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どうしてもって時は

「おお、来た来た」


満面の笑みを浮かべた社長は、いそいそと目の前の席を勧める。

朝倉のSUVが乗りつけたのは、都内のこぢんまりした天ぷら屋だった。


「悪いね、遠い所まで。もう少し近場にしようと思ったんだが、こいつがダメだと言うものだから」

「当たり前でしょうが」


憮然として答えた朝倉にしろ真希にしろ、そんな危うい橋は渡れない。


「今日はもう少しゆっくり話をしたかったんだが、周りの目もあったしね」


あれで“周りの目”を気にしていたって……

真希はくらりとした。


「コソコソするとあらぬ疑いを招きかねないし、かといって、あんまり大っぴらにしても勘繰られるだろう?」

「それ、真面目に言ってるんですよね」


朝倉が口許をピクリとさせる。


「当たり前だ」

「あれのどこがあらぬ疑いを招かない振舞いで、勘繰られない言動なんですか」


呆れたようにため息を吐く息子に向かって、社長は心外だというように鼻を鳴らす。


「午前中いっぱい彼らに付き合ったじゃないか。いきなり『広田真希さんはどこだね』などとは言わなかったぞ」

「――え゛」


真希は女将が手渡すおしぼりを、思わず取り落とした。

一体父は、社長の何にスイッチを入れてしまったのだろう……


「まあ、思いがけず有望な研究で収獲ではあったがな。それに、社員食堂でも一応どこに座るか迷うフリをした」

「……聞くところによれば、広田さん目指して一直線だったという話でしたが」

「そうだったか?」


社長は平然と空っ惚ける。


「さっきだって、正門前で自ら声を掛けようとしていたわけですよね」


尚も言い募ろうとする朝倉を煩わし気に一瞥すると、社長は真希に向き直ってにっこり微笑み前菜を勧めた。


「ここの湯葉、美味しいんだよ。遠慮なく食べて」

「……はい。いただき、ます」

「聞く気なしですか」


朝倉は苛立たし気に箸を手にする。

社長はそれにお構いなく、上機嫌に話し始めた。


「それにしても、広田君も……ああ、お父さんの方ね、水臭い。真希ちゃんのことを話していてくれたら、就職の時だって色々と配慮のしようがあったものを。まあ、そういうところも彼らしいというか」

「……『縁故採用など努々(ゆめゆめ)考えないように。採用試験を受けたまえ、朝倉君』と言った同じ口から出た言葉とは思えませんね」

「それはお前が研究職に就いて“朝倉”で通すと言い張ったからだろう」

「しかも、“真希ちゃん”ですか」

「私にとって“広田君”はお父さんの方だからね。他にどう呼べと言うんだね。なあ、真希ちゃん」

「……はぃ」


湯葉を心ゆくまで堪能するには、些か空気が微妙だ。

が、次々と天ぷらが運ばれるにつれ真希の緊張も解け、いつの間にか社長と朝倉の丁々発止のやり取りも笑って聞いていられるようになった。

要は、似た者親子なのだ。

お互いがお互いのやり方を気に入らないけれど、認めてもいる。

だから、気になって仕方がない。

社長が朝倉を手元に置きたがる理由が、真希には何となくわかる気がした。


「美味しい……」


口に運んだ肉厚の帆立は、衣はサクッと、でも中は火が通り過ぎていない。


「だろう? 野菜がまた美味いんだよ」


次に運ばれてきた万願寺唐辛子も絶品であった。

社長は話し上手の聞き上手で、父や母と共に過ごした学生時代の話を懐かしそうに語り、真希自身の話もいつの間にかかなり踏み込んだことまで聞き出している。


「産学協同の件で久々に広田君と会った時」


社長は日本酒を手に、しみじみと語った。


「何やらいつになく深刻な面持ちでね。真希ちゃんがある日突然、自分のまるっきり知らない男に掻っ攫われていくかもしれないという可能性に、ふと気付いてしまったと言ったんだよ。何を今更、だよなぁ?」

「……ご、ふっ」


飲み込みかけたアスパラガスに咽て、真希は涙目になる。

もしかしたら、違う理由で涙ぐんでるのかもしれないけれど。

いやいやいや、それどころじゃなくって。

真希はグラスを手にして慌てて水を流し込む。

今、朝倉の前でこれ以上事情を明かすのは勘弁してほしいのだ。


「で、それなら、うちの明人はどうだろうという話になってね」


――ああ、もう、手遅れじゃないの。

とはいえ、真希は必死に抵抗を試みる。


「そうはいっても、ご本人の意思がありますし」


私の意思もね!


「無論、アレにも真希ちゃんにも無理強いするつもりはないんだよ。単に、知り合う切欠を与えたというだけでね」

「父にも話したのですが」


ここで特大の釘をしっかりと刺すべく、真希は大きく金槌を振りかぶる――もとい、ぐっと身を乗り出した。


「私には今、どこぞの誰かに掻っ攫われている暇などありません」

「ほう?」

「社長もご存知のように、まだ仕事もひとり立ちしていない状態ですから、とてもじゃありませんが、そういう余裕はないです」

「時として運命は、そういった個人的事情に無頓着だからねぇ」


そんな運命を司る神みたいなこと言っちゃってっ。


「あの、偶々そういう巡り会わせになることと、予めお膳立てされたものとは」

「同じことじゃないか? どっちにしろ想定外ってことだろう? 他人の思惑がどうとかこうとか、それはまた二次的な見解」


そう軽くあしらうと、社長は美味しそうにアスパラを頬張る。


「お。初夏の味だねぇ」


――手強いじゃないの。

だがしかし、負けるわけにはいかないのだ。


「ええと、私はどちらかというと掻っ攫われるようなタイプではなくて」

「いいねぇ。掻っ攫うほうか」


違うし!

のらりくらりとはぐらかされて、真希は途方に暮れる。

助けを求めてちらりと視線を向けると、朝倉は可笑しそうに口許を歪ませていた。


「朝倉さんも面白がってないで、何とか言ってください」


真希は隣の席に軽く身を寄せ、小声で詰め寄る。


「明人じゃダメだってことをか?」


目に揶揄うような光を浮かべた顔が思いの外近くて、こんな時なのにどういうわけか鼓動がとくりと跳ねた。


「そうじゃなくてっ」


朝倉と、そんな反応を示した自分自身にも思い切り突っ込んだ時、背後でガラガラと引き戸を開ける音がする。


「こんばんはー。ああ、間に合った、間に合った」


聞き覚えのある声に、嫌な予感がして恐る恐る振り返ると、そこには、柳瀬明人本人がにこやかに立っていた。


「やあ、真希さん」

「――“真希さん”?」


面白がっていたはずの朝倉が、一転して不機嫌になる。


「父さん。こういうのは予め言っておいてくれないと。今日の今日じゃ、僕だって予定の繰り合わせが難しいんですよ」


どこかで聞いたセリフだ。


「どうしてもって時は、どうにかこうにか遣り繰りをするものだ」


なるほど、先程もそんな風に電話の向こうで言っていたわけだ。

そうそう簡単に思い通りにはならなさそうな息子たちを、案外易々と振り回す社長の力量に真希は密かに感心する。


「はいはい」


社長の隣に腰を下ろすと、柳瀬は肩をひょいと竦めた。


「だからこうやって、ここにいるわけじゃないですか」

「遅い遅い。私たちにはもう、シメの穴子がくるよ」

「じゃあ大将、僕には特上天丼お願いします!」


馴染みの店なのだろう、早速そう注文すると、柳瀬は女将に渡されたおしぼりで手を拭きながら、首を傾ける。


「何で浩兄が?」

「驚いたことに、こいつは真希ちゃんのチューターをやっておったんだよ」

「え゛。そんな話はこの間ちっとも言ってなかったじゃないか」


柳瀬が朝倉を軽く睨んだ。


「聞かれなかったからな」

「っは? 『同じグループだ。何かあるのか』じゃないだろう?」

「『仕事を覚えている最中なんだから、余計なちょっかいを出すな』とも言ったはずだ」

「それ、公私混同じゃないの?」

「お前もな」

「うわ。否定しないんだ」


目を見開いた柳瀬が、朝倉を指差して真希に首を傾ける。


「つまり、そういうこと?」


そうです。

と方便を使えば、今一瞬は直面している面倒から解放されるのだろう。

けれど。

その後に続く、もっと面倒なあれやらこれやらが容易に予想出来て、真希は「う゛」と詰まったまま動くことが出来なかった。


「――はい、時間切れ。答えに窮するようじゃ、まだまだ付け入る隙ありと見た。浩兄も詰めが甘いね」


柳瀬があっけらかんと言って笑い、朝倉がチッと舌打ちをする。


「そこは『どうでしょう』とか『ご想像にお任せします』くらいの、如才ない応答を期待するところなんだが」

「ああ、なるほど!」


真希は頷くと柳瀬に向かって居住まいを正す。


「というわけで、ご想像に――」

「お任せされちゃったら、僕の都合のいいように解釈するよ」

「――とか仰ってますけど」


朝倉は大きくため息を吐くと箸を置き、それから言った。


「これは、俺のだ」



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