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思わぬ招待

「では、ワタクシ()は今日はこれで」


朝倉が席を外している隙に、真希は鞄を手にしてフロアを後にした。

別にコソコソするわけではないけれど、今日はいい働きをしている第六感が、早く帰った方がいいと先程からうるさい。

社食では間に合わなかったけれど、再び同じ轍を踏むつもりはないのだ。

ロビーに差し込む夕日の中、まるで何かに追われているかのように足が速まっていることに気付く。


「ちょっと過剰反応かも」


真希は苦笑して少し歩みを緩める。

盛り沢山の一日も、すぐそこのエントランスを抜けたらお終いだ。

その時。

トーンを抑えた話し声が背後からいきなり近付いてきて、振り返る間もなく肘を掴まれた。


「ひゃっ!?」

「確保。――いや、こっちの話です。っは? 誰のせいだと――何言ってるんですか、今日の今日でいきなり――……」


朝倉はスマホの向こうに小声で捲し立てながら、真希をロビーの一角にあるソファまで引っ張っていく。

それから、視線と仕草で“そこに座れ”と命じた。

勢いに呑まれて腰を下ろしかけ、真希はハッと我に返る。

――何で従ってんの、私。


「あのっ」


それをすかさず手で制し、朝倉は尚もスマホの向こうに言い募る。


「そんな我儘はここでは通用しません。俺はアナタの(しもべ)じゃないんですからね――はぁっ!? 何でここでアイツの名前が出てくるんですか。いや――」


真希の前を行ったり来たりしながら、朝倉は髪を掻き乱す。


「ええと、お取込み中のようですし、私はこれで……」


こそっと口にしてその横を通り抜けようとすると、朝倉はスマホの通話口を塞いで「座れ」と今度ははっきりと口にした。


「座れ?」


ムッとする真希の方にちらりと視線を投げた後、朝倉は一瞬目を閉じ眉間を押さえる。

それからかっと目を見開くと、ソファを指差しながら言い放った。


「正門前で衆人環視の中、誰が乗っているのか明らかな黒塗りに引っ張り込まれたくなかったら、いいからそこに大人しく座っとけっ」


真希はソファにすとんと腰を下ろす。

その黒塗りの主は、先程皆にお見送りされて去って行かれたのでは――?


「それで何ですって?」


朝倉は不機嫌を露わに、再びスマホに向かった。


「――だから、正門前でいきなりアナタに声を掛けられたら、普通に困るでしょう? 何で喜んで乗り込む前提なんですか。いや、見てますって! 皆、見てないふりして見てるんですよっ!」


本当に、全く、その通りだ。

徐々にヒートアップしてきた朝倉に、通り過ぎる人々がさり気なく好奇の視線を向ける。

ついでに真希にも。

少し引き攣った笑みを浮かべて、真希はそれに耐えた。

やがて毒づきながら勢いよく通話を切ると、朝倉は真希の向かいにどさっと腰を下ろす。


「――ええと」


事情は何となく理解した、のだけれど。


「一応、正門前は回避した」

「いや、バスの時間が、ですね」

「この期に及んで、逃げられると思っているのか?」


朝倉が腕を組んで片眉を跳ね上げた。


「バスに乗ってしまえば、こちらのものではないかと」

「成程。問題を長期化且つ複雑化させるもやむなしという判断か」

「長期化且つ複雑化って、大袈裟な……」


思わず笑った真希に向かって、朝倉は「いいか」と身を乗り出す。


「“今日は駄目だったか仕方がないな”で諦めるような人じゃないんだ。次は絶対断れないルートを使ってくるぞ」


まさか公の命令系統を使ってくるとかですか。

ってことは、広報どころの話じゃなくて。

私の平穏な日常が――


「困りますっ」

「だろう? というわけで、休憩室で待機」

「……は?」

「急いで支度をしてくる。つまり、俺も同じような状況に追い込まれてるってわけだ」


それは単に、今、呼びつけられている、というということ?

それとも――本社に呼び戻されるかもしれない、ということ?

目を瞬かせる真希に、「いいか、待ってろよ」と念を押して朝倉は急ぎ立ち去った。




「それで? 俺が他に知っておかなければならないことはあるのか?」


真希を助手席に乗せると、朝倉は車を出しながら切り出した。


「……別に、私は何かを隠していたわけじゃないです」

「口を噤んでいただけでな」

「それを言うなら、朝倉さんだって同じじゃないですか」


朝倉がふんと鼻を鳴らす。


「そもそも、父が社長の大学の後輩で今でも親しいなんてこと、私自身だってついこの間まで知りませんでした」

「そうなのか?」

「まったく、産学協同の話のついでに、娘の将来を相談するってどうなんでしょう……」


窓の外の夕焼けを眺めながら、思わず真希はぼやいた。


「そういうことか」

「あ゛……」


運転席に目を向けると、朝倉はむっつりしている。


「実際、父から事情を聞いたのは柳瀬さんと――広報の柳瀬さんと、父の研究室で偶然お目に掛かった後だったんですけど」

偶然(・・)ね」

「私にとっては偶然(・・)です。柳瀬と聞いても最初ぴんと来なかったくらいですから」

「まあ、社長の苗字だけどな」

「社長や社長関連の人物が父の周りにウロウロしているなんて、思いませんから」


それを言うなら、私の周りにいるとも思ってなかったけど!

真希はふぅとため息を吐いた。


「柳瀬さん本人の意向はともかく、実際にひとり送り込まれてきたという事実を鑑みるに、“同じ研究所に勤めている次男”というのにも用心を怠らない方がよかろうと思って、次の日朝倉さんにお尋ねしたんですよ」

「「“先端技研(ここ)に柳瀬さんていらっしゃいましたっけ”」」


そう、まさか本人に尋ねているとも知らず。

朝倉が苦笑する。


「あれには結構動揺した」

「本当ですか? 随分冷静に釘を刺していたと思いますけど」

「あんな風に具体的で正確な情報が出たことはなかったからな」

「そういえば、そうでした。NASAで無人探査機を飛ばしているんでした」


真希はくすくすと笑った。


「それで、朝倉さんは何で“朝倉さん”なんですか?」

「……“柳瀬”で“社長の息子”のままじゃ、ハンデだったから」

「ハンデ、ですか?」

「岡戸さんも言っていただろう? テクニカのエンジニア魂がどうのこうのって」

「はい」

「兄弟でエンジニアなのは俺だけだが、先端技研(ここ)は腰掛けでいずれ本社(向こう)に戻っていく、と思われるのは心外だ」

「……でも、社長は」

「戻って来いとは言っているな。だが、今の俺が戻ったところで、向こうで活かせるほどのエンジニアとしての経験があるわけじゃない」

「それはそうかもしれませんけど、社長が求めているのは――」

「息子を三人とも手許に置くことだとか言うなよ」


朝倉が茶化す。


「それは勿論あるのでしょうけれど、社長が朝倉さんに求めているのは、エンジニアとしての経験ではなくて、エンジニアとしての資質なのでは」


沈黙が車内に広がり、エンジン音と風を切る音がやけに耳についた。

何かマズいことを言ったのだろうか。

居たたまれなくなって、真希は助手席で身じろぎをする。

――やがて。


「それくらいのことは、わかっている」


朝倉が口を開いた。


「だが、敢えて俺である必要があるのか?」


それは、“そうだ”とも言えるし、“そうではない”とも言える。

社長の息子としては、そう望まれるのだろう。

しかし、ひとりのエンジニアとしてならば、別に朝倉である必要はないはずだ。

恐らく、何度も繰り返されてきた自問の答えは――


「俺ではない誰かにも出来ることならば、その誰かがやればいいことだとは思わないか?」


まさしく朝倉らしいもので。


「その“誰か”は、簡単に見つかるんですかね」


そう答えながら真希は口許を緩める。


「知るか」


ふっと笑って朝倉は車を加速させた。



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