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Ice A GE(アイスエイジ)  作者: 重山ローマ
1章 ペンダントは宙に
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3 覚悟

 今日が誕生日だということを彼は覚えているだろうか――。

 いや、覚えていないはずがない。彼はそういったことに敏感だ。

 自分のことなら彼は、どんなこともしてくれる。

 彼女はそのことを知っていた。

 それは女性として喜んでいいことだ。

 でも奈々嘉は、彼と共に住む家族としては――それは喜んではいけないのだ。


 家族のために誰かが犠牲になるというのは、いうならば美しい家族愛だと思う。

 奈々嘉は、いつかそんなことができたのなら――と思うことはあるけれど、きっと彼は嬉しくないだろうから、やってはいけないことだと思うようにしている。

 と、いろんなことを考えながら、今日も奈々嘉は庭に出ていた。

 二人で住むにはあまりにも広すぎる一戸建てのすぐ真後ろにそれはある。

 庭とはいえ、ほとんどは耕された畑である。

 採れるものは限られているため、食事は自然と偏りがちになってしまうけれど、それでも安定して食べられる物が手に入るのは利点だ。

 育てているのはイモ。

 この環境でも成長するように品種改良をされたものである。

 味はよくないけれど、栄養価が高いため、非常に重宝しているものだった。


「このくらいでいいかな」


 カゴいっぱいに収穫し、彼女は頭に降り積もった雪を手で振り払ってから家に戻る。

 自分の誕生日だから、せっかくだ、少し豪華なものを作るというのも彼なら許してくれるだろう、といつもより多く収穫した野菜を眺めて満足げに笑った。

 何を作るか考えながら、揚々と足を進める。

 家の中に入り、泥に汚れたゴム手袋を放り投げ、まずはシャワーでも浴びようかと考えていた。

 その時――


「奈々嘉!」


 家に響いたのは、彼の声だった。あまりの急な声に驚き、脱ぎかけだった服をなおすことも忘れ振り向く。




「ど、どうしたの?」


 息を乱して、彼は奈々嘉の手を掴んだ。


 奈々嘉がいつも通り家にいたことに安堵しながら、それでも安心しきることはできず、彼女の腕を掴む。


「逃げるんだ」


 彼は言う。


「逃げるって……いったい何から逃げるのよ」


 彼女は言う。


「いいから、頼むから黙って言うことを聞いてくれよ」


 言いたくなかった。

 うまく言い表す自信がなかったこともあるけれど、とにかく瑛士は、彼女には言いたくなかったのだ。

 かすかに震えている彼を見て、彼女は不安げな表情を浮かべる。山から走ってきた彼の手のひらはきっと、汗で気持ち悪くべたついているのかもしれない。

 それでも、瑛士は離したくなかった。


「……わかった。あたしは瑛士くんにどこまでも付いて行くだけだよ」

「ありがとう」


 刃が折れてしまったナイフを捨て、玄関の傘立てに刺さっている金属バットを手に持つ。


「外に出たら、僕から離れないで」


 彼女は乱れた服装を整え、小さく頷いた。

 手を握って飛び出す。

 その判断が、はたして正しかったのかどうか、それはわからないけれど。

 家を飛び出してすぐ、追いついてきたのは


「kkkkkkkkkkkkkkkk」


 木片の方だった。


「こ、これなんなの?」

「さがってて」


 彼女を片手で隠し、金属バットを構える。

 ナイフよりはましなように見えなくはないけれど、木片との相性は悪いように思える。

 木片はいくら叩いたところで砕けることはないからだ。

 木は叩いて倒すことができないから、必要なのは切断出来るものなのと同じで、木片を相手にも必要なものは切断力のあるものだった。

 金属による打撃でも、与えられるのは衝撃のみ。

 きっとなにの意味もならないだろう。

 しかし何もしないわけにもいかないのだから――


「kkkkkkkkkkkkkkkkkkkkk」


 それに、切断力のあるもので切りつけた場合、先の『断末魔の叫び』が起きる可能性がある。

 あれは間違いなく仲間を呼び寄せるものだし、その危険性を瑛士は十分に味わった。

 どうやら単純に呼び寄せるだけでなく、仲間の活性化までするようである。

 穴から人間のようなものが這い上がってこられたのも、その活性化が原因だろう。


 したがって、やはり攻撃を仕掛けるに適した物は打撃武器のみとなった。

 金属バットはそれなりにリーチも長く、質量も十分にある。

 振り回すには多少の筋力を要するが、いまの彼には容易だろう。

 とびかかってくる木片を、横から叩きつけるようにして振り抜く。

 一瞬、あの叫びのような音が漏れ体を強ばらせたが、どうやら何ともないようだ。

 腕には叩きつけた時の感触がじんわりと広がり、寒さにやられた指先が燃えるように熱い。


「kkk」


 ピクピクと、いまだ動こうとするその木片に、彼は思いっきり振りかぶって、バットを振り下ろした――ミシリと嫌な音をたてて、バットは木片に跡を付ける。

 ひたすらに、乱暴に、打ち付ける。


「kk―――k――…」


 やめない。とめない。


「もういいよ」


 虚勢だけで挑む相手ではなかった。

 恐怖に飲み込まれてしまった彼には、そもそもまともに戦えるはずがなかったのだ。

 彼女の声を聞いて、ぼやけていた視界が次第に鮮明になってくる。


「行くよ。大丈夫だから」


 その言葉は彼女に言っていたというより、きっと自分自身に言っていただろう。

 ずっと収まらない心臓の鼓動が、少しずつ痛みに変わってくる。

 視界は赤く染まり、冷静に物事を考えることができなくなっていた。


「あ、あれ見て瑛士くん。道城さんだよ」


 彼女が指を指した先に、人が一人立っている。道城さん――瑛士の幼馴染の一人、道城要だ。家は近くないが、子供同士協力して生きていた。


「おーい」


 彼女は陽気に手を振って、彼を呼ぶ。それに答えるように、彼はふらりふらりと足を進めた――ふらりふらりと――。


「……」


 それでも奈々嘉は、彼に手を振る。ふらりふらりと、彼は足を進め――そしてついにゆらりと――走り出したのだ。


「奈々嘉! 走れっ!」


 手を取って走り出す。山で会ったものとは桁違いに足が速い。


「なんで逃げるの? あれは道城さんなのに!」

「だめだ! 今は逃げるんだ!」


 それでも、彼らの足より彼の方が、足は速かった。だんだんと距離をつめられていく。


「奈々嘉はこのまま走って!」

「でも――」

「はやく!」


 バットを握り直して、彼に向かって走る。

 瑛士と要は喧嘩なんて一度もしたことのない親友だ。

 よく見るとやはり、首筋にガラスのようなものが見える。

 目は赤く血走り、口元は赤黒く変色していた。


 その口元に、瑛士はひと切れの布を見つけた。

 それがいったい何のものなのか、考えもせずにすぐに分かってしまって、目に涙が浮かぶ。

 理解してしまったのだった。パニックに陥りかけていた頭脳が、急にクリアになった瞬間だった。


「要……」

「かかかかかかかかかかかかか」

「要――っ!」


 一直線に走ってくる姿は、やはり人間には見えない。

 それはやはり怪物にしか見えず、恐怖感は増していく。

 知っている相手だからこそ、その変わりようは目を背けたくなるほどのものだった。


「かかかかかかかかかかかか」


 機械のように同じ音だけを出し続ける彼を、瑛士は見ていられなかった。

 二人目だ――そう思いながら――もう知ってしまったその方法を――瑛士はバットを自分の体とは垂直に持って、狙いを定める。

 フラフラと定まらない姿勢は、奇怪さを演出するばかりか、こうも身をぶらすのでは狙いにくい。

 それでも、狙うのは一箇所のみ、そこ以外におそらく急所はないだろう。

 彼は人間なのだから――狙うのは心臓だった。バットの先で向かってくる体に向けて突き立てる。


「かっ」


 一瞬彼の動きが止まり、瑛士はそれを見逃さず、一気に畳み掛ける。

 後はバットを引いて、首に向けて同じように突いた。

 嫌な音がして、何かが潰れたような感触が手に伝わってくる。

 あとはそのまま、倒れた体を下敷きに


「ごめん」


 バットに全体重をかけて、喉を押す――。

 もがくその姿は、やはり道城要そのものなのだ。

 緩みそうになる手にかぶりつき、痛みを以て目の前の光景を薄れさせる。

 自分は悪くないんだ――そう言い聞かせる。


「――――…        」

 抵抗する力が完全に収まったのを見て、瑛士はやっとのことで息をついた。

 吐く息は白く、血に滲んだ手が痛む。

 力が抜けて息をしていない彼の目を見て、瑛士は涙を流した。

 光の灯っていないその目には、自分を非難するかのような意志がこもっているように感じた。

 口元に残る――歯に挟まった布切れを乱暴に引き裂き、ポケットに入れる。落とさないように、ポケットの奥の奥に押し込んだ。


「二人目――」


 一度口に出して、急な吐き気を覚える。

 瑛士には背負いきれないほどの罪だった。

 二つの人間のようなものと戦って、争って、わかったことがある。

 弱点は人間と同じだということ。人間が死ぬようなことをすれば、同じように死ぬということ。

 瑛士は一人目と戦っていたとき、何気なしに、死ぬ物狂いで投げた石が心臓あたりに当たった瞬間、その事実に気づいた。

 それまでビクともしなかったその怪物がひるんだのだ。


 となれば、まずはそこを狙うのが定石である。

 その時はナイフで首を刺すことで止めをさしたが、今回はバットを用いて喉を潰したのだ。

 素手で触れるには――それこそ本当の意味で自分の手で殺すようなことはできないのだ。

 彼はそこまで強くないから。


「瑛士くん」


 逃げていたはずの奈々嘉が、いつの間にか瑛士を抱いていた。

 彼女はきっと、彼のしていることはわからない。

 いや、わかったとしても、彼が人を殺したということくらいなのだろう。

 声にならない声を漏らして、彼女が彼の背を撫でる。


「行こう」


 奈々嘉の声は優しく、瑛士を咎めようとはしない。

 ボコボコに凹んだバットが雪に沈んでいく――このまま雪に埋もれて死んでいくのも悪くないと、瑛士はそう思った。


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