14 人間
巣を追いかけていたナナカは、ぼんやりと空を見上げている人影に気がついた。
遠目からでもそれがだれなのか分かる。
普通の人間ではない異様な体つきは、見ていて気持ちのいいものではない。
同じ人間という枠には入ることはできないのだろう。
「どうして逃げたの?」
ナナカは、彼女が実はずっと近くにいたことに気がついていた。
カナメという少年が現れて、彼を追うエッジを倒したあの時も、彼女は遠くで見守っていたのだ。
「マフラー返すね」
そうしてナナカは、預かっていたマフラーを返した。
彼女は何も言わないまま受け取って、綺麗な右手を使って――首にまいた。
何も言わないままの彼女を気にしながら、ナナカは彼女に問い詰めたりはしない。
彼女の過去の壮絶さは知っているし、なによりそれをしたことのほとんどは、ナナカの育て親――ヒビキのしたことである。
「……」
彼女は巣を目で追って、髪を風に揺らしている。
何を考えているのだろう――ナナカはそんなことを思いながら彼女の横顔を見つめる。
かつてヒビキと一緒に、自分の姉となって育ててくれた彼女は、もうそこにはいないようだった。
「み――」
「やめてナナカ。私に名前はない」
彼女は自分の名前を語らない。
マフラーになにか名前が書いてあることを知っているナナカは、それが誰のものなのかを知っていた。
彼女が見守ったまま出てこなかったのは、きっとそういうことなのだろう。
「ヒビキが、あの巣に行く方法を探してくれる」
エイジの名前はださなかった。
「……」
ナナカはまた黙り込んだ彼女を見つめた。
「なにか思いつめた顔をしてた」
誰がとは言わない。
彼女にとってエイジがどんな人物なのか、どんな関係なのかもわかっていない。
記憶にもない幼少期――雪道で倒れていたところを拾われたという彼女。
どうして雪道で倒れていたのか。そのときから身につけていたボロボロのマフラーは、これからも離さないだろう。
「……」
彼女は空を見上げることをやめて、左腕に目を向けた。
晒されたままの醜い左腕――人間とはかけ離れた、化け物のような腕。
彼女は今も、何もかもを破壊してしまいたい衝動と戦っていた。
「ナナカ……私は人間だろうか」
ナナカはすぐに答えることができなかった。
その醜い左腕がなければ、見た目さえ普通だったのであれば、間違いなく答えられたのだろう。
例え人を食べたとしても――人間として越えてはいけない線を越えたとしても――それでも人間だと、言い切れただろう。
「私が言ったことを覚えているか?」
その時のことを、ナナカははっきりと覚えていた。
ヒビキはすでに、なにかが壊れていた。
人間として越えてはいけない線を一番に越えたのは、彼だったのかもしれない。
町に残っていた人間を救出し、生きる気力を失くした人間に毒を与えた。
どうせ死ぬのならいいじゃないか――彼はそう言って、繰り返していく。
『死にたい』
そして家族のようになっていた幼い彼女も、そう言う時が来た。
ヒビキは戸惑いもしなかった。まだ言葉を発することのできなかったナナカは、それでもはっきりとその光景を覚えている。
毒によってなにかが失われていく彼女――毒を与える前に死んでしまった子供の体を牢屋に投げ込む。
それは彼女にとってはおいしそうな肉にしか見えなかったのだろう。
真っ先に頭部にかぶりつき、ぴたりと動きを止めたのである。
『私は――』
何かを思い出したように、彼女は動きを止める。
人間がガラス人間になる過程の途中――ある物を摂取した時、自我を安定させることができる。
そのことにヒビキは気づいた。
人を食べた罪に耐えきれずほとんどの人間が死を選ぶ中、彼女だけは生き続けた。
ヒビキはそして、Dの研究を止めた。
「どうすればいい」
ナナカは涙を流す彼女の顔を見つめる。
流れる涙は青い。
あまりにも青白い肌には、赤い血は流れていないようだ。
罪を感じていないようだった彼女も、どこかでずっと罪を抱え込んでいたのだろう。
そして、その罪を抱えたままでは、彼には――エイジには会えないということなのだろう。
「わかんないよそんなの!」
ナナカは釣られて流した涙を拭って、声を荒げた。
どうして生きているのか、これからどうすればいいのか――ナナカにこそ、その悩みはあまりにも重すぎた。
『ナナカ』
通信機から声が入る。
『エイジがエッジの毒を持って逃走した。捕獲してくれ』
彼女は一瞬肩を震わせて、何もなかったように涙をぬぐった。




