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やっぱり厄日

「……死んだ」


電気を消しプレートを「空室」にスライドすると、真希はPCと資料を抱えたまま会議室のドアに背を預けた。

発表本番に与えられた時間は実質十五分。その後の質疑応答がせいぜい十分といったところだ。今日はそれに則っての練習であったのだが、たっぷり一時間の上、質疑応答が続いた。


「実際に試作を作るところまでもってこれたし、それを使ってなかなか良い実験データも出ている。スライドに多少手直しは必要だけど、いいんじゃないの? まあ何やかんや言いつつ一種の通過儀礼だし、発表当日こんな細かいとこまで突っ込んでくることは、まずないと思うしね」


まずない(・・・・)

にっこり笑ってそう締めた服部の顔を思い出し、脱力感が増す。

とはいえ。

問題点を問題点としてきちんと理解しているのか、その対応策は、今後の展望は、といった、聞かれても当然なことを聞かれただけだ――ほんの少しマニアックに、ほんの少し嫌らしく。


「一応、グループ諸氏の有難い親心ってことなんだろうけど」


よっと勢いをつけてドアから背を離しフロアに向かって歩き出すと、背後から声を掛けられた。


「お疲れ。発表練習だったんでしょ? どうだった?」


既にそれを済ませている、同期の樋川(ひかわ)まさるだ。

彼は真希の所属する大デGと関係が深い光半導体研究グループ――光半G――に所属しており、そしてまた、彼のチューターである安西桜咲(さらさ)が朝倉と親しい同期であることもあって、お互いの動向に通じている。


「うーん」


真希は視線を中空に彷徨わせた。


「結構えげつなく攻められたけど……」

「けど?」

「突っ込まれたのは、主に朝倉さんに難癖つけられて、うんうん唸りつつ解決してきた所ばっかりだったかなって」


樋川はなるほど、というように頷く。


「さすが朝倉さん、抜かりないね」

「ないね。でも、それを言うなら安西さんだって」


真希は樋川に向かって、首を傾けてみせた。


「そう、あんな風にいけず(・・・)なのは、全て僕のため」

「そう、キミのため」


二人は顔を見合わせてぷ、と噴き出した。

朝倉も安西も優秀な研究者であり、厳しくはあるが熱意あるチューターなのだ。


「そういえば始まる前、何かバタバタしていたらしいね」

「あぁー……まぁね」


ロビーに置き去りにしてきた斎藤を思い出して、真希はため息を吐いた。ああいうのがこの先も続くのだとしたら、一体どうしたものだろう。


「えらい剣幕の朝倉さんが、広田さんを引き摺って歩いていたって専らの噂だけど」


しかし問題なのは、寧ろこっちの方かもしれなかった。


「え゛」

「冷静を絵にかいたような朝倉さんにそこまでさせるなんて、何をしたのさ?」


ここ最近は、決して“冷静を絵に描いたような”ってばかりじゃなかったけど、と密かに思いつつ、真希は答える。


「……本妻に乗り込まれて窮地に立たされたところを助け出された、的な?」

「は?」


樋川がぽかんと口を開けた。


「って、え? 僕、微妙に立ち入ったこと聞いちゃったわけ?」

「そんなんじゃないし」


真希は、なに真に受けてんのよ、と同期を睨む。


「ちょっと面倒な来客がありました。午後いちで発表練習の予定があったので、早めに切り上げたいと考えました。頃合いを見計らってスマホに連絡を入れてもらおうとしました。それに応えないようなら、受付を通じて呼び出してもらうようお願いしました。そこでだ、樋川クン」


ぴ、とその鼻先に人差し指を突きつける。


「実際そんなお願いをされた後、母親くらいの年齢の女性と会っている私を見たとして、キミは何と思う?」

「しつこい保険のオバさんに営業をかけられてる、とか?」

「……だよね」


真希は頷いた。そう、普通はその辺りの結論に落ち着く。


「でも朝倉さんは、私が不倫相手の妻に乗り込まれたと思った」

「何でまた?」

「そもそも電話しろだの呼び出せだの、お願いした内容自体が訳アリっぽい上に、私がだいぶ深刻な表情をしているように見えたらしいの。で、一応気にして様子を見に来てくれたみたいなんだけど、そこで耳にした会話がまた不穏な内容に聞こえなくもなかった、というね」


つまり、真希にも原因の一端が無いわけではなくて。あるいは、善意の朝倉を巻き込んだと言えるのかも――たとえ、その誤解の仕方が些かアクロバティックなものであっても。

――噂。

朝倉はそんなものを気にするだろうか?

冷たく鼻であしらう様が想像できてしまって、真希はふっと口許を緩めた。彼はもちろん、そういうヒトだ。

では、私はそれを気にするのだろうか?

他人の詮索するような視線は、煩わしくはあるだろう。とはいえ、新人研究員とチューターという関係に影響を及ぼす程とは考え難い。であれば、自分にとってもそれは大した問題ではない――真希はそう結論づけた。


「なるほど。あれは救出劇だったわけだ」

「そんなところ。諸々の不幸な誤解が積み重なった末の茶番」


厄介な状況に足を突っ込みかけているようにも見えるのに、あっさりとそれを受け流す真希の様子を、樋川が興味深そうに窺う。


「ふぅん」

「何?」


面白がるような視線を、真希は正面から受け止めた。


「……いや。それで朝倉さんの誤解は解けたの?」

「もちろん。“与えられた情報から合理的に導き出した結論だった”って言ってたけど、“合理的に導き出した結論が必ずしも正しいとは限らない”って認めたわよ」


くく、と樋川が笑う。


「朝倉さんらしからぬ振舞いを、実に朝倉さんらしい理屈で弁明してみせたわけだ。でもさ、誰に対する弁明なんだろうね」

「私以外の誰に弁明する必要があるってわけ?」


きょとんとする真希に向かって樋川は笑みを深めた。


「いつもと違う行動をしてしまった、朝倉さん自身に対してなんじゃないの?」


思わせぶりな樋川のセリフに憤慨しながら、真希は自分のデスクに向かった。

まったく研究者という人種は、何てことはない出来事に、特別の意味を持たせてみたりすることが得意なんだから。朝倉が、朝倉自身に何の言い訳する必要が?

グループの面々は、もう既に各々の仕事に取り掛かっている。

そして。

こちらに横顔を見せていた朝倉が、不意に振り向いた。


「片付いたのか」


安定の無愛想な口調。

そこにはもう、「何をやっているんだ、君は」と声を荒らげた人はいない。「何をやっているんだ、俺は」と眉間に皺を刻んだ人も。


「はい」

「じゃあ、服部さんから指摘されたスライドの所、早速手直しして」


そう言うと、朝倉はすっと視線を手元の資料に戻した。


「了解です。あの、朝倉さん」


何だ、というように視線が真希に戻る。


「色々とありがとうございました」

「――いや」


色々(・・)に含まれる内容を、少しばかり吟味するかのような間をおいて、朝倉は答えた。

いえ別に、ワタシは何も含ませてませんけど。


 * * *


その日の夕刻――

裁量労働制を採用しているので、研究者の勤務時間はまちまちだ。とはいえ、そろそろ帰宅する者がちらほらと席を立ち始めた頃であった。

たたた、という軽快な足音と共に、賑やかな声が響く。


「あっさくっらクーン」


チッという舌打ちにも怯まず、その声の主は朝倉のデスクの横に立った。


「ねぇねぇ、今日の昼時、公衆の面前で広田さんを口説いていたってホント?」


朝倉の同期で、樋川のチューターでもある安西だ。恐らく今日の真希の出来を確認するついでに、聞き込んだ噂をネタに朝倉を揶揄おうとやって来たのだろう。


「マジで? 俺、何も聞いてないぞ」


向かいの席の岡戸が、ニヤニヤしながら茶々を入れた。氷点下の視線が安西と岡戸を貫く。


「俺にそんな露出趣味はない。それから岡戸さん、何も聞いてないのは、何もないからです」


声を荒らげるでも弁明するでもなく、まるで歯牙にもかけない。いかにもな反応に、真希はついつい可笑しくなったのであるが。


「実際何があったか知らないけど、明日にはプロポーズしたことになっていたりして」


安西の勇者なセリフに、思わず突っ込んでしまった。


「そのプロポーズ、受けませんから」


三人の視線が突き刺さる。真希は手で口を覆って、そろそろと目を伏せた。


「残念。断られちゃったよ」


岡戸がそう言って笑う。


「してもいないプロポーズを、断られるも何もないでしょう」


苦々しい表情を浮かべる朝倉の肩に、安西が慰めるかのようにポンと手を置く。


「なんならワタシが」

「絶対に無理だ」

「何だとーっ!」


肩に置かれた手を軽く払い、朝倉が面倒くさそうに話を促した。


「それで? お前は何をしに来たんだ」

「もちろん偵察」


安西はくるりと真希の方に向き直り、にっこり微笑んだ。


「どうだった? 今日の発表練習」

「ええと、樋川君とも少し話したことがあるんですけど」

「うん」

「同じ研究分野の方からの質問に対しては、そこそこ準備が出来ると思いました。今日みたいに色々突っ込まれても、求められている答えがわかるし、質問した方も答えからその意図を推し量ってくれます。怖いのは、分野外の人からの質問かなって」

「あー。無意識に本質的なとこ突いてくることあるからねぇ。そういう質問に限って答え難かったりって、わかるわー」

「別に、全ての質問に、完璧に答えることを期待されているわけじゃない」


朝倉の冷静な声が入る。


「こういうのにもテクニックがあるんだ。まだきちんと結果が出ていないことについてならば、それを認めて今後の課題だと言えばいい。相容れない意見が出て、それを否定しきれるだけの手持ちのネタがないのならば、今後の検討課題とすると言えばいい。仮に難しい質問がきたとしてもポジティブに発言するんだ。決してネガティブベースにならない。そうすれば、大概の局面は乗り切れる」


安西が、うんうん、と頷きながら愚痴を零した。


「うちの樋川クンは、頑なっていうか融通が利かないとこがあるからなぁ。本番が心配。“そのアプローチの必要性を感じません”とか言ったりしそう」

「やけに具体的なセリフじゃない?」


岡戸が口を挟む。


「言われたこと、あるんで」


どうやら、安西と樋川の間でも色々あるようだ。


「おぉ。安西さんに向かってそんなセリフを吐くとは、ある意味勇者だな。うちのグループの勇者といい勝負」


ニヤリと笑った岡戸が、真希の方に身を乗り出す。


「うちの勇者は、この朝倉君を猫と同じ扱いにしたことがあるんだよ」


再び自分に集まる三者三様の視線を、真希はただ、は、は、と笑って受け止めるしかなかった。

今日は、とんでもない厄日に違いない。









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