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距離感の問題

「……どうやって、ですか」


口を開きかけた朝倉を、真希は素早く片手を上げて止めた。


「すみません。『こうやって』とかいう説明も実践も必要ないですから」

「それは残念」


朝倉がくくっと笑って髪を掻き上げる。

――これは、誰?

真希は目を瞬かせた。

用心深く引いたラインを無造作に踏み越えて、今、覚悟を迫るこの男性(ひと)は。


「じゃあ、それについては追々。取り敢えず、戻ろうか」


追々ってっ!

何事もなかったかのように歩き出したその背中を睨みながら、真希は今更ながら顔が火照るのを感じた。


「お疲れさん!」

「いやぁ、突然だったのに、よくやってくれた」


フロアに戻ると、部長をはじめ服部やグループの面々から口々に労われた。

ようやく席に辿り着くと、岡戸が「お、戻って来た」とニヤリと笑う。


「で、何でまたああいう展開に?」

「事故です」


真希がすかさず答えると、朝倉が続ける。


「俺はそのとばっちりですね」

「へえぇぇ。聞くところによれば社食でさ、社長は広田さんをピンポイントで狙っていったって話じゃん」


フロアに戻ったところで“日常”はまだまだ遠いらしい。

ため息を押し殺し、真希は椅子に座った。


「それは誤解です。偶々社食に居合わせて、偶々社長と目が合って、偶々隣のテーブルが空いていたというだけですから」


あながち嘘というわけではない。

少なくとも真希からしてみれば。


「ほおぉぉ」

「何ですか」

「の割に、やけに親し気に話し込んでいたような?」


朝倉がやれやれといった風に、その好奇心を一蹴する。


「若い女の子が好きなのは社長に限ったことじゃありませんよ。所長も部長も服部さんも、岡戸さんだって野郎より女の子と話す方がいいでしょう?」

「朝倉君も?」


揶揄い半分の岡戸を冷ややかに見据え、朝倉は平然と肯定した。


「当然です」

「そうだったんだ」

「そうだったんですね」

「広田さんまで何でそこで喰いついてくるかな」


朝倉が眉間に皺を寄せる。


「……すみません、つい」


色々ありすぎて、ちょっとばかり思考にも口にもブレーキがかからないようで。

岡戸がくっくと笑いながら頭の後ろで手を組み、椅子の背に凭れた。


「それにしても、社長は本当にノープランで衝動のまま先端技研(ここ)に来たらしいね」

「実験室では随分懐かしそうにあちこち見て回ってましたよ」


『今どきはこんな便利な物がねぇ』と感心したかと思えば、『おお、こいつはまだ現役で活躍しているのか』と感激してみたり。

楽しそうだった様子を思い出しながら真希が答えると、岡戸は宙を眺めたまま呟く。


「エンジニア魂に()ばれたってか」

「はい?」

「現場を離れたエンジニアってどんな感じなのか想像もつかないなー」


つい先程、社長からそれを示唆されたばかりの朝倉が、視線の隅で身を強張らせたのが見えた。


「でもさぁ」


背凭れをキコキコ揺らしながら岡戸が続ける。


「うちって経営方針にしろ商品展開にしろ、何かと同業他社(よそ)んとことはちょっとばかりカラーが違うじゃない。それって、やっぱりトップが根っこのところでエンジニアであり続けているからなんだろうなぁとは思うかな」

「他所のトップだって似たようなもんだと思いますけど」


朝倉がそう口にすると、岡戸は思いの外真剣な声でそれを否定した。


「いや、違うね。確かに、会社の成り立ちは似たり寄ったりだよ。何を作っていたかはそれぞれだけど、どっかの町工場からのスタートでさ。でも、規模が大きくなるにつれてその違いがはっきりしたと思う」

「どんな風にですか?」


真希が首を傾けると、少し言葉を選びながら岡戸が答える。


「会社自体をより大きくする方に軸足を置くか、より良いものを作ることで大きくなろうとするか、かな。なんつーの? 建前じゃ何とでも言えるけど透けて見えるじゃん。商品のラインナップに、その目的の違いってのがさ」

「ああ……。何となくわかるような気がします」


品質や性能に妥協したものでも売れればいいのか。

シェアを伸ばせればいいのか。

経営戦略的には、有りだ。

しかしテクニカは、時にオーバースペックと揶揄されながらも、自らがこれと信じる水準の製品を送り出し続け現在の地位を確立した。


「いつの間にか、“売らんがな”な商売になっていること、多いじゃない。まあ、営利企業なんだから当然っちゃ当然なんだけど、そこんとこの匙加減がね、うちは絶妙だと俺としては思ってるわけ」

「エンジニア的に、そこはやっぱり外せないだろうってとこは絶対外していない、みたいな?」

「そうそう」


嬉しそうに頷きつつ岡戸がため息を吐く。


「まだまだ先の話だろうけどさぁ。うちも変わっちまうのかね。社長の息子は経営畑をまっしぐらって感じじゃん」


ここにもう一人、バリバリのエンジニアな息子がいますけど。

真希がちらりと視線を向けると、PCをチェックしていた朝倉が素知らぬ顔で言った。


「うちのDNAは、そんな簡単にどうにかなるようなもんなんですかね。社長だってその辺りを考えて、研究所を直属にしていますし、拡充にも積極的じゃないですか。何も社長自身がエンジニアじゃなくても」

「どうだろうなー。俺たちの言語を解さない者たちに、果して俺たちの思想が通じるのか? せめて意思決定者の近くにエンジニアを置いてほしいね」

「通訳ってことですか? エンジニアの自分でも、エンジニアなはずの岡戸さんの言ってることがわからないなんてこと、ありますけど」


しれっと混ぜっ返す朝倉に、岡戸が「おおいっ! そこはわかれよ」と突っ込む。


「エンジニアでなければうちのDNAを引き継げないなんて考えは、それこそエンジニアのエゴですよ。うちの会社(ブランド)としてのアイデンティティは、もう既に確立しているんじゃないですか」


とはいえ。

いずれその場所にいる(・・)ために、朝倉は確固とした“実績”をあげようとしているのかもしれない。

つまり、本社に戻らないわけじゃない。

今は(・・)戻らない、というだけで。

――本当に?

研究開発の分野から支えたいと朝倉自身は言っていたけれど、社長の意向で近々本社に呼び戻されたりするのだろうか。

真希はふるふると頭を振った。

こんなこと、何で気にしているのだろう。

営業ほどではないが、研究職にだって異動はつきものだ。

転属だってないわけではない。

あんな風に真希の心をざわつかせるような人とは、距離があった方がいい……


「広田さんはどう思う?」


気付くと、岡戸がデスクに頬杖をついてこちらを眺めている。


「どうなんでしょう。でも、社長には本社にいる二人の他に、もう一人息子がいると聞いたことがあります。その方はエンジニアだということでしたけど」

「ああ、NASAのだろう?」

「……NASA、ですか?」


隣で朝倉が、げほっと咽た。


「そう。噂ではNASAで無人探査機飛ばして宇宙の深遠なテーマを探っているって話」


真希は思わずぷふっと噴き出す。

当の本人がここで憮然としているとは、岡戸も想像だにしないだろう。


「宇宙の深遠なテーマを探っているとなれば、身の回りの電気製品にまで手が回りそうにありませんね」

「だよな」

「でも」


ふと、父の研究室を訪れた際の、柳瀬の真剣な眼差しを思い出して真希は続けた。


「次期経営陣がエンジニア出身でなくとも、企業としての理念はきちんと継承されていくような気がします」

「根拠を聞かせてもらっても?」


岡戸が片眉を跳ね上げる。


「あの社長が育成して次代を託すから……ですかね。それに、いずれ宇宙の夢から覚めて、エンジニアの息子も戻ってくるかもしれませんし。ね、朝倉さん?」

「……どうかな。NASAの仕事が性に合って、戻ってこなかったりするんじゃないか」


朝倉は素っ気なく答えた。

どうやら機嫌を損ねたらしい。

くすくす笑いながら、こういう距離感でいられなくなるのはやっぱり寂しい、と真希は思った。


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