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何をやってるんだ

更新が長らく停止してしまい、申し訳ありませんでしたm( )m

今後は週1.2回の更新で頑張っていきますのでよろしくお願いします。

「何をやってるんだ、君は」

「す、すみません」


こちらの歩調などまるで無視した勢いの朝倉に腕を掴まれたまま、真希はその横を小走りについて行く。

お昼時なので廊下にもそこそこの人が行き来をしており、先程からすれ違う人に、見るとはなしに見られているのが居たたまれない。

デスクでのアレは、詳細は聞かずとも万事了承したということだったのでは?

密かにそう突っ込みつつ手許の時計に視線を走らせてみれば、十二時半にはまだ大分間があって、真希はちょっと首を傾けた。

まあ早いに越したことはないのだし、このタイミングで話を切り上げられたのは、わざわざ足を運んでくれた朝倉のお陰であるから、もちろん感謝するべきなのだろうけれど。

とはいえ、その有難き救済者は真希の謝罪など耳に入らないかのように、怒気を帯びた低い声で言葉を連ねている。


「仮にも研究者の端くれならば、自分の置かれた状況の客観的な分析とそこから導き出される当然の結果を容易に推測できるだろうが」

「……はい」


つまりお怒りのポイントは、あんな所で向かい合ってのんびりお茶をしている時間的精神的余裕がどこにあるのだ、ということなのだろう、たぶん。

朝倉という保険を掛けたとはいえ、午後からの予定を考えれば必要最低限のやり取りで済ませて然るべきで、それを言われれば返す言葉もない。


「こんな所まで乗り込んでくるなんて、尋常じゃないとわかっているだろう」


乗り込んでくる? 

実際その通りではあるのだが、そういった事情を知る由もない朝倉の言葉の選択に、真希は目を瞬かせた。

あの場で、一瞬の内に自分たちの関係を見切ったのだとしたら、とんでもない観察眼だ。


「それはそうですけど、別にこれが初めてという訳では……」

「何だと?」


前方に固定されていた朝倉の視線がこちらに向けられ、目が眇められた。


「ええと」


真希は、どう説明したものか、と少し悩む。

高校生になった頃から、父の不在を狙ったように突然訪ねて来る女性(ひと)――

最初は、よくわからなかったのだ。

母を亡くした思春期の少女を気遣って、という割には、その態度は冷ややかで。

何かあったら相談してね、という口調はどことなく素っ気ない。

まるで挑むかのような視線。

そしてある日、真希はようやくそれを理解したのだ。


『よりにもよって、こんなに自分そっくりな()を修さんに遺して逝くなんて』


苦々しげに口にされた言葉は、母を喪った娘を思い遣るものでも、娘を遺して逝かなければならなかった母を悼むものではなく――ただ、父への。

仄暗く、生々しい情念のようなものが滲んでいて。


「本妻にこうやって何度も乗り込まれているというのか」

「――っは?」


一瞬過去に引きずられた思考は、思いもよらぬセリフで瞬く間に(うつつ)に舞い戻る。


「本当に、まったく、君は、何をやってるんだ」

「いや、本妻って……」


どんな誤解ですかっ! という言葉は、尚も畳み掛けられるセリフによって口にすることが叶わない。


「何故こうなる前に退かなかった。法的な手段に訴えられてもおかしくないんだぞ。わかっているのか」

「わかるもわからないも、ですね」

「倫理云々と高説を垂れるつもりはない。感情が必ずしも理性でコントロール出来るものではないと、それくらいは理解する。だが――……っくそ、他人のプライベートにこんな口出しをしている自分が信じられない」


真希を掴んだままの手とは反対の手で、朝倉は髪を乱暴に掻き上げ、唸る。


「あの、ですから」

「いや、これは俺個人ではなくチューターという立場からの発言で、君の仕事に差し障りが出ることを危惧しての介入だ」


鼻先へと突き付けられた指の勢いに、真希は思わず頷いた。


「勿論です、でも」

「そもそも、その“修さん”とやらは、こんなことが度々あったことを承知しているのか」

「――え? ええ、それはまあ、その都度きちんと報告はしていましたけど」

「その都度? まさかそいつは全て承知で放置しているというのか」

「放置というか、あのヒトの目的をかなり誤解しているんだと思います――()は」 

「誤解も何も、目的なんて(ハナ)から知れて――」


突然足を止めた朝倉の動きに付いていけず、腕を掴まれたままであった真希は数歩先で後ろによろめいた。


「おっと」


そんな真希をぐいと支えると、朝倉は眉間に皺を寄せ、繰り返す。


「――()?」


どうやらようやく、こちらの話に耳を傾ける気になってくれたらしい。


「そうです、()です」

「あの本妻は君に、“修さんを解放しろ”と言ってなかったか?」

「あれは本妻じゃなくて父の単なる友人ですが、“修さん”は間違いなく私の父です」

「「……」」


暫く無言で見つめ合った後、朝倉は目を閉じて眉間を指で押さえ、深い深いため息を吐いた。


「……何をやってるんだ、俺は」


それから彼は真希から手を放し、彼女をその場に残したままスタスタと歩き始める。


「まぎらわしいことを。あんな深刻な表情であんな思わせぶりなことを言われたら、気になるだろう普通」

「ええと、すみません?」


朝倉の後を慌てて追いながら真希は答えた。


「実際見に行ってみれば、案の定不穏な雰囲気で、どう見ても本妻と愛人の直接対決の構図だ」

「朝倉さんの想像力が案外逞しくてびっくりです」

「与えられた情報から、極めて合理的に結論を導き出したにすぎない」


真希は唇を噛んで笑いを堪える。

実に“とんでもない観察眼”だ。


「……しかし、合理的に導き出した結論が、必ずしも正しいとは限らない」


こちらをチラと見遣った朝倉の表情が、些かきまり悪そうに歪む。

――耐えられない。

真希は、ぷ、と噴き出したが、朝倉は咳払いでそれを誤魔化し、再び前を向いた。


「……悪かった。あんな風に強引にあそこから連れ出して大丈夫だったか?」

「逆に助かりました。朝倉さんがあそこで介入しようとしなかろうと、いずれにせよあのヒトのご機嫌を損ねてしまったには違いないので。気に掛けていただいて、ありがとうございます」

「しかし、そもそも妻ではなく娘に向かって父親を解放しろと迫るとは、どういった類の友人(・・)なんだ」

「……母は十年以上前に亡くなっているんです。でも、父は母を今も想い続けている。そして私は母に生き写しというわけです。あのヒトは私を通じて母と戦っているというか……」


もう冷ややかな視線や口調に戸惑うばかりの子供ではないのだし、もっと容赦なく振る舞うことだって出来る。

――だけど。

真希に向けられる眼差しの奥に、父が抱いているのとは別の種類の哀しみが垣間見えるような気がして。


「不毛な戦いだな」

「え?」

「十年想い続けたんだ。少しずつ重みとか形は変わっていくんだろうが、きっと次の十年も君の親父さんはお袋さんを想い続けるだろう。その先の十年もだ。そんな相手に、どうやって自分を上書きする? 無理だろう」

「何だか、やけに実感がこもっていますね」

「そうかもな。――で、飯は?」


“そうかもな”?

何故だか、胃が捩れるような感覚がした。


――朝倉さんはそういう経験をしたことがある、ということですか? 


思わず口にしそうになった言葉を慌てて呑み込む。

それを聞いて、どうするつもり?


「飯――お昼は、売店で適当に買って済ませようかと……」


何となく落とした視線が手許の時刻を拾う。


「うっわ、時間が! 朝倉さんこそ、お昼は?」

「簡単に済ませた。午後は、本番に向けて結構シビアに突っ込まれるぞ。飯抜きで乗り切るのは辛い。さっさと何か食って準備しろ。プロジェクターと会議室の設営は先にやっておいてやる」

「ありがとうございます、お願いしますっ」


そう言い残して、真希は売店へと走り出した。

斎藤のことにせよ、朝倉のことにせよ、あるいは自分のことにせよ、余計なことを考えてしまう前に、集中しなければならないことがあるのは有難かった。


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