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それは本能だったのかもしれない。
それが一体何なのか、彼には一切分からなかったが、ここで大人しく死を受け入れるようなことはなかった。
明かりとして渡されていた懐中電灯――彼の持っているもので武器として扱えるのはただひとつ。
体を起こすこともできない換気口の中では、まともな攻撃などできない。
「カッ――」
大きく開けられた口だ。
殴る必要はない。
ただ、そのぽっかりと空いた口の奥に向けて、電灯を押し込んだ。
それの手足は動きそうにない。
口さえ塞いでしまえば、それは危険ではないと判断した。
メキメキと、電灯のフレームが悲鳴を上げている。
このままではいずれ、電灯は噛み砕かれてしまうのかもしれない。
ここでこいつをこのままにして、後ろに這って戻ることはできるが。
「……」
彼は側壁を軽く叩いた。
音の様子では土に面しているということはない。
街の換気口のほとんどは外に晒されているとはいっても、もしものこともある。
これから彼がしようとしていることは、壁の外が空洞でなければできないことだ。
「ふっ!」
狭い空間とはいっても、それは縦幅の話。
横幅となれば、腕を振る余裕は十分にある。
体を横に向けて、何度も、側面を叩いた。
比較的やわらかいものでできている換気口は、人を乗せて歪むほどのものではないが、衝撃には弱い。
数回繰り返すと、頼りない音を上げて外の世界に繋ぐことに成功した。
見下ろしてみると、地上までは十数メートル。
彼でなくても、人間ならば無事に降りることのできる高さではない。
ずいぶんと大きな音がしたはずだが、だれも集まってきてはいなかった。
落ちた換気口の薄い鉄板を、通りがかる人はだれも気に止めず踏みしめていく。
「……」
街の本当の姿を見た気がした。
彼は自分もそうしていただろうと考える。
この街で生きるということはそういうことなのだ。
この街の大人とは、そういう部品たちだけなのだ。
彼らは人間ではなく、街を動かす部品以外にはなれないのだ。
それは無意識だったが、彼は胸に手を当てていた。
落ち着かない心音が、自分の生を確かなものだと教えてくれる。
自分は部品ではないのだと、彼はもう知ってしまった。
死の恐怖によって初めて、人間という生き物だと自覚した。
決して、彼がしようとしていることは正しいわけではない。
何も見なかったと、彼は目をそらして帰るべきだった。
彼は換気口から身を乗り出してぶら下がり、体を揺らす。
何度も、何度も。
「いっ!」
化物のすぐ真下を狙って蹴りを打ち込む。
すでに落ちてきた衝撃で歪んでいたからか、簡単に破壊することに成功した。
ズルリ、と足だけがぶら下がる。
放っておけば、そいつは下に落ちる。
何も知らない部品たちが、そいつが落ちてきてどんな反応をするのか、彼にとってはどうだっていいことだ。
目が合ったような気がした。
それは一瞬だったが、落ちていく。
肉の潰れる音がした。
爆弾だ。
彼は換気口に戻ると、それが落ちてきたところを覗き込む。
足場を完全になくすのは、少し壊しすぎたかもしれないと反省しながらも、真っ直ぐ真上に続く換気口の先に、光を見つける。
ああ、そんなはずはないと、部品の彼は言うが――。
「空より上に何があるんだ?」
空を這う換気口。
それは空より上に繫がっていて――彼は登り始める。
なぜ換気口の中に梯子があるのか、そんな簡単な疑問も浮かばないまま、彼はただ光を追っていく。