9 記憶の海2
だれかが呼んでいる。
その声は懐かしく、その声をずっと聞いていたくなる。
「ねえ、瑛士くんってば。起きないと」
「え……」
目が覚めたとき、目の前にいたのは
「な……奈々嘉……?」
「どうかしたの? もう、寝ぼけてないで準備してよ。今日は茜ちゃんと道城さんとでおでかけするんでしょ?」
「……おでかけ? 何言ってるんだ! 外は危ないだろ!」
瑛士の声に奈々嘉は一瞬驚いたが、すぐに
「どうして?」
「どうしてって――ガラス人間とか、いろいろっ! 危ないじゃないか!」
「なに? ガラス人間?」
奈々嘉はわけもわからないといった様子で首をかしげる。
「夢でも見ていたんじゃない? うなされていたし、きっと悪い夢でも見たのよ」
「あ、ああ。そうかも……うん、そうだ。全部夢だったのか」
奈々嘉はにっこりと笑って部屋をでていった。
とりあえず、と彼は部屋のカーテンを開ける。
窓から差し込む光が暖かい――精一杯伸びをしてキッチンにむかった。
奈々嘉はエプロンを身につけ、慌ただしく料理をしていた。
香ばしい香りが鼻をくすぐる。
「顔洗って、服も着替えてよ。子供じゃないんだから自分でできるでしょ」
顔も見られず、素っ気なく言われた。
「あ、うん。わかったよ」
何かがおかしいと思いつつ、彼は言われた通りにするのだった――。
「戸締りは確認したし……忘れ物はないよね?」
「ああ。あ、奈々嘉、トイレは行った?」
「ちょっと――もうっ! そういうこと女の子に言わないの!」
「え、いや、単純に心配してだな――」
「もう知らないっ!」
彼女は彼に背を向けて先に歩き出した。瑛士は慌てて家の裏から自転車を引っ張ってきて追いかける。
「ほら、乗って」
「ふんっ」
「ああっ! ――飛び乗るなよ危ないな」
「ふんっ」
あいかわらず顔も見ようとせず、彼女はそっぽを向いたままだった。
頬を膨らませて怒っている姿には、どうしてもかわいらしさというものしか感じられず思わず吹き出して笑ってしまう。
「なによ!」
「ああ、ごめんごめん。なんというか――懐かしくてさ」
「……どうして? あたしそんないつも怒ってないじゃない」
そういうことではなかったのだ。
ただ、彼にはやはり懐かしく思えて仕方がなかった。
こうやって笑い合うことが――。
「ちゃんと掴まってくれないと危ないよ?」
「いや」
「嫌じゃないって。怪我したらどうするんだ」
「む」
奈々嘉は顔を背けたまま、腰に手をまわしてきた。
異常に力がこめられていた。
若干だが痛い。
瑛士は苦笑いを浮かべてゆっくりとペダルを踏んだ。




