9
体が冷たかった。
「だい、じょうぶ……?」
気を失っていた。
傷だらけのコトコが僕をかばっていた。
背中を蜂に向け、腹部には穴が空いている。
穴が埋められるたびに彼女の体は痙攣する。
蜂は一匹だけになっていた。
力尽きたように、何匹も倒れている。
破壊されたわけもなく、ただ電池切れのように横たわっていた。
「KA――」
残された一匹も、もう限界のようだった。
何度も、何度も――彼女の体を貫いては
「どうして行かなかったんだよ」
「約束は、守るよ」
「先に行けって言ったじゃないか。見捨てろって言ったじゃないか」
がしゃりと音を立てて、蜂は落ちた。
もう敵はいなかった。
いったいどれだけ長い間、彼女は僕を庇っていたのだろう。
何度刺されたのだろう。
何度死の痛みを――。
「見捨てろって……置いていけってことでしょ」
無理に笑顔を作って、前のめりに倒れこんだ。
僕は抱きとめて、冷え切った体を撫でる。
「先に行くから、なんて……はは」
「そんなの卑怯だろ――」
目が動いていなかった。
生気が感じられない。
「コトコ?」
コトコというのは、彼女の母の名前だ。
彼女の名前ではない。
それを気にしていた。
いつか、彼女自身の名前を手に入れて欲しい――そんなことを考えていた。
彼女は何も知らない。
彼女が話している言葉は全て、彼女の母のものだ。
琴子のものだ。
「お前の声が聞きたかった。琴子の声じゃない、お前自身の声が」
言葉も知らなかった彼女は、ただ僕のために言葉を掘り起こした。
思い出せと、そんなことを言うのは簡単だった。
ただその記憶は、彼女のものじゃない。
彼女は嫌がったりしなかったけれど、きっといい気持ちはしなかったはずだ。
「すぐに戻ってくるから、待ってろよ」
扉の前に立つ。
コトコを置いたまま、扉に手をかけた。
じんわりと指先に伝わる熱さ。
あまりに重たい扉。
開く前、コトコの手に視線を向ける。
「……初めから決まってたのか」
青く腫れた指先。
彼女は一度、この扉に手をかけたのだろう。
この扉を通ることができるのは、人間だけだ。