5
「――――これは食べ物じゃない。食べられないものだ」
うん、と少女は頷いた。
「これは?」
少女は大きく口を開ける。
「違う、違うぞ。これは人間だ。人間は食べちゃいけない。分かったか?」
うん、と少女は頷く。
「よし、だんだん分かってきたようだね。ナ――」
何度か瞬きをして、彼女は体を起こした。
何が起きたのか思い出そうとしてみるが、どうも上手くいかないようだ。
立ち上がろうとすると、足に力が入らない。
「おっと、無理に動こうとするなよ。まだ破片の処理が終わっちゃいない」
「あ――」
礼を言おうとしたのか、何を言おうとしたのか、しかし彼女は思考を停止せざるを得なかった。
目の前にいるその存在が、一目で何なのかがわからなかったから――。
「ほら、あと少し我慢しろよ」
尖った指先ではなく、木の枝を二つ器用に持って――それは人間でいう箸の持ち方だ――彼女の肉に突き刺さった金属片を取り除いているようだ。
「痛っ」
「我慢してくれ。このままってわけにもいかないだろう」
声に温かみがあった。
ただその表情に笑みはない。
あるのは結晶だけだ。
ガラスだけだ。
人間といえる生き物ではない。
二足歩行。
人間のような体つきでも、月明かりを反射する青紫の輝きは、どこか懐かしさのようなものはあるけれど、もうみることはないと思っていた輝きではあるけれど――親しみを持てるものではない。
とはいえ、その存在と、こうして意思疎通がとれていることが彼女にとって大きな驚きだった。
それは彼女が見限った存在である。
『エッジ』の中身であり、人間を氷河期の中で生き延びさせるための研究結果であり――しかし彼女の知っている到達地点ではない。
最後は結晶が肥大化し球体となる。
そこからエッジによって毒素を取り除くことで、氷像のように形をかえるのだ。
それが彼女の知識である。
あの巣の中で知った、知らされた事実である。
したがって、その形態の生物が存在していることは理解できなかった。
知らないことだ。
知らないものだ。
それがガラス人間だとは思えない。
「怖いか、俺が」
「……いや、そうでもないかな」
「嘘をつくな。体が震えているぞ」
「嘘じゃないよ。痛いから体が動いちゃうだけ」
なんとなく、彼女は懐かしさの正体に気がついた。
その生物はきっと自分の知っているものだと気がついたから。
「おじちゃんだよね」
「……ん? お前、やはりナナカか」
パクパクと人間でいう口の部分が動き、その動きは声とずれているが、キキキと結晶同士が擦れて音を出す。
笑っているのだ、とナナカは気がついた。
それは結晶ではなく、表情があったのだ。
「生きてたんだね」
いつのまにかあの基地からいなくなった、いつも明るかったおじちゃんは、あの基地の中で中心的な存在だった。
ヒビキに聞いても、何も教えてもらえなかったから、彼はもう外で死んでしまったのだとばかり思っていたが。
ナナカは再会を喜んだ。例え姿が違ったとしても、人間でもなく、ガラス人間でもなかったとしても――羽の生えた、恐ろしい化け物のようなものであったとしても。
「生かされていたのか、殺されたのかわからないがな。もう過ぎたことだ。よし……これで最後だ。よく我慢したな」
「ありがと」
最後の破片と共に、枝を投げ捨てて、彼はため息をついた。
首をバキバキと鳴らして、肩もまたバキバキと回して、またもう一度ため息をつく。
「ねえおじちゃん」
「ん?」
「助けてくれてありがとう」
「いいさ。爆発音をきくとついつい気になってな。男っていうのはそういうもんさ。気になったら足を運べっていうのが、俺の生き方なんでな」
キキキと音を立てて笑う。
ナナカも笑顔で答えて、しかしそこで、彼の存在のことを思い出した。
「おじちゃん、あたしの他にもう一人いなかった?」
「いや、ナナカ一人だったが」
爆発ではぐれてしまったのだろうか、とナナカは最後の光景を思い出す。
彼は遠くまで進んでいけただろうか。
「あ、いや、遠くに人影はあったな」
「どっちに行ったの?」
「ここからだとわからないな。一度お前を拾ったところまで戻らないと」
人影なら、ノゾム以外にありえない。すぐに行くべきだとナナカは立ち上がろうとして、まだ力の入らない足に気がついた。
血がでないのは昔からだが、ここまで大きな傷を負ったことはなかった。
足が固まってしまって、動かせそうにない。
「どうした? まだ痛むか?」
「痛くはないんだけど、うまく動かないっていうか……」
自分の体であるはずなのに、体の繋がりが曖昧だった。
その感覚を忘れてはいけない――ナナカはその曖昧さを見失うことに恐怖を感じていた。