8
大門という男が連れ歩いている生物に危険性はない。
それは蜂のようなものであって、蜂ではないからである。
「喉は渇いていないかい?」
大門は杖に止まっている蜂のようなものの頭を撫でると、その掌に何かを受け取った。
蜂のようなものの尾の先――球体のガラス容器のようなものが切り離されたようである。
ちゃぷちゃぷとその入れ物の中で液体が跳ねる。
「安心したまえ。これは水だ。彼らはこうして尾に貯水タンクを持っていてね。彼らなりの進化の末なのだ」
大門の持つ球体に、蜂のようなものが口先の小さな顎でかぶり付いた。
「彼らの栄養源は水。尾の先から分泌されるガラス化魔分で、川や湖の水を包み持ち帰る。安全な場所でガラスを割り、栄養補給をする」
僅かな音を立てて割れるガラス球、大門はその水をナナカに差し出す。
ナナカは構えを解きナイフを仕舞った。
「もう降りたのね」
「落とされたのだろうね、きっと」
そう言って笑う彼にもう戦うというつもりはないのだ。
以前の狂気は感じられず、彼はただの中年の男性になっている。
「諦めたんだね」
地下に逃げた人々を滅ぼす――そんな事を諦めたのだ。
彼が大事に守っていたあの氷像達も、おそらく巣の崩壊に巻き込まれ壊れてしまったのだろう。
彼はもうこれ以上何もしない。
現にこうして、彼が連れているのはエッジではない。
その中身だ。
針をもたない蜂のような生物。
蜂のような身体つきだが、うっすらと生えた青白い体毛と体よりもひとまわり大きい蝶のような羽は、ナナカの知っている生き物ではないということを十分に分からせた。
それは飛ぶためにある羽ではない――2センチメートルはある分厚い羽は、飛び上がろうと羽ばたくたびに大きな音を立てるが、それはあくまで儀式のようなものでしかないのだろう――飛び上がろうとするときに、飛行をやめるときに――羽ばたかせるだけだ。
スイッチのようなものかもしれない、とナナカは考えた。
なにせその生物達は、浮かんでいるようにしか見えないからだ。
「私はもう降りた。聞きたいことがあるのなら、答えないこともないが」
「たっくさん気になることあるよ。でもやっぱり、一番に聞かないといけないのはその生き物かな」
指をさされた蜂のようなものは、怯えるように大門の背に隠れる。
本当にエッジの中身なら、あの凶暴性を失っていることが納得できなかった。
「彼らのことか。それならば、ゆっくりと休める場所に移動するとしよう」
「長いの?」
「魔導の時代まで遡ることになる。彼らはその時に造られた生物なのでね」
よくわからないまま頷くナナカを見て、大門は何か思いついたように歩く方向を変える。
ナナカは彼の足の運びに気がつき、声をかけた。
「どうしたの?」
「先に見せておいたほうが納得いくかと考えてな。魔導と言われても分からんだろう。私も、この体になるまで疑っていた」
そうなんだ、とナナカは返事をして先を歩き始めた。
何か面白いものなのかもしれない――そんな気楽な考えがナナカにはあった。
話を理解するためには必要なことではあったが、それはナナカにとっては、知りたくない話だったのかもしれない。