7
初めてチョコバーを口にした。
「……」
大したものではないな、と彼は思った。
甘さばかりで、味に深みがあるというわけでもなく――大事に後にとっておくようなものではないと、そう思ったところで、彼は自分の体の異変に気がついた。
視界が霞む。
頬を伝って、抱えていた膝に雫が走っていった。
それが何なのか彼にはわからなかった。
これまで部品としてのみ生きていたから、人間としての感情がやっと動きだしたのだとしても、彼にはそれが何なのかわからない。
側に落ちている3つの屍は、彼に倒されたものだ。
本当ならすぐにその場を離れるべきだったのだろうが、彼は最後の一体を排除したあと、何かが切れたように座り込んだまま動けないでいた。
チョコバーをまた一口齧ったあと、彼は先のことを考えた。
こんなところに長くはいられない。
今すぐにでも、出口に向かうべきだ。
しかし、と彼はライターで火を灯した。
はっきりと確認できるのは周囲2メートルといったところか。
これでは安全に移動することは不可能だろう。
彼は知らない。
待ち続ければ街が明るくなるということを。
「それでも行く。ああ、止まるな」
ライターの灯りを頼りに、先へ進んでいく。
出口に向かうためには、いまの装備では無理がある。
まずは、三体との戦闘で使いものにならなくなった果物ナイフの代わりと、ライターよりも遠くを照らせるもの。
そのためにはどこか建物の中に入らなければならない。
暗闇の中では視覚を頼るべきではない。
音だけではなく、匂いも、周囲の状況を知る情報になる。
窓を割って中に入ることは避けるべきだ、と彼は考えた。
この暗闇の中では、視界がはっきりしないのは彼も、よくわからない者たちも同じである。
音を出さずに、建物の中に入るためには、ドアを通る必要がある。
街の中にある建物はどれも同じ作りになっていて――。
「ああ、そうか」
どの建物にもドアは二つ。
玄関と裏口。
しかし裏口は鍵が掛かってしまっていて、鍵を破壊するにはいまの持ち物では難しいだろう。
そもそも大きな音が出てしまうから、そんなことはまずできないのだが。
となると、建物の中に入るためには玄関しか道はない。
地図を広げた。
街の中心にある大通りには未だ多くの化け物がいるだろう。
出口のあるその通りには、いつか戻らなければならないだろうが。
大通りとは別に、平行した道が二本。
大通りほどの広さはないが、その三本を繋ぐ横道が一本。
建物の間の小道を除けば、基本的にその4本の道が、この街を走っている。
どの建物も、玄関は道に面している。
大通りだけが、化け物だらけになっているとは思えないだろう。
中央大通りにでるのは、不可能だ。
他の通りに出るしかない。
もちろん、それだけで終わる話ではない。
はじめに入った建物には、チョコバーはあったが、他に使えそうなものはなかった。
全ての建物にチョコバーがあるとは――まだ何となく期待してしまっている彼の思いはあるが――まず、ないだろう。
つまり、彼が考えていることは、家に何があるかは、入ってみるまでわからないということだ。
何にせよ、大きな通りには出なけばならない。
灯りを消して通りを覗き込んだ彼は、その光景に息を飲んだ。
大通りは避けたけれど、どの通りもやはり光景は変わらないのだ。
灯りをつけなければ、バレない可能性は高い。
彼は息を止めて、ついに走り出した。
すぐ近くの建物で良い。
視線が彼に向くまでに、建物の中へ――。
やはり鍵は閉まっていないようだ。
彼は、そっと扉を閉める。
誰にも見つからなかったようだ。
安心して、彼はライターを灯した。
何があるか、入ってみるまではわからない。
入るまでにしなければならないことはあったのだ。
窓は割れない。
だから窓からは入れない。
そこまではいいのだ。
その建物の中を確認するために、窓から中を覗くということを彼はしなかった。
中にいた化け物たちは、光を追って蠢きだしている。
ライターを慌てて消しても、もう遅かった。