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運命ってやつは

車は幹線道路を外れ、真希の家へと向かった。

区画整理された夜の住宅街は、初めて訪れる者にとっては迷路のようだろう。


「あの、帰り道大丈夫ですか?」

「何のためにナビがついてると思う」

「そうですけど」

「適当に走って幹線道路に戻るから大丈夫だ。それよりも、こんな人通りの少ない道を夜遅くにひとりで帰っているのか」

「駅方面からだと結構近いので……あ、あそこの角を左折してすぐです」


ハザードを点けて、車は滑らかに停まった。

助手席から覗くと、リビングからカーテン越しに灯りが漏れている。

当然、父は帰宅しているのだ。


「ありがとうございました」


エンジン音もハザード音も、夜の静寂(しじま)に響く。

真希はそそくさとシートベルトを外し、車から降り立った。

父の関心を引く前に、朝倉にはこの場から去ってもらうのだ。

ところが。


「わざわざ家まで送っていただいてすみません」


気を付けて帰って下さい、と続けようとして振り返ると、朝倉が運転席側に立ち、ドアをバタンと閉めていた。

エンジンはいつの間にか止まり、ハザードのカチカチという音だけが響く。


「あれ」

「もちろん、親父さんにご挨拶しないことには。ウチの社長の我儘で、遅くまで付き合わせたわけだしな」


朝倉はそう言うと車を回り込んで来た。

いや、穴子から先を犠牲にしたのでそれほど遅くならずに済んだような。


「でも、仕事の延長みたいなものですから」


つまり、付き合いで遅くなったと言えば事足りてしまうのであって。

父に余計な説明をしなければならない状況は、是非とも回避したいのだ。

真希が慌てて押し止めようとした時、背後でカチャリと鍵の開く音がする。

振り向くと、玄関のドアが開き人影が浮かび上がった。


「真希?」


――ああ、もうっ。


「追い返すにはちょっと遅かったようだな」


スッと身を寄せて囁くと、朝倉は躊躇うことなく玄関の方に歩き出す。

お見通し、というわけだ。

真希はため息を吐いてから急いでその後を追った。


「ただいま、お父さん。こちらは……」

「こんばんは。柳瀬浩人と申します」

「どうもこんばんは。柳瀬……柳瀬さんのところの?」

「はい、次男です」

「それはそれは。研究所におられると伺ってますよ」

「ええ。実は先端技研で、真希さんのチューターをやらせていただいております」


目を瞬かせた父は、真希を見る。


「それは初耳だな」

「私も今日聞いたばかり」

「事情があって、母方の朝倉を名乗っておりまして」


朝倉の言葉に父は頷いた。


「柳瀬の名跡(みょうせき)は、場合によっては手枷足枷になることもあるでしょうから。で、今日は?」


真希が口を挟む間もなく、朝倉がそれに答える。


「はい。父が突然先端技研を訪れまして、その流れで真希さんを夕食にお誘いさせていただきました。少し遅くなりましたので、私がこちらまでお送りすることに」

「それは、わざわざ申し訳ありませんでしたね」

「いえ。帰り道でもありましたので。広田先生には、父がよろしくと申しておりました」


いきなり「帰るぞ」と席を立った行状は、成程こんな風に脚色されるわけだ。

真希はこっそり苦笑する。


「こちらこそ、お父上によろしくとお伝えいただけますか。僕からは、改めて明日にでも電話させていただきましょう」


とはいえ、この分でいけば通り一遍の挨拶で済みそうで、真希は内心ほっとした。


「お父さん、あまりお引き留めしても明日があるから。朝倉さん、今日はありがとうございました」


父の隣に移動して朝倉の方にくるりと向き直る。

すると、その視線は真っ直ぐに父に向けられていて。


「広田先生」


何だかマズい気配が。


「はい」

「この機会に、折角ですので名乗りを上げておきたいと思いまして」

「名乗り、ですか」


はて、と首を傾ける父に、朝倉が言葉を被せる。


「ええ。真希さんを掻っ攫うつもりでおりますので」

「だから、掻っ攫われる予定はありませんって」


すかさず真希が口にすると、父がふっふと楽しそうに笑った。


「掻っ攫われてみたらいいのに」

「……そこは一応反対するところなんじゃない?」

「初対面の父親に向かっていきなりこんな宣言をするなんて、なかなか並大抵のことじゃ出来ないだろう」

「もう、感心してどうするの」


この目の前の男性(ヒト)だって、父の言っていた“全く知らない男”のはずなのに。


「それに、彼があの(・・)朝倉さんなのだとしたら、僕は何だか納得だね」

「何が、あの(・・)なのよ」

「おや、気付いていないのか。僕はこうやって会う前から、彼のことを随分と知っているよ」

「初対面って言ってたじゃないの」

「会ったことがあるとは言ってないだろう? 真希がいつも語っていた“朝倉さん”は、まさに、今目の前に立つ彼そのものだよ。感心する位にね」


そんなに日常的に、朝倉のことを話題にしていたのかと顔に血が昇る。

いやでも、チューターであるのだしっ。

仕事を通じて日常的に、あれやらこれやら細々とあるのは当たり前で。


「どうせ掻っ攫われるなら、こんな風に正面切ってやってくる男が良いと思うよ。でもまあ君は、その前にきちんとこの()を口説く必要がありそうだがね」


真希の動揺を知ってか知らずか、父は更にそんなことを言う。


「先生がうっかり他の誰かに熨斗をつけて差し出す前に、まずはここに、私のような者がいると知っていただくことが先決でしたから」

「まあ、熨斗はうっかりつけたりしないつもりだけど、これぞという物件が現れたらわからないかなぁ」

「お父さんっ!」


ははは、と笑ってから父は優しく真希を見つめた。


「もちろん、お前がずっと僕の傍にいてくれても、それはそれで嬉しいよ。ただ、僕が有希さんを見つけたみたいに、真希も真希にとっての運命を見つけてほしいとは思っているんだよ。あんまりにも早く有希さんを亡くしてしまった僕を見て、お前が臆病になってしまったのはわかっているけれども」

「……運命は、こんな風に自分から“掻っ攫うぞ”って吹聴しながらやってこないと思う」

「そうやって吹聴しないと、掻っ攫われる準備が出来ないからかもしれないね。……さて、浩人君」


真希との会話をあっさり切り上げて、父は再び朝倉に視線を向ける。


「遅くにお引き留めしてすまなかったね。今度是非、僕の研究室に遊びにいらっしゃい。歓迎するよ」

「ありがとうございます」

「じゃあ、気を付けて。――真希。車までお見送りしてさしあげて」

「――はい」


失礼します、と会釈して背を向けた朝倉の後を、真希は無言で付いて行く。

カチャリ、と玄関ドアが閉まる音がして、月明かりの中二人だけ取り残された。


「研究者と呼ばれる人間が運命論とか、何だか可笑しいですよね」

「そうか? 研究者は人知を超えたものの存在を割と身近に感じる職業だと思うがな。偶々時間設定を誤る。偶々温度設定を誤る。偶々いつもと手順を逆にする。その結果発見された偶然の産物なんて、数え切れないほどだ」


門柱の外で足を止め、朝倉が真希を振り返る。


「運命ってやつは」

「運命ってやつは?」


少し皮肉っぽい口調になったのは、致し方のない事だ。


「すぐにそれとわかるわけじゃない」

「よくご存知で」

「確かにあの時は、何であんなに苛つくのか、自分でもわかっていなかったが」

「何の話ですか」

「今にして思えば、“こっちを見ろ”とばかりにチラつくピアスが俺の運命だったんだろう」

「え゛」

「広田さんも、薄々それを察していたわけだ」

「――もしかしてさっきの独り言、聞こえていたんですか」

「自分の思考を追うことを優先していただけで、別にトランスしていたわけじゃないからな」


朝倉は平然と受け流す。

それから少し考え込むように真希を見つめたまま――


「結局、掻っ攫うと言っておきながら、既に俺の方が掻っ攫われているのか」


そう自嘲するように呟くと、徐に三日月を背にして近付いて来た。


「朝倉さん?」

「……全く、運命ってやつは」


影になって、その表情はよく見えない。

――ただ。

朝倉の耳元に懸かった三日月が何だか――揺れるピアスのようで。

真希はその青白い光に魅せられたかのように、動けなくなった。


「早く、俺を好きなことに気付け」


片手で緩く。

ほんの一瞬真希を抱き寄せ耳元でそう囁くと、朝倉は「おやすみ」と去って行く。

エンジン音が遠くなっても、真希は暫くその場から動けなかった。



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