届けるという使命感だけだった。

 エイジが入っていた場所にはまだエッジが多く集まっている。

 入るなら、入り口ではない場所だ。


「ありがとう」


 彼女は薄れていく意識の中で、誰かの言葉を聞いた。

 泣いてしまって、そのあとその誰かが何を言っているのかはわからない。


 こうして、彼女はこの時代から去った。


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