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自分の記憶と自分の体が合わない。
自分の体が急にこれまでのものと変わってしまっていた時、人間は対応できるのだろうか。
彼は、対応ができなかった。
自分にはもうないはずの指――奇怪な蜂、エッジによって切断されたはずのものが自分の体にまだあることに耐えられなかった。
彼はそのズレてしまったなにかに抗うように、自らの指を噛みちぎり、自分の記憶が間違っていないことにした。
少しずつズレていく。
全てをうまく整えることはできない。
事実と記憶は異なる。
瑛士という少年にとって大事だったのは茜という幼馴染。
康介という少年にとって大事だったのは美海という妹。
エイジという青年にとっての記憶の中で大事になっていたのは、奈々嘉という妹のような幼馴染。
ズレていく。
そのズレはもう彼自身にどうにかできるものではない。
「あぁ」
落ちていく影を目で追う。
数百の蜂を相手に、数千の蜂を相手に――敗北しただれかが落ちていく。
彼女の存在は、彼にとって間違いなく大きなものだ。
彼女を失ってしまえば、彼の記憶を修復できる存在はいなくなってしまう。
彼女がせめて名前を言えば――彼は自分のズレを自覚せざるを得ない。
もう、無視することができない。
「奈々嘉……」
落ちていく彼女を追って、ナナカは走っていた。
その後ろ姿を、エイジは虚ろな目で見つめる。
自分の中にある何かが疼いている。
「守らなくては――」
彼の中にあった何かが崩れていく。
せめてだれかでいようと、エイジとして生きていこうと――そう考えることをやめた彼の姿は、もう人であることを忘れていた。
背から突き出した銀の羽。
知らなかったわけではない。
彼は一人だった頃、何度もこの姿になり生き残ってきたのだから。
都合良く消してきた記憶。
いつも自分の傷口を見て思っていた。
自分の血に混じっている水色のものは何なのだろうか、と。
返り血を浴び続けてきた彼は、それが返り血によるものだと考えていた。
そうして、自分の異常な血に理由をつけて生きてきていた。
もう、それを考える必要もない。
「終わりにしよう。この時代を」
彼は一歩、地面を蹴り上げる。
一瞬で浮かび上がる体――。
彼には、だれかが自分を読んでいる声が聞こえた。




