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「く……っ!」
体の動きを、否定される。
自分自身を否定されている。
足を止めて、考えることを止めてしまえば、きっと楽になれるのだろう。
その先に何があるのか彼には分からない。
それでも、今の苦しみから逃れられるのなら、それでも構わないと思えるほど――。
「走って! 止まらないで!」
彼の体の異変は、もはや看過できるものではなかった。
まるで体の動かし方を忘れてしまったようなぎこちない足の運び。
ついに彼女は覚悟を決める。それは最後の手段だった。残された最後の一つ。
もうそれを手に入れることはできない。
もうこの大地に、結晶を身に纏った怪物たちはいないのだから。
赤いボディの天敵――瞳が大きさを変え、二人の姿を観察していた。
見たものをすぐに敵だと決めるような生き物ではないようだ。
なんとか先へ先へと動くノゾムを振り返り、すぐに足元の雪を握った。
腰から抜いた透き通った水色のナイフを雪玉に突き刺し、まだ攻撃に移行しない蜂に向けて投げつける。
「あたしが時間を稼ぐから! ノゾムは先に行って! 止まっちゃだめだからね!」
ぱっくりと割れた雪玉の中には闇が――雪とは違う何かが、光を反射してキラリと光った。
拳大の雪玉は、目標に向けてまっすぐに飛んでいく。
蜂は飛んでくるものが何なのか観察しているうちに、視界を失った。
「え……?」
ナナカは思わず動きを止めた。
それは想定外のことだった。ただの時間稼ぎのつもりだった。
それは赤い蜂も同じだったのだろうか。
慌てて尾を回転させ、攻撃に動き始める。
が、それはすぐにできることではない。
時間がかかる。
ナナカが動きを止めたのは一瞬のことだ。
すぐに次の雪玉を用意していた。
すでに左の目は喰い破られている。
残された右目か、回転し始めた銃身か――。
ナナカが知っている赤い蜂の武装は、目の中に隠された拳銃と尾の先の機関銃。
まだ他にも何かある可能性は捨てきれない。
左目を完食した雪玉と目があった。
彼女の命令を待っているようにも見える。
「……」
特に命令をしたつもりもなかった。
ナナカが尾の先に雪玉を投げつけると同時、右目にいた雪玉は左の目に飛びかかっていた。
視界を完全に奪い去り、相手の主力武器を破壊する。
「できる」
フラフラと浮かぶ、天敵だったもの――。
「破壊できる!」
すでに彼女を認識することは、その蜂にはできない。
もう一つ握った雪玉を投げずに、彼女は握ったまま頭部に殴りかかった。
悲鳴のような甲高い機械音が鳴り響き、彼女はとどめを刺すためにもう一度腕を振る。
羽ばたきが目に見えて遅くなり、やがて地に落ちていく。
「ハハハ」
空耳か、とナナカは空を見上げた。
「ハハ――」
それが蜂の声だと気付き見下ろすと、赤く輝く光と空気を揺らす爆音に、彼女は飲まれていた。
「何の音かと来てみれば――」
蒼き体、歪な輪郭。
ミシミシと音を立てて、光を反射する羽を収める怪物は、雪に転がる少女を拾い上げる。
「どっかで、見たことのある顔だな」
肩に担ぎ、醜い怪物は地を蹴り飛び上がった。
『この匂い。人間か』
白き体、しなやかな輪郭。
その足は雪に沈まず、つめ先から湧き出る緑の炎は、まるで力尽きたように倒れている少年を照らしていた。
『いや、結界の外に人間はもういないはずだったか。迷ってここまで来たとも考えられん』
鼻を近づけ何かを確認するそれは、しばらくして目を瞑る。
『人間ではないな、これは。――と同じ匂いがする』
それは獣である。
大きく口を開け、鋭い牙を晒したと思えば、ピクリとも動かない少年の首元に齧り付くと、どこかに引きずっていく。