5 希望
彼らの家を離れ、しばらくの間無言で歩いていた。
視線の先には、街の外を指す標識――
「あと少しだ」
奈々嘉は手を握ることだけで返事をして、瑛士は手を引く。
ずっと降り続けていた雪は、僅かながらおさまってきているように思う。
凍える手には彼女の手がある――けれど、その感覚は曖昧だ。
本当にしっかりと握れているのか、手を離してしまっていないのかが気になって、瑛士は無意味に強く握ってしまう。
街の外に出たら――そうしたら、どうするのだろう?
ずっと後回しにしてきた結論は、そろそろ決断しなければならない頃合だった。
もし出たとして、その後もずっと得体の知れないあのガラスの生き物たちから逃げ続けるのか?
街の外に出る。
やはりその選択は、もしかしたら間違っているのかもしれなかった。
そんなことはない――ずっと否定してきた可能性――街の外にもガラスを覆った生き物がいるのではないかという可能性。
そもそもまだ一度も街の外を見たわけでもないのに、出れば大丈夫だと判断する事自体がおかしい。
でも彼には――彼らには、そんなことを深く考える余裕なんてあるはずがなかった。
――――――――。
雪を削る音が聞こえる。
「奈々嘉、隠れよう」
手を引いて、すぐ近くにあった雪だまりの裏に隠れる。
雪が踏まれて、まるでなにかの鳴き声のような、異様な音が遠くから聞こえる。
雪が降る中では音は遠くまで聞こえにくいはずだけれど、それでもずいぶんな距離があるようなのに聞こえてくる――。
遠くにポツリと見えるその巨体は、真っ白な風景をそれひとつで台無しにしているように思えてしたがない。
念の為にと、道城要の家から借りてきた白のシーツ。
本当に意味があるのかわからないが、何もしないよりはましだろう。
奈々嘉を抱き寄せてシーツにくるまり、雪だまりを削って、体を隠した。
――――――――………… 。
「行ったみたいだ」
シーツを剥いで、彼女を起き上がらせる。
「さっきのって……」
「戦車だ」
なぜそんなものがここにいるのか――軍基地はずいぶん遠くにあるし、走っているのを見たことは、いままでに一度もない。
そしてそのおかげで、彼はひとつ気づいたことがあった。
雪道にはいままで、車が通った跡がなかった――。
知っている道だったからか、あまりに雪が降るものだから消えてしまったのだと思い込んでいたのだけれど――車の跡が消えるなんてことありえるのか?
街からでられる道は、彼と奈々嘉の立っているこの道だけである。
一般車は動かなくとも、街に毎日のように来てくれるお店替わりの配給車の跡は残っていてもいいはずである。
一台だけならまだ消えてもおかしくないのかもしれないが、昼と夕方に配給車がくるから、時間的に見て昼のトラックは通っているはずだ。
でも、何も残っていない。
仮に、車が通った跡が雪で消えてしまったとして、他になにの跡もないというのは、今更ながら異常なことのように思えた。
彼らのように外を出歩いている人間がいないということになってしまうのではないか?
外に出ようとはせず、家から出ていないだけなのか、あるいは、要のように――化け物となってしまったのか。
足跡も何も無かった雪道に、ぼこぼこのラインが走る。
「戦車ってことは軍だよね? 助けてもらえないかな?」
「どうだろう」
ただ、跡を尾けるのは悪くない提案だった。
雪はついに止んでしまい、視界は良くなってしまった。
真っ白だからこそ、色の付いた服を着る瑛士たちにとってあまりに不利な条件だ。
とはいえ、やつらには――ガラスの人間たちには目なんてものあまり役にはたっていないようだが。
もしこの先目が良いなにかが出てくるようであれば――――身を隠す方法を考えておく必要がある。
シーツはまだ一応もってはいるけれど、まるで子供だましのようで頼りがいがない。
「あそこ――」
彼女が指さした先には、先ほどの戦車と思われるものと、複数の人影が見えた。
狩りによって磨かれた視力が、ここぞという時に役に立つ。
そんなもののために手に入れたものではないけれど――。
雲が晴れてしまったおかげで雪が光を反射してくれているのもあって、慣れていない人間にはまともに目を開くこともできないだろう。
どうやら軍の人間は、瑛士たちの方に気づいていないようだった――というより、そもそも見張りなんてこともしてないのかもしれないが。
「今は止めておこう。戦車があるっていうのが、どうもいいように思えない。そうだな、今は……」
と、周りを見渡して
「あそこで少し休もう。あそこなら軍の様子もよく見えるだろう」
「わかった」
奈々嘉は頷き、姿が見えないように姿勢を低くして、這うように動き始める。
瑛士も同じように歩き、目的地――高台にある古家に向けて移動を始めた。
高台とはいえ高さがそれほどあるわけでもなく、山をえぐるようにして作られた洋館は不気味に写り、まるでだれかから見られているように感じる。
見るからに随分長いあいだ使われていないようだ。
扉は半開きで、窓という窓はほとんど割れてしまっている。
「入ろう」
念のため瑛士はナイフを握って、彼女を背中から離れないように言ってから中に入る。
暗い室内の天井には蜘蛛の巣がいくつも張っていて、やはりだれかが住んでいたようには思えない。
床には赤い絨毯が敷かれているが、よく見ないと赤色だとはわからないほどに汚れてしまっている。
入ってすぐ正面には二階に向かうための階段があった。
しかしどうやら外の明るさに目がくらんでいたようで、
「動くな」
そう言われるまで――黒光りする、その妙な質量感のある空洞を目にするまで――瑛士はその存在に、気づかなかった。
「奈々嘉伏せろっ!」
耳を突く乾いた破裂音が、辺りにこだました。