1 遭遇
夏も終わりが近く、少しずつ雪が降り始めていた。
山は白く染まり、味気なかった茶の山はやっとのことで活気づいてきたように思える。
子供の頃から離すことなく身につけている手袋とマフラーには、ところどころに妙な色が混じっている。
ほつれたところをなおすたびに、いつも違った糸を使うからだろう。それに、その出来はお世辞にも上手とはいえない出来だった。
水に浮かぶ油のように――それは浮いている。
家に入ると、相変わらずな静けさに少し寂しさを覚えながら居間に向かう。
と、どうやらほのかに明かりが付いていることに気づく――。
「待ってなくていいって言ったのに……」
テーブルには豪華とは言えないが、手の込んだ料理。
そのテーブルには一人の女の子が腕に頭を乗せて眠っている。
時計の針は深夜の二時を指し、こんな時間まで外に出ていた自分が許せなくなる。
十五歳の子供が二人で生きていくには、なによりお金が必要だった。
大人たちは子供を捨て――自分たちが残りの人生を楽しむために生きていく。
仕事を辞める大人が増えたことで店はずいぶん減った。
そのうちお金が何の意味もない紙切れ、鉄くずになるのかと思うと、言いようのない不安感に襲われる。
それはもう遠くない未来で、明日にでもそうなってしまうのかもしれない。
受け取ったばかりの茶封筒を握って、まだかすかに臭う土のかおりに、奥歯を噛み締める。今はどうにかなっているけれど、いつかは――
「おかえり」
立ちすくむ彼を見て、彼女が声を上げた。
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「いいの。起きて待ってるつもりだったのに、ごめんね」
彼女が申し訳なさそうに言うのを見て、彼は握っていた茶封筒から中身をとりだした。
「僕もごめん。これだけしか」
千円札を一枚――朝の九時から今の時間まで働いて、それでこれだけ。
でも、仕方ない。仕事があるだけありがたい――本当なら喜ぶべきことなんだろうけれど、二人で生きていくには心もとない。
「瑛士くんは悪くないよ。大丈夫、なんとかなるよ」
そういって彼女は大事そうに受け取り、からっぽの財布に入れた。
なんとかならない――なるはずがない。
彼にはそれがわかっているし、彼女ももちろんわかっているだろう。
でも、人間として生きていくにはこれが限界だった。
お金を得る方法は、アルバイトの他にもある。
それはアルバイトなんかよりもお金を大量に手にすることができる――。
でもそれは
「だめだよ」
絶対に、それだけはだめ。彼女は――奈々嘉は、そう言うのだった。
彼、瑛士と奈々嘉との同棲は二年前からになる。お隣同士のいわゆる幼馴染だった彼らは、二人揃って両親に捨てられ、自然と共に生活するようになった。
それは今の時代珍しいことではないし、世間体がどうとか、そういったことは全くない。
「行ってくる」
「行ってらっしゃい。気をつけて」
弓矢と石斧を背負い、ナイフを腰に携えて、山に向かう。
食料不足の時は、こうやって狩りに向かうのが決まりだった。慣れたように山に足を進める――。
雪は降り続け、足跡は薄れていく。それでも気に止めることなく、奥に進んだ。
「いた」
鹿だ。臭みはあるが、量は十分。
瑛士は弓取り出し、狙いを定めた――。
引きずる。重いが、だからといって肉だけを剥いで持ち帰る訳にもいかない。
皮も十分に使い道はあるのだ。滑るように山を下り、見慣れた風景を捉えてほっとする。
実のところ今日は、彼女――奈々嘉の誕生日だったのだ。だからこそ狩りの失敗は許されなかった。
こうして鹿という上物を捕らえたのだから、これ以上とない成果なのだが。
「――足音」
帰るまでは安心できない。まだこの時期は熊がでる。
彼は食料を手放し距離をとって木に身を隠した。数十メートル先に影があるのを見つける。
しかしどうやら、
「熊……じゃない?」
目を凝らす――二本足で立ち、のそのそと歩いている。猿にしては大きすぎる。
「人か」
と、安心したいところだったが、その奇妙な姿に警戒心を緩めない。
身なりはやはり人のようだけれど、何かが違う――
「おかしい」
弓を再度取り出して、矢を添える。
しかしどうみても、その体つきは人の他にありえないものだった。少しずつ近づいてくる。
それはまっすぐ、彼の手放した食料に向かっていた。近づいてくるにつれて、その姿は露わになる。
遠くからでは人にしか見えなかったが――いや、近づいてきてもやはり人にしか見えないのだが――
「ぅぁ」
がぶり。
それはなにの躊躇もなく、瑛士の狩った鹿――食料にかぶりついたのだった。